アランパラ・ドラウザス少尉の選択 その1
人は意志の力で動く生き物だとある哲学者は言った。
聞いた時は、そうなるか程度に思ったが、今はその言葉を全否定したい。
何が意志の力で動くだっ。
そんなものは嘘っぱちだと。
なんでそんな事を考えているかと言うと、死を覚悟して飛び込んだ海の中、死んでやろうという意思を無視して、気が付くと夢中になって浮遊物に摑まって必死になって生きようとしていたからだ。
激しい波と上から降り注ぐ海水が、私を翻弄する。
何をやっているのかって?
それは私にもわからない。
死ぬという意思を無視して、必死になって生き延びようと足掻いている。
人は、矛盾した動物である。
別の哲学者の言った言葉だが、こっちは確かにと思った。
今の状況は、まさにそれだった。
ちらりと目に入るさっきまで乗っていた艦。
だが、すでに数発の命中弾を受け、炎と黒煙を垂れ流し、よろよろと動いている。
その光景に、なぜかほっとする自分がいた。
そして、それと同時に、ざまぁみろという気持ちが強くなる。
だが、死ぬはずの自分に、そんなことを考える余裕がある方が驚く。
本当に、人は訳が分からない生き物だな。
それが最後に思った私の思いだった。
強い日の光に思わず目を開けた。
まぶしい……。
目を細めて擦る。
まだ思考がうまく働かないのか、或いは死にかけている自分が見ている走馬灯なのか……。
ぼんやりと周りを見回す。
少し暑い気候。強い日差し。そして湿度の高い空気。
南国のリゾートを思わせる環境に、思わずここは天国かと思ってしまう。
しかし、すぐにそんな事はないと気が付いた。
思考がゆっくりとだが働きだしたのだ。
そして、今どこにいるのかもはっきりする。
どうやら簡素な南国風の家の部屋らしい。
部屋にはベッドと質素なタンス、それにテーブルと椅子が一式あるのみで、他は何もなかった。
窓は二か所あり、その二つとも大きく開かれ、心地よい風と強い光が部屋に入り込んでくる。
どうやらベッドに寝かせられていたらしい。
よく見ると服は脱がされ、下着だけである。
まぁ、仕方ないよな。生きているだけで良しとすべきだよなぁ。
だが、ここがどこで、あれからどれくらいたったかは検討が付かない。
ただ、強い光から、今は昼頃で、晴天だという事はわかる。
さて、どうするか……。
そんな事を考えつつ身体の確認をする。
どうやら少し怪我があるものの治療されてているらしい。
少し痛みがあるが、問題ないようだ。
なお、丁寧な包帯の巻き方に好感が持てる。
看護婦だった母が言っていたっけ。
包帯のまき方にその人の個性が出ると。
同じまき方でも、人によっていろいろ違うらしい。
しかし、あの後どうなったんだ?
確か浮遊物に摑まって足掻いていた時、大きな水柱が近くで起こってそれに巻き込まれて意識を失ったんだよな。
それで……。
そう考えた時だった。
ドアが開かれ、一人の女性が入って来た。
年は二十代前半といったところだろうか。
土色の肌と黒い瞳、そして茶色い髪をしている。
また彼女は、植民地でよく見られる簡素な民族衣装のような服を着ていた。
美人というより、愛嬌のある顔と言ったらいいだろうか。
まぁ、それは我々の基準で言ったらだが。
ともかく、女性は、私が起き上がって彼女を見ていることに驚き、思わず固まっていた。
起きているとは思わなかったのだろう。
「あ、すまない。助けてくれたのか?」
思わずそう声をかける。
そして言ってしまって気が付いた。
共通語(王国語)で通じなかったらどうしようかと。
植民地によっては、共通語でさえも通じないところもいまだに多いのだ。
だが、そんな私の心配を払拭するかのように彼女は微笑む。
私を安心させようと。
そしてたどたどしい共通語で言う。
「アナタ、カイガン、タオレテタ」
その必死な言葉使いに、相手を思いやる心つがいを感じる。
ああ、この子はいい子だと思った。
だから、こっちも安心させるため、笑って言う。
「ありがとう。助かったよ」
その言葉に、彼女は笑った。
「ヨカッタヨ」
そして、彼女は聞いてくる。
「オナカ、スク?」
「ああ。よかったら何か食べさせてくれ。ペコペコなんだ」
その言葉を待っていたかのように、私の腹の虫が鳴いた。
とても大きな音で。
お互いに顔を見つめ合い、そして、私と彼女は笑った。
そんな些細な事であったが、なんか生きててよかったかもとふと思ってしまっていた。
すぐにその後、彼女はスープを持ってきてくれた。
野菜と魚の身が入っている。
結構具が入っており、植民地や未開の地の飯としてはかなりうまい。
塩だけでなく、他にも調味料やスパイスを使っているようだ。
だからこそ、今まで自分らが食べてきた飯と変らずうまいと感じたのだろう。
大体、植民地や未開の地では、塩以外はあまり使われない。
それは、それらを使う余裕が無い為である。
『生かさず殺さず』
それが植民地を支配する国々の方針だったからだ。
もっとも、最近はそれを見直していこうという動きもある。
皮肉なことに、それを実施し始めたのはフソウ連合であり、アルンカス王国だけにとどまらず、今や王国や共和国、そして合衆国までその考えは広がりつつあるようだ。
そして、もう一つわかる事がある。
ここまで調味料やスパイスが使えるという事は、ここはサネホーンの支配する土地ではないという事だ。
恐らく、アルンカス王国の関係する土地ではないかと推測する。
そうなると別の不安が頭に浮かぶ。
サネホーンの人間とわかれば、海賊として対応されるという事だ。
海賊は、国際法によって、その場で処刑してもよいという事だから、生き残ったとしても、死んでしまう可能性は高い。
その考えが頭に浮かび、手が止まった。
さっきまで食う事に必死だった者が黙り込み、手を止める。
そして、私の表情から察したのだろう。
彼女は慌てて言う。
「ワタシ、コノムラノヒト、ダレモイワナイ」
その必死な様子に、それは嘘ではないと私は思った。
「ありがとう」
その言葉に、彼女は笑う。
そして、食事を終えた私に服を手渡した。
それは、彼女が来ている服と同じ民族衣装だ。
それを受け取り、思わず彼女を見る。
そう言えば、私の軍服はどうしたのだろうか?
それに腰には拳銃もあったはず。
思わず聞こうとして、私は止めた。
聞いてどうするというのだ?
私は服を受け取った。
そして私は考える。
これは神様がくれたチャンスかもしれないと。
そして、この日、アランパラ・ドラウザスという名を私は捨てたのである。




