タルトをもとめて 前編
アルミンは匂いをかぎ分けるかのように鼻を犬のようにクンクンさせては民家を窓から覗き込み、目的であるブルーナタルトを探し求めた。時折オーズの姿を見かけた領民がその大きさに恐れおののき、
「ひえっっ!?ね、ねずみ?」
思わず片足を上げて慌てふためく姿が度々見られた。中にはホウキを持って追いかけるも、オーズのすばしっこさには手も足も出なかった。
ある民家では、ブルーナの菓子が忽然と消えるなど不可解なことが沸き起こる。アルミンはオーズの姿にはお構いなしに民家に侵入しては菓子を口に放り込み文字通り食べ歩きを実行していた。本人に至ってはあくまでもつまみ食いのつもりだ。
「んーどれもこれも旨い!いやしかし、肝心のブルーナタルトっていうのはどこだ?」
『ブルーナタルト』という単語しか興味がない為、領民が話していた肝心の場所がどこだったか忘れてしまっていた。確か、宿屋と言っていたのは覚えている。なんていう名前だったか。
これまでの数日間、民家で頂いた菓子は、すり潰したブルーナが練り込まれたパンや果肉の入ったゼリー、中央にジャムが添えられたクッキー等。肝心のタルトらしきものは見当たらない。
一週間もすると、“菓子が消える”という噂が広まったのか、テーブルや台所に無防備に置いてあった菓子類が、冷蔵庫や高い棚等にきっちりと保管され始め、つまみ食いも容易く出来なくなってきた。これまでは民家中心だったが、そろそろ本命である宿屋を廻るかと本腰を入れることにした。
宿屋はこの街には四ヶ所あり、そのうちの三ヶ所は至って普通の宿屋だった。最後の一つは人通りの多いメインストリートの中心部にある。街の中央広場を中心に、東西南北に位置する門を繋いだ十字路だ。宿屋があるのは広場に面した南西の一角だ。
だがあそこは食堂も兼ねていて客足が途絶えることがなく、開放的なテラス席がある。人目は避けられない。さすがのアルミンもテラス席をつっきることは困難極まりない。店内ではオーズの姿も目立つ。かといってオーズを置いて一人で侵入するには、アルミン自身は俊足ではないため失敗すればさすがにつかまるだろう。姿は消せても、人間の目に映らなくするだけであって存在事態は幻ではないのだ。万が一人間に触れでもしたら存在が明らかになってしまうだろう。
この世界には、魔力を持った人間や、魔力を込めて作りだした魔道具が存在した。だが普通の人間は魔力を持たない。人間でも妖精族なみに強大な魔力を持つ者は少なからず存在するが、少なくともこの街の領民にはそれは感じない。これまで侵入した民家には魔力を持ち合わせた人間とは遭遇しなかった。
だがこの街には、武術を商いにして魔獣討伐や大陸間の業務請負を生業とした所謂“便利屋”のような者達が多く街に滞在していた。彼らを総称して冒険者と呼ぶ。その冒険者を統括する冒険者ギルドもまた、メインストリートに存在する。当然のごとく、宿屋を賑わすのはこの冒険者達が半数を上回っていた。
そして最も注視すべき点は、冒険者の一部には魔力を保有し、火や水といった属性を操る魔法を扱える者が存在するということだ。彼らは食堂や酒場に一人はいるもので、小人が姿を消していても、魔力を感知できる彼らの視界に少しでも入ればいとも簡単に感知されてしまうことだろう。周囲の人間に認知されてしまえば、瞬く間に囚われの身となりかねないのだ。街中を堂々と歩けない理由はそれだ。常に危険と隣り合わせである。
では妖精であるオーズはどうであるかと言えば、肝心の魔力をまったく持ち合わせていなかった。妖精とはいえ、魔力を欠片も持たない彼らは、実のところ、ただのネズミと然程変わらない生命体なのだ。
ネブーは言ってしまえば、逃げ足の早さと害虫の処理だけが取り柄の種族である。
森に住む小人達にとっても、地中に住むネブーに頼めば瞬く間に畑の害虫を食べ尽くしてくれるのでとてもありがたい存在だ。また、大地に穴を掘って地中深くに巣を作るため、土を耕す役目も担う。彼らが住まう田畑は食物がよく育つ。故に、農作業には欠かせない存在だ。
ちなみにアルミンが旅の相棒にオーズを選んだ理由は、単にマイペースな性格と外見の好みだけであったりする。
人間社会には小人のような人外を捕まえて愛玩道具にしたり、黒魔術等の実験に使う為に裏で売買する闇商会が裏社会に根付いている。その根はいたる所に息を潜め、深くはびこんでいる。彼らはコレクターと呼ばれ、妖精たちの天敵であった。そんな悪どい彼らの手に落ちれば、実験動物にされるか、闇商会に売り飛ばされかねない。
その上この時期は毎年、ブルーノル主催の聖女を崇める祭が開催されてきた。冒険者や商人がこぞって集まり、人口は日々増加しつつある。さらには街中で畑荒らしのネズミの駆除依頼を優先すべきだという話もちらほら小耳に挟んだ。
アルミンとてこの身に降りかかる危険度が計り知れないことは重々承知の上だったが、領民の手を掻い潜り、間一髪ですり抜けるといった、久々に感じる手に汗握るスリル感を味わってもいた。捕まるかもしれないというリスクを背に感じながらも、逆に人出の多いことを逆手に取り、幾度となく慌てふためく人間の手から華麗にすり抜けては窮地を脱した。祭を前にして気持ちがそれ程高揚していた。
それはやがて自信にも繋がり、上手く身を潜めれば祭りを拝むことすら出来るかもしれないとさえ思えた。普段はもう少し慎重に動くアルミンだったが、なぜかこの時はなんでもこなせる気がしてならなかった。
しかし、いざ目的地である宿屋を前にし、宿の前の大通りに行き交う冒険者の密集する様をまじまじと観察していると、さすがのアルミンも尻込みし、ゴクンと喉を鳴らす。一泊置くと、登り詰めた血が一気に冷めた。冷静にならざるを得なかった。
ふと街中をさっと見回してみれば、肩がぶつかり合うほど滞在する人々で溢れかえってきているのは誰の目にも明らかだった。それにこの混雑ではどこに魔法を駆使する手練れの魔術師が紛れ込んでいるか見ただけでは区別がつかない。我に返ったアルミンは、逸る気持ちを落ち着かせようと息を長く吐いた。ここらが潮時かもしれない。
しかし折角ここまでやってきたのだ。自然と手に力が入り、ギュッと握りしめた。だが決意とは裏腹に、諦めのような気持ちも込み上げてきた。
「くっ、ここまでか…とりあえずブルーナタルトがあるかだけでも探り当てるぞ。でないと美食家の名が廃る」
一瞬緩みかけた拳をもう一度強く握りしめ、顔の前に上げて決心した。食べ物に対しての情熱だけは誰にも負ける気はしなかった。
最後に冒険者の出入りが止まることのないあの宿屋へ。それでハズレなら今回は祭の鑑賞だけで我慢しようと無理を承知で宿屋のテラス席右手の路地へ移動した。
テラス席サイドには路上との境目に簡易な囲いとしてブロックを積み重ねてできた低めの塀があり、植木鉢が飾られている。アルミンはオーズからさっと降りては、その塀によじ登って植木鉢の陰に身を潜めた。そこから店内を覗き込もうとすると、頭上にぶら下がる看板が目に入った。
看板には【デナートの宿屋】と書かれており、ベッドの絵と酒ビンのマークが描かれていた。すると、ブルーナの畑で聞いた人間の言葉をふいに思い出した。
「デナート?確か“デナートのブルーナタルト”って言ってなかったか?…てことは、ここで間違いない…!」
バッと視線を宿内に移すと、人間達が和気藹々と囲うテーブルにいくつもの美味しそうな食事が運び込まれる様が目につく。アルミンの瞳は生気が宿ったかのようにキラキラと光り始めた。人間達の口に次々と運ばれていく料理をじっくりと見ては、悪巧みをするように舌なめずりをする。ようやくお目当てのタルトにありつけそうなのだ。尻込みしている場合ではなくなった。
メインストリート沿いに並ぶ店は、露店の他に冒険者向けの雑貨店や武器防具屋、食堂や酒場もいくつかある。冒険者や旅人が多く行き交う活気のある通りだ。宿屋の正面の広場を挟んだ十字路の北西の一角には冒険者ギルドがある。故に、冒険者の食堂利用率はかなり高めだ。
昨日は丸一日様子を見てみたが、この宿では昼前に食堂が開店し、夜は酒場として深夜近くまで経営していた。なかなか繁盛している。そしてタルトらしきものが運ばれてくるのは昼間限定のようだった。ここからでは距離があり、どんなタルトなのか他の客が邪魔で見分けはつかなかった。それでも辛抱強く機会を伺った。
「ふぅ。まだまだだ。あいらは絶対泣き言なんか吐かないぞ!絶対に負けないかんな!」
もはや勝負事をしているかのような気分だった。そうやって自分自身に負けないと言い聞かせているのだ。
翌日もアルミンは塀の上に座り込み、瞳を全開にして腕を組んでは、昼時の忙しい食堂を食い入るように見張った。
その決定的瞬間は間も無く訪れた。テラス席に座っていた男女の客が、食後にお目当てであるブルーナタルトを頼んだのだ。
アルミンの瞳がこれでもかというくらいに大きく見開かれた。
「うっはー!待ってましたぁ」
覗き見していた細い塀の上で、アルミンは興奮のあまり勢いよく立ち上がり、両手を天高く掲げながらぴょんぴょんと軽快に跳び跳ねた。すると片足が塀から踏み外し、そのままバランスをくずしてはテラス席側に落下した。
「うわぁっっ!」
その弾みで勢いよくテラス席の合間をコロコロと転がり、店内のとあるテーブルの足に思い切り後頭部を『ドンッ』とぶつけた。
「いてっっ……!」
アルミンは頭を押さえ身悶えするも、ハッとして自らの口を慌てて両手で塞いだ。冷や汗混じりに周囲を恐る恐る見回す。
人間達は各々テーブルに出された食事を談笑しながら頬張っており、一切気付いていない。衝撃で姿の見えない魔法が解けていなくてほっと胸を撫で下ろした。
ほっとしたのも束の間。テーブルの足にもたれかかる形でお尻を着いたアルミンだったが、僅かに背もたれが動いた。
「…??」
背中に一筋の寒気が走った。小さく身震いをする。額が青ざめていくのを感じる。すると頭上から気配がし、影がわずかに揺らめいた。そっと後ろを振り返ってみれば、テーブルの足だと思っていたのは人間の足のようだった。恐る恐る見上げると、金髪の青年がこちらを見下ろしているのが目に入った。
ここ数百年も感じたことがなかった程の寒気が、アルミンの全身を一気に電流のように駆け巡った。
(あれ…?ひょっとして今、目が、合ってる…?)
アルミンは見上げたまま硬直した。見てすぐに分かった。この青年は魔力持ちだ。それもかなり強大に違いない。姿を消す魔法は魔力持ちならその存在をなんとなく感じることができ、うっすらと白いもやが見える程度が一般的で、今この瞬間のようにアルミンの姿をバッチリ捕らえ、尚且つ目が合うなんてことはまずありえないからだ。
(あぁ、まずい、これはまずいぞ…)
手が僅かに震えた。判断力が追いつかずにいる。次に取るべき行動が何一つ思い浮かばない。文字通り頭が真っ白になった。
本能からか、今動いてはならないと微動だにできずにいると、青年の手がゆっくりと上から延びてきた。
(終わった……)
半ば諦めに近い感情で身を屈めて目を瞑るも、青年の手は予想と反してポンポンとアルミンの頭を軽く触れた。そしてひょいっと猫のように後ろ首辺りの服をつまみ上げ、店の外に向けてアルミンを立たせた。すると何事もなかったかのように人間は食事を再開する。
(見逃してくれたのか…?)
どうすればいいか分からず、呆然として立ち往生する。すぐにハッと我に返っては、振り返って人間の様子を伺えば、青年の手が伸びてきて、早く行けと言わんばかりに手首を前後に振ってみせた。
ヒュッと息を吸うと、肝を冷やしたアルミンは、前へ向き直っては固まった足を無理やり持ち上げ、オーズの元までふらつきながら無我夢中に走りだした。
久方振りの人間との直接的な交流は、なんとも珍妙であった。ぶつけた頭は痛みよりも、触れた手の暖かさの方が勝った。
この出会いは必然だった。青年とはこれ以降、深い関わりを持つことになるとは思いもよらない。
アルミンにとって人間は決して恐怖の対象であったり、嫌悪感を抱く生物などではない。寧ろ望めるものであれば仲良く手を取り合いたいと願う存在なのだ。この出来事を嬉しく思わない筈がなかった。
ましてや探していたブルーナタルトも目の前まで迫ってきており、感極まっていた。恐怖心より勝り、ジワジワと感動の波が押し寄せてきた。
「うへへ、やったぞオーズ。これまでのおいらの苦労が報われたんだ!」
駆け寄ったオーズの背の上に飛び乗り、手足を振り上げ騒ぎ立てる。忙しない主人がひっくり返らないようにバランスを取り続ける忠実なオーズである。
「人間とまた、交流を深めるかもしれないぞ!」
予期せぬ出来事にもへこたれず、最早特等席とも呼べる塀の上に再び腰をつけた。先程までの恐れはどこへやらで、観察を再開した。この位置からでもあの青年の透けるような金髪が目にちらつく。また近々触れ合う日が来るかもしれないと思うと胸が踊る。今度はちゃんと目を見て話せるだろうか。そう考えるとつい気持ちがざわつき、何度か金髪に視線が行ってしまう。
しばらくすると、若い女性店員がブルーナタルトを乗せた皿を持って戻ってきた。
さっと男女のテーブルへ置く。それを見たアルミンはオーズの背にうつむせになり鬣にしがみつきながらタルトを凝視した。
「うっわぁ、見ろよオーズ。あんなにたくさんブルーナが乗っかってるぞ!うっまそうだなぁ」
ヨダレが今にもたれ落ちそうな主人を横目に、オーズは塀をよじ登るクモをみつけては、自分の好物はこれだとばかりに長い舌で捕食する。
「善は急げだ、今夜頂きにいくぞー!」
早く食したいと待ちきれない主人に反応し、オーズも鼻息をふしゅーっと吐き出した。