10 私にもできる事
「アンナ!準備してほしい物があるわ!」
果樹園の邸に戻るなりそう声をあげれば、丁度玄関ホールで花を活けていたアンナは驚いた様子で目を丸くしている。
「お嬢様に大公殿下まで!もうお戻りになられたのですか?夕食まで時間がかかるのかとばかり思っていましたが……」
「ちょっと思いついた事があって戻ってきたのよ。そんな事よりも――」
「アンナさん、こちらの薔薇も活けて頂けませんか?大公殿下がお好きな花なので……おや?」
そこにやって来たのは両手いっぱいに薔薇の花を抱えたレーニエだ。彼は一瞬だけ驚いた様子で私達を見た後、何故か薔薇の花を後ろ手に隠してしまった。花が多すぎて、全然隠せてはいないのだけれども。
そうして彼は何食わぬ顔で咳払いを一つすると、にっこりと微笑んだ。
「大公殿下、妃殿下、お帰りなさいませ。収穫の体験はもうお済みになったのですか?」
「いや、それよりも有意義な用事ができたから戻ってきたのだ。ポーラが素晴らしい思い付きをしたのでな」
アルテュール様はまるで御自分の事のように誇らしげにそう仰った後、私に向けて目を優しく細められる。その視線を受けて、私は真剣な面持ちでこくりと頷いた。
「果物の栽培で一番大変な事は、害虫から果物を守る事だと学んだの。害虫のせいで植物も人みたいに病気になってしまうというのだから、それならお薬が効くんじゃないかと思ったのよ」
ぎゅっと両手を組み合わせながらそう言えば、私のスキルの事を知っているアンナとレーニエは、2人共ハッとした表情を浮かべる。
「成程……害虫対策にはテール神の加護を受けるという考えしかありませんでしたが、人と同じと考えれば確かに可能性のあるお話ですね」
「えぇ!そうでしょう!」
難しい顔で考え込むレーニエとは裏腹に、アンナはといえば何故か涙ぐんでしまっているのだから、私は慌てて彼女へとハンカチを差し出す。
「ど、どうしたの、アンナ!?泣かないでちょうだい……!」
「うっ……王太子殿下と悪戯ばかりされていたお嬢様が、こんな風に領民の為になる事を思い付かれるだなんて……!本当にご立派になられて……」
「ちょっと!人聞きが悪いじゃないの!私だって悪戯ばかりしていた訳じゃないわよ!?」
アンナが余計な事を言い出す前に、私は差し出したハンカチでぐしぐしとアンナの涙を拭う。悪戯なんて子供の頃の話だし、アルテュール様にはとても聞かせられる話でもない。
妙な冷や汗を流しながらアルテュール様の方をちらりと見やれば、彼は口角を僅かにあげて微笑まれているようにも見えるけれど、心なしか目が笑っていないみたいだ。
「いえ、その、子供の頃の話ですからね!」
「シモンと一緒なら、さぞかし楽しかっただろうな」
あぁ、これはもしかして嫌味なのかしらと、これから小言というお説教が始まりそうな気配にしゅんと項垂れるのだけれど、アルテュール様から漏れたのは小さな溜息だけだった。
「……とにかく、ポーラが考える害虫対策の薬を試作してみよう。必要なものがあればすぐに用意させるから言うといい」
「あ、はい……」
くしゃりと私の頭を軽く撫でられるアルテュール様に、私は恐る恐る顔をあげる。彼の表情は、どこか困ったような、悲しいような、なんだか複雑な感情に彩られていて、私の心はぎゅうっと締め付けられるみたいだった。
そんな私達の間の微妙な空気を吹き飛ばすように、アンナがぱんと掌を合わせる小気味良い音が響いた。
「それでしたら、お嬢様がいつも使われている摺鉢などは念の為持ってきておりますので、応接間の方にご用意致しますね」
「ありがとう、アンナ。助かるわ」
「今から作られるのでしたら、私も見学させて頂いて宜しいでしょうか?視察が終わったらという話でしたが、丁度良い機会のようですから」
「もちろんよ。見ていてもそんなに面白い事はないかもしれないけれど、存分に見ていってちょうだい!」
準備に向かうアンナの後に続いて、レーニエが薔薇を持ったまま彼女を追いかけていくのを見送れば、私は未だ困惑している様子のネルに向き直る。
「ネル、あなたにも是非協力してもらいたいわ」
「あの……僕、まだ状況がよく解ってないのですが、本当に妃殿下が薬をお作りになられるのでしょうか?」
私とアルテュール様の後ろでずっと所在なさそうにしていた彼は、不安げな表情でぽつりとそう漏らす。
基本的に薬というものは、バジル様がお勤めされている王立薬学研究所の管轄となる。街のお医者様で独自に薬を作っている方もいらっしゃるけれど、そういう方は薬学研究所で基本の技術を確認する試験を行い、それをクリアして資格を得た方のみが作る事を許されているのだ。
当然、作った薬は薬学研究所で安全性などを調べてからでないと人に使用する事は許されていない。
だからこそ正規の薬は少し高価なものとなっているのだけれど、安全性は確かだ。でも、全ての人がそれを買えるかというとそうでもないし、貧しい人は安全性が確かでない非正規の薬を使用しているのだと聞いている。
ネルにとっては育てている果物達は家族のように大切な存在だから、資格のない素人の私が作る薬では不安になるのも当然だ。
「不安になるのも当然だわ。私は資格もないし、ただの趣味で作っているだけだもの」
「あ、いえ!妃殿下を疑っている訳では決してありません!ただ、あの執事の方が仰っていた通り、大地の神テール様の加護以外は手作業しかないとずっと思っていましたから、なんだか現実感がなくてですね……」
新しいものに不安になる気持ちは、私もよく解る。だからこそネルには、しっかりと作り方を見てもらって、もし害虫に有効なら自分で作れるようになってほしいのだ。
こればかりは、とりあえず見てもらった方が早いだろう。そう思っていた所で、ふと彼の手がかなり荒れてしまっている事に気付く。きっと毎日の農作業でこうなってしまっているのだ。
「そうだわ、ネル。ちょっと掌をこちらに向けてくれないかしら?」
「え?こう、でしょうか?」
おずおずと差し出された掌にお手製の軟膏を塗ろうとしたのだけれど、それはあっという間にアルテュール様に取られてしまった。驚いて彼を見上げれば、彼は真面目な顔でこくりと一つ頷く。
「ここは俺が塗ろう。ポーラの手を煩わせる訳にはいかないからな」
「……?では、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、任せてくれ」
そうしてアルテュール様は適量を指で掬うと、ネルの掌に塗ろうとされるのだけれど、これに驚いたのはネルだ。
「ひぇ!?ま、まさか大公殿下自らそんな……!恐れ多すぎます!」
彼はびくりとその場で跳び上がらんばかりに肩を震わせていて、ぶわりと汗まで吹き出している。よく見れば差し出した両手も小刻みに震えているのだから、なんだかとても居た堪れなくなってくるのだけれど、アルテュール様は容赦なく彼の手を掴むと、私のお手製軟膏を塗り込まれた。
最初は緊張で震えていたネルは、軟膏を塗ったそばから小さな傷が綺麗になっていく事に驚いた様子で目を見開いている。
「私には『調薬』スキルがあるの。だからきっとあなたの大切な果物達を守る薬も作れると思うわ!」
「こ、れは……こんなにすぐに効く軟膏は初めて見ました!すごい……こんな風に、あの子達も病気から守ってやれるんですね!?」
「まずは試してみないとね!私は害虫には詳しくないから、いろいろ教えてくれると助かるわ」
先程まで不安そうにしていたのが嘘のように、ネルの瞳はキラキラと期待に満ち溢れている。その様子がなんだかとても可愛らしくて、つい笑みが溢れた。
この期待に応えたい。
そう思うと、何だか胸の辺りがぽわりと灯が灯ったような温かさを感じる。少しこそばゆいような、不思議な感じだ。それに加えて、本当に上手くいくだろうかというほんの少しの不安も顔を出す。
思わず力が篭っていた私の手は、気付けば温かで大きな手にそっと包まれていた。
なんだかその温かさに泣いてしまいそうになりながら見上げれば、アルテュール様が眩しそうに優しく目元を緩められる。微笑みながら一つ頷く彼は何も仰られなかったけれど、その表情からは私なら大丈夫だと言ってくださっているように見えた。
それだけでとても心強くて、私はそっと彼の手を握り返した。
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