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第二章


目の前が急に明るくなり、僕はおそるおそる目を開けた。

なにやら古い雑居ビルが僕の眼前にそびえ立っているのが見えた。

刑事ドラマなどで刑事が街のチンピラを走って追い詰めるシーンでよく観る場所になんとなく似ていた。



(やはり……織音さんはいない……)



この場所は僕の記憶にはなかった。また違う治験者の過去なのかもしれない。


(面倒だけど……この世界に関係ある治験者を探すところから始めないと……。)


僕はまず、ここが何処でいつなのか調べなくてはいけなかった。 

汚い雑居ビルをあとにして僕は細い路地に出た。

場所がわからない以上、適当に歩くしかない。

今のところ、周囲に手がかりになりそうな物はなかった。


僕は腕に装着されているリストバンドを見ながら考えていた。


(これで他に治験者を探せれば……どれだけ楽な事か……)


しかし、リストバンドは相変わらず何の反応も示さなかった。

前回のミッションでは織音さんから声を掛けてきてくれたので運が良かった。

今は自分の勘だけが頼りだ。僕は人が多くいそうな場所を目指したが何故か人と全く出会わなかった。


(見た感じでは都会っぽいんだけど……こんなに人がいないものかな……これもシステムトラブルの影響なんだろうか……?)


道の真ん中で困っていると、先の路地から人が出てきた。よく見ると40代くらいの女性のようだ。僕はすぐに腕を見たが治験者ではなかった。


(システム内の人に怪しまれないように声を掛けるにはどうしたらいいんだろう……ナンパもしたことないし……)


そうこうしている内に女性はどんどん近づいてくる。僕は意を決して女性に声を掛けようとした。


「あの……すいません……ちょっとお聞きしたい事があるんですけど……お時間いいですか?」


「はい?なんでしょう……」


僕が声を掛けると女性は立ち止まった。ふと、女性の手元を見ると大きなビニール袋を持っていた。僕はビニールの中の白い箱がホールケーキだと直感した。


「あなたが持っているケーキについてお伺いしたいのですが……」


「え……これですか……?」


僕はとっさに思いつき女性に言った。女性は僕の言葉に持っているビニールを少し持ち上げる仕草をした。


「実は私……甘いものがすごい好きでして特にケーキに目がないんですよ。あなたが買ったケーキがどこの店の物なのか知りたいんです」


「ああ、いいですよ。これは近くにあるリーベンクーヘンってお店のケーキです。神戸市民の間では有名かもしれませんね」


僕は女性の関西の訛りと神戸というワードを聞き逃さなかった。


「土地勘がないものでお店を探すのに苦労してるんです」


「そういえば東京の言葉ですね……こちらには旅行かなにかで?」


「そうなんですよ。ちょっと休みを取って色々な所の甘いものを食べ歩きしようと思っていて」


僕は旅行者のフリをして女性から違う情報を聞き出そうと思った。


「もしかして……あなたが持っているのは誕生日ケーキですか?」


「ええ……実は息子が今日、10才の誕生日なんです」


「そうなんですね!ひょっとしたらと思って聞いたんですけど……ちなみに…息子さんの生年月日は?」


「昭和63年11月29日ですけど……なんでですか?」


「ええっと……実は僕の甥っ子が息子さんと年齢が近いんですよ……もしかしたら誕生日が近いのかな……とか思いまして」


女性に一瞬怪訝な顔をされたが何とか押し切れた。自分でも適当な事をよく思いつくと感心する。


(昭和63年の10年後だから……今は1996年の11月29日だ……)


「これから帰って家族で息子さんのお祝いですか?良いですね!プレゼントはお父さんが買ってるんですか?」


「あ……いいえ……プレゼントはこれから私が買いに行くんです……夫は仕事が忙しいみたいで……ここ何年も息子の誕生日のお祝いが出来てないんです……」


僕の顔を見ていた女性が視線を落としていた。調子に乗ってまずい事を聞いてしまったと後悔した。


「余計な事を聞いてしまって……すいません……」


「いいんです……気にせんといてくださいね。あの人はいつもそうなんです。家族の行事にはホンマに疎くて……私も息子も諦めてるんです……」


僕が謝ると女性は笑顔で答えてはいたが表情はどこか寂しげだった。


「なんかごめんなさいね。こんな事……初対面の人にする話でもないのに……」


「僕の方こそすいませんでした。長い時間呼び止めたりして」


僕らは二人で頭を下げ合っていた。すると女性は何かを思い出してケーキの入ったビニール袋に手を入れた。


「よかったら……これ受け取ってください。さっきお店でもらったチラシ。地図も載ってるはずやから行ってみてください」


「ありがとうございます。さっそく行ってみます」


女性から四つ折りになった紙を受け取り、僕はお礼を言った。

そして軽く会釈をして僕らは別れた。でもしばらく僕はその場から動けず女性の歩く後ろ姿を眺めていた。


子供の頃、誕生日には必ず父と母がケーキとプレゼントを用意してお祝いをしてくれた。自然と家族というのはそういうものだと思っていた。

でも世の中には色んな家族がいる。顧みれば自分はとても幸せな環境にいた事を思い知らされる。

女性の寂しそうな顔と後ろ姿がしばらく忘れられそうになかった。

そして僕は思い直して女性からもらったチラシをおもむろに広げて中身を確認した。

見ると、色んなケーキの写真と下の方にお店周辺の簡単な地図が載っていた。

特にケーキが食べたかったわけではないがせっかく教えてもらったのでお店の前まで行ってみようと思った。

地図を頼りに歩いているとやっと人がいる通りに出て来れた。

そして『Liben Kochen』というケーキ屋の看板を見つける事が出来た。


(リーベンクーヘンってドイツ語なのかな?)


店の名前の意味を考えながら店先まで行くとお店自体は意外に小さい事に驚いた。

そして外から店内の様子を覗いてみた。ショーケースにはたくさんのケーキが並べられていて、とても美味しそうだった。

狭い店内には5人くらいのお客さんがケーキを買おうと並んでいる。

どうやらお店を経営しているのは老夫婦のようだ。奥さんがお客さんの対応をして、旦那さんが厨房でケーキを作っているのが窺えた。老夫婦の人柄でケーキの優しい味が想像できて自然と笑みがこぼれる。


お店も見れたのでその場から立ち去ろうとすると向かいの細い路地から誰かがお店を見ているのに僕は気づいた。

だが僕が路地の方向に視線を送ると一瞬、目が合ってしまい、その人は路地の奥へ消えて行った。


(あれは……黒いリストバンド……治験者だ!間違いない!)


僕は腕にしていた同じリストバンドを見逃さなかった。そしてすぐに僕も向かいの路地に入り、治験者を追った。

ある程度の距離を取りながら僕の存在がバレないよう慎重に移動した。

幸いな事に相手には気づかれていないようだ。


治験者は細い路地を迷う事なく歩を進めていた。これは間違いなく土地勘のある人間の歩き方だった。おそらくこの過去の世界と関係がある人なんだろう。そして治験者は突然、立ち止まり電柱の影に身を隠した。


(あの人も誰かを尾行しているのか……?)


僕は顔を確認するため気づかれないように近づいた。治験者は中年の男性だった。年齢は50代くらいだろうか……。神妙な顔で通りの先を見ていた。

だが、僕が立っている位置からではあの男性が何を見ているのか確認する事が出来なかった。

僕は急ぎ足で隣の路地に移動した。あの男性が誰を尾行しているのか見ておきたかった。僕も電柱の影に隠れて通りを見ると、治験者がいる場所の斜め向かいにおもちゃ屋があった。店の軒先には、たくさんの玩具が陳列されていて子供なら店の前を通っただけでテンションが上がりそうなお店だった。


(あのおもちゃ屋に誰かいるのかな……?)


しばらく見ていると、おもちゃ屋のドアが開いて誰かが出てきた。


「あの人は……さっきの……」


なんと店から出てきた人はさっきケーキ屋を教えてくれた女性だった。見ると、手には誕生日ケーキが入ったビニール袋と買ったおもちゃが入っているであろう紙袋を持っていた。そして女性は荷物を抱えておもちゃ屋を後にした。すると、おもちゃ屋の向かいにいた治験者が女性を尾行し始めた。


(あの女性と関係ある人なのか……)


僕も治験者の後を追う。まさか尾行者が尾行されているとは夢にも思わないだろう。

女性は駅の方へ歩いているらしく人が多くなってきた。僕は治験者を見失わないように人を避けながら尾行を続けた。

そして駅前に来ると女性はバス停で立ち止まりバスが来るのを待っているようだった。

治験者は女性とある程度距離を取って女性を見ているだけだった。僕は二人がよく見える場所に立って様子を窺った。

数分後、バスが到着して女性が乗り込むとバスは発車して行ってしまった。しかし、治験者の男性はバスには乗らずに女性を見届けるとまたどこかへ歩き出した。

僕は治験者の後を追って声を掛けようと思っていた。だが男性はこの辺を歩き慣れているのか、どんどん先へ歩いて行く。


(一体……どこに行くんだろう……ついて行くのかやっとだよ……)


駅前の人混みを抜けると飲み屋街らしき所に男性は立っていた。僕は意を決して男性に近づいた。


「すいません……あなたにいくつか質問があります」


「なっ、なんや?俺に何の用や?」


「あなたは治験者ですよね?それに……このミッションはあなたの過去……」


僕の質問に男性は驚いた顔をしていた。


「そうや…あんたの言う通り俺は治験者や……そしてここは俺の過去……それやったらなんやねん?あんたには関係ないやろ!」


男性は僕を睨みながら言った。普段聞き慣れない関西弁に僕はちょっとビビってしまっていた。


「ぼっ、僕の話を聞いてください!システムトラブルで治験者同士が誰かの過去に転送されているんです。ミッションを終わらせない限り僕らは現実世界に戻れないかもしれないんです!」


「トラブルの事は俺も気づいてる……。だが!ここは俺の過去の世界や。何をしようと俺の自由。誰かにとやかく言われる筋合いないわ!!」


男性は怒りをあらわにして僕に怒鳴りつけた。でも僕は怯まずに続けた。


「さっき……バス停であなたがずっと見ていた女性は誰なんですか?あなたの過去と関係ある人ではないんですか?」


「おまえ……俺の後をつけてたんか?人のプライバシー嗅ぎ回って何がしたいんや!」


「協力したいんです!あなたが向き合わなければいけない過去に!」


僕の必死の訴えに男性は一瞬だけ表情が変わった。


「おっ、おまえとおると酒が不味くなる……もう俺の前に現れるなよ!」


男性は自分のリストバンドに触れて液晶画面を出した。


「ちょっと待ってくだ………」


僕は言いかけると目の前が真っ白になり何処かへ転送されていた。







気がつくと、最初に転送された雑居ビルの裏にいた。


「あの治験者……無茶苦茶な事をするな……」


そう呟きながら僕はあの人の触れてほしくない過去に触れてしまったんだと反省していた。


「人間は誰しも触れてほしくない過去があるという事か……」


でも次こそはあの人の力になれるよう説得しないといけない。


僕は新たに決意をしてまた治験者を探す為に歩き出した。















  



目の前が光に溢れて私はゆっくりと目を開けた。

すぐに周りを確認すると白い建物が私の眼前にあった。


「ここは……学校なのかな……」


どうやら建物の裏手にいるみたいだった。私はすぐに学校の敷地から歩道に出た。


(ここはどこなんだろう……それにいつなのかな……?)


自分が知っている場所ではないのは確かだった。一気に色んな疑問が湧いてきた。他の治験者の過去ならまずは本人を探さなければいけない。


前のミッションでは藤乃さんに出会い、そして助けてもらった。だから今度は私が治験者を助けたい。

もし私みたいに辛い過去を体験する治験者がいたら出来るだけ近くで励ましたかった。


(治験者を探すのってどうしたらいいんだろう……?)


歩道に立って考えていると学校からチャイムが聞こえてきた。


「授業が終わったのかな……あっ、そうだ!」


名案を思いつきすぐ学校の表側に向かい歩き出した。


(学校から出てくる学生に色々聞けばいいんだ……いい考え♪)


自画自賛しながら学校を横目に道路沿いを歩き角を曲がると広いグラウンドが見えてきた。グラウンドの隅に遊具がいくつか見える。ここはおそらく小学校だろう。

校舎とグラウンドを眺めていると懐かしい気持ちになってくる。7才の時に大きなランドセルを背負って入学してから6年間、色んな事を学んで少しずつ大人になる。

自分のアイデンティティの一部がここにあると言っても大袈裟じゃない気がする。

感慨に耽っていると小学校の正門がある通りに来た。そこは細い道の両側に桜の木が植えられていてきっと春には満開の桜のトンネルが出来て素敵だろうと想像しながら正門までの200メートルくらいを歩いた。

校舎の大きな時計を見ると、16時05分になっていた。そして正門前にくると『神戸市立東郷小学校』と書かれている銘板を見つけた。


(神戸市立……ここは兵庫県の神戸なんだ……)


私がしばらく正門の前に立っていると一人の男の子が走ってこちらに向かってくるのが見えた。

男の子はまるで何かから逃げているような表情をしていた。

私はとっさに近くにあった電柱の影に身を隠した。

走ってきた男の子は正門の前で立ち止まり、左右を何度も確認して私が歩いてきた逆方向に走って行った。

そして男の子の姿が消えてからすぐに数人の男の子たちが正門前に走ってきた。


「マコトのやつ……また逃げたな。探し出して刑を執行したる」


「まだ近くにいるはずやから探そう」


会話の後、男の子たちは私が歩いてきた道を走って行った。その一部始終を見た私は隠れていた電柱から身を出して軽くため息をついた。


「はぁ……小学生の男の子って……いつの時代も変わらないのね……」


走る小学生たちの後ろ姿を見ながら、さっきのマコトという男の子の事が気になっていた。

きっとどこかに身を隠していると確信した私は彼が走って行った方へ歩き出した。

小学校の頃、私は男の子たちに混じって学校の周辺をよく探検していた。

それもあって小学生の男の子が隠れそうな場所は何となく見当はついていた。


小学校から少し歩くと、民家やアパートなどが建ち並ぶ住宅街に来た。ふと私の右斜め前に3階建ての古めのマンションが見えた。外観はクリーム色でおそらくエレベーターの無いタイプのマンションだ。

子供の頃、こういう所に身を隠して遊んでいた事を思い出していた。私は懐かしさを感じながらマンションの中に入り外廊下を静かに歩いていると貯水タンクがあるのに気づいた。近くまで行きタンクを見上げると何か物音が聞こえた。

私は目の前にあった階段を上がり2階に行くと、ちょうど廊下の柵で貯水タンクの上の部分が見えなくなっていた。私は身を屈めながらおそるおそる柵から頭を出して向こう側を覗き込んだ。

すると、ランドセルを背負った小学生が隠れているのを発見した。


「マコトくん……みぃつけた……♪」


私は心の中でガッツポーズをして小さな声でマコトくんに声をかけた。

その声に彼はビックリしてすぐに私の方を見た。私は唇の前に人差し指を立てて声を出さないように促した。そしてこっちに来るよう合図した。

マコトくんは観念したらしくゆっくり柵を上がって廊下におりた。私に怒られると思っているのか彼はずっと下を向いている。


「ここだとマンションの人に迷惑になるから場所を変えましょう」


私が促すと彼は素直についてきた。そしてマンションの前に来た。


「君を追いかけてた男の子たちは逆の方向に行ったから大丈夫よ」


私が言うと彼は怪訝な顔をして私を見つめた。


「別にここで隠れてたのを怒りにきたわけじゃないから安心して」


「それやったら僕に何の用?」


「ちょっと聞きたいんだけど……今日って何年の何月何日?」


私の質問にマコトくんはさらに怪訝な顔をした。


「えぇーっと……お姉さんねぇ……昨日まで海外にいて……少し時差ボケしてるの……だから日本の正確な時間がわからなくて」


私は慌てて話を取り繕ったが、彼はまだ納得できていない様子だった。


「平成8年の……11月…29日……」


「教えてくれてありがとう。ところでマコトくんは何才なの?」


「今日………10才になった……」


「えっ!?今日が誕生日なの……おめでとう!」


私のテンションに反してマコトくんはただ小さく頷くだけだった。


「あれ?嬉しくないの?今日、家に帰ったらケーキ食べたりプレゼント貰ったりするんでしょ?」


私は彼に聞きながら自分の事を思い出していた。私は父子家庭だったが父は私の誕生日には仕事が忙しくても早く帰って来て私のために誕生日を祝ってくれた。だから毎年、自分の誕生日が楽しみで仕方なかった。小さめのホールケーキ、大きなプレゼントの箱。

今思えば、私の為に父はかなり無理をしていたと思う。それだけにマコトくんの薄い反応が不思議だった。


「ケーキとプレゼントは嬉しいけど……お母さんしか……祝ってくれないし……」


寂しげにつぶやく彼を見て、この子はきっと複雑な家庭事情があると私は感じた。


「マコトくん、もう少しお姉さんに付き合ってよ。アナタ……他に隠れ家とか秘密基地とかないの?」


「うーん……とっておきの場所があるんやけど……誰にも言わないって約束できる?」


マコトくんのその言葉は、子供の頃にワクワクした気持ちを思い出させた。


「約束する!二人だけの秘密ね」


私は小指をマコトくんの前に出した。自然と彼も小指を出して指切りをした。

不意に藤乃さんの事を思い出して恥ずかしくなったが、マコトくんは真面目な表情になって周囲を注意深く見回していた。


「ついてきて」


彼は私に一言だけ言うと歩き出した。

私は童心に返ったつもりで小学生のノリに付き合おうと思った。こんな気持ちになったのは本当に久しぶりだった。

マコトくんは周りを警戒しながら歩いている。私も彼に続き同じように警戒しながら歩いた。そして住宅街を抜けると鬱蒼とした竹藪が目の前に現れた。


「こっち」


マコトくんについていくと竹藪の中に人間が一人、かろうじて入れるトンネルのような穴が開いている場所があり、彼はそこで立ち止まった。


「もしかして……この中に入るの?」


私の質問に彼は頷き、もう次には体を屈めて穴の中に入っていった。私はマコトくんが入った穴をしばらく眺めていた。そして周りに人がいないか確認し、スカートを直してから改めて自ら穴の中に入った。


「せっ……狭い……」


四つん這いになりながら狭いトンネルを通っていると小さい頃よくこういう場所で遊んでいた記憶が甦る。子供は危ない場所でも平気で入っていった。でも、大人になると全くこういう事はしなくなる。やっぱり私は今のこの気持ちは忘れたくない……。

そしてやっとの思いでトンネルを抜けると広い場所に出た。風に揺れる竹の葉の音が耳に心地よかった。

私はゆっくり立ち上がり服の汚れを払いながら前を見ると、竹藪の中にトタンで作られた小屋がポツンと建っていた。


「マコトくん……ここなの?」


「うん……秘密基地」


小屋の前に立つ彼に近づきながら自然と笑みがこぼれていた。

そしてマコトくんはドアを開けて秘密基地の中に入っていった。私もすぐに後を追い一緒に中に入る。秘密基地の中はやっぱり狭かった。大人が3人やっと入れるくらいのスペースしかなく窓もない。中には椅子がわりに一斗缶が3個置いてあるだけだった。

マコトくんは一斗缶に座ってランドセルを脇に降ろした。私も近くにあった一斗缶に腰を下ろした。


「素敵な場所ね……まさに秘密基地って感じ……1人で見つけたの?」


「うん……この辺…探検してて」


「そっか……マコトくんは大人しそうに見えるけど実は探検とか冒険が好きなんだね」


私が感心していると彼は恥ずかしそうに頷きながら視線を逸らした。


「ねえ、マコトくん。さっきお母さんしか誕生日を祝ってくれないって言ってたけどお父さんは?」


「仕事が忙しくて……祝ってくれない……」


視線を落として寂しげに答える彼を見ながら複雑な気持ちになっていた。

父子家庭でも毎年ちゃんと子供のために誕生日をお祝いしてくれる父親もいれば、仕事第一主義で家族の行事に全く無頓着な父親もいる。母親がいない私は両親が健在な人より不幸だと、どこかで思っていた。でもマコトくんの言葉の真意を考えると、それが思い込みだと気づく。10組の家族がいれば10通りの家族の形がある。同じ形の家族なんて有り得ない。


「お父さんとお母さんは仲良い?」


私は少々酷な質問をした。するとマコトくんは首を左右に素早く振った。


「僕が小さい時は仲良かったけど……お父さん……最近は仕事で家にもあんまり帰ってけえへんから……」


ずっと視線を落として話しているマコトくんの姿を見ていた私は堪らなくなり彼の手を優しく握った。


「せっかくの誕生日なのにね……一年に一度しかないのにね……お父さんとお母さんに祝ってほしいよね」


私はマコトくんを見つめながら瞳を潤ませていた。


「ヨシッ!私に任せて!私がお父さんに直接言ってあげる!」


私が突然、大声を出すとマコトくんは唇の前に人差し指を出した。私はハッとして手で自分の口を塞いだ。


「ごめん………ここは秘密基地だったよね……」


私は両手を合わせて謝った。それを見て彼は軽くため息をついたが、笑みもこぼしていた。


「そういえば……マコトくんのお父さんってどんな仕事しているの?」


「うーん……きんゆう……かんけい……」


彼は自信なさげに言った。自分の父親が具体的に何の仕事をしているかなんて知らない子供の方が多いかもしれない。実際に私もそうだった。おそらく会社名を聞いても知らないと言われそうだ。


私の決意は静かに音を立てて崩れた……。


「お父さんの名前は?」


平稔たいらみのるお父さんの居場所わかるの?」


「だっ、大丈夫よ!実は金融関係の知り合いが結構いるのよ」


もちろん嘘だが不安げなマコトくんを見て自信たっぷりで言ってしまった。

治験者も探さないといけない状況なのに、とんでもない事を言っている自分に呆れる。


「善は急げ。マコトくんは帰ってお家でお母さんと一緒に待ってて。必ずお父さんを連れて行くから」


私は立ち上がりながら言った。しかし彼はまだ半信半疑のようだ。


「大丈夫よ、信じて待ってて。さあ、行きましょう」


私に促されると彼は脇に置いたランドセルを背負った。私は彼の両手を取って彼の視線に腰を落とした。


「マコトくん、聞いて……お父さんが帰ったらアナタの言葉でお父さんに言いなさい。毎年家族で一緒に誕生日したいって……アナタが心から言えば必ずお父さんに届くはずだから……約束できる?」


「うん……約束する」


それを聞いて私が笑顔になると彼も自然と笑った。そして私たちは秘密基地を出て再び竹藪のトンネルを通って元の場所に戻ってきた。


「ここでお別れね。気をつけて帰るのよ」


彼は頷くと走って家に帰って行った。先の路地にさしかかるとマコトくんは振り返って私に手を振ってくれた。私が手を振り返すと彼は路地を曲がり姿は消えた。


「はぁ………どうしよう……勢いで約束したけど」


これから治験者探しとマコトくんの父親探しの両方をしなければいけなくなってしまった。

空を見ると夕陽は西に見える山の半分くらい隠れていた。あと30分もすれば暗くなるだろう。

とにかく立ち止まっていても何も解決しないので私はまた小学校の方へ歩き出した。


(マコトくんの父親ってどんな人なんだろう……息子の誕生日よりも仕事が大切な仕事人間なのかな……)


さっきの寂しそうなマコトくんを思うと怒りさえこみ上げてくる。


そして住宅街に戻ると周囲の家々から夕飯の匂いがしてきた。


「わぁ……カレーの匂い……いいなあ……」


基本的にシステム内では空腹感はないけど、美味しそうな物の匂いがするとやっぱり食べたくなるのが心情だ。


いい匂いの住宅街を通り過ぎると小学校の正門前に再び戻ってきた。

学校は電気が消えて昼間とは全く違う雰囲気だった。私は暗い小学校に怖さを感じて早く立ち去ろうと左を向いて歩き出そうとした。すると突然、目の前に誰かが立ちはだかった。


「アンタ……治験者やろ?」


辺りはすっかり薄暗くなっていて目の前の人の顔が確認できなかった。


「そっ、そうですけど……アナタは?」


「俺も治験者や、アンタここで何をしとったんや?」


「私は……ただ他の治験者を探していただけです……」


「どうやら俺の過去を嗅ぎ回ってるわけやなさそうやな……」


私は暗闇の人影に恐怖を感じていた。そして次の瞬間、近くにあった電柱の街灯が灯り目の前にいる人影の姿がやっと確認できた。

見た目は50代くらいの男性、中肉中背で顔はどこかで見た顔だった……。



(この人……マコトくんにすごい似てる……)




「アナタはもしかして……平稔さん……ですか?」


「なんで俺の名前知ってんねん!」


男性はビックリしていたが、私も驚きの表情を隠す事が出来なかった。


「マコトくんから聞いたんです!アナタのこと!」


「眞に会うたんか!?お前……どういうつもりや!」


「お願いです!今すぐ家に帰ってあげてください!眞くんがアナタの帰りを待ってるんです!今日が誕生日なの知ってますよね?」


声を荒げた男性に私は必死に懇願した。私の懇願に男性は怒った表情から急に悲しい表情に変わっていった。


「あぁ………忘れるわけやないやろ……今日は眞の誕生日や………」


「わかっているなら早く帰って息子さんの誕生日を祝ってあげてください」


「もう会われへん………もう俺に会う資格はないねん………」


「どうしてですか!?眞くんは毎年アナタが誕生日を祝ってくれるのを待ってたんですよ!私にも言ったんです。お父さんは仕事が忙しくて祝ってくれないって……」


私は徐々に怒りの感情が芽生えていた。そして私の言葉に黙っていた男性が哀しそうに私の目を見てゆっくり口を開いた。






「眞も女房も………もうこの世にはおらんねん……」




「え……でっ、でもさっきまで私……眞くんと一緒にいたんですよ……」







「眞と好子は……今日が命日や……」







ここがシステムの中だと理解した時、私は自然と涙がこぼれていた。

さっきまで普通に会話していた人が現実世界にはもういないなんて信じたくなかった。



「だからもうええやろ。俺の事は放っておいてくれ……」


そう言って立ち去ろうとする男性の後ろ姿を見て私の心は怒りに震えていた。


「待って!!逃げるの?自分の過去から!!」


私が声を荒げると男性は立ち止まった。


「アナタにとってこのミッション自体がトラウマだってわかるわ。逃げたくなるのもわかる……でもここでアナタが動かなければ何も変わらないのよ!お願いだから眞くんと奥さんを救ってあげて……」


私は涙声で訴えたが男性は微動だにしなかった。


「私は……前のミッションで母親が交通事故で死ぬ瞬間を見てしまった……そのせいで一時的に精神がおかしくなったけど、そのとき偶然一緒にいた治験者の男の人に助けられたの。そしてリトライしてお母さんを事故から救う事が出来た。でも最初リトライの文字を見たときは本当に怖かった……また同じ事が起きてしまうんじゃないかって……でもその男の人は私に言ったの『ここは君の過去なんだ。この世界は自分で行動して自分で答えを出さなければいけないんだ。君が自分の意志で行動すれば必ず君の心は変わる』って」


私の話に男性はゆっくり振り返った。


「それで……アンタの心は変わったんか?」


「ええ……お母さんに会って自分が両親にすごく愛されていたのに気づく事が出来た」


私の言葉に男性は不器用な笑みを浮かべていた。


「なんや……治験者っちゅうのはお節介なやつが多いんやな……アンタも……あの男も……まぁ…俺が行動しないと次のミッションにも行かれへんしな……まったく若い女の子から説教受けるとはな……」


男性は私の熱意に負けた様子で表情も柔らかくなっていた。私は静かに笑う男性を見ながら前を向くまでにはきっと色んな葛藤があったにちがいないと改めて思った。


「平さん。これから眞くんと奥さんの身に何が起こるのか教えてください」


「今夜……火事が起こるんや……それに眞と好子が巻き込まれる……」


「火事………そんな………」


私は思わず息を呑んだ。あんなに優しい目をしていた眞くんが火事で亡くなるなんて信じられなかった。


「家の近くまで行って様子を確認しましょう。案内してください」


「ああ、こっちや」


そして私たちは眞くんと奥さんが待つ家へ向かった。










私たちはすっかり暗くなった住宅街の中を歩いていた。


「あの日……夜の12時くらいに職場から家に帰ったんや……そしたら俺の家の方から火の手が上がってるのが見えた。俺は急いで二人を助けようとしたが火がえらい勢いで家に近づく事も出来ず……結局……助けられんかった……」


平さんは当時の状況を歩きながら話していた。淡々と話しているが表情は険しかった。


「じゃあ、この時間ならまだ間に合うって事ですね……よかったぁ……」


今回はリトライしないで済むと安心していた。もう誰かが犠牲になるのは見たくなかった。


「俺は家族に何もしてやれんかった……仕事仕事でろくに相手も出来んかったんや……ホンマに俺はダメな父親や……」


「後悔しているからこそ今から眞くんと奥さんに会ってたくさん謝らないと」


「たくさん謝るか……そうやな……俺は火事から救えんかった好子と眞に対する自責の念がずっとあるんや……怨まれてると今でも思うてる。だから二人に会うのが怖いんや……」


平さんの会話の内容や表情から後悔の大きさを窺い知る事が出来た。私は前のミッションで藤乃さんに言われた言葉を思い出した。


「平さん、このシステムの中の世界は相手がどう思っているかなんて関係ないんです。自分の過去を自分で考えて行動して自分なりの答えを出す……だから平さんが最良だと思う行動をすれば必ず答えは出るはずです」


「俺は……家族に会いたい……そして眞の誕生日を祝ってやりたい……」


私は平さんに協力してその願いを叶えてあげたかった。平さんと眞くんの寂しげな顔がダブって見えてなおさら思いが強くなっていた。


「あれが……俺の家や」


道の真ん中で立ち止まり平さんは目の前にあった自分の家を指差した。

見ると緑色の屋根の二階建ての一軒家がそこにあった。

そして庭を囲む塀の隙間から一階の明かりは確認することができた。


「これから……ここで火事が起こる……」


私は独り言のようにつぶやいた。周囲を見ても火事になる気配は今のところ全くなかった。


「家はほぼ全焼やった……火事の後、俺は家も仕事も捨てて神戸を離れたんや……この街におる事が耐えられなくなってな……」


平さんは遠い目をしてかつての我が家を眺めていた。


「火事の原因はわからないんですか?」


「当時の消防と警察の見解は不審火が原因や言うてた……俺は放火やと思うてる」


「え?放火!?」


予想外のワードに思わず私は周囲を必要以上に警戒した。


「放火やったら必ず犯人がここに現れるはずや」


「もしかして捕まえる気ですか!?」


「いや、捕まえる気はない。ただこの辺を歩いてるやつに片っ端から声かけようとは思うてる」


「そうなんですね……よかったぁ…」


私は平さんが本来の目的を忘れていない事に安心した。


「でもアンタに会うまでは犯人捕まえて吊し上げにしよう思うとったんや。アンタの言葉で目が覚めた……ありがとうな」


「いいんですよ。お礼なんて……とにかく火事を防ぐために出来る事をしましょう」


「今からこの辺を二人で見回ろう。怪しいやつがいたら俺が声かけるわ」


私が頷くと平さんは先に歩き出した。そして私はすぐ後ろをついて行った。

暗い路地を曲がり私たちは平さんの家の裏手にある通りに来た。


「ちょっと待て……」


急に平さんが立ち止まり片腕を私の前に出して静止した。


「ど、どうしたんですか?」


「この先の電柱のとこ……誰か立っとる……」


そう言うと平さんは私を壁際に誘導した。目を凝らして見ると確かに暗がりに人影が見える。


「まさか……放火魔?」


「わからん……近づいて確かめんとな……」


平さんはゆっくりと人影に近づいた。私もその後ろにピッタリとくっついて歩を進めた。

そして雲間から出た月明かりで人影が徐々に見えてきた。


「あいつは……さっきの……」


「え………藤乃さん……?」


月明かりに照らされた藤乃さんが目の前に突然現れて私の心拍数は一気に上がっていた。


「織音さん……それにさっきの治験者の……」


「お前、こんなとこで何してんねん?」


「実は………あなたが尾行していた女性の後を追ってたらここにたどり着いたんです。もしかしたらあなたにまた会えるんじゃないかと思って」


平さんの質問に藤乃さんは少し視線を落としながら言った。


「平さんと藤乃さんって知り合いなんですか?」


「ああ……アンタと会う前にちょっとな……。あの時は悪かったな……よう話も聞かんと」


「いいえ、僕の方こそ勝手にあなたのプライベートを覗き見てしまって……すいませんでした」


私と会う前に二人には何かあったらしくお互いが謝罪し合っていた。


「藤乃さん!これからここで大変な事が起きるんです!」


彼は真剣な顔で頷いたあと、すぐに平さんの方を見た。


「これから何が起こるのか僕にも教えてください」


そして平さんは彼に今までの経緯と過去の後悔を語った。





「そうなんですね………。放火魔の件は僕ら二人で今からこの辺をパトロールしますから平さんは家に帰って眞くんの誕生日を祝ってあげてください」


「ええんか?」


藤乃さんの思いがけない提案に平さんは驚き戸惑っていた。


「いいもなにも……平さんの家じゃないですか?家族が待っている家に帰るのは父親として当たり前の事ですよ」


「そうですよ!久しぶりに家族三人で楽しんでください!」


藤乃さんの言葉に嬉しくなり私も続けた。


「ありがとう……ホンマにありがとう」


「よかったら、これを眞くんに持って行ってあげてください」


「これは……?」


藤乃さんは大きめの紙袋を平さんに渡した。


「奥さんが立ち寄っていたおもちゃ屋で買ったんです。実は奥さんから眞くんの誕生日の事を聞いていたんですよ。毎年、平さんがいない事を寂しそうに話していたのが気になってしまって……だから変わりに僕からプレゼントしようと思ったんです」


照れながら話す彼の心遣いが私は自分の事のように嬉しかった。


「平さんがプレゼントを持って帰ったら眞くんきっと喜びますよ!」


「こんな見ず知らずの俺に……ありがとう、ありがとう‥…」


平さんは何度も頭を下げてお礼を言った。私は藤乃さんと目が合いお互い無言で笑みをこぼした。





「これから……自分の過去と向き合ってくるわ……」


「あっ、平さん。一つだけいいですか?リストバンドは作動してますか?」


「ああ、この世界に来た時からちゃんと動いてんで」


藤乃さんの質問に平さんは右腕のリストバンドを見せながら答えた。


「万が一の事があるかもしれないので、その時はリトライを押して火事を回避してください」


「わかった……。それじゃ……また後でな……」


平さんは自宅へ歩き出した。そして数秒後、おもむろに振り返った。


「ああ……そうや。あんたらの名前聞くの忘れてたな……」


「僕は藤乃雅臣です」


「織音遥香です」


「藤乃と……遥香ちゃんやな……」


平さんは名前を聞くと笑顔になり、また自宅に向かって歩き出した。私たちはその後ろ姿をしばらく無言で見ていた。



「織音さん、どうやってあの人を説得したの?」


彼は怪訝そうに私を見ながら聞いた。


「前に藤乃さんに言われた事をそのまま伝えただけ……それと今度は私が助ける番だから……」


私は彼にゆっくり近づき彼の胸におでこを当てた。


「また逢えたね……」


私は彼と再会できて本当に嬉しかった。


「うん……君が無事でよかった」


「藤乃さんって本当に優しいのね……会った事もない眞くんへ誕生日プレゼントを買ってあげるなんて。平さんにプレゼントを渡した時、自分の事のように嬉しかったの。あなたの優しさが今、システムの中で苦しんでいる人たちの大きな助けになってる」


藤乃さんはきっと私のような恐怖体験やトラウマがある治験者の心を本気で救いたいと思っている。彼が寄り添ってくれたおかげで私は勇気をもらい、辛い過去に向き合って自分を取り戻す事が出来た。


「僕は子供の頃、両親にちゃんと誕生日を祝ってもらえてたから……眞くんのお母さんに会った時の寂しそうな顔が忘れられなくてね……。やっぱり特別な日は家族一緒がいいよ」


私は彼から離れて改めて顔を見つめた。


「私は父子家庭だったけどお父さんは毎年、私の誕生日だけはちゃんとお祝いしてくれた。だから眞くんが誕生日なのに嬉しそうじゃないのを見て不思議だったの。でも平さんの話を聞いてこういう事ってどの家族にも起こり得ると思った」


家族は少しのすれ違いからお互いが別の方向を向いてしまう事がある。お父さんは私とすれ違いが起きないように頑張っていたと思うとすごくありがたかった。


「日常のズレみたいなものが気がつくと大きくなって修復困難になり、最後には誰もその傷自体に触れなくなってしまう……」


「それでも平さんは今から大きくなりすぎた傷を自ら触れて修復しようとしてる……」


私たちは平さんの家を見つめた。これから亡くなった家族に会い、自分の過去と対峙する平さんを思うと辛かった。


「悔しいけど……僕らはここまでしか支援できない……あとは過去の自分とどう向き合うのか……平さんを見守ろう……」



そして私は藤乃さんと暗い夜道の見回りを始めた。




















俺は自宅の前まで戻ってきた。

この世界では、まだ家はあって家族も生きている……。


9年前……俺は突然家族を失った……。

しかもよりによって息子の誕生日の日に……。


今でも寝ていると悪夢に魘される事がある。

好子と眞が『熱い……助けて……』と叫びながら俺に助けを求めている。そして夢の終わりはいつも助けようとした俺の目の前で二人が炎に包まれて消えてしまう。


火事の後、神戸を離れたが後悔と自責の念が消える事はなかった。まともな仕事にも就かずにその日暮らしの荒れた生活が続き9年もの間、自分と向き合うどころか自暴自棄になっていた。

ただ金のためにやった治験の仕事だったが、まさかこんなミッションが待っているとは思いもよらなかった……。



俺はこれから死んだ家族に会う……。



自宅を眺めながら俺は家族とどうやって接したらいいのか迷っていた。ふと、視線を落とすと手に持っていた紙袋が目に入った。


(そうや……今日は眞の誕生日や……)


さっき遥香ちゃんに言われた事を思い出した。『このシステムの中では、他人は関係ない。自分で考えて行動して自分なりの答えを出す』



「普段通りにしたらええか……」



俺は何かを決意して玄関までの短い道を歩いた。自分の家なのに必要以上に見てしまう。

9年前に燃えて跡形も無くなったはずの自宅が無傷でここに在る。

庭を見ると花壇には綺麗な花が所狭しと植えられていた。花が好きな好子がいつも庭の手入れをしていたのを思い出す……。

新婚当時に無理して買った家だった。

今思えば、あの頃は本当に幸せだった。そして家を買った次の年に眞が生まれた。

初めて眞を抱いたとき俺は一生かけて自分の家族を守ると心に誓った。眞が日々成長していく姿がただただ嬉しかった。幼い眞が初めて『おとうさん』と呼んでくれた時は飛び上がって喜んだ。


そしてあっという間に時は過ぎていった。

眞が小学校に上がる頃、会社がバブル崩壊の煽りを受け業績が悪化した。俺は会社の為に昼夜問わず働いた。

その頃から家族との時間がなくなっていった。

一生懸命働く事が家族を守る事だと無理やり自分に言い聞かせ、気がつくと家族の誕生日も忘れてしまった自分がいた。




俺はドアの前に立って深呼吸をした。そして意を決してインターホンを押した。


「はーい。どなたですか?」


ドアの向こう側から好子の声が聞こえた。

心拍数が上がる中、ゆっくりとドアが開き好子と目が合った。


「ただいま……」


自然に言葉が出ていた。好子は驚いた顔で俺を見ている。


「あなた……おかえりなさい……今日はどないしたの?」


「ああ……今日は眞の誕生日やからな。早く仕事切り上げて帰ってきた」


「そうやったの。眞もきっと喜びますよ」


ぎこちなくはにかむ俺に好子は嬉しそうな表情を見せた。

そして好子に促されて家の中に入った。見るもの全てが懐かしかった。掃除好きな好子のおかげでいつも家の中はキレイに整理整頓されていた。


「眞を呼んできますからリビングで座って待っといてください」


そう言うと好子は二階へ行く階段を上がって行った。俺は廊下の先にあるリビングに向かった。

リビングに入ると辺りを見回していた。

テーブルの位置、家具やテレビの場所もあの頃と何も変わっていなかった。そしてテーブルの上には美味しそうな料理が並べられている。

俺はいつも座っていた場所に移動して椅子を引き腰を掛けた。すると玄関の方から階段を下りてくる音が聞こえた。

それと同時に自分の心臓の鼓動が早くなっているのがわかった。そして廊下を歩いてくる音がして俺は反射的に椅子から立ち上がった。



「眞………」



そこには10才のままの眞がいた。俺はすぐにでも眞に駆け寄って抱きしめたかったが今は我慢した。


「おかえり……お父さん……今日、お仕事はもうええの?」


「あ……ああっ……今日は眞の誕生日やからな……上司に頼んで仕事を早く終わらせてもろうたんや」


ひさしぶりに聞いた息子の声。俺は眞に近づき藤乃が用意してくれた紙袋を眞の目の前に出した。


「これ……お父さんからのプレゼントや……誕生日おめでとう」


「……ありがとう……中…見てもええ?」


「ああ、お前の好みがわからんかったから適当に買ってきたぞ」


正直、俺も中身が何なのかわからなかった。眞は紙袋からプレゼントを出して包装紙を手で破いた。


「あ……ボードゲームや……」


「これはお父さんの子供の頃からあるボードゲームやな……懐かしいな。あとでお母さんと3人でやろうか?」


「うん……でも僕、ルール知らない……」


「大丈夫や。お父さんがちゃんと教えたるから」


「うん!」


眞の頭に手を置き、撫でながら言うと眞は笑顔で頷いた。藤乃のおもちゃ選びのセンスに感謝したかった。

ふと、廊下の方を見ると好子が嬉しそうにこちらを見ていた。


「久しぶりにお父さんが早く帰ってきたから一緒に夕飯食べましょう。今日は眞の好きな物ばかりやからたくさん食べてね」


好子はそう言うと俺と眞をテーブルに座るよう促した。そして家族三人が定位置に座りお互いの顔を見合わせた。


「あらためて眞、10才の誕生日おめでとう。さあ、二人とも遠慮せんと食べて食べて」


好子に言われ俺と眞は目の前のごちそうを同時に食べた。


「うまい!やっぱりお母さんの料理は最高やな……なあ、眞」


「うん!おいしい」


久しぶりに食べる好子の料理はどれも本当に美味しかった。眞も夢中で食べている。


「お母さん嬉しい。そう言ってくれると作り甲斐あるわ」


好子は本当に嬉しそうな顔をしている。そして三人で楽しく談笑しながら目の前の料理を食べた。


「ホンマに美味しいごちそうやった……これやったら毎日食べたいくらいやな」


「来月のクリスマスにも作りますから、その時はまた早く帰ってきてください」


「クリスマスか……」


好子はテーブルを片付けながら笑顔で言ったが俺たち家族には今日以外の日は二度と訪れないと思うと胸が痛んだ。家族と共に過ごす穏やかな時間はあと少しで終わってしまう。


「眞、ケーキ食べれる?」


「うん、みんなで食べたい」


眞が答えると好子は笑顔で返し、ケーキの準備を始めた。眞の目の前にホールケーキを置いて、ろうそくを10本立てる。それを眞は嬉しそうに見ていた。

眞がこんなに楽しそうにしている姿を見るのは本当に久しぶりだった。

あの頃……仕事を最優先にしていた自分は一体なにをしていたのか……こんな近くに幸せがあった事に気がつけなかった……。


「あなた、ろうそくに火をつけるからリビングの電気消して」


「あ、ああ……そうやったな……」


好子に促され俺は椅子から立ち上がった。そして電気のスイッチがある場所に移動した。


好子がライターでろうそくに火をつけていく……。

最後の1本に火がついたところで俺は電気を消した。暗くなった部屋にろうそくの明かりが優しく灯っていた。その優しく揺れる炎を二人は少しの間ながめていた。




(火………火事………燃える………)



不意にいつも見る悪夢が脳裏をよぎった。

俺は必死に頭を振って悪夢を振り払おうとしていた。だが全身から汗が噴き出して動悸が早くなっているのがわかった。


そして9年前の火事の光景がフラッシュバックした。


俺は足元がふらつき、まともに立てなくなっていた。


「あなた、もう電気つけて大丈夫よ」


好子の声は聞こえるが身体が思うように動かなかった。そして次の瞬間、俺はその場に座り込んでいた。


「あなた!どないしたの!」


好子がそばに駆け寄り電気のスイッチをつけた。


「大丈夫ですか?顔色悪いやないの……ベッドで休みます?」


「大丈夫や……ちょっと立ち眩みしただけやから……」


一呼吸おいて、ゆっくり立ち上がるとケーキに立てたろうそくの火は消えていた。


「1年に1回の大切な日やからな……さあ、みんなでケーキ食べよか……」


俺は椅子に座り直した。眞が心配そうに俺を見ている。


「大丈夫や、お父さんちょっと疲れとるだけやから……心配せんでええ」


眞の頭を撫でながら言った。俺は好子に目配せをして頷いた。好子は困った表情を見せてキッチンに入って行った。

そしてキッチンからケーキ用のナイフを持ってきてケーキを切り始めた。


「僕、一番大きいのがええ」


「はいはい、わかってますよ」


好子は切り終えたケーキをお皿に置いていった。そして使い終わったナイフとケーキの箱をキッチンに運んでいた。


「ケーキ食べる前にちょっと待ってね」


好子の声に俺と眞は言われた通り食べずに待っていた。するとキッチンから出てきた好子の手にはプレゼントの箱があった。


「眞、これお母さんからのプレゼント」


「中身は何やろな?楽しみやな!眞」


眞は嬉しそうに受け取ったプレゼントの包装紙を破いた。


「あ!ゲームボーイとポケモンや!」


「ずっと欲しいって言うてたからお母さん今年は奮発したんよ」


貰ったおもちゃに釘付けになっている眞を見ながら好子は自慢気に言った。


「でもゲームのやり過ぎはあかんよ。ちゃんと勉強もせんと……約束できる?」


「うん!約束する!ありがとう。お母さん」


母と子のやり取りを見て俺は自然と笑みがこぼれていた。


「眞、ゲームは後にしてケーキ食べよう」


眞は貰ったゲームをテーブルに置き、好子も椅子に座ると家族三人でケーキを食べ始めた。

一口食べると優しい甘さが口いっぱいに広がった。ケーキなんて物を10年以上食べてなかったので改めてその美味しさに感動していた。


俺はケーキから視線を上げ二人を見ると笑顔で美味しそうに食べていた。俺はそんな二人を見て目頭が熱くなっているのに気がついた。



(これが……家族なんだ……俺が守らなくてはいけなかったのは……この景色だったんだ……)



俺は下を向いて涙をこらえた。


「あなた……口に合いませんか?」


「いや、美味すぎて味を噛みしめとったんや。このケーキはホンマに美味しいな」


俺は残っていたケーキを一気に口に入れた。


「食べ終わったら3人でさっきのボードゲームやろか?」


ケーキを食べている2人の顔を交互に見ながら言った。



「うん!やる!」


「私にもできるかしら……?」


「簡単やから大丈夫や」



食べ終えたお皿やフォークを片付けてテーブルの上にボードゲームを広げた。

俺は2人にルールを丁寧に説明した。最初はぎこちなく始まったがルールが解ってくると眞も好子も時間を忘れて熱中してゲームを楽しんでいた。

家族三人だけの時間が流れていた……そこには俺が失った全てが詰まっていた。



「あら、もうこんな時間。眞、明日も学校でしょ?お風呂入って寝んとあかんよ」


好子の言葉に反応して壁にある時計を見た。

時間は夜の9時を過ぎていた。


「僕………お父さんとお風呂入りたい……」


「久しぶりに二人で背中の流しっこしよか?」


俺が嬉しそうに言うと眞は笑顔で頷いた。


「その前にお風呂入るのは、ここ片付けてからにして」


「はーい」


眞と俺は同時に返事をしてテーブルの上のボードゲームを片付けた。


「眞、着替えを部屋から持ってきなさい。あと、ここのプレゼントも部屋に持って行って」


「わかった」


眞は貰ったプレゼントを持って2階へ行った。そして好子はキッチンで洗い物をしている。俺はその様子を近くで見ていた。


「あなた、今日ねぇ。眞が学校から帰ってくるなり私に『今日はお父さん、早く帰ってくるかもしれない』って言うてたんですよ。そしたらホンマに帰ってきたから二人でビックリしてたんです……それと今日はありがとうございます。眞があんなに楽しそうにしてるの見るの久々やったから……あなたと一緒にいれてホンマに嬉しかったんやろうね」


好子は洗い物をしながら、こちらに顔を向けて笑顔で言った。


「好子………ずっと苦労かけさせて……すまんかった……俺はホンマにダメな父親や……でも今日だけは良い父親でいさせてくれ……」


俺は好子に謝罪の意味も込めて頭を下げた。それを見た好子は水道を止めてタオルで素早く手を拭くと、すぐに駆け寄った。


「謝らんといてください。あなたが家族のために一生懸命働いてるのはわかってるんです。だからもう頭を上げて」


好子は俺の肩にそっと手を置いた。


「眞が待ってますから……あなたの着替えは用意しときますね」


顔を上げると好子の顔が近くにあった。好子の何気ない会話や仕草が愛おしい。俺はできるだけ家族を目に焼きつけておきたかった。


「ああ、ひさしぶりに眞とお風呂楽しんでくるわ」


そしてリビングを出て廊下からお風呂場へ向かった。




















街灯の少ない夜道を僕と織音さんは歩いていた。


「さっきから全然、人に会わないね」


織音さんは僕のそばにピッタリくっつきながら言った。確かにずっと家の周辺を歩いているが誰とも会わなかった。


「そうだね……これだけ会わないと異様さを感じるな……」


空を見ると丸くて大きな月が出ていたが雲に隠れて月明かりの光を遮って当たりは薄暗かった。


「平さん、眞くんの誕生日楽しんでるかな?」


「きっと楽しんでるよ。だからこそ早く放火魔を見つけ出さないと」


「そっ、そうよね。せっかくの家族団欒を邪魔させるわけにはいかないもんね」


僕らは改めて周囲を警戒した。そして平さんの家の裏手に移動した。この辺は街灯が一つしかなく、僅かな月明かりで、かろうじて周囲が見えるくらいだった。


「藤乃さん……誰かいる……」


「え……?」


ゆっくり歩いていると、後ろから織音さんに肩を叩かれた。前をよく見ると向こうから何者かが僕らの方に近づいてきているのが微かに見えた。

僕らが立っている位置がちょうど街灯の真下だったので、こちらからは人の形のシルエットしか見えていなかった。おそらく向こう側からは僕らの姿は見えているんだろう。

そしてシルエットは僕らがいる場所から5メートルくらい先で立ち止まった。


「そのリストバンドは……システムの体験者の証……」


「あなたは……治験者なの……?」


シルエットから声が聞こえ織音さんがおそるおそる質問をした。


「私は……この世界を創造した存在だ……」


「創造……存在……?」


僕はシルエットの言葉の意味が理解できなかった。


「このシステムの開発者ってこと?」


僕の後ろから織音さんがすかさず質問を返すとシルエットは不敵に笑っていた。


「若者は物分かりが早くていい……少し訂正するとシステムの理論を考案したのが私だ……」


三神さんが言っていた兄弟の事が僕の頭をよぎった。


「昔……父から聞いた事がある。医学の未来を変えるシステム理論を考案した兄弟の話……名前は……確か……榊兄弟」


「若い女性に知ってもらえているとは光栄だね……そしてまた訂正させてもらうと基礎的な理論を考えたのは私だ。出来の悪い弟はただ私にくっついていただけだ。私の功績をまるで自分の物のように……あの裏切り者……」


彼の言葉から憶測すると僕の目の前にいる人はシステム開発者の榊兄弟の兄の方になる。


「あの裏切り者のせいで……今の私は不自由な体になってしまったんだ……」


どうやらこの人は弟の事を相当、怨んでいるようだ。


「その考案者さんが一体、こんな所で何をしているの?」


後ろにいたはずの織音さんが気がつくと僕の隣に立っていた。


「もしかして君たちは……誰かの恐怖体験を阻止しようとしているのか?」


「そうです。僕ら治験者はシステムトラブルで過去の恐怖体験を強制的にミッションとして体験させられているんです」


「システムトラブル……そうか……フフフッ」


僕は現状を切実に訴えたが榊兄は何故か笑っていた。


「何が可笑しいのよ!私たちは悲劇を繰り返さないように、今だって放火魔を探してるんだから!」


「織音さん!言うな!それ以上は!」


声を荒げる織音さんを制止すると彼女はハッとして手で自分の口を塞いだ。


「放火魔……そうか……この家に恐怖体験をする治験者がいるんだな?」


僕は戦慄した。この人は普通じゃない……何か化け物じみたものを感じる。


「君たちが言うこのシステムトラブルの原因が私にあるとしたら、君たちはどうするかね?」


榊兄の意味深な質問に言葉を失った。このシステムトラブル自体が全て仕組まれていたなんて……僕らにとったら受け止め難い事実だった。


「あんた!天才科学者かなんか知らないけど人の過去の傷を弄んでどういうつもりなのよ!」


隣で織音さんがすごい剣幕で怒っていた。彼女のこんな姿を初めて見たので僕は若干驚いていた。


「まあ……落ち着きたまえ。私にとったら治験者はあくまで研究対象でしかない。人間的な感傷など科学の進歩には不用なものだ。君たちも馬鹿な弟と同じような事を言うのか……?」


そしてシルエットの榊兄は片手を自分の前に出した。


「私は研究の為なら何でもするさ……君たちもこれから起こる事をよく見たまえ。私はこの世界の創造主……そしてこれが神になった証だ……」


榊兄は前に出した手の指をパチンと一回鳴らした。



次の瞬間、平さんの自宅が一気に炎に包まれて燃え始めた。


「平さんの家が……そんな……」


織音さんの絶句した声が聞こえた。僕も目の前で起きている事が信じられなかった。

暗かった道が炎で急に明るくなり僕は榊兄の姿を始めて見た。


黒いスーツ姿、細身で身長は175センチくらい見た目は40代前半……そしてあの目だ。絶対的に自信に満ちた目、他人を見下した表情、この人から人間らしい部分は全く感じられなかった。


「さあ、どうする?中途半端な正義感では他人を救う事なんて出来ないぞ」


炎に照らされた榊兄は不敵な笑いを浮かべながら言った。僕は今まで感じた事のない強い怒りを覚えた。


「違う!中途半端な正義感なんかじゃない!人は誰しも悲しい過去を持っているんだ……僕もこのシステムを体験するまではわかったつもりでいただけだった……彼女の悲しい過去を一緒に体験してわかった。誰かが近くで寄り添ってあげないといけないって……何も出来ないかもしれない……けど、誰かが近くで支えてあげないと弱い人間の心は簡単に潰れてしまうんだ!」


僕は榊兄に向かって叫んでいた。そしてすぐ織音さんに顔を向けた。


「織音さん!行こう!平さんの所へ」


「うん!」


僕の言葉に彼女は力強く頷いた。


「榊さん……人間はみんな未完成で不器用なんです。だからこそ僕らは誰かと心を繋げる事ができるんです」


僕はそれだけ言うと燃えている家を横目に織音さんと玄関の方へ走ってむかった。



「まあいい……私の研究の邪魔さえしなければ。それに治験者が集まって知恵を絞ったところで高が知れている……」


炎に包まれる家を一瞥して、榊毅仁はまた指を鳴らし、どこかへ転送されていった。






「藤乃さん!ごめんなさい。私……余計な事を言って……」


「仕方ないよ。あの人にあんな力があるなんて僕も想像出来なかった。きっと平さんがリトライボタンを押すはずだから大丈夫」


僕はあまり心配していなかった。そして僕らは家の正面に着いた。思っていたよりも火の勢いはすごく、ここからでもかなり熱かった。


「平さん、…どうしてリトライボタンを押さないんだ……?」


こうしている間にも火の勢いはどんどん増していく。僕は無意識に前に向かって歩き出していた。


「平さん!早くリトライを押すんだ!」


僕は玄関に向かって叫んだ。しかし、何の反応もなかった。


「藤乃さん!危ないから下がって!」


織音さんが僕の体に抱きついて後ろに下がった。家はパチパチと音を立てて燃え続けていた。

炎が上がっているちょうど真上に大きな月がいつもと何も変わらず昇っていた。


僕らはただ……家の前に立ち尽くして見ている事しか出来ずにいた……。





















俺は風呂場の脱衣所のドアを開けた。しかし、そこに眞の姿はなかった。

洗面所の前に立つと鏡に映った52歳の平稔がそこにいた……。


「俺だけが年を取ってるな……」


シワやたるみの増えた顔をよく観察していると脱衣所のドアが開いた。見ると俺の着替えを持った好子だった。


「あら……眞はまだですか?」


「ああ、準備に手間取ってるんやろ」


「私が呼んできますから先に入っててください」


「わかった」


好子は着替えを置いてドアから出て行った。

俺は上着に手をかけて脱ごうとした。


「キャーーー!!」


突然、好子の叫び声が聞こえた。俺は急いでドアを開けて外に出た。階段の方に目を向けると好子が座り込んでいた。そして廊下の先にあるリビングを見ると激しい炎が上がっていた。俺はすぐに好子の元に駆け寄った。


「大丈夫か?」


声を掛けたが俺の声は届いていない様子だった。


「好子!しっかりせえ!」


俺は大声を上げた。すると好子はビクッとしてこちらを向いた。


「あ、あなた……家が……」


「わかってる、お前は先に外で待っとけ。眞は俺が助ける……」


俺は階段を見上げながら言った。そして好子をゆっくり立ち上がらせて表情を見ると答えに迷い戸惑っていた。


「家族みんなで助からんと意味がないやろ?必ず眞を連れてお前の所に行くから待っといてくれ」


俺の言葉を聞きながら好子は泣いていた。


「眞のこと……お願いします……必ず無事に戻ってきて……」


「当たり前やろ。来年も再来年もずっと家族で眞の誕生日お祝いしたいしな……」


俺は好子の涙を人差し指で拭きながら笑顔で言った。


「外に出たら若い男女が二人おるから、そいつらに助けてもらえ……さあ行け!」


玄関の方へ好子の背中を押した。好子は振り返らず玄関を開けて外に出た。

それを見届けると改めて二階を見た。俺は体勢を低くして服の袖で口と鼻を覆って慎重に階段を上がった。二階に上がると目の前は煙で何も見えなかった。


「眞!どこや!」


煙を吸い込まないように呼吸に気をつけながら叫んだ。ふと、利き手のリストバンドが目に入った。



(リトライ………いや、俺は今の家族がええんや………)


もしリトライをしてやり直したら、この家族ではなくなってしまう気がした。好子の料理とケーキを美味しそうに食べていた眞……プレゼントを貰って喜んでいた眞……ボードゲームに夢中になっていた眞……一緒にお風呂に入りたいと言ってくれた眞……今度は絶対に助けたい。9年前はただ燃えていく家を見ている事しか出来なかった……。



「もう……あんな思いは……二度としたないんや……」



体勢を低くしているので早く動けない。急がないと火の手が二階に迫ってきてしまう。

自分の記憶を頼りに壁づたいに移動した。

視界はとても悪い。前は煙でほとんど見えなかった。


(確か……ここに眞の部屋があったはず……)


俺は手探りでドアノブを探した。


「あった!」


俺はドアを開けて中に入った。


「眞!!」


部屋の中央でうつ伏せで倒れている眞が見えた。俺は眞に駆け寄り抱きかかえて顔を見た。


(意識がない………)



「おい、眞……しっかりせえ……おい…頼む…」


眞の頬を軽く叩きながら声を詰まらせた。


「嫌や……もう家族が死ぬのは……嫌なんや……」


「ゲホッ!ゴホッ、ゴホッ!」


突然、眞が噎せ出した。俺はハッとして眞の顔を見た。


「おとう……さん?」


「眞……お前……大丈夫なんか?」


俺は涙声になりながら聞いた。眞は小さく頷いた。


「僕……今日嬉しかった……お父さんとお母さんが仲良くしてるのひさしぶりやったから……」


眞はかすれそうな声で小さく言った。眞の顔が涙で歪んで見える。


「お父さん……お願い……僕…勉強もするから……お父さんとお母さんと……もっと一緒におりたい……もっと家族でおりたい……」


「ああ、これからは何があっても家族ずっと一緒や……だから眞……絶対に死んだらアカンぞ!」


眞はゆっくり頷くと目を閉じた。俺は眞の手を取って握りしめようとした。すると、眞は手に何か持っていた。

それは一枚の写真だった。眞の手から写真を取って見ると家族で昔、遊園地に遊びに行った時のものだった。親子三人で遊園地のキャラクターと一緒に撮った写真。三人ともすごく楽しそうに笑っていた。

近くにはアルバムと写真が散乱していた。きっと眞は火事に気がついてずっとこの写真を探していたんだろう。眞にとったらこの写真がどんな物より宝物だったに違いない。

俺は写真を自分の服の胸ポケットに入れた。そして眞を抱きかかえて外に脱出しようとした。

部屋から出ると二階まで火の手が上がっていた。俺は急いで一階へ降りる階段に向かった。


「眞、もう少しだけ辛抱せえよ。絶対に助けたるからな……」


俺は階段から一階を見た。もう玄関の方まで火が回っている。絶体絶命の状況だった。階段を下りて玄関まで行こうかと躊躇していると何故か一瞬だけ火の勢いが収まった。

俺は決死の覚悟で一気に階段を駆け下りた。そして一階に着くと同時に火の勢いは増した。


自分の事なんて二の次だった。


『絶対に眞を助ける』


これだけを考えて廊下を駆け抜けた。そして熱くなった玄関ドアに手をかけて外へ飛び出た。





















家が燃え始めて、どのくらい経っただろうか……時間の感覚が全くわからなかった。

織音さんは僕の隣で不安そうに燃えている建物を見ている。ただ眺めている事しか出来ない自分が腹立たしかった。


「あっ!藤乃さん見て!」


織音さんが隣で玄関の方を指差し声を上げた。見ると、玄関から女性が一人飛び出してきた。


「あれは…平さんの奥さんだ!」


僕は走り出していた。そして玄関先で倒れ込んだ好子さんに駆け寄り抱き起こした。


「大丈夫ですか!?」


「あなたは………?」


好子さんは僕の顔を見ると怪訝そうに言った。平さんがリトライしたせいで好子さんは僕の事を忘れている様子だった。


「平さんの知り合いです。平さんと眞くんは?」


「あっ、あの人は眞を助ける言うてまだ中に…」


僕の質問に玄関の方を振り返りながら震える声で答えた。


「藤乃さん!一人で無理しないで!ここは危険です。早く離れましょう!」


織音さんが後ろから僕らのところに駆け寄りながら言った。


「ごめん。奥さんを安全な場所に運ぼう」


「奥さん、しっかりしてください」


「あっ、ありがとうございます……」


僕と織音さんは好子さんを敷地の外に運んだ。


「平さんと眞くん……大丈夫かな……」


「たぶん……大丈夫やと思います……あの人はこうと決めたら信念を曲げない人やから……」


織音さんの問いに好子さんは遠くを見つめながら独り言のように呟いていた。


僕は不意に周りの家々を見回した。そういえば、これだけの火事なのに近所の住人が誰も火事に気づいていない。あまりにも不自然だった。

さっきの榊兄の力が関係しているんだろうか……もしかしたら恐怖体験を強制的にさせる為の演出なのかもしれないと余計に勘ぐってしまう。


「でも急がないと、火がどんどん大きくなってる……」


隣で織音さんが焦りの表情を見せながら言った。僕は居ても立ってもいられず、玄関の方へ歩き出そうとした。


「待って!藤乃さん!まさか助けに行く気?無茶よ!やめて!」


彼女は僕の腕を掴んで必死に引っ張った。


「でもこのままじゃ二人が!」


僕は必死に腕を引っ張る彼女を見ながら言った。




「あなた!!眞!!」


近くにいた好子さんが急に大声を出して走り出した。玄関に目をやると眞くんを抱きかかえた平さんが外へ飛び出してきた。

織音さんはそれを見て僕を引っ張る力を緩めていた。僕も安心して肩の力が抜けているのがわかった。


そしてどこからか……消防車のサイレンの音が聞こえてきた。


「これで僕らの役目も終わりだ……」


僕は織音さんに力の抜けた声で呟いていた。




















  



玄関のドアを開けて外に飛び出すと前から好子が泣きながら走ってきた。


「あなた!!眞!!」


そして抱いていた眞を好子に渡すと強く抱きしめながらその場に座り込んだ。


「よかった……ホンマによかった……」


好子は目に涙を浮かべていた。それを見てやっと俺もホッとした気持ちになった。


「お母さん……痛い……」


眞が目を覚まし苦しそうな声を上げた。


「あっ、ごめんね。眞……痛かった?」


好子は強く抱きしめた手を緩めて眞の顔を改めて見ていた。


「好子……じきに消防車が来るから安全な場所に移動せんとな……」


この提案に好子は俺の顔を見つめて頷いた。過去のトラウマが残る場所から今はとにかく離れたかった。

俺は燃えている家を見ないように三人で敷地の外へ移動した。すると、藤乃と遥香ちゃんが心配そうに近づいてきた。


「平さん!大丈夫ですか?」


「ああ、心配かけたな……もう大丈夫や」


俺は家族を助ける事が出来た。長年感じていた重たい何かから解放されたような気分だった。


「眞くん!無事だったのね!よかったぁ」


遥香ちゃんが眞に抱きついて喜んでいた。眞もそれに笑顔で答えていた。


「消防が来る前に安全な場所へ行こうや」


「そうですね……平さんに色々と話があります」


近くにいた藤乃に言うと真面目な顔で答えた。


消防のサイレンの音が大きくなってきた。おそらくすぐそこまで来ているんだろう。


俺たちはその場を離れるため移動を始めた。




自宅から歩いて10分ほどの公園に来ていた。藤乃と遥香ちゃんは家族に気を使って公園の外で待ってくれている。

俺はベンチに座っている好子と眞のそばに立っていた。


「ああ、そうや……眞、大事なもん忘れるとこやった」


服の胸ポケットに入れていた写真を眞の、前に出した。


「お父さん、それ持ってて。家族の宝物やから」


「そうか……わかった」


俺は写真をポケットに入れ直した。


「好子、あの二人に話があるから……ここでちょっと待っといてくれ……」


俺が言うと好子は優しく頷いた。



もうすぐ俺のミッションも終わる……家族と別れが来る……



俺は堪らなくなり好子と眞を同時に抱きしめた。


「好子……眞……ホンマにありがとう‥…」


この言葉に全てが詰まっていた。9年の間、ずっと苦しんできた。毎年、自分だけが年を取っているのが辛かった。周りの環境は日々変わるのに俺の心だけが取り残されているような気分を毎日感じていた。仕舞いには世間や社会まで意味もなく恨んだ事もあった。でも心の中で止まっていた時計の針がようやく動き出した。


「急にどないしたの?」


「意味なんてあるかい。感謝したいからしてるんや……」


今はただ別れの前の最後の余韻に浸りたかった。この瞬間を忘れないようにしたかった。自分には家族がいたと改めて感じていたかった。

そして抱きしめていた腕を解いて立ち上がり改めて二人を見た。


「ええ加減……あいつらのとこ行かんとな……」


俺は後ろ髪を引かれる思いで振り返り……そして歩き出した。



これでもう会えない……。

本当に本当の別れ……。


俺は下を向きながら公園の外で待っている二人のいる所まで歩いた。




「稔さん!ちょっと待って!」



後ろから好子の声が聞こえ振り向くと小走りでこちらに近づいてきた。


「これで……もうお別れなんでしょ?」


好子の質問にドキッとして言葉に詰まった。


「私……何となくやけど……気づいてた。稔さんが稔さんやないこと……上手く説明できないけど……」


もどかしそうに言う好子に俺は戸惑っていた。


「いつからや……?」


「最初から……玄関のドアが開いて稔さんの顔見た時から気づいてました。あなたと何年一緒におると思うてるの?」


俺は唖然として言葉が出なかった。それをわかっていてずっと演技していたのか……。


「あなたが何処から来たのかはもう聞きません。でも……もしも私と眞の事で苦しんでいるのなら一言だけ言わせて下さい……」


俺はただ立ち尽くし……好子の次の言葉を待っている事しかできなかった。



「どうか…稔さんの人生を生きてほしい。私と眞の事は気にせんといてください」



俺は気がつくと目に涙が溢れていた。

ここにいるのは本物の好子なんじゃないか……システムが創り出した幻なんかじゃなく……好子の魂が俺に直接語りかけているのではないか……。そう思うと涙が止まらなかった。そしていつも家族に助けられていたのは俺の方だった。


「俺は……ずっと負い目を感じてた。家族を幸せに出来んかった自分を……せやから……」


力のない声で言うと好子は首を左右に振った。


「私も眞も不幸やなんて思った事は一度もありません。確かに寂しい思いはたくさんしましたけど……でも家族ってそういうもんやないんですか?辛いことも悲しいことも一緒に乗り越えるのが家族やないんですか?」


悲しい顔で訴える好子の言葉で気づかされた。火事で家族を失ってからずっと俺は自分が不幸で可哀想な人間だと思い込んでいた。それが9年間、言動や行動に出てしまっていた。こんな俺の姿を見たら好子や眞はきっと悲しむに決まっている。


それは単なる独りよがりだったと俺は改めて思った。


「いつでも稔さんの事を考えている人がおる事を忘れんといてください」


俺はその場にしゃがみ込んで泣いた。そして好子は泣いている俺を優しく抱きしめた。


「私と眞は大丈夫ですから……」


耳元で好子が優しい声で囁いた。好子の言葉一つ一つで俺の苦しかった9年が浄化されていく……。



「お父さん……お母さん……どないしたの?」


好子の後ろで眞が心配そうに見ていた。俺はすぐに涙を拭って立ち上がった。


「眞、お父さんとまた暫く会えなくなるからお別れを言いなさい」


好子も立ち上がりながら気丈な態度で眞に言った。


「うん……でもお父さん……また遊びたいから早よ帰ってきて……」 


寂しそうに言う眞の姿が本当に愛おしかった。


「眞、お父さんが抱っこしてやるから来い」


「うん!」


頷きながら近づいてきた眞を両手で抱えた。


「重くなったなあ……もう10才やもんな」


眞は恥ずかしそうに俺の顔を見ていた。


「俺のいない間、お母さん守ってあげなあかんで、できるか?」


「うん、僕もお父さんみたいに家族守りたい」


この言葉が何よりも一番嬉しい。そして眞を下におろして頭を撫でた。


「そろそろ……行くわ」


俺は二人にそれだけ言って公園を出た。


これでいい……これ以上は未練が残るだけだ‥…。




公園を出てすぐのところに藤乃と遥香ちゃんが立っていた。


「待たせて悪かったな……」


「もういいんですか?」


「ああ、これ以上一緒におったら未練が残るしな」


俺の表情を見て二人は顔を見合わせた。


「平さん!すいませんでした。火事を食い止められなくて……」


「ごめんなさい!」


「別にもうええよ。家族は無事やったし……俺の方こそリトライ押さんで悪かったな」


おそらく二人は俺がリトライを押さなかった事で相当気を揉んでいたに違いない。結果的に火事にはなったが家族を助けるという目的は果たされた。


「それで放火魔は見たんか?」


「いいえ……放火魔じゃなくて、このシステムの開発者に遭遇しました……」


藤乃が神妙な顔で言った。だが遥香ちゃんを見ると何か怒っている様子だった。


「開発者……まさか榊毅仁と知仁の兄弟か?」


俺もこの兄弟の名前は聞いた事があった。医学会に革命を起こした天才兄弟。当時のニュースやワイドショーで嫌になるほど観た記憶が残っていた。


「僕らが会ったのは兄の毅仁の方です」


「ほんと、最悪よ……あの男……思い出すだけで腹が立ってくるわ」


二人の反応を見ると、どうやら人柄の良い人間ではなさそうだった。


「でもおかしいな……確か榊兄弟は一年前に行方不明になってるはずや」


行方不明の話は新聞で読んだ気がした。現在、俺たちが体験しているシステムの完成直後に忽然と姿を消したと……確か以前にテレビの特番で兄弟の行方を探しているのを観た事があった。それだけインパクトの強いショッキングなニュースだったんだろう。


「実は……平さんの家を火事にしたのが榊毅仁なんです……」


その事実に俺は一瞬、言葉を失った。


「不思議な力を使って平さんの家が急に燃え出したんです!」


オーバーアクションをする遥香ちゃんを見ながら俺は首をかしげた。


「わからんなあ……何が目的なんやろ?」


とにかく今は榊毅仁に関する情報が無さすぎてわからない事が多い。


「本人は研究の為だと言ってました。あとこのシステムトラブルの原因を作ったのも自分だとも……」


藤乃が言ったあと、しばらく沈黙が起こった。気づくと三人は無言で考えていた。


「まあ、今の段階ではわからん事が多すぎるな‥…一つだけわかってるのは榊毅仁は敵っちゅう事だけやな」


「次のミッションでも榊毅仁に遭遇する可能性が高いので注意した方がよさそうですね」


榊毅仁に対する注意喚起をする藤乃を見て俺は宙を見上げた。


(そうか……まだミッションは続くんや……)


「さあて……次は誰のトラウマなんやろな?」


「どんなミッションでも私たちが協力すればきっと大丈夫ですよ!辛い過去を経験した者同士、分かり合えるはずです!」


「遥香ちゃんはいつもポジティブでええなあ。おかげで元気もらえるわ」


彼女は照れながら笑っていた。だが、この三人ならやれそうな気はしていた。


「次のミッションでまた違う治験者に出会ったら可能な限り支援をしましょう」


藤乃の言葉に俺も遥香ちゃんも力強く頷いた。そして俺はリストバンドに触れて液晶画面を出した。


「藤乃、遥香ちゃん、…ホンマにありがとうな。二人のおかげで本当の意味での家族を知る事ができた。眞も好子も俺の心の中でずっと生き続けてくれる。自分で行動して自分で答えを出す。この意味がやっとわかった気がするわ」


俺は素直に感謝を言った。この二人と出会わなければ今の俺はなかった。避けていたトラウマに敢えてぶつかる事で心の中にあった黒い塊みたいな物が一気に砕けた。大袈裟ではなく魂が洗われたような清々しい気持ちになっていた。


「僕らも家族の為に最後まで諦めなかった平さんの姿を見てとても勇気をもらいました。きっかけさえあれば人はいつでも変われるんです。でも変わる為には相当なエネルギーと覚悟が必要なのも事実です」


藤乃の言う通りだ。俺はこのミッションに自分の全てを注いだ。だからこそ家族を救い、過去の自分と向き合う事ができた。


「次のミッションの治験者にも……私たちの思いが伝わるといいな……」


「きっと大丈夫や……じゃあネクスト押すで」


「お願いします」


俺はNEXTのボタンを静かに押して心の中で好子と眞に別れを言った。


そして目の前が真っ白になり俺たちはまた何処か違う世界へ転送されていった。


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