12 叶わない約束
「大公殿下、妃殿下。この様な小さな村にお越し頂けるだなんて、光栄の至りに存じます!」
ネルのいる果樹園での滞在を終えた私達が、最後に訪れる視察地に着いたのはお昼前の事だった。
馬車から降りるなり、満面の笑顔で出迎えてくれたのはこのシャルルー村の村長であるレジスという男性だ。私のお父様よりも少し上くらいの年齢だろうか。全体的に丸みを帯びた体格に、にこにことした人の良さそうな笑顔は柔和さを感じさせる。
そんな彼の周りには多くの村人が集まっており、誰も彼もが嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
それというのも、アスター領は今までこのブラーヴ王国の直轄地ではあったものの、王族が王都から出られる事は少ないし、これまでシャルルー村に王族が訪れた事は一度もないのだという。
だからこそ新しい大公殿下であり、王弟殿下でもあるアルテュール様がこの村に訪れるというのは、村人にとって特別な思いがあるのだろう。
「領主となってまだ挨拶をしていなかったが、俺がこの度このアスター領を新たに治める事になったアルテュールだ。そしてこちらの可憐な女性が、俺の大切な婚約者である――」
「ポーラです。今日は収穫祭があると聞いて、とても楽しみにして参りました。どうぞ宜しくお願いしますね」
にこりと微笑めば、私の腰に添えられたアルテュール様の手に一層の力が込められた。
シャルルー村の特産品はマンダリンオレンジだ。オレンジよりも皮が薄く、手で剥きやすいマンダリンオレンジは、この時期収穫の最盛期だという。果肉は甘くて美味しいし、果皮の香りもとても良いものだから様々なものに利用できる、私も好きな果物の一つだ。
この時期、シャルルー村ではマンダリンオレンジの豊作を祝って収穫祭が毎年開かれるそうで、マンダリンオレンジを使用した料理やお菓子、飲み物が振る舞われたり、マンダリンオレンジの味の良さを競うコンテストも開催されるそうだ。
ちなみにこのコンテスト、アルテュール様も私も審査員として参加する事が既に決まっているらしく、それに向けて朝食は控えめにしてきているのだ。
「コンテストまでまだ時間がありますから、それまで村をご案内致しましょうか?」
「いや、ポーラと2人で回りたいから案内は不要だ。祭の雰囲気を楽しませてもらおう。……行こうか、ポーラ」
今まで大公然とした威厳のある表情をされていたアルテュール様が、私の手を取り優しく微笑まれるものだから、それを見てしまった村の女性達からは黄色い悲鳴と惚けたような溜息が漏れる。
かく言う私も平静を装って笑顔を浮かべてはいるものの、心の中では彼女達と全く同じ反応だった。やはりこのギャップはずるいと思う。
私は歩きながら一つ咳払いをして気持ちを切り替えると、横にいらっしゃるアルテュール様を見上げた。
「アルテュール様はマンダリンオレンジはお好きですか?」
「実の所、オレンジと何が違うのかあまり解っていないんだが、柑橘類は割と好きだな。俺はアルコールが得意ではないから、比較的甘い物の方が好きではある」
「えっ!?そうだったのですか?でもあの時……」
思い浮かんだのは、私がアルテュール様に媚薬を盛ったあの時だ。私の記憶が確かなら、あの時彼は私が勧めた媚薬入りカクテルを一気に飲み干されていた筈だ。
だからてっきりアルコールはお得意なのだとばかり思っていたのだけれど、そう言われてみれば大公家のお邸の晩餐では殆ど飲まれている姿をお見かけしていない気がする。
以前のパーティーの席でお見かけした時も、グラスを持たれている姿ははっきりと思い出せるものの、それを飲まれている姿はあまり記憶にない。つまりはそれだけ記憶に残らない程、公の場での飲酒をされていないという事なのだろう。
そうなるとアルテュール様が思いがけず媚薬が妙な感じに効きすぎてしまったのも、もしかしたら苦手とされているアルコールとの相乗効果なのではないだろうか。
「……あの時、どうしたのだ?」
私が話の途中で黙り込んでしまったからか、アルテュール様が私の顔を覗き込まれる。急に目の前に精悍な御顔が飛び込んできたものだから、私はひっと小さく悲鳴をあげて反射的に逃げようとするものの、私の腰に添えられた彼の手はびくともしない。
むしろより力は強くなったようで、身動きすらできないくらいだ。
随分と見慣れたと思ったというのに、やはりまだ私の心臓は不意打ちにあまりに弱い。どくどくと早鐘のように音を立てる心臓を必死に落ち着けようと、すっと目を閉じて息を整える。
その時、私に触れている彼の手がぴくりと反応している気配が伝わってきた。
「……俺の前でそんな風に無防備に目を閉じるとは、どうにも試されている気がするな」
ぼそりと呟かれた声が驚く程近くで聞こえたかと思った次の瞬間、唇のごく近くに触れる温かな感触に私は驚き目を開ける。
口付けされている。そう理解した瞬間、ぶわりと顔が一気に熱を帯びていくのが自分でも解る。
実際に唇を重ねている訳ではないけれど、僅かに触れてしまうような位置への口付けだ。しかも彼は身長が私よりも遥かに高く、かなり屈められているものだから、はたから見れば唇を重ねているようにしか見えないだろう。
案の定、周りからは村の女性達の黄色い悲鳴があがり、私の顔は羞恥で余計に赤くなるばかりだ。
「アッ……アルテュール様っ!ここは人目が多過ぎます!」
必死に声をあげた所で、ようやく彼の整った御尊顔が離れていく。そう思ったのだけれど、私を覗き込む彼の瞳は熱に浮かされたように揺れていた。
「成程、それは人目がなければ構わないという事か?俺に触れられるのは嫌じゃないんだな?」
そう仰られる彼の表情は、喜びと不安、期待、恐れ。そういった感情が綯交ぜになったような、私への懇願ともいえる思いが伝わってきて、胸が締め付けられるみたいだ。
その強い視線に絡め取られてしまうような怖さから、私はそっと視線を逸らした。
「嫌じゃ……ありません。むしろ私は――」
好きだから、もっと触れてほしい。
その言葉はどうしても言えなくて、喉につかえて苦しい。本当ならこの場にいるのはセレスト王女殿下だったのにという後ろめたさと、身代わりでも触れられて嬉しいという浅ましさがぐちゃぐちゃになって泣いてしまいそうだ。
僅かに涙が滲む中、気付けば私はアルテュール様の腕の中に閉じ込められていた。
「っ……頼むからそんなに可愛い顔をしないでくれ。俺以外の誰にも見えない所に隠してしまいたくなる」
「えっ……」
「あぁ、いや……今のは紛れもない本心ではあるが、君を閉じ込めるという事は絶対にしないと誓うから安心してくれ。俺の頭の中でだけに留めておくから」
「は、はい……」
何故かしどろもどろになられる、こんなアルテュール様の姿は珍しいのではないだろうか。彼はこほんと一つ咳払いをされるものの、その頬はまだほんのりと赤く色付いていた。
「と、とにかく、だ。ポーラ、君が俺に触れられるのが嫌じゃないと解っただけでも良かった。二人きりの時なら、もう少し先まで許してもらえるだろうか……?」
じっと私の答えを待つアルテュール様は、なんだか少し緊張されているようにも見える。
もう少し先、というのがどこなのかはよく解らなかったものの、どうせこの視察が終われば彼は私の作る解毒薬で元通りになる筈だ。きっともう少し先が訪れる事はないのだろう。
今この時だけの約束なのだと解ってはいても、私が彼を否定する事はない。私はややあって小さくこくりと頷く。と、私の体は一瞬でふわりと持ち上げられるのだから、驚いて目を見開いてしまう。
「ありがとう、ポーラ!それを聞けただけで、今回の婚前旅行に来た甲斐があったというものだ」
私を抱き上げ、くるくると回られるアルテュール様はなんだかとても嬉しそうな御様子だ。その姿がなんだか子供みたいで可愛らしく、沈んでいた気持ちまでふわりと軽くなったみたいに思える。
「視察旅行ですよ。他にも収穫はたくさんありましたでしょうに」
「そうだな。未来の大公妃としての君はさぞ素晴らしい人になるのだろうという確信がもてたし、君のいろいろな表情が見れて実に有意義だったな」
「もう!そういう事ではなくて……でも私も、とても良い思い出になりました」
この幸せな旅の思い出さえあればもう十分だ。こんな私には見に余る程の幸福な時間だったのだから。
私がそっと微笑めば、アルテュール様も優しく微笑み返してくださる。
村中に香る爽やかなマンダリンオレンジの香りに包まれたこの笑顔を、私はきっとこの先何度でも思い出すのだろう。例えその時、私達が遠く離れていたとしても。
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次回は月曜日の更新です。




