逆さ虹の森をキツネは彼女のために走り、彼女は
逆さ虹の森はある国の、ある地域にあるのです。
雨が降ると虹が逆さまにかかり、この森に住む動物たちは、見慣れた逆さ虹を見上げると、この森が自分の家であるとあらためて感動するのです。
ですが、今は動物たちは虹を見ることはできません。
まず雨が降らないのです。降るのは真っ白な雪。もしかかったとしても動物たちは夢の中。
冬眠。冬は果物や草が枯れ、動物たちは食べ物が無くなり、眠りにつくのです。
いたずらが好きで森を走り回っているリスくんも、雷が鳴るたびに頭をかかえる熊ちゃんも、グッスリと休んでいます。
白くなった森の中を、一匹の動物が走っていました。
鮮やかな金色っぽいきつね色の毛並みの動物が走ります。
きつね色の動物は、長いシッポを浮かせて音もなく雪に足あとをスタスタと付けている、彼はキツネです。キツネなのできつね色なのは当たり前かもしれません。
走り抜けるキツネはとても困ったように、それでも一生懸命に走ります。
「ああ、困った。どうしよう。ああ……どうすれば良いんだろう」
キツネは走りながらつぶやきました。
森のみんなが眠っていて、頼れる相手がいないのです。
キツネは人間と同じで冬眠しない生き物なのですが、この森には人間は住んでいません。
助けを求めて、キツネは大きな樫の樹にやってきました。
「アライグマくん、アライグマくん、起きているかい?」
「……寝てるよ」
「ああ、なんてことだ! 困ったなあ、困ったなア!」
寝ている動物は返事をしないはずですが、キツネはとても優しく、他の動物の言葉を疑いません。
アライグマは、クマやリスの冬眠と異なって半冬眠しかせず、今は起きていたのでした。
いつも暴れ回り、アライグマは森の仲間からは嫌われていますが、キツネはお人好しなので嫌いになりませんし、元気なアライグマのことを凄いなぁ、と思ってすら居ました。
「……なんか有ったのか、寝言だけどよ」
「助けてほしかったんだ」
「だからどうした、寝言だけどな」
「コマドリさんのコンサートがあるんだけど、お客さんが居ないんだ」
「あー……そういうことか。もちろん寝言だが」
コマドリは、この森で一番の歌い手で、誰しもが彼女のファンである。
彼女のコンサートとなれば、食いしん坊なヘビも、イタズラ好きなリスも、怖がりなクマも、みんなで聞いています。
しかし、みんな、冬眠しています。お客さんが居ないのです。
そこまでの話で、暴れ者のアライグマは構造を理解しました。
「……で、オレか」
「うん、アライグマくんは半冬眠だから起きているかと思って」
「寝てるに決まってるだろ」
「ゴメン。でも……他に助けてくれそうな人は思いつかなくて」
「まあ、コマドリのヤツは歌を聞いて欲しいってヤツだが……客が居ないなら仕方ないだろ」
「でも、やっぱり……お客さんが居ないとガッカリすると思うんだよ……」
「お人好しすぎるだろ。お前……寝言だけどよ」
アライグマの寝言(自称)に、キツネはもじもじもじもじ。
キツネはお人好しなのです。アライグマの言葉の通り、果てしなく。
見かねてアライグマはため息を……寝息でしょうか? をついてから、アドバイスを選びました。
「雪の中でも聞く客が居てくれれば良いんじゃねえの? 例えばさ……」
「? 雪の中でも聞くお客さん……そっか! そうだよね! 居ないなら! ありがとう! アライグマくん! やってみるよ!」
そのアライグマの言葉も半分に、キツネは走り出した。
絶対勘違いしてる。そう思いながらも、アライグマは眠かった。
いや、まあ、寝てることになってるけど、とにかく寝直すために、アライグマは眠りました。
……起きていたような気はしますが、アライグマは認めないでしょうし、そういうことにしてあげましょう。
暴れん坊のアライグマ、ですから。
ともかく、キツネは、アライグマの言葉を『居ないなら作れ』という風に考えました。
雪だけはたくさんある。コマドリのコンサート会場は、森の西側にあるドングリ池の近くです。
スケート場のように凍り付いていて、幻想的で、とてもすてきな雰囲気があるのです。
キツネは、西側のドングリ池ではなく、東側の根っこ広場の方に行きました。
風向きと木の生え方のせいで、ドングリ池の近くには雪が積もらないのですが、キツネには雪が必要でした。
「ごろごろごろごろ、転がしてー♪」
小さくて柔らかそうな肉球を駆使して、毛玉のようなキツネが雪玉を転がします。
雪をまるめて、ごろごろごろごろ。
「ぽんぽんぽんぽん、整えて―♪」
転がしてでこぼことしていた雪玉を、転がす方向を考えながら、真ん丸に整えます。
雪だるま。冬でお客さんが寝ているならば、お客さんを作れば良いのだ。
お客さんをたくさん作って、コマドリに堂々と歌ってもらうためなら、キツネは頑張れます。
「グラグラグラグラ、真っ直ぐに―♪」
大きくなった雪玉を、根っこ広場からドングリ池へと運びます。
これを終えたら、次の雪玉を運ぶ必要が有ります。グラグラと揺れる橋をキツネは短い指で苦労しながら、コマドリの笑顔と歌声を思えば、笑顔で雪だるまを転がします。
「ランランラーン♪」
キツネも歌いながら進んでいると、ピンと立ったキツネの耳は、ギシギシという音が聞こえました。
ボロボロの橋は、冬の冷たく強く吹き下ろす風にゆらされて、大きな雪玉の重さに耐えられず、ギシギシギシギシ。
そして、ブチンと切れてしまいました。
転がる雪玉、真っ逆さまに川に落ちて……キツネは、向こう岸まで走り切っていました。
実はキツネはかなり身軽なのです。キツネは実はキツネなので、身軽さにおいてはかなり身軽です。
ですが、キツネの表情は重かったのです。キツネはキツネですが、雪玉を落としてしまって気持ちがかなり重くなっていました。
橋の下、真っ暗な河へと落ちて行ってしまい、そのまま川の流れに解け、流されていきました。
怪我がなく、無事に助かりましたが、それでもキツネは元気はなくなりました。
「どうしよう、お客さん……居なくなっちゃった……」
橋を通らなければ、大きな坂や窪地を超えなければならず、とても雪玉は運べません。
それでも、お客さんがひとりも居なければコマドリは悲しむだろうと、とぼとぼとキツネは歩きます。
雪だるまをたくさん用意することもできず、自分の努力が報われなかったことよりも、お客さんの居ない中で歌わせることを申し訳なく思いました。
しかしながら、キツネは、それでも、自分だけでもお客になろうと向かいます。
「キツネくん、疲れた顔してるね。大丈夫?」
「うん、その……コマドリさん、今日は……お客さん……僕だけなんだ」
「ええ! だから今日はキツネくんの好きな歌をいっぱい歌うから、聞いていってね!」
「……あれ?」
「だから! いつも! 応援してくれてるキツネくんのために、好きな歌、いっぱい歌うよ!」
キレイな声でコマドリは歌うように話をします。今日も特別な歌。
お客さんが多くても特別な日、そして、コマドリにとって今日もまた特別な日なのです。
キツネは自分のことを“たったひとり”のお客さんだと思っていましたが、コマドリは“特別なひとり”のお客さんなのです。
そのことに暴れん坊のアライグマも気付いていましたが、キツネだけが分かっていませんでした。
寒空に、優しい歌が優しいお客さんに届く頃、空には逆さ虹が掛かっていました。
逆さ虹の森をキツネは彼女のために走り、彼女はキツネのために歌っているのです。
逆さ虹の森に春はまだ来ませんが、それでもとても楽しい冬になりそうでした。