14 2回目の逃亡
「よし、やっと出来たわ……!」
アルテュール様を正気に戻すための解毒薬が完成したのは、夜も更けてきた時刻だった。
結局アルテュール様の執務室前で盗み聞きをしてしまった後、私は自分の部屋に引き返してまた引きこもってしまっていた。今度は別の意味で彼と何を話せばいいのか解らなくなってしまったからだ。
お礼を言いに行くと書き残して出て行った筈の私の様子がおかしい事をアンナは心配してくれたのだけれど、今は一人にしてほしいという私の言葉を尊重して、昼食も夕食も部屋に運んでくれていた。
私が食堂に出て行かなかった事で、アルテュール様は気を悪くされただろうか。
そんな事を考えてはまた『ポーラには関係のない事だ』という彼の言葉を思い出して溜息ばかりが漏れてしまう。
出来上がったばかりの解毒薬の入ったガラスの小瓶をランプの前に翳してみれば、レモン色のとろりとした薬は蜂蜜色にも見えた。媚薬を盛ったあの日のアルテュール様の瞳の色みたいに綺麗なそれを、私はただぼんやりと眺める。
明日これを紅茶にでも混ぜて、私からだと言ってアンナにアルテュール様の所へ持っていってもらえば、彼は以前の彼へと元通りに戻る筈だ。
そうなれば、あんな蕩けるような蜂蜜色の瞳で私の事を愛おしそうに見られる事も、優しく触れてくださる事も、執着されていると勘違いする程に執拗に口付けしてくださる事もなくなるだろう。
元々アルテュール様は私を嫌われていたのだから、正気に戻られたらきっと以前みたいに不快そうに眉間に皺を寄せて私を見るようになる筈だ。以前はそれでも耐えられていたけれど、彼の違う表情をたくさん見てしまった今の私には、あの視線に耐えられる自信が全くない。
だからこそ、明日この解毒薬を盛った紅茶をアンナに託したら、買い物に出ると言ってイリスの街に出掛けてそのまま逃げるつもりだ。国境近くの修道院が最終目的地ではあるけれど、正気を取り戻されたアルテュール様が私を追ってくる事はないだろうし、どうせならアスター領の様々な場所を見物しながら目指すのもいいかもしれない。
きっとそうしているうちに、今はぐちゃぐちゃになってしまったこの感情も整理がつくだろうから。
そんな時だ。何かをかりかりと引っ掻くような音が聞こえる事に気付き、部屋の中を見渡すのだけれど、おかしなところはどこも見当たらない。
「……?気のせいだったのかしら?」
もしかしたら気疲れしているせいかもしれない。私は小首を傾げながらも、そろそろ寝ようと立ち上がった所で、やはり微かにかりかりと音が聞こえる。耳を澄ませてみれば、それはバルコニーの方から聞こえるみたいだ。
まさか侵入者ではないだろうと思いつつも、気を引き締めてそちらへと近付いていけば、そこに居たのは随分と可愛らしい訪問者だった。
「まぁ!可愛らしいリスさんね!こんな所までやってくるだなんてどうしたの?」
バルコニーに居たのはふわふわとした茶色の毛並みが可愛らしい小さなリスだ。バルコニーへの窓をそっと開けてみても、リスは全く逃げる気配もない。つぶらな瞳で私を見上げる姿もなんとも愛らしくて、つい笑みが溢れた。
もしかしたら触らせてくれるかもしれないと期待しながら、そろそろと手を伸ばしてみれば、ふわふわの毛並みは絶妙に触り心地が良い。
「あなた、随分と人に慣れているのね。どこかで飼われている子なのかしら」
そっと持ち上げてみても、リスは抵抗する事もなく、私の掌の上で大人しくしているし、寧ろ尻尾はゆらゆらと楽しげに揺れている。
もふもふとした感触を楽しんでいれば、ふとお腹に何かが括り付けられている事に気付く。括り付けている紐をほどいてあげれば、小さな紙に包まれたそれは宝石の付いた銀の指輪だった。
「あら、これはとっても綺麗なペリドットね。ちょっとだけシモンの瞳の色に似ているわ」
月明かりに翳してみれば、若草色の綺麗な色がきらりと輝く。どうしてこんな高価そうなものが括り付けられているのかしらと疑問に思い、手掛かりになりそうな包み紙をよく見てみれば、何か文字が書かれている事に気付いた。
「『ポーラ、助けがほしい時にはこのペリドットに触れて話しかけて。僕のしている揃いのピアスと繋がって会話ができるから。お願いだから無茶だけはしないでよね』……え、これ、シモンからなの!?」
シモンのスキルは動物と話せるというものだ。それならこの子がこんなにも人に慣れているのも納得できるし、指輪を括り付けられていたのもきっとシモンが頼んだからなのだろう。
それにしても離れていても会話ができるだなんて、こんな便利な物があっただなんて知らなかった。シモンは多分私が絶対に何かしらの無茶をするだろうと確信していて、何かあった時に助けを呼べる御守りみたいなつもりでくれたのだろうけれど、これがあればいつでもお喋りができるというのは楽しそうだ。
「ふふ、今夜はもう遅いものね。明日また試してみようかしら。……あなたもありがとう。王城からここまで遠いのに届けてくれて嬉しいわ。そうだ、お礼をしなくちゃね!ドライフルーツは好きかしら?」
リスの尻尾は変わらず嬉しそうに揺れているから、きっと嫌いではないのだろう。シモンならこの子とお話しできるけれど、私は推測する事しかできないものだから、こういう時本当に羨ましいなぁと思ってしまう。
「待っててちょうだい、今持ってくるわね」
小さなリスをそっとバルコニーの手すりに下ろせば、落ち着いた様子でちょこんと待っている姿は本当に可愛らしい。自然と笑みが溢れる中、部屋の中へと踵を返そうとした時だった。
「ポーラ……?」
下に広がる庭園の方から聞こえた微かな声に、私の肩はびくりと震える。振り向かなくてもそれがアルテュール様の声だという事はすぐに解った。
「待ってくれ!少しでいい、そのままでいいから話を聞いてくれ!」
慌てて部屋に入ろうとした私を引き留めるその必死な声音に、どうしても足はそれ以上動かなくなってしまう。
一瞬の静寂が訪れた後、アルテュール様は声を震わせながらも、絞り出すような声で話し始められた。
「馬車での事は、本当に申し訳ないと思っているんだ。君が二人きりの時ならと、もう少し先まで許してくれた事に舞い上がってしまった俺が性急だった。君を前にすると、俺はいつだって余裕がなくなってしまう……もっとゆっくり、自制できるように気をつけるし、こんな俺にいくらでも怒ってくれていい。だから頼む、ポーラ……それでもただ、俺を嫌わないでくれ……」
「…………」
最後の方はこのまま消えてしまいそうなくらい、力無く囁かれた。
嫌わないでほしいと言いたいのは、寧ろ私の方だ。アルテュール様に媚薬を盛って、事態を混乱させたそもそもの原因は私なのだから。
アルテュール様をこれ以上苦しめたくない。アルテュール様が今感じられている苦しさは、全て私のせいだ。だからこそ元凶は、断ち切らなくてはならない。
私は知らぬ間にぎゅうっと白くなる程に握り締めていた手を、力無く下ろした。
「……明日の朝食は、食堂に参ります。ですから、アルテュール様、これ以上ご自分を責めないでください。私は怒ってなんていませんし、寧ろ馬車での事は……恥ずかしかっただけで、嫌ではありませんでしたから」
それこそ本当に愛されているのではないかと勘違いしてしまう程に、幸福だったのだから。そんな事、望んではいけなかったのに。
「そ、う……なのか。それなら良かった……安心した」
明らかにホッとした声を漏らされた彼とは裏腹に、私は気を抜くと泣いてしまいそうで、ぐっと堪える。
「アルテュール様……私は、何があろうとあなたを嫌う事はありません。それだけは、覚えていてくださいね」
「っ……!あぁ、解った。俺も同じ気持ちだ。寧ろ君を愛おしいと思う気持ちは、増すばかりなのだからな。その……おやすみ、ポーラ。明日は君の愛らしい顔を見せてくれると嬉しい」
「おやすみなさい、アルテュール様……」
庭園からアルテュール様の足音が遠ざかっていき、それが完全に聞こえなくなった所で、私はその場にぺたりと座り込んでしまう。
そうして勝手に溢れる涙を止められなくて、しゃくりあげてしまう私の足元を、先程のリスが気遣わしげにひょこひょこと行ったり来たりしていた。
「っ……もしかして、慰めてくれているの?」
指先で優しく撫でれば、リスは気持ち良さそうに私の指に体を擦り付けてくる。ふさふさの毛並みを暫く無心で撫で続けているうちに、涙は少しずつ止まっていった。
「そうだわ……あなたにドライフルーツをあげる所だったわね。待っててちょうだい、今度こそ持ってくるわ」
もう一撫でした後、部屋の中にあるレーズンを詰めた瓶から一握り掴む。それをリスに差し出せば、私の掌から器用に一つずつ掴んで頬張っていく姿はとても可愛らしかった。
「ふふ、君がいてくれてよかったわ。少しだけ気持ちが晴れたもの」
けれど、柔らかい毛並みを撫でながらも、思い浮かぶのはアルテュール様の事ばかりだ。
最初は笑顔さえ見られればと思っていたというのに、媚薬のお陰で笑顔だけでなくて、優しい言葉も、温かな温もりも、甘い誘惑も、様々なアルテュール様を知ってしまえば、もっと知りたい、ずっと一緒にいたいと欲ばかりが増してしまう。
これ以上をと望むのは、罪深い事だろう。
「……そうだわ、書き置きはしておかないとね。媚薬の事を言う勇気はないけれど、アルテュール様が本当に好きなセレスト王女殿下と結ばれるように……」
本当は離れたくない、ずっとアルテュール様の傍に居たい。けれどそれは出来ないから、どうかアルテュール様だけは幸せになれるように。
そうして翌日、私は解毒薬を盛った特性の紅茶をアンナに託す。アンナは私が自分で持っていった方が絶対にアルテュール様が喜ぶと言うけれど、恥ずかしいからと言えば渋々ではあるものの持っていってくれた。
彼女が部屋から出た所で、用意しておいた手持ちのトランクを取り出すと、逃亡しようとしている事を悟られないように、逆に堂々とした足取りで玄関ホールへと向かう。
玄関ホールには若い執事のジルがいた。彼は私に気付くと、笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げる。
「妃殿下、どうされたのですか?お出掛けでしょうか?」
「ちょっとだけ馬車を出してもらえる?アルテュール様に内緒で、買い物に出掛けたいのよ」
「え、内緒……というのはどうしてでしょうか?」
「それは、あれよ……!アルテュール様に内緒のプレゼントをしたいから出掛けた事を秘密にしたいのよ!」
内心冷や汗をかきながらもそう言えば、困惑していた様子のジルは、ぱぁっと笑顔に変わった。
「成程、サプライズですね!解りました、それならお任せください!」
こんなに素直なジルを騙すのは気が引けるけれども、それからジルは馬車の用意を素早く御者に頼み、ジル自身も同行してくれる事になった。
あっという間に準備が整った馬車に乗り込み、イリスにあるお店の名前を言えば、馬車は速やかに走り出した。私がサプライズと言ったものだから、他の人に気付かれないようにジルが迅速に仕事をしてくれたお陰だ。
こんなに有能なジルを私はこの後撒いて、逃亡しようとしているのだから我ながらなんて酷い事をしようとしているのかと本当に嫌になってしまう。
「はぁ……せめてジルは何も悪くないって書き残しておかないといけないわね」
メモは馬車に残しておけば、きっとアルテュール様ならジルを罰したりはされないだろう。ずきずきと良心は痛むものの、ここまで来てしまったのだからもう後戻りは出来ない。
平静を装ってはいても、心臓はばくばくと煩く鳴り続ける中で、馬車はゆっくりと目的のお店に着いた。
「妃殿下、着きましたよ。お足元にお気をつけください」
「ありがとう、ジル。あなたには本当に感謝しているわ」
「そんな勿体ないお言葉です!そちらのお荷物もお持ちしますね」
綺麗な礼をとるジルは、私の荷物持ちをかってでてくれるのだけれども、私は首を横に振る。
「自分で持てるから大丈夫よ。それに、その……ここは男性が入り難いお店だから、ジルはここで待っていてちょうだい」
「え?」
きょとんとしていた彼は、私の指が示す先にある店先のディスプレイを見ると、その顔はみるみるうちに真っ赤に染まってしまった。
そう、ここは男性では入り難い、女性用の下着が専門のお店なのだ。
「アッ……な、成程!これが大公殿下へのサプライズなのですね!?承知致しました!ここで大人しく待っておりますので、ごゆっくりどうぞ!」
直立不動になってしまったジルが可愛らしくて、私はついくすりと笑みを漏らす。弟がいたらこんな感じなのだろうかと思うと、つい頭をよしよしと撫でてしまった。
「本当にありがとう。ちょっと待っていてちょうだいね」
ジルを残し、私はぐっと表情を引き締めるとお店の中へと入る。すぐに店員の女性が近付いてきたものだから、彼女にはオーナーに合わせてほしいと伝える。
こういう場合、大抵は奥の応接スペースに案内される。大体どこのお店も似たような構造だろうから、そこからなら裏口も程近い筈だ。
予想通り案内された奥の応接スペースからは、少し先に従業員用の出入り口が見えていた。
「それではオーナーを呼んで参りますので、少々お待ちください」
店員の女性が私の前に紅茶を出してから上の階へと上がっていくのを確認すると、私は周囲の様子を慎重に確認し、裏口へと駆け寄った。扉を開ければ、そこは路地へと続いている。
店員の女性にも申し訳ないと思いつつも、私は扉から繋がる路地へと足を踏み出した。
読んでくださってありがとうございます!
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次回はアルテュール視点の話になります。




