三島晴海の選択 その2
マシナガ本島にある実家である三島本家に戻ると真っ先にトメさんが出迎えてくれた。
祖母の代から仕えるお手伝いさんで、確か年は八十を超えているはずだ。
なのに相変わらずの元気のいい声で「お帰りなさいまし、お嬢様」と言って暖かく迎え入れてくれる。
「只今、トメさん」
三日ぶりの我が家は相変わらずといった感じではあったが、やはりどこか落ち着く感じがする。
いくら居心地のいい宿やホテルを用意してくれたとしても、やっぱりここが落ち着く。
実家とはそういったものなんだろうと思う。
そんなことを思いつつ、手に持っていた荷物をトメさんに手渡す。
するとトメさんはそれを受け取り聞いてくる。
「お嬢様、お疲れのご様子ですね。最初にお風呂になさいますか?」
「そうね……」
そう言いかけたものの、すぐに考えを変えた。
どうせなら、寝る前にお風呂に入りたいと思ったのだ。
「先にご飯を食べようと思うんだけど……」
「あら、それならちょうどいいですね。奥様も食事をそろそろしたいと言われておりましたので……」
奥様、要は私の母である。
家督を私に譲ったとは言うものの、未だに三島一族の中ではとてつもない発言力と権利を持つ。
恐らく、私の言葉や命令を唯一覆せる人物であり、母に逆らえる一族は誰もいないだろう。
実際、鍋島長官のジオラマとマシナガ本島の憑依による歴史改ざん召喚は、母の後押しがなければ出来なかっただろうし、母から出されたベースとなるプランがなければ形にならなかっただろう。
実際、計画遂行を邪魔していた一派は、母が手渡したプランをベースにこの計画を後押ししていると知って、今までが嘘のように手出ししなくなった。
どんな手を打ってもしつこくやってきた連中が、である。
つまり、母はそれ程の人物であるという事だ。
その為か、確かに昔は母親という思いが強くあったが、今はどちらかと言うと人生の先輩、巫女や魔術師としての師匠といった感じが強くなっている。
それに今の忙しさでほとんど一緒に食事をとることがないという事もあり、私はつい聞いていた。
「お母様とご飯ご一緒してもいいかしら」と……。
その言葉に、トメさんはニコリと笑った。
「ええ。奥様も喜ばれると思いますよ。すぐに準備いたしますので、少しお部屋でお待ちください。準備が済みましたらお声をかけますから……」
「ええ。お願いね」
私はそう言うと自室に戻る。
後ろにトメさんの視線を感じながら……。
三十分もしないうちに呼ばれ、久方ぶりの母との食事が始まった。
実に一週間ぐらいは食事どころかあいさつ程度しかしておらず、長く顔を合わせるのは久方ぶりである。
もっとも、食事中にほとんど会話はない。
時折、少し話すことはあっても、それも一言二言であり、基本静かな中で食事が進む。
だから、そういう食事が当たり前と思っていた故に、他者との初めての食事の時はかなり面食らった記憶がある。
ああ、話をしてもいいんだと……。
そして、そういった食事が楽しい事も知った。
もっとも、そう思ってみても静かに食事を楽しんでいる母親にこちらからペラペラと喋ることはない。
母には母の食事の仕方があるのかもしれないと思ったからだ。
どうのこうの言いながら三島本家は巫女や魔術師の家系全てをまとめ上げる総本山である。
それ故に格式やしきたりにがんじがらめに縛られているという印象が強い。
しかし、私もまた当主となった以上、周りの目があるし、今までの歴史ある三島本家に泥を塗るような事はしたくないので格式としきたりを守らなければとも思う。
それに、私は今までフソウ連合というこの国を守っていたしきたりを大きく変革させてしまったのだ。
必要だったとはいえ、それは私の負い目になっている。
先代から続くしきたりを私の代で……という思いが……。
静かに進む食事の中、ちらりと母が私を見た。
そして口の中のものを飲み込み、言葉を発する。
「最近忙しいようだけど、地区の代表の任は譲ったのではないのかしら?」
私も口の中のものを飲み込み答える。
「はい。ですが、やはり一つでも大きな変革が起これば、それは周りに影響いたしますから」
「そう……」
そういった後、母は目の前の料理に視線を向けたまま言葉を続けた。
実に珍しい事だった。
普段なら、そこで会話は終わるはずなのに……。
「無理はしていないのね?」
その問いに戸惑いながらも心配をかけまいと私は直ぐに返答する。
「はい。確かに忙しいですが充実しています」
「そう。ならいいわ。でも無理はしないように……」
そう言った後、料理から視線をゆっくりと私の方に向けると寂しそうに微笑んだ。
その後の言葉はない。
しかし、その表情が物語っている。
心配だと……。
だから私は微笑んだ。
安心させるために……。
そして、また何事もなく食事は再開される。
静かな、静かな時間が過ぎていった。
「あの、お嬢様、よろしいでしょうか?」
食事の後、自室に戻ろうとした私に、トメさんが声をかけてきた。
「えっと何かしら?お風呂の事?」
「いえ。実は、奥様が話をしたいと仰られて……」
どうやらさっきの食事でのやり取りが気になったのだろうか。
或いは、私のここ最近の行動に対して何かしら思うところがあったのかもしれない。
母は古い歴史を持つ三島本家の格式としきたりを厳守する自分にも周りにも厳しい人だ。
だからこそ、三十年以上当主を務め、母の発言を多くの者達が尊重して従うのだ。
ある意味、最も尊敬する人物である。
そんな母から話があると言われたのだ。
ただの世間話ではないだろうな。
そんなことを思いつつ、返事を返した。
「わかりました。母上はどちらに?」
「自室におられます」
「わかりました」
私は短くそう返事をすると気を引き締め直して行き先を変える。
勿論、行き先は母の自室だ。
ともかく気が重い。
そして思い出す。
そう言えば、クリスマスパーティの件を報告しなくては……。
しきたりや格式に厳しい母の事だ。
仕事での飲み会でもあまりいい顔をしない人だから、仕事でもないのにと反対されることは最初からわかっていた。
だが、一応知らせておく必要はある。
仕方ないじゃないか。
そう思って自分自身を納得させる。
母の自室に到着し、襖越しに声をかける。
「晴海です」
「ああ、よく来ましたね。入りなさい」
凛とした声が返ってきて、私は座って襖を開けると部屋に入った。
八畳ほどの部屋には、中央に掘り炬燵があり、母はそこに足を入れて近くの火鉢をいじっている。
火鉢の上にはやかんが載せられ、火鉢の熱によって生まれた蒸気が部屋を満たすかのように出ていた。
私が入室すると、母は炬燵に入るように進めながらお茶の準備をしている。
「えっと、私が……」
そう言ってやろうとしたものの、すぐに母に「座って待ってなさい」と言われてしまい、私は炬燵の足を突っ込み座る。
しゅんしゅんと湯気の音とお茶を注ぐ音だけが響く。
私の前に用意されたお茶が置かれ、母はやっと視線を私に向けた。
「話というのはね、さっきの食事の時の話なの。本当に無理はしていない?」
心配そうなその言葉、だが私は何とか微笑み、言葉を返す。
「いえ。本当に大丈夫です」
そう言った後、私は言葉を続けた。
「忙しいですが、遣り甲斐がありますし、何よりうまく回っていますし……」
「ええ。そう聞いています。さすがは三島本家の当主だとよく聞きますしね」
そう言って母は微笑む。
そこには、嬉しさと誇らしさに満ち満ちている。
だが、それもすぐに心配そうなものになった。
「だけど、私には無理をしている様にしか見えない時があってね。だから気になって……」
「いえ。そんな事はありませんよ、お母様」
そう言った後、クリスマスパーティの事を話すかどうか迷ったが、ここまで心配されている以上、話さない方がいいと判断した。
だから、私はそこで言葉を止めると出されたお茶をすする。
そんな私をじーっと見た後、母はため息を吐き出した。
「そうやって自分でなんでも決めつけて抱え込むところは変わってませんね」
母のその言葉に私はドキリとする。
そしてすすっていた湯呑を戻しつつ母の方を見るとそこには困ったような苦笑を浮かべる母の顔があった。




