プロローグ
「アルテュール殿下、とうとうご結婚されるのかしらね」
「セレスト王女殿下と並ばれると、本当に美男美女だわ」
囁かれる噂話の視線の先にいらっしゃるのは、誰の目から見てもお似合いとしか見えない一組の美男美女の姿だった。
今夜、このブラーヴ王国の王城で開かれている大規模な歓迎パーティーは、隣国であるカラン王国からの友好使節団の為のものだ。その使節団には、カラン王国の第一王女であるセレスト・エクラ・カラン王女殿下が参加されている事もあり、実質彼女をもてなすためのパーティーだと言えるだろう。
遠目から見ても蕩ける様に美しいハニーブロンドを持ち、真珠の如く滑らかな肌に澄んだ氷にも似た瞳をされたセレスト王女殿下は輝くばかりにお美しい。
そんな彼女をエスコートされているのは、燃える様なルビーレッドの髪を後ろにきっちりと撫で付けられ、美しい黄金の瞳に精悍な顔立ち。煌びやかな礼服の下には逞しい体躯が隠されている事をこの国の誰もが知っている、アルテュール・アスター王弟殿下その人だ。
アルテュール殿下は国王陛下のたった一人の弟君であり、国を守る剣として先日まで騎士団長の任に就かれていた御方だ。
象徴として王族が騎士団長を務められる事はよくある事ではあるけれど、アルテュール殿下は幼い頃から並外れた剣術の才がおありで、名実ともに騎士団長となられた上に、真面目で人格者なものだから騎士達からの人気は凄まじいという。
だというのに彼は先日、騎士団長の職を突然辞任されたのだ。理由は公表されていないから、衝動的なものなのか長年考えて出した結論なのかは解らない。
ただ、その後の彼は兄である国王陛下から王都にも程近い王家所有の肥沃な領地を譲り受け、現在はそのアスター領を治める大公殿下という立場に落ち着いているのだ。
そんな地位も名声も、何もかもを手にされていらっしゃる彼に欠点があるとすれば、真面目さ故に少し口煩いところと、感情を抑える王族教育の賜物で表情が乏しいところだろうか。
今だってあんなにお美しいセレスト王女殿下が横にいらっしゃるというのに、涼しい顔をされていらっしゃるのだから。
(……でも、そんなところも好きだと思ってしまうのだから重症だわ……)
絵になる御二人を遠目に眺めながら、私――ポーラ・オランジュは小さく溜息を漏らした。
そう、私はあの生真面目で小言が多いアルテュール殿下に長年片想いしているのだ。彼の方は私の事を嫌っている可能性が高いというのに、だ。
(結婚、されるのかしら……そうよね、むしろ今まで結婚されていなかったのがおかしいくらいだもの……)
アルテュール殿下は私よりも10歳年上の28歳だ。今までは浮いた噂一つ無かったし、パーティーに参加されてもどなたもエスコートされる事はなかった。
騎士団長という立場でありながら、一度戦が起これば戦場では最前線で剣を取られていた方だし、あの真面目な性格なら戦場で何かあって妃となる方を独りにする事を良しとされる方でもないだろう。
だから彼がずっと結婚されない事に、まだ子供だった私は心底ホッとしていたし、先日ようやく18歳の成人を迎えたものだから、これからは積極的に気持ちを伝えていこうと決心した矢先に彼は突然アスター大公となってしまったのだ。
いよいよ彼は伴侶となる大公妃を迎えるおつもりなのだと世間ではもっぱらの噂だったし、実際今日のパーティーで彼は初めて女性をエスコートしているのだから、セレスト王女殿下とご結婚されるのは既に内定している可能性が高い。
ずきずきと痛む心は苦しくて、切なくて、人前でなければみっともなく泣いてしまいそうなところをぐっと堪える事しかできない。
我知らず唇を噛み締めていた所で、こつんと軽く頭を叩かれた事に気付き、私は反射的にそちらへと視線を向ける。
「ポーラ、君なんでそんな不細工な顔してるの。力入れすぎ。せっかく綺麗にしてきたのに、唇切れちゃってるよ」
「……悪かったわね、不細工で」
差し出されていたハンカチを唇にあてれば、僅かに血が滲んでいた。
「まぁ君の気持ちは解らなくもないけどね。叔父上とあの王女様、僕から見てもかなり絵になるし。君ときたら背が子供の頃からたいして伸びなかったから、長身の叔父上と並んだらまるっきり大人と子供にしか見えないもんな」
「もう!そんなの言われなくても解ってるわよ!シモンの猫被り!」
慰めにきたのかと思えば、傷口を更に開けて塩を塗り込む様なこの失礼な幼馴染は、アルテュール殿下の甥であり、国王陛下の息子である王太子、シモン・エルヴェ・ブラーヴ殿下だ。
アルテュール殿下と同じルビーレッドの色をしているけれど、彼に比べるとふわふわとして癖のある髪をいつも右側に流していて、少し目にかかるくらいの前髪がいつもうるさそうだなぁと私なんかは思うのだけれど、こういう抜け感がある方が一般的な御令嬢方の庇護欲をそそるらしい。
彼は殆どの人の前では善良で優しい模範的な王太子の顔をしているものの、幼馴染の私の前ではいつもこんな感じなのだ。初めて会ったのが5歳の時に王城で開かれた子供だけのお茶会の時だから、もうかれこれ13年くらいの付き合いだろうか。
それは当時、シモンと同世代の高位貴族の子供達を集めて仲良くさせようというものだったけれど、集まった女の子達はあわよくば王太子妃になりたいと夢見ている子ばかりだったし、実際王太子妃候補が集められていた事は事実だ。
その中でも私は一番高位の公爵家令嬢だったし、誕生日はシモンよりも少しだけ早いけれど同い年だったから、世間では私が筆頭王太子妃候補だと今でも言われている。
実際子供の頃はよく二人で街にお忍びで出掛けたり、大人達に悪戯を仕掛けたりして遊んだものだ。今でも定期的にお茶会をしている仲だけれど、本当にただの友達というより悪友なのだ。
何故ならシモンは私がアルテュール殿下にずっと片想いをしている事も知っているし、意地悪な事を言ってもいつも相談に乗ってくれる。なんだかんだで優しい奴だという事は、私が一番知っているつもりだ。
私達が仲が良いのは周知の事実だったからなのか、シモンとは婚約者でも何でもないのに他の縁談が全く来なかったのは私はありがたかったし、彼も私を女避けにしていたのだからお互い様だろう。
それはともかく、私が傷付いているのに追い討ちをかけるシモンの事はやっぱり腹立たしくて、ハイヒールで彼の足を踏もうと試みるものの、後少しという所で避けるものだから余計に腹立たしい。
「もう!なんで避けるのよ!大人しく踏まれなさいよ!」
「生憎僕は喜んで踏まれるような変な趣味はないんでね。というか君、甘い物が足りてないからそんなにイライラするんだよ」
「何を――むぐっ!?」
口を開けた所で無造作に押し込まれものに目を白黒させつつも、さくりと噛めば口いっぱいに広がるのは濃厚なバタークリームとレーズンの甘い味わいだ。さくさくとしたクッキー生地の食感も心地良い。
「何これ、今まで食べたレーズンバターサンドの中で一番美味しいわ!」
「ふはっ……!そりゃそうだよ、何せ僕の手作りだからね」
「シモン、あなたまた腕をあげたわね……本当にどうして王子様なんてやっているのよ。そうでなければ、私が専属料理人として雇うのに」
私が心底残念そうに言えば、シモンはくすくすと可笑しそうに瞳を細める。嘘の笑顔はよくしているけれど、こうやって笑っている時は大体本当に楽しい時だ。
料理が趣味のシモンは、時々作った物をこうして食べさせてくれるのだけれど、私にはどうしてこんなに美味しい物が作れるのかも全く解らないから純粋に凄いといつも思う。
「本当に君は食べてる時が一番呑気で幸せそうだよね。ほら、もう一つあげるから口開けて」
笑いを噛み殺しながら私を見下ろす彼に対し、私は既に口の中がレーズンバターサンドの味になりながら、期待に瞳を輝かせて口を開けた時だった。
「シモン!」
地を這う様な声に、びくりと肩が震える。声のした方を振り返れば、先程までセレスト王女殿下をエスコートしていた筈のアルテュール殿下がこちらを真顔で見ていた。
その視線は私へと一瞬向けられたかと思えば、彼の眉間にはぐっと深い皺が寄る。
いつもそうだ。アルテュール殿下は、いつからか私を見るといつも不快そうに眉間に皺を寄せられるようになったのだ。私以外の方と視線があってもこんな風に眉間に皺を寄せられる所を見た事がないから、私は相当嫌われてしまっているのだろう。
彼にしてみれば可愛い甥っ子を振り回す存在だと思われていそうだから、この反応は仕方ないのかもしれないけれど、セレスト王女殿下をエスコートしていた姿を見た後だと余計につらい。
こつこつと靴音を響かせながらこちらへとやってくる彼とこのまま会話しては、私は堪えきれずに泣き出してしまいそうだった。
「……ごめんなさいね、シモン。私、先に帰るわ」
「は?え、ちょっとポーラ!?」
「この埋め合わせはまた今度するから……!」
それだけ言うと、私は引き止める彼に構わず一目散にその場を後にする。
いつもの小言ならともかく、万が一この場でセレスト王女殿下との婚約の話なんかを聞かされたらとても立ち直れそうにないからだ。逃げてもいずれ耳にするのは解っているけれど、今はまだ何も聞きたくない。
そうして馬車にたどり着いた時には、はぁはぁと息はあがり、心は変わらずにじくじくと悲鳴をあげていた。
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