三島冬香の選択 その1
いつも通りの時間に朝食を終えると、食後のお茶を一口すすった後に口を離した湯呑をじーっと見ながら三島冬香は深々とため息を吐き出した。
食器を片付けつつその様子に気が付いたトメは表面上は無表情ではあったが、心の中で苦笑を漏らす。
これは、彼女が声をかけて欲しい時の癖であり、長年仕えているからこそわかる事であった。
だから片付けつつ声をかける。
「奥様、どうされましたか?」
奥様と言う呼び方は、ここで働く使用人の中で唯一トメだけが許された呼び方である。
魔術師、巫女をまとめている三島家の当主は代々女性であり、その上、伴侶である三島正孝が亡くなってからというもの、誰もが彼女の事を御屋形様と呼ぶ。
それは三島晴海が当主になっても変わらない。
それは今だに彼女の影響力の大きさがそう呼ばせているといっていいだろう。
だが、そうなってくると困るのは現当主である三島晴海の呼び方である。
そこで、三島晴海の呼び方は、当主様、或いはお嬢様と呼ばれる形に落ち着いていた。
勿論、トメも最初はその呼び方に変えようとした。
しかし、トメはここでは一番の古株で、また冬香の子供のころから仕えているという事もある為、ついついそう呼んでしまうのである。
それに呼ばれる本人もトメにそう呼ばれるのを嫌じゃないらしく、最初こそ苦笑していたものの、文句を言う訳でもなく今ではそれが当たり前となっていた。
つまり、それだけ冬香の信頼を得ているのである。
そんなトメの言葉を待っていたのだろう。
三島冬香は拗ねたような表情になると口をとがらせる。
普段はまるで感情がないのかという無表情である彼女だが、元々は喜怒哀楽の激しい女性であった。
だが、長い間、三島家の当主という立場の重みが今の彼女を作り出していったという訳である。
だから、気を許す相手には、本来の彼女の表情が戻る。
もっとも、今ではそんな態度になる人物はほんの数人しかない。
トメはそんな貴重な数人の一人であった。
「いやね、晴海、昨日も返ってこなかったでしょ。だから心配で……」
その言葉に、ますますトメは心の中で苦笑を漏らした。
予想通りの答えだからである。
実は、ここ最近、三島晴海が仕事で外泊する度に出る言葉であった。
「大丈夫だと思いますよ。お嬢様はしっかりされていますから」
「でもでも……」
「それに今この国は大きく変わろうとしているときですからね。そりゃ忙しくなりますよ。だから大丈夫ですよ」
まるで子供を諭すかのような口調だが、それでも納得いかないのか、冬香はますます口をとがらせる。
「だって、トメ、考えてもみてよ。もしもだよ、いきなり男性連れてきて『私、この人と結婚します』とか言ってくるかもしれないじゃないの」
人は自分がそうするから相手もそうすると思い込んでしまう生き物である。
つまり、三島冬香はそれをやり、三島家を大混乱させた前科持ちであった。
普通の家だっていきなり結婚というのはトラブルがつきものだが、魔術師や巫女を統括する一族の本家としては、それとは比較にならないほど色々問題があるのである。
もっとも、本人は障害があった方が燃えるタイプらしくそれをすべてクリアして結婚してしまったのだが……。
それを知っているだけに、トメは益々苦笑するしかない。
「ご心配なく。お嬢様の心を射止めるような男性は、今の所周りにはいらっしゃりませんよ」
しかし、それでも心配が尽きないのだろう。
「でも、ほら今度軍の司令長官になったという鍋島様でしたっけ。あの方にこの地区の責任者の任を譲ったというではありませんか」
「確かに、それにはびっくりしましたが、お嬢様がそれだけ認めた相手だという事です」
その言葉に、ほらやっぱりという表情をする三島冬香。
だがトメはすました顔で聞き返す。
「ですが、東郷家の奥様は何と言われてます?」
そう言われて、三島冬香の顔が困ったようなものになった。
東郷家の奥様。
つまり、東郷夏美の母親である東郷南美の事である。
彼女は漁師の家に嫁いだが、元々は海神に仕える巫女の家系であり、小さな頃から会う機会が多かったという事と、年が近いという事もあり、互いに親友と言う間柄であった。
そして、海神の神託で、どうやらその軍の司令長官が娘の相方として相応しいと出たらしく、それ以降、そうなる様に裏で着々と動いているらしいのだ。
本当に、そういったところは相変わらずよね。
油断も隙もないところは……。
そんな事を思いつつ、それでも心配なのだろう。
「確かに、南美の娘といい感じだという話は聞いてるわよ。でも……」
「でも?」
「恋はいきなりじゃない?」
「いきなりですか……」
「そう、いきなりよ。ずきゅーんってくるのよ。うちの人がそうだったもの」
どうやらこのまま惚気話に突入しそうな気配になってきたのでトメはいつもの言葉を口にすることにする。
「そんなに心配でしたら、お嬢様に直接聞けばいいじゃありませんか。心配してると……」
しかし、その言葉に、三島冬香は眉をしかめた。
「それが聞けたらこんなこと言ってないわよ。私だって、こうあの子といろいろ話してみたいわよ。でも、最近あの子、私と距離を置くのよね」
そう言って深々とため息を吐き出す。
「それは奥様を尊敬しているからですよ。当主の地位を引き継ぎ、今まで奥様が背負ってきた重みを感じ、その重みを背負い続けてきた奥様に尊敬を示しているからこその態度だと私は思っております」
「でも、それでも色々話してほしいわ」
「なら、奥様から近寄ればよいのです」
「でもそれが難しいのよ。どう接すればいいのか……」
またため息を吐き出した後、トメは少し考えて口を開いた。
「それならこういうのはどうでしょう。奥様の自室に呼んで炬燵の中でぬくもりつつ、熱いお茶をすすって話すというのは?そうすれば打ち解けた話をしやすくなるかもしれませんよ」
「炬燵一つでそう変わるかしら?」
「ですが、きちんと正座して話をするわけではありませんし、炬燵だとお互いの距離も近い。だからいいと私は思いますけどねぇ……」
そう言われて三島冬香は湯呑を見つつブツブツと独り言を口にする。
「そうね。いつも正座してお話ばかりだもの。それはいいかもしれないわね。それに南美の所は炬燵でよく娘と話をするとも言ってたし……」
そう決断すると三島冬香は視線を湯呑からトメに向けた。
「じゃあ、炬燵の用意をお願い」
「はい。わかりました。すぐにでも用意させます」
「お願いよ」
こうして、三島冬香は初めて炬燵を自室に置く事にした。
そして知るのである。
炬燵の本当の力を……。
そして、これ以降、三島冬香の自室には、冬になると炬燵がいつも置かれるようになるのであった。