13 王女殿下からの手紙
「お嬢様……昨日視察から戻られたばかりですのに、もう何かのお薬を作られているのですか?」
私の部屋に入ってきたアンナは、机で作業をしている私を見て、少しだけ呆れたような溜息を漏らした。
「お薬も良いですけれど、今日はお天気も良ろしいのですから、大公殿下とご一緒にお庭の散策などされたらいかがですか?お嬢様がお誘いしたら、それはもう大層喜ばれると思いますよ」
「昨日までずっと一緒だったのよ?アルテュール様だってお仕事が溜まっていてお忙しいでしょうし、私の顔なんて見飽きてしまっているわよ。別に顔を合わせ辛い訳じゃないのよ……!」
長かった視察旅行も終わり、ようやくイリスの街にある大公家のお邸まで戻ってきたのは昨日の夕刻だ。
帰りの馬車もやっぱり私はアルテュール様の膝の上以外には座らせてもらえなかったし、何故か行きの馬車以上にアルテュール様が過剰に触れられるものだから、私は常に死と隣り合わせの状況で全く心休まる暇もなかった。
ばくばくと終始音を立て続ける心臓が、働きすぎていつ止まってもおかしくないような状況だ。馬車が着いた時には疲労困憊で、ほぼ気絶するように倒れ込み、気付いた時には自分の部屋のベッドの上だったのだ。
唇には触れなくても、私の頬や首筋、鎖骨、ドレスに隠れていないあらゆる所へと執拗に繰り返される口付けを受けて、気絶しない方がおかしいと思う。
特に首筋と鎖骨には、赤く腫れたみたいに痕がついてしまっているのを鏡で確認した時には、馬車の中での事をありありと思い出してしまって、本当に恥ずかしくて居た堪れなくて顔から火が出そうなくらいだったのだから。
そのせいで今日はこの暑さなのに首まで隠れる露出が殆どないドレスしか着られないし、恥ずかしくて外に出る気にもならないものだから、こうしてせっせとアルテュール様の解毒薬を作っているという訳なのだ。
けれどそれも、何度も何度も馬車での濃密な時間ばかりが不意に蘇り、なかなか思うように進まないのだけれども。
何回目かも解らない溜息を漏らした私に対して、アンナはなんとも言えない生温かい目をしている。着替えの時に、私の首筋の痕を見ているのだから、そういう表情になるのも解らなくはない。
「あの大公殿下が、お嬢様を見飽きるだなんて事はありえないと思いますけどねぇ……むしろ四六時中見ていたいという勢いではありませんか」
「四六時中って……そんな事ないわよ。私の顔よりアルテュール様ご自身の最高に整った御顔を見ている方が絶対に有意義だもの。……それより、随分と荷物が多いみたいだけれど、どうしたの、それ?」
アンナの両手には、大小様々な箱が抱えられていて前が見えているのかも怪しいくらいだ。彼女はそれらをソファの前にあるテーブルに置くと、綺麗に並べていく。
私もそろそろとソファへと移動するのだけれど、その頃にはテーブルは箱で埋め尽くされてしまっていた。
「こちら、全て大公殿下からお嬢様への贈り物になります」
「えっ、待って、これ全部……?」
「もちろんです!視察前からご用意されていたそうですよ」
「えぇぇ……」
なんだか箱からして高級そうな物ばかりだし、いくつかは私も知っているお店のものだ。確か予約だけでも何年も待つはずのデザイナーのお店のものもある。これだけで一体いくらかかったのか想像もつかない。
「ドレスに靴、アクセサリー。全てお嬢様をイメージしてオーダーされたそうです。これからは王家主催の催しに出席する機会も増えますからね!」
「まぁ、確かにそうよね……」
本当にアルテュール様と結婚して大公妃となれば、出席する公式行事も増えるだろうし、威厳のある格好が求められる。そう思えば確かにこういったドレス類は必要だろう。
ただ、私がここに長居するつもりがなくて、そういった事をあまり考えていなかっただけで。
箱を開けてみれば、どれも一目見ただけで素晴らしいものだと解る代物ばかりだった。とても美しいのに、どうしても私には分不相応に思えてしまう。
「お嬢様……?なんだか元気がありませんね……もしやお気に召しませんでしたか?」
「ううん、そんな事ないわ。なんだか恐れ多いだけよ。これ、全部クローゼットに閉まっておいてくれる?」
「畏まりました」
私が浮かない顔をしていたからか、アンナはとても心配そうだ。安心させるつもりで笑顔を浮かべたつもりだけれど、アンナの表情からすると私は上手く笑えていなかったのだろう。
そうして彼女は並べてあった殆どの箱をクローゼットに運んでくれたものの、テーブルにはまだ一つ小さな箱が取り残されていた。
「アンナ、一つ忘れているわよ」
「いえ、そちらは装飾品ではなくお菓子だそうです。大公殿下は、お嬢様が朝食に来られなかったのをとても気にされておられました。それはお嬢様へのお詫びだと仰られていましたよ」
「お詫びだなんて……」
なんとなく今はまともにアルテュール様の顔を見られる気がしなくて、疲れているからという言い訳をして朝食は部屋まで運んでもらったのだ。お詫びをしなくてはいけないのは、むしろ私の方だというのに。
そっと箱にかけられたリボンをほどき、蓋を開ければ甘い香りが鼻腔を擽った。
「まぁ!チョコレートだわ!しかもこれ、ラムレーズンが入ったやつよ!」
「お嬢様、レーズンがお好きですものね」
「だってレーズンは美味しいじゃないの。それにラムレーズンは大人の味だわ」
一つ摘んで口に入れてしまえば、蕩けるようなチョコレートの甘さと、ほんのりとアルコールを感じるレーズンの味わいが絶妙だ。私はアルコール自体は得意ではないのだけれど、こういったお菓子に使われるものなら好物だったりする。
口の中いっぱいに広がる幸せな甘さについ口元を緩めていれば、アンナが嬉しそうにくすりと笑みを溢した。
「ふふ、やっぱりお嬢様には素敵なドレスよりも美味しいお菓子ですね。チョコレートに合う紅茶でもお淹れしますから、少しお待ちください」
そう言ってアンナが退出していった後も、私はまた一つ二つとチョコレートを摘んでしまう。
少し中身が減ってきた所で、チョコレートの敷紙と箱の間に何かカードが挟まっている事に気付く。取り出してみれば、それはアルテュール様からのメッセージカードだった。
『馬車では自制できず、本当に申し訳なかった。どうかこんな俺を嫌いにならないでくれ』
きっちりとした生真面目なその文字は、アルテュール様の性格が滲み出ているようで、つい笑みが溢れる。
チョコレートの甘さと、誠実なメッセージカード。これを頂いてしまったからには、直接お礼を言わなくてはと、私はすくっとその場に立ち上がる。
紅茶を用意しに行ったアンナには、アルテュール様にお礼を言いに行くというメモを残して私はそっと部屋を出る。アルテュール様はこの時間なら2階の執務室にいらっしゃる筈だ。
この邸は3階建てで、玄関ホールは3階までの吹き抜けになっている。玄関ホールから入って正面に2階へと続く大階段があり、そこを上がるとその左右に3階へと上がれる階段があるのだ。
私がその階段近くに着いた時、丁度手紙の束をトレーに乗せたレーニエが2階へと上がってくる所だったのだけれど、彼は上の階にいる私には気付かずに、そのままアルテュール様の執務室へと向かっていってしまった。
ただ、一瞬見えた手紙の一番上。封蝋に押されていたあの紋章は、他でもないセレスト王女殿下の母国であるカラン王国の紋章だ。
それに気付いた瞬間、ひゅっと息が詰まってしまったような息苦しさに青褪める。あれはきっと、セレスト王女殿下からアルテュール様への手紙に違いない。
早鐘のように煩く心臓が鳴る中、私はそろそろと階段を降りると、廊下からそっと様子を伺う。幸い侍女や執事の姿は見当たらない。
できるだけ音を立てないように気をつけながら、私はアルテュール様の執務室へと歩みを進める。3階の私の部屋の真下がアルテュール様の寝室で、そこと執務室は中の扉で繋がっているのだ。
重厚な扉の前に着いた所で、入るべきか否か少し躊躇う。ただお礼を言いにきただけのつもりだったというのに、今はもう頭の中はあの手紙の事でいっぱいになってしまったから。
息を整えノックをしようとした時だった。
「……それで、セレスト王女殿下は何と?」
扉越しに微かに聞こえてきたのはレーニエの声だ。盗み聞きだなんて良くない、そう思うのだけれど、私の足はその場に縫いとめられてしまったかのように動けず、耳はどうしても中の声を聞き取ろうとしてしまう。
「あぁ……実に面倒な事になった。見るか?」
「宜しいのですか?………………っ、これは……」
「本当に頭の痛い事ばかり起こるな」
「……妃殿下にはお伝えされますか?」
深刻そうなレーニエの言葉に、アルテュール様のお返事は聞こえない。ややあって聞こえてきたのは、重苦しい溜息だった。
「ポーラには関係のない事だ。彼女に伝えるつもりはない」
私には関係がない。きっぱりとそう言い切られた言葉に、私の心はずきりと音を立てる。
それはなんだか彼に突き放されたみたいで、それがとても悲しくて、辛くて、私はノックしようとあげていた手を力無く下ろす事しか出来なかった。
読んでくださってありがとうございます!
作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!




