三島晴海の選択 その3
「本当に貴方は私の若い頃と同じなのね」
母は私を見てそう言うと「一つ、昔話をしましょうか」と言葉を続けた。
その言葉に、私は思わず聞き返す。
母の若い頃の話。
それはまだフソウ連合が混乱していた時期であり、今のように三島本家がフソウ連合の巫女、魔術師を統率していなかった頃になる。
その時の話は、周りも言葉少な気に大変だったというだけだし、母自身があまり話したがらなかった事もあり、あまり詳しくは知らない。
只々大変だった時期であり、そこで母が活躍したからこそ、今の体制が構築されたという事だから興味がないというなら嘘になる。
「昔話……ですか?」
その問いかけに、母は苦笑しつつ答える。
「そう、昔話。貴方にはあまり話したことはないでしょうが、私が貴方とそう年が変わらない時にマシナガ本島であった事。そして、フソウ連合全体での争いの事……。そんな話よ」
つまりは、三十三年前の混乱期の話をしてくれるというのだ。
私は黙って視線を母に向ける。
その表情で私の意思が判ったのだろう。
母は少し困ったような表情をして「そんなに真剣な表情だと話しづらいわね」と呟きながらもゆっくりと言葉を紡いでいったのであった。
三十三年前、三島本家の当主が病気によって亡くなったことが全ての発端だった。
母には妹がおり、その魔術と巫女としての才は母よりも優れており、母が創造や構築を得意とする反面、妹は召喚、憑依が得意であったらしい。
その魔術の術式は芸術的とまで言われており、フソウの魔女の歴史の中でも稀代の魔術師だと皆が噂するほどであった。
だから、誰もが妹が当主になる。
そう思っていた。
だが、前当主に指名されたのは母であった。
それに対して、勿論妹は黙ってはいなかった。
私こそが当主に相応しい。
元々自信家で確信的な思考をする妹は、保守的な姉を下に見ていたから余計であった。
結局、三島本家内で跡目争いのお家騒動が起こり、元々保守派の多かった事もあり、妹は分家の稲月家へと出された。
だが、争いはそれで収まらなかった。
妹は、稲月家をあっという間に掌握すると、今度は稲月家の人間として三島本家の当主となった母と対立するようになったという。
特に大きな争いとなったのは、フソウを取り巻く結界についてだった。
時折、漂流者が流れ着くことはあったが、結界は今のような形だけになりつつある状態ではなく、フソウを守る壁として機能していた。
だが、それでもいつかはそれが終わる時が来る。
そんな考えが出始めていた頃であった。
そんなご時世だからかもしれない。
稲月家は、結界を解除し、新たなフソウを守る盾を用意しょうと言い出したのだ。
それは召喚による兵器や軍の拡張。
そしてその力を駆ってよりフソウを大きく豊かにしようという考えであった。
稲月家の当主となった妹の自信に満ちた言葉と当時のフソウはいくつもの勢力に分かれて貧しかったから、その提案は実に魅力的であった。
しかし、その提案に真っ向反対したのは、三島本家の当主となった母であった。
「今うまくいっていることを無理やり変える必要性はどこにありますか。確かに何かあった時の保険は必要でしょう。それは認めます。だけど、今、それを行うのは我々だけでなく、やっとまとまり始めたこの国を大きく揺るがしかねません。それに忘れたのですか。武力は奪い取るものではなく、守るために使いなさいと言う先人の言葉を。奪い取るという事は、奪い取られるという事でもあるのですよ」
その発言に、変化を嫌い、しきたりと伝統を重んじる魔術師や巫女のほとんどは賛成した。
だからそこでその提案は終わりのはずであった。
しかし、妹は諦めなかった。
稲月家は当時の権力者にすり寄り、武力で全てを覆そうと企てたのである。
しかし、それも内通者によって事前に三島本家に知られ稲月家の関係者はことごとく束縛された。
もちろん、妹もである。
対立しているとはいえ、姉妹だ。
その上、その魔術と巫女の才能を腐らせるには余りにも惜しい。
だから、どうのこうの言いながらも母は妹を許すだろう。
誰もがそう思っていた。
そして、それは妹自身も……。
しかし、母が下したのは、稲月家の一族郎党全てをフソウから追放であった。
嵐の結界は、外に出る分には発動しないものの、出てしまえば這いこむことは当時の技術では不可能である。
ましてや、当時のフソウの造船技術だけでなく、世界の技術を使ったとしてもとてもじゃないが戻れない。
そして、外はどうなっているのかわからない。
つまり、死刑に近い処罰を言い渡したのであった。
自分の妹でさえ容赦なく処分し切り捨てる冷たい女。
敵に回すと怖い女。
その印象がこの出来事以降母について回る事になる。
だが、陰で色々言われている事も気にせず、それどころかその印象や噂さえも利用し、今まで大きな派閥で割れていたフソウの魔術師や巫女の勢力を統括し、各地の勢力に働きかけて今のフソウ連合という形を作り上げたのである。
その話を聞き、私はふと気が付いた。
もしかして……。
私の表情から察したのだろう。
母はクスリと笑った。
「貴方の思った通りよ」
つまり、以前稲月家が提案したものをベースとして実施されたのが今のマシナガ本島の歴史改ざんと召喚を合わさった術式であるという事だ。
「あの時、一度は否定した妹の提案を手直ししたとはいえ、貴方に提案して実施させた。ほんと、情けないやらみっともないやら……」
母はそう言って苦笑を浮かべる。
「貴方は私を評価してくれているのはわかっている。だけどね、当時の私は、そんなかっこいいものじゃなかった。どうのこうの言いつつ変化を恐れていたのよ。しきたりや形式に捕らわれ、それを遂行する事に必死だった。今思えば、先代も保守的に考えだったから、そんな私だからこそ私を当主に指名したんだろうと今では思うけどね」
まるで自分を貶める様な口調は、母がそのことに対してどれだけ後悔しているかを物語っていた。
だからだろうか。
私は何も考えず思いだけを言っていた。
「そんな事はありません。確かにそういう思いが強かったのはわかります。ですが、当時と今では状況が違います。それどころか、いくつもの派閥を分かれていた国を落ち着かせ、今の形に作り上げたのは間違いなく母上ではありませんか」
それは、自分が同じ立場なら、多分似たような行動をとっただろうという思いから出た言葉だった。
そして、私は気が付いた。
そうか、だから母は私が自分の若い頃にそっくりだと言ったのかと……。
「それでもね、今でも後悔しているのよ。あの時、もう少し違うやり方があったんじゃないかって……」
しみじみとそう言う母。
そこには、三島本家だけでなく、フソウ連合の魔術師、巫女に対して絶対の力を誇る人物の姿はなかった。
只、昔の行動を悔やむ一人のちっぽけな人間がいるだけだ。
「かあさま……」
思わす私の口から出た小さい頃の母の呼び方に我に返ったのだろう。
母は少し困ったような表情で笑った。
「いけませんね。悔やんでも元には戻らないというのに……」
そう言った後、しっかりと私を見据えて言葉を続ける。
「私の時は、しきたりと形式しか頼れるものはありませんでした。でも貴方には、こんな情けないながらも母がいます。だから、貴方は自分の思うまま、貴方の選択を選びなさい。私は、あなたを応援するわ」
そこには自分と同じようにしきたりや形式に囚われてしまっていないか娘を心配する母の姿があった。
「ありがとうございます。お母様」
「でも、いきなりするのは駄目よ。まずはする前に相談になさい。そして、話し合いましょう。いいわね?」
「はい。勿論です」
私はそう返事を返すと言葉を続けた。
「それで、実は……」
そんな私を母は楽しそうに見て微笑んでいる。
そして、結局、その日は疲れていたはずなのに、私は母と夜遅くまで話し込んだのであった。




