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7 領地視察のお誘い

「ポーラ、今日は領地の視察に行こう」


 朝食の席でそう切り出されたアルテュール様は、緊張されているのか、どこかぎこちない様子だった。


「アルテュール様がこのアスター領の領主様になられてから、まだそんなに日が経っていませんものね。私も同行して大丈夫なのでしょうか?」

「あぁ、勿論だ。領民達も君の姿を見たら喜ぶ事だろう。何せこんなに愛らしくて春の妖精のようにたおやかな大公妃は見た事がないだろうからな」

「あ、はは……そう、でしょうか」


 今日も今日とてアルテュール様は絶好調だ。


 この数日も相変わらずアルテュール様は優しく微笑まれては、私の事を可愛いだの可憐だのと褒めてくださるのだけれど、流石に少し耐性がついてきているのが恐ろしい所だ。


 媚薬はとっくに切れている筈なのだけれど、もしかしたらアルテュール様はこういう薬に耐性がおありではなくて、媚薬の影響が色濃く出た事による副作用で性格が変わってしまっているのだとしたら由々しき事態だ。これはもう解毒薬を作った方がいいのではと考え始めていたりもする。


 ただ解毒薬を作るにしても、私がせっせと集めてきた素材や道具はオランジュ公爵家にあるのだから、どうにかして公爵家に戻るか、あれらをこの大公家のお邸に持ってくる必要があるからすぐには作れないのが痛い所だ。


 それにしてももう慣れてしまったけれど、この広い食堂でこんなに近くで隣り合って食べる必要性は果たしてあるのだろうか。


 向かい合ってだと常にアルテュール様の精悍な御尊顔が視界に入ってしまうものだから、絶対に緊張して料理の味も解らなくなる事は自明の理だ。だから隣で食べる事は寧ろありがたい事なのだけれど、問題はその距離にある。


 正直、ナイフを使う時にいつも肘がアルテュール様に当たってしまいそうだし、体温も感じられる程の近さだ。お父様とお母様も隣り合って食べられているし、それでよくいちゃいちゃとされているけれど、流石にこれよりもう少し離れている。


「あの、アルテュール様……やっぱり少し近すぎませんか?」

「うん?」

「テーブルはこんなに広いのですから、なにもこんなに近くで食べなくても良い気がするのですけれど……」


 おずおずとそう進言するものの、アルテュール様はこういう時いつも意味が解らないといったきょとんとした顔をされるのだから困ったものだ。まるでこれが普通で、私の方がおかしな意見を言っているような気分になってきてしまうのだから。


 媚薬を盛ってからのアルテュール様は、かなりスキンシップが多めだ。隙あらば私に触れようとされるし、移動する時には横抱きにされるか手を繋がれる。椅子に座ろうと思えば私を彼の膝の上に座らせようとされるし、お忙しい筈なのに私は一人でいられる時間の方が少ないくらいだ。


 それとも私が知らなかっただけで、アルテュール様はもともと親しい方にはこういうスキンシップを好まれる方だったのだろうか。


 ただ、これだけアルテュール様が私の傍に居ようとされるのは、もしかしたらバルコニーからの逃亡未遂の件があって警戒されている可能性もなくはない。元騎士団長でもあられたアルテュール様を誤魔化そうだなんて、最初から無理な話だったのだ。


 少し溜息を漏らした私の前に、不意に彼の指が差し出される。摘んでいるのは真っ白というよりは少し透明がかった瑞々しいライチだった。


 シモンに餌付けされ続けた長年の習慣からか、私は目の前に食べ物を差し出されるとつい口を開けてしまうのだけれど、ぱくりと口にすれば絶妙な甘味と酸味がじゅわりと広がって幸せな味がする。


 口元を綻ばせながらそれを味わっていれば、ぐっと小さく呻き声のようなものが聞こえる。どうかされたのだろうかとアルテュール様の方を見上げれば、彼は顔を背けてしまわれた上に、その肩は震えていた。


「アルテュール様……?どうかなさいましたか?」

「っ……いや、なんでもない。ポーラがあまりに愛らしくて癖になりそうだと思っていただけだ」

「???」


 小首を傾げていれば、彼はまた一つライチを摘むと私に食べさせてくださる。ライチはあまり食べた事がなかったのだけれど、こんなに美味しいものだとは知らなかった。


「……やはりこの距離の方がいいだろう?」


 その後もアルテュール様は御自分は食べられずに、私の口元にせっせっとライチを差し出してくださるものだから、それらをもぐもぐと味わっていた所で彼の指が私の唇をそっと拭った。


「君に手ずから食べさせてあげられるし、こうしてすぐに触れられるのだからな」

「っ……!?!?」


 私の唇に触れた指をアルテュール様がぺろりと舐められた瞬間、私の顔は一気に赤くなってしまう。そういう蠱惑的な仕草をいきなりされると私の心臓が保たないので、本当に不意打ちはやめて頂きたい。


 顔の火照りを覚まそうと、私は彼から視線を逸らしてぱたぱたと手で顔を扇ぐ。確かに隣同士ならこういう時、横さえ見なければ惑わされる事もないのだからいいかもしれない。


 そうしてほんの少しだけ顔の熱さが引いた所で、気を取り直して一つ咳払いをした。


「そ、それよりも視察はどこに行かれるのかもう決まっているのですか?」

「アスター領で一番賑わっているこのイリスの街の視察はどうかと考えている。今人気の歌姫の公演などもあるらしいが、ポーラが見たいのなら席を用意させよう」


 アスター大公家の一際大きなお邸の周りには街が広がっているのだけれど、確かにまだ一度も外に出た事がないから興味はある。


 けれどこの領地の主要な産業は農業だ。特にアスター産の果物は王都でも美味しくて有名だったし、このライチも恐らくアスター産の物だろう。温暖な気候と肥沃な大地に恵まれている地だから、果物も野菜もよく育つのだという。


「街の視察もいいのですけれど、アルテュール様さえよければ、私は農園に行きたいです。このライチもとても美味しかったので、どのように作られているのか興味があります」


 公爵家の邸でも、趣味の薬作りのための薬草を自分で育てていたから、私は土いじりが割と好きなのだ。お邸がある街ならすぐに行けるし、どうせ出掛けるのなら今後の薬草作りに役立ちそうな農園に行ってみたい。


 もしかしたら野菜や果物だけでなくて、珍しい薬草なんかもあればいいなという期待もある。


 それに領地の視察とはいえ、アルテュール様との初めてのお出掛けだ。見方によってはこれはデートだと言えるだろう。


 いつまでこの綱渡りのような仮初の婚約生活が続くのかが解らずに最初は気分が重いばかりだったけれど、こう毎日優しくされると楽しい思い出を作りたいという欲が生まれてしまったのだ。


 いつかは逃げるつもりだという思いは変わっていないものの、せっかくのデートは楽しみたいし、農園まで行くのならここから距離があるだろうから数日の行程になる筈だ。そうなれば、街に行くよりもずっと長くアルテュール様と一緒にいられるのだから。


 そんなちょっとした下心のある提案だったけれど、アルテュール様は少し驚かれた様子で目を丸くされた後、嬉しそうに目元を緩められた。


「君がこの領地の事に興味を持ってくれてとても嬉しいよ。それなら足を伸ばす必要があるから旅の準備も必要だし、出発は少し先にして片付けなくてはならない仕事を先に済ませてしまう事にしよう」

「では、私もそのつもりで準備しておきますね」


 専属侍女のアンナがいれば、私の意を汲んですぐに用意をしてくれるだろうけれど、この邸の侍女達とはまだそこまで打ち解けられていないからいろいろと相談しながらになるだろう。


「もしかしたらそれまでに君の荷物も届くかもしれないな」

「え?」

「君を拐うように連れてきてしまったから、君が大事にしていた物がオランジュ公爵邸に残ったままだろう?君の専属侍女もこちらでまた君に仕えたいという希望があったそうだから、彼女と一緒に君の荷物も近々到着する筈だ」


 その報せは嬉しくもあり、逃げようとしている身としては複雑でもあったけれど、アンナが来てくれるというのは本当に心強い。きっといろいろと相談にのったり、助けてくれるだろうから。


「ありがとうございます!嬉しいです!」


 結局嬉しさの方が勝り、いろいろと手配してくださったアルテュール様に感謝の気持ちを込めて笑顔を向ければ、彼は一瞬固まった後、少しだけ視線を逸らされた。


「っ……ここに来て初めて笑ってくれたな」


 ぼそりと小声で呟かれた言葉がよく聞こえずに小首を傾げていれば、彼は嬉しいのか悲しいのか、なんとも言えない表情をされていた。


「そうと決まれば、俺は仕事をしてくるよ。君との婚前旅行なのだから、今なら面倒な書類も何でもこなせそうだ」

「こっ!?こんぜん……!?」


 私は気軽なデートのつもりだったというのに、アルテュール様の口から飛び出したのはまさかの婚前旅行だ。


 顔を赤くしてぱくぱくと口を開閉する私を見て、彼は少しだけ口元を緩めると、私の頬にちゅっと軽い口付けを落とす。


「それではまた夕食の席で会おう」


 ご機嫌な様子で去っていかれるアルテュール様を見送った後も、私は暫くその場を動けないのだった。






読んでくださってありがとうございます!


作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!


次回は月曜日の更新になります。

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