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16 異変の前兆

「マドレーヌ、少し出掛けてくるわね」

「おや、今からかい?あんた一人じゃ心配だよ」


 コルシックの街で私が滞在している宿屋を切り盛りしているマドレーヌとは、ここに来た翌朝でのやり取りからすっかりと打ち解けて、今ではとても気さくに話しかけてくれていた。


 彼女は私のお母様よりも少し上くらいで、癖のある茶色の髪をいつも上の方で一つに纏めていた。健康的に日に焼けた肌や、オレンジ色の瞳。何より人好きする笑顔が魅力的で、包容力のある女性だ。


 彼女は厨房で洗い物をしていた手を止めると、頭に巻いていたスカーフを手早く畳む。


「それならあたしも行くよ。丁度買い出しにも行くつもりだったからね」

「私一人でも大丈夫よ?それに宿屋を空けていいの?」

「息子のエミールがいるから大丈夫さ。庭にいた筈だから一言言ってくるよ」

「あら、それなら私も挨拶していくわ。エミールが作るお庭も畑も見ていて楽しいもの」


 マドレーヌの息子さんであるエミールは、彼女によく似た快活で明るい青年だ。私よりも歳は2つ上だという彼は、宿屋の庭を美しい花で綺麗に整えるだけでなく、宿屋の食堂で使用する野菜も作っているのだ。


 これがまた本当に美味しくて、それというのもエミールが丹精込めて作っているからに違いない。


 宿屋の一階、食堂前の廊下を真っ直ぐ進んだ先にある扉を開ければ、温かな日差しが降り注ぐ庭だ。それなりの広さがあり、宿泊客がのんびりできるようにガゼボや椅子も設置されている。


「エミール!あたしはちょっとポーラと出掛けてくるから、店番を頼んだよ」

「はぁ!?母さんだけポーラさんと出掛けるなんてずるいじゃないか!オレだってポーラさんとデートしたいよ!」


 花の植え替えをしていたらしい彼は、苗とスコップを片手にがばりと勢いよく立ち上がるのだけれど、マドレーヌの横に私がいる事に気付くと、ひっと小さく悲鳴をあげた。


「ポーラさん!?い、今のはその……」

「ふふ、デートに誘って頂けるだなんて光栄だわ。今日はあなたの大切なお母様をお借りしていくわね」

「は、はひっ……」


 彼は何度もこくこくと頷いていて、心なしか頬が赤く染まっていた。そんな彼に対して、マドレーヌは呆れたような溜息を漏らす。


「まったく、本人を目の前にしたらちゃんと言えないんだから、困った子だよ。さぁ、それじゃポーラ、行こうか」

「ポ、ポーラさん!お気をつけて!」

「ありがとう、行ってくるわね」


 ぶんぶんと両手を振ってくれるエミールに笑顔で手を振ると、私とマドレーヌはコルシックの街にある市場の方へと向かう。


「ところで何を買うつもりなんだい?最近いつも部屋で何か作業してるみたいじゃないか」

「今日は蜜蝋を買おうと思うの。後はオレンジね」

「蜜蝋だなんて、蝋燭でも作るのかい?」

「ふふ、もっと良い物よ。楽しみにしていてちょうだい」


 マドレーヌはなんだかよく解らないといった顔をしているけれど、出来上がった物を見て喜んでくれた所を想像すると、私は自然と口元が緩んでしまう。


 シモンからの連絡では、今日か明日にはこの街に到着するという。だからその前にお世話になったマドレーヌにお礼がしたいと思って、最近はその為の準備をしていたのだ。


「……本当は、自分で薬草も採れたらよかったのだけれどね」

「ポーラ、何度も言うようだけど――」

「森は危険なのでしょう?大丈夫よ、解っているわ」


 コルシックの街の近くには広大な森が広がっている。実はこの森が隣のフレジエ公爵家領との境界にもなっているのだけれど、基本的に森の奥深くには魔物が棲んでいると言われている。


 魔物という存在は、動物達が狂気の神であるフォリーの影響を受けて凶暴化、または巨大化するなどの変質をした存在だと言われている。


 けれど魔物は基本的に、森の奥深くなど人があまり立ち入らない所に居て、人がいる場所まで出てくる事は稀だ。


 だからこれまでは森の入口付近など、ごく浅い所までなら安全だと言われていたのだけれど、ここ最近は魔物の動きが活発化してきていて、入口付近での目撃情報もあるのだという。


 幸い、今の所は怪我人なども出ていないという事で、森に一番近いコルシックの街では以前にも増して森に対する警戒を高めているのだそうだ。ただ、森には豊富な資源がある事は確かなものだから、危険を冒してでも森に入る冒険者は後をたたないというのも現状らしい。


 流石の私も、そんな危ない森に立ち入る程命知らずではないし、そんな事をすれば間違いなくもうじきにやって来るシモンに怒られるだろう事は明白だ。


 森に一番近いだけあって、コルシックの街を囲む壁は頑丈にできているし、街の中にいれば安全だろう。


 そうして私は蜜蝋とオレンジ、その他にも薬に使えそうな素材を買い込み、マドレーヌも野菜以外の食材を買った所で、宿屋へと戻ろうとした時だった。


「大変だ!見た事もねぇ魔物が出たんだ!誰か医者を知らねぇか!?オレの仲間が酷い怪我なんだよ!」


 森に近い門の方から駆け込んできたらしい男が、大声で叫びながら通りを走っている。叫んでいる男自体も服が酷く薄汚れていて、所々からは破けて血が滲んでいた。本当に命からがら逃げ出してきたのだろう。


 ただ、彼に対する街の人達の反応は驚く程に冷ややかだ。危険だと解っている森に敢えて立ち入る街の人は今はいないし、森に入っていくのは決まって他所からやってきた冒険者なのだという。


 それは確かに自業自得だし、もし彼らを追って魔物が街まで来るような事があれば、それこそ街の被害は甚大になるのだからこの反応も解らなくはない。


 けれど――


 この街では他所者かもしれない彼らも、アスター領の領民かもしれないし、ブラーヴ王国民だというのは間違いない。


『ポーラちゃん、わたくし達貴族の生活は多くの民の力で成り立っているのよ。だからこそ、わたくし達は民の生活を守り、安寧にする義務があるの。困っている人がいたら、いつでも手を差し伸べられるようにね。それが何よりも一番大切な事だから、それだけは忘れないでちょうだいね』


 いつか王妃様が仰られていた事が不意に頭をよぎる。ここで見て見ぬ振りをする事は、それだけはしてはいけない事だ。


「マドレーヌ、これちょっと持っていて。私、行かないといけないわ!」

「えっ!?ちょっと、ポーラ!あぁ、もう、一人じゃ危ないって言ってるってのに……!」


 買った物が入った袋をマドレーヌに手渡すと、私は助けを求める男の方へと駆け出す。困惑していたマドレーヌも、後ろから追いかけてきてくれる気配を感じながら、私は歩みを進めた。


 私以外には誰も近寄ろうという様子はなく、彼は近くで見れば本当に傷だらけの満身創痍だ。自身も怪我を負いながらも、必死にここまで来たのは、ただひたすら仲間の為なのだろう。


 彼は私を見ると、今にも泣き出しそうな程にくしゃくしゃと顔を歪めた。


「っ……お嬢さんは医者か!?助けてくれ……本当に酷い怪我なんだよ……!」

「ごめんなさい、私はお医者様ではないのよ。でも、もしかしたら少しでも力になれるかもしれないわ」


 医者ではないという言葉に、酷く落胆した様子の男は、それでも私に対して頭を下げた。


「あんた、貴族のお嬢様だろ……!?頼む、何でもいい、助けてくれ……!オレに出来る事なら何でもするから!」

「まずはあなたの怪我からよ。あなたも酷い状態の自覚はある?」


 私は懐に入れていた傷薬の軟膏を取り出すと、彼の腕をぐっと掴む。彼は驚いた様子で目を丸くしていたけれど、私は構わずに傷口に軟膏を塗り込んでいく。


 いつも通り塗ったそばからすうっと傷口が塞がっていくのを確認して、私はホッと胸を撫で下ろした。


「良かったわ、ちゃんと効いているわね。ほら、そちらにもお薬を塗るから反対の腕も出してちょうだい」


 そう促すのだけれど、彼はぽかんとした様子で私と自分の塞がった傷口とを交互に見ている。それはマドレーヌも、周りで遠巻きにしていた街の人々も同様なものだった。


 この反応に、やはり私の傷薬は即効性がありすぎるのだわと苦笑を漏らすのだけれど、今は皆に説明している暇はない。


「マドレーヌ、私の部屋にこれ以外にもお薬があるわ。どれが役に立つか解らないから、トランクごと持ってきてもらえる?」

「あ、あぁ……!解ったよ、ちょっと待ってな!」

「他の皆さんも、力を貸してちょうだい!私はこの通り力持ちではないから、怪我人を運ぶのに人手がいるわ。この人達はあなた達からみたら他所者かもしれないけれど、皆同じブラーヴ王国民よ。それを見捨てるというの?」


 私の言葉に、虚を突かれたような表情を浮かべた人々は、一人、また一人と手伝いを申し出てくれた。そうして集まった多くの人達と共に、私達は怪我人がいるという森近くの門の外へと向かうのだった。






読んでくださってありがとうございます!


作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!


次回は月曜日の更新です。

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