9 知らない苦労
「さぁ、お嬢様。出来ましたよ」
侍女のアンナが満足そうに微笑む中、私は鏡の前でくるりと回って全身を確認する。
ふんわりとしたレースがたっぷりのドレスは軽くて動きやすく、スカートの丈も少しだけ短めになっているから土で汚れる心配もなさそうだ。
今日は果樹園の収穫の様子を実際に見せて頂く予定になっているから、日除けのボンネットも顎の下でしっかりとリボンを縛ってもらい準備は万端だ。
「うん、これなら大丈夫そうね。いつもありがとう、アンナ」
「とても可愛らしいですよ。大公殿下もお嬢様に惚れ直す事間違いありません!」
「あ、はは……そうかしら」
にこにこと嬉しそうなアンナには、まさか私が媚薬を盛ったせいでアルテュール様がおかしくなってしまっているとはとても言えなかった。
乾いた笑みを漏らしていた所で、コンコンと扉がノックされる。ドア越しに聞こえてきた声は、件のアルテュール様その人だった。
「ポーラ、そろそろ収穫を始めるそうだ。準備はどうだろうか?」
「準備は丁度済んだ所です。今開けますね」
ガチャリと扉を開ければ、目の前に立っていらっしゃったアルテュール様も、いつもよりも動きやすそうな装飾の少ないシンプルな格好をされていた。ただ、そうなると余計にお顔立ちの良さが引き立っているし、装飾が少ない分、筋肉が目立ってしまってこれは目のやり場に困ってしまう。
いつもの王族然とした豪華な服も、相乗効果で眩しく輝かれているからそれはそれで良いのだけれども。
つい惚けたように見惚れてしまえば、アルテュール様も何故かほんのりと頬を染められて、そのまま視線を逸らされる。
「っ……そんな目で見られると、流石に照れる。しかもその格好――」
「あ、これどうでしょうか?動きやすい格好にしてみたのですけれど」
ドレスの裾を摘んでくるりと回ってみたのだけれど、アルテュール様は両手で顔を覆ってしまっていた。よく見ると耳まで真っ赤になってしまっている。
「少し裾が短すぎるのではないか?雪のように白い君の可憐な足が見えすぎていて、俺には目の毒だ」
まさかお互いに似たような事を考えていたとは思ってもみなくて、ついくすりと笑みが溢れる。私にしてみれば、アルテュール様の方が余程目に毒だというのに。
「ふふ、大丈夫です。そんな事気にされるのはアルテュール様くらいですよ」
「いや、絶対にそんな事は無いぞ」
まだ少し赤い頬のまま、真剣な表情を浮かべる彼に一歩近付くと、その腕にそっと手を添えた。
「そんな話は置いておいて、そろそろ収穫を見に行きましょう。収穫の体験だなんて初めてですから、とても楽しみです!」
「あ、あぁ……そうだな」
私が手を添えた時に、一瞬ぐっと眉を顰めたアルテュール様には気付かない振りをして、私達は並んで歩き始める。
まだもう少しだけ、夢を見させてくださいと、そう願いながら。
「大公殿下、妃殿下!お待ちしておりました!」
滞在させて頂いている果樹園の邸を出ると、照りつける日差しのせいかより暑く感じるみたいだ。
今日はマンゴーの収穫をするという事で、それらがたくさん実っている木々の方に向かえば、その手前で出迎えてくれたのはこの果樹園を営むご夫婦の息子であるネルだ。
日に焼けた浅黒い肌に短く刈り上げたブロンドの髪、笑顔に輝く白い歯が爽やかな好青年といった印象を受ける。どうやら今日は彼が案内をしてくれるみたいだ。
「質素な邸で本当に申し訳ないのですが、昨日はよく眠れましたでしょうか?」
「あぁ、この忙しい時期に面倒をかけてすまないな」
「いえ!とんでもない事です!御二人がこんな田舎の果樹園にまでわざわざ来てくださるだなんて、それこそ周りに自慢できる事ですから!」
ぐっと拳を握り、力一杯そう言うネルの勢いに目を丸くしていれば、それに気付いた彼はハッとした様子でぺこりと頭を下げる。
「すみません、つい熱くなってしまいました。それではご案内しますのでついて来てください」
そうして私達は彼の後に続いて、マンゴーの木が続く木々の間へと足を踏み入れる。
遠目では解らなかったけれど、よく見ると実っているマンゴーの実には網のような物がかけられている事に気付く。
「ネル、これは何のためにかけられているのかしら?」
「あぁ、それは実が落ちてしまうのを防ぐためです。マンゴーは実が熟すと地面に落ちてしまうので、ある程度実が育ったらかけていくんです」
「成程、これだけの量全てか。それは大変な作業だな」
見渡す限り広大な果樹園だ。全て人の手で行うというのだから、私が想像するよりも実際は遥かに大変な作業なのだろう。
そう思ったのだけれど、ネルはとんでもないといった様子でふるふると首を横に振った。
「網をかけるくらいは何でもありません。一番大変なのは、害虫からこの子達を守る事なんです」
そうして彼は、愛おしそうな目をマンゴーに向けると、そっと優しくその実に触れる。
「全ての作物に言える事ではありますが、人が食べられるものは虫達にとってもご馳走なんです。果物なら実の収穫後、次の年に向けての手入れを始める時に、大地の神テール様に害虫退散を願う儀式を行います。テール様の加護で、ある程度は虫達が寄り付かなくなるのですが、完全とは言えません。こちらをご覧ください」
私とアルテュール様が覗き込めば、ネルが示したのはマンゴーの葉の裏だった。私の目では何が問題なのか解らずに小首を傾げていれば、彼はまた別の葉の裏を指し示した。
「どうでしょう、こちらとこちら。どこが違うかお解り頂けますか?」
「うーん……難しいわ。アルテュール様はお解りになりました?」
「そうだな、こちらの葉の方が少し黒ずんでいるか?」
そう言われてみると、アルテュール様が仰った方が確かに葉の脈の部分が少しだけ黒くなっているみたいだ。
「大公殿下の仰る通りです!実はこの黒ずんだ原因は、葉裏にいるごく小さい害虫なのです。こういう僅かな変化を探して、手作業で取り除いていく事が一番根気のいる仕事と言えるでしょう」
こんな僅かな変化を見逃さず、全て人の目と手で手入れしていくのだから、これは確かに物凄く大変な仕事だ。私は普段そういった苦労がある事をあまり気にせずに、ただ食事を楽しんでいたのだから何だか恥ずかしくなってしまう。
「本当に凄いわ……私はあなた達がどれだけ大変な思いをして美味しい果物を作ってくれているのか、ここに来るまで深く考えた事はなかったわ。何も考えずに、ただ美味しいわと食べていた事が申し訳ないくらいよ」
しゅんと少し落ち込みながらそう言えば、ネルは目を丸くしてぱちぱちと瞬いた後、物凄く嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。
「美味しいと食べてくださる事が、我々には一番の喜びですからそう気にされなくて大丈夫ですよ!ただ、妃殿下がそれだけ僕たちの気持ちに寄り添ってくださった事は、本当に嬉しいです!」
「そうかしら……?でもこんなに広大なんだもの、何か私にもできる事があったらいいのだけれど……」
見渡す限り果樹園の終わりが見えないくらい、ここは規模が大きな場所だ。かなり多くの人手を雇っているそうだけれど、その大変さは私では想像しきれない。
何かもっと楽に害虫を防げる方法があればいいのだけれど。
「それだけ大事に、手間暇かけているのだ。それは確かに愛おしいだろうな」
「はい、そうなんです!もうこの子達は僕の家族も同然ですから、害虫で病気にならないように、毎日毎日愛でているんです」
優しげに愛おしそうにマンゴーに触れるネルは、本当に愛情に溢れていた。ただ、今の彼の言葉が妙に引っかかる。まるで木を人のように見立てていたからだろうか。
そう考えた所で、私はハッとする。
「そうだわ!病気になったらお薬が要るじゃないの!」
急に声をあげた私に対して、アルテュール様もネルも驚いた表情で私の方を見ている。そんな2人に対して、私はにっこりと微笑んだ。
「害虫によって、この子達も病気になってしまうのでしょう?それならお薬を塗ったらいいのよ!」
「え?」
きょとんとした表情のネルとは違い、アルテュール様は私が言いたい事を察してくださったようで、先程よりも驚いた表情に変わっていた。
「そうか……ポーラ、君なら可能かもしれないな」
「はい、そう考えれば害虫に有効なお薬が作れそうです!」
「え?えっ?一体、どういう事なのでしょうか?」
私達の話についていけず、おろおろとした様子のネルに対して、私はにっこりと笑顔を浮かべた。
「ネル、あなた達の力になれるかもしれないわ!」
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