21 お友達から始めましょう
「お嬢様ぁぁ!よくご無事でお戻りになられました……!本当に本当に心配したんですよ!」
「アンナ……ごめんなさいね。心配をかけたわ」
大公家の邸に戻るなり、泣きながら抱きついてきたのは専属侍女のアンナだ。普段冷静な彼女がわんわんと声をあげながら泣いている事に驚きつつも、彼女の背をよしよしと撫でる。
周りを見渡せば、玄関ホールに集まってくれていた執事や侍女、料理人や庭師といった様々な人々が涙ぐんでいた。
勝手に誤解して逃げ出して私を、これ程に心配してくれていたのだと思うと申し訳ないとは思いつつも、心が温かくなるのを感じる。
「皆にも迷惑をかけたわね。本当なら合わせる顔もないのだけれど、またお世話をしてくれたら嬉しいわ」
「妃殿下、お帰りなさいませ!」
「妃殿下のお好きなレーズンのお菓子も、たくさん用意してお待ちしておりました!」
涙ぐみながらも笑顔で出迎えてくれる彼らに対して、なんだか私まで泣きそうになってしまう。
アンナ以外は皆アルテュール様に仕えているのだから、彼を憔悴させて悲しませた元凶である私に対して怒ってもいい筈だというのに、どうしてこんなにも皆優しいのだろうか。
私自身、勘違いして暴走した考え無しの自分に怒っているというのに。
「……皆、優しすぎるわ。アルテュール様がこんなにも痩せてしまわれた原因は私なのよ?誰よりも格好良くて精悍な御顔が、こんなにげっそりとされてしまわれて……」
「んぅ!?」
「いえ、げっそりとされていてもアルテュール様が王国一素敵な事に変わりはないわ。とにかくあなた達は私を怒って、なじってくれてもいいのよ?私はそれを受け入れる覚悟はできているわ!」
そう訴えるのだけれど、何故か皆私ではなく私の隣にいらっしゃるアルテュール様をなんとも言えない優しい眼差しで見ている事に気付き、私もちらりと彼を見上げた所で驚いて目を丸くする。
「まぁ!アルテュール様、御顔が真っ赤ではありませんか!どうされたのですか!?」
骨張った大きな手で口元を覆われているアルテュール様は、耳まで真っ赤にされて茹だってしまわれていた。なんだか目も白黒とされているし、体調が悪いのかもしれない。
思い返してみれば、ここに戻るまでの馬車でも今まで通り私を膝の上に抱えられてはいたものの、過度なスキンシップは無く、私を抱き締められたままですやすやと眠ってしまわれていたのだ。
彼に同行していた騎士達によると、私がコルシックの街に居るという報せを受けてから、一昼夜寝ずに馬を駆けられていたというのだから無理もない。きっと睡眠不足でお疲れなのだろう。
そんな極限状態でも私を抱き締められたままだったのは、私が抱き枕のような感覚だったのか、私がまた逃げ出さないか不安だったのかは定かではないけれど。
それにしても御顔は驚く程に真っ赤だし、疲れからくる発熱かもしれない。おでこに触れて熱があるのかを確認したいのだけれど、私の身長では背伸びをした所でアルテュール様の御顔には届かない。
そうなれば今できる事は――
私はぎゅっと彼の腕を掴むと、じっと彼を見上げる。急に掴まれて驚かれたのか、彼は少しだけたじろがれた。
「……アルテュール様、早く寝室に参りましょう」
「なぁ!?い、いや……待っ……!?」
集まってくれた使用人達が何故かざわりとする中、アルテュール様はびくりと体を震わせた後、視線は定まらず、一気に噴き出した汗でびっしょりだ。これは相当に体調が悪いに違いない。
「発熱に発汗、意識の散漫だなんて随分と疲れが溜まっておられる証拠です!早くゆっくり休まれないと!」
「……………………え」
「?私、何かおかしな事を言いましたか?」
ぴたりと固まってしまわれたアルテュール様に首を傾げていれば、先程まで泣いていたのが嘘のように呆れた表情のアンナと視線が重なる。
「お嬢様……あの言い方では、大公殿下を白昼堂々と寝室に連れ込もうとされていると勘違いされてしまいますよ」
「連れ込……?」
そこでようやく私の言葉の至らなさに気付き、今度は私の顔が一気に赤く染まってしまう。
要するにアルテュール様も皆も、私がこんな昼日中から彼を共寝に誘う痴女だと思ったという事なのだ。だからこそアルテュール様はあんなにも動揺されていたし、皆もざわついたという事に気付いてしまえば、あまりの恥ずかしさに今すぐ穴を掘って埋まりたい心地だ。
「ち、違います……!アルテュール様、そういう意味ではありませんからね!?」
「あ、あぁ、そうだろうとも。ポーラは俺と違ってそんな事、考えた事もないだろうというのは解っている」
まだ赤い顔をされたままで、神妙な表情でこくこくと頷かれるアルテュール様だったけれど、それではまるで、アルテュール様はそういう事を考えられたという事ではないのだろうか。
私達が互いに想い合っていた事は解ったし、口付けも交わしはしたけれど、共寝をする事はまだまだ先の事だと思っていた私は、こういう時にどんな顔をすればいいのかが解らない。
アルテュール様が私を望んでくださっているというのは、ずっと嫌われていると思っていた私にとっては信じられないくらい嬉しい事だ。それにアルテュール様に触れるのも触れられるのも、まだ恥ずかしくはあるけれど幸せな心地になる。
そうは思うけれど、これまでお互いに誤解していた私達に必要なのは過度なスキンシップよりも会話ではないだろうか。思うに、お互い知らない事がまだまだ多いし、もっと会話をして理解出来ていれば防げた勘違いも多かったように思う。
「っ……アルテュール様!」
私がぎゅっと彼の掌を握れば、彼の肩はまた一つびくりと震える。こんなにがっしりとした立派な体躯をお持ちのアルテュール様が、私が触れるだけで頬を赤められて、緊張されている様子は少しだけ可愛らしいとも思ってしまう。
真面目で少し口煩い所は変わらないけれど、こんなに照れた表情を見てしまうと、以前のように表情が乏しく、怒っていると勘違いしてしまうような方だったとはとても思えないくらいだ。
「私達、お友達から始めませんか?」
「………………うん?待ってくれ、ポーラ。何故急にそのような……まさか君と結婚するには、俺はまだ値しないのだろうか?」
先程まで赤かった顔色がさあっと青褪めてしまわれたアルテュール様に対して、私はまた失敗したかしらと思うものの、ふるふると首を横に振る。
「そういう事ではありません!考えたのですけれど、私達には圧倒的に会話が足りていません。現に今も誤解させてしまいましたし、アルテュール様が……その、私にたくさん触れてくださるのは嬉しいのですけれど、私はまだ恥ずかしさが勝ってしまうのです。お友達みたいに気兼ねなくなんでも話せるようになれば、もっとお互いに理解し合えると思うのです!」
私の言葉をじっと聞かれていたアルテュール様は、少しだけ逡巡された後、真剣な表情で私を見据えられる。
「成程、つまり君は俺ともシモンのように気安く話せるような関係になりたいという事か?」
「シモンみたいに……というのは、アルテュール様は婚約者なのですから、ちょっと違います。最終的には結婚を見据えてのお友達、という事です」
自分で言っておいてなんだけれど、なんだかアルテュール様との結婚を物凄く意識してしまっているようで恥ずかしくなり、少し小声になってしまう。そうしてちらりと見上げた彼の表情は、なんだかとても嬉しそうな様子だ。
「そういう事なら構わない。君に合わせて、友達から始めよう」
「ありがとうございます!」
少し口元を緩めて微笑まれた彼に、私もにっこりと笑顔を浮かべる。けれど彼は何故かふるふると首を横に振られるのだから、私はこてんと小首を傾げてしまった。
「俺と君は友達なのだろう?ならば敬語はいらない。名前も呼び捨てにしてくれ」
「えっ!?」
「さぁ、君の可愛らしい声で俺の名を呼んでくれないか?」
私はお友達のような気安い関係を提案しただけだったというのに、まさか言葉遣いまで改めるように言われてしまうとは思ってもみなくて固まってしまう。
もうずっと長いこと片想いをしてきたし、アルテュール様は国王陛下の弟君で、今では大公殿下だ。敬語でなかったのは、本当に最初にお会いした子供の頃だけなのだから今更そんな風に話すというのはかなりの抵抗感がある。
言い淀む私に対して、アルテュール様の御顔は期待に満ち溢れたキラキラとした眼差しだ。
助けを求めるように周りに視線を向けるのだけれど、使用人の皆は私達を遠巻きにして、物凄く優しい笑顔で見守っているだけなのがなんとも居た堪れない。
これはもう、私が名前を呼ぶまで引き下がってはくださらないのだろう。
「ア、アルテュール……これでいいのでしょう?」
「っ……!あぁ、良いな。君はいずれ俺の後ろではなく隣に立つ妃となるのだから、いつまでも余所余所しい敬語はやめにしたいと思っていたんだ」
「う……私はこんなつもりではなかったのですけれど……」
はぁぁと思わず重い溜息を漏らした所で、いきなりちゅっと音を立てて頬に口付けが落とされるのだから、私は驚いて目を丸くしてしまう。しかも耳元に程近い所だったものだから、その音が嫌でも大きく響いてしまうし、妙にこそばゆくて顔は自然と赤く染まる。
「なっ!?急に何をされるのですか!?」
声をあげれば、今度は反対側に口付けが落とされるのだからもう訳が解らない。混乱する私に対して、アルテュール様……いえ、アルテュールはにっと口角を少しだけ吊り上げた。
「敬語はやめてくれと言ったというのに、できなかった罰だな。今後は君が俺に対して敬語を喋れば、口付けをするというのはどうだろう」
「そ、そんなの勝手に決めないでくださ……い、いえ、決めないでちょうだい!」
「まぁ、君が口付けをもっとしてほしいというのなら、敬語でも構わないが」
「え……まさかもう罰でしか口付けをしないつもりなの?」
自分でも驚く程に残念そうな声が漏れてハッと口元を覆うのだけれど、彼はぴたりと動きを止めた後、いきなり真顔でおもいっきり自分の頬をつねるのだから驚いてしまう。
「ちょっと!?そんな事をしたら痛いじゃないの!」
「い、いや……ポーラが本当に俺を好きなんだと感じられて、これが俺の都合の良い妄想なんじゃないかと思ったらつい確かめなくてはと」
「もう、仕方のない人ね。ほら、屈んでちょうだい。お薬を塗った方が良いくらいよ」
どれだけ力を込めてつねったのだろうというくらい、彼の頬は腫れぼったくなってしまっている。
こういう姿を見ると、本当に百戦錬磨の元騎士団長様なのかしらと思ってしまうのだけれど、親しく話す事のなかった以前には見た事がない姿なのだから、それだけ私に気を許しているのだと思えば嬉しくもなる。
私の言葉に従い、大人しく屈んだアルテュールの頬に軟膏を塗り込めば、腫れはすぅっと治まっていった。
「……うん、これでいいわ。今後は力加減をもう少し考えてちょうだいね」
「あぁ、気をつけよう。……しかし、こうして君に世話を焼いてもらえるというのは、なんだか天にも昇るような幸福感があるな」
「もう、大袈裟だわ」
にこにこと嬉しそうな様子が滲み出ている彼を見ていると、私もつい口元が緩んでしまう。
少し前は、私の未来に希望はなかったというのに、こんなに幸せな時間を過ごせるだなんて、私の方こそ天にも昇る心地だと言えるだろう。
この幸せが、叶う事ならずっと続きますように。
私を思ってくれる大切で優しい人達に囲まれながら、私はそう願わずにはいられなかった。
読んでくださってありがとうございます!
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