僕は語る 1
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
精通してから約一年、僕が十歳になった頃のことだ。
あの日から股のモノが結構大きく成長しており、僕は毎朝必ず夢精をするようになっていた。身長はすごく小さく、見るからに子どもなのにも拘らず。
そんなヘンテコリンな体を持つ僕は、五歳上の姉と森へ果実を取りに出掛けた。
僕が五歳の頃、母に『今日からクラージュのお姉さんになるラフィーネよ』と姉を紹介され、僕は姉ができたことをとても嬉しく思った記憶が未だにある。
初めて紹介されたときは分からなかったが、今は本当の姉でないのだと理解している。それでも、『お姉ちゃん』が僕の姉であることに変わりはない。
確か、家にきた頃の姉はすごく肉付きの良いぷにぷに体型で、どんよりした感じの暗い人だった。それが五年後のあの頃は、ほっそりしてすごく綺麗になり、明るくて活発な女性になっていたのだ。
「クラージュ、わたくしからあまり離れないようにしなさいね」
「うん」
二人で背負籠を担いで歩き、森の入り口に近付くと一旦止まり、姉が僕に優しく言ってくれた。これは毎度の儀式のようのもので、姉は必ず僕を気遣ってくれていたのだ。
そんな姉と、頻繁ではないがたまに二人で森に入り、木の実を取りに行くのが僕は大好きだった。
しかし、女性に触れてはいけないと母に言われてから、姉と手を繋げなくなったのはすごく残念だったのを、今でもハッキリ覚えている。
やがて森に足を踏み入れ、いつものように木の実を採取し、一段落したところで背負籠を下ろし、倒木に腰掛けて休憩をした。
パン屋である母が焼いてくれた自慢のパンを姉と並んで食べていると、後方で草が踏み倒される音が聞こえた覚えが……。
それでも僕は気にも留めなかったが、姉が突然立ち上がって僕の手を引き、「走って!」と叫んだ。
すごく驚いたが、久し振りに姉と手を繋げたことで、僕はとても嬉しかった。――当然、自分がどんな状況に置かれているかなど把握しておらず……。
――ガルルルゥ
そんな声が聞こえるやいなや、強く握られた手が離され「逃げてっ!」と言う姉の切羽詰まった声が僕の耳に届く。が、急に手を離されたことで、僕はつんのめってしまい、姉の少し先で転んでしまったのだ。
僕は姉に手を繋いでもらえた喜びから一転、何だか急に怖くなって振り返ると、うつ伏せで倒れた姉の左肩辺りに、オオカミが噛み付いている姿が目に入った。
良く分からない光景を目にした僕は、気が動転してしまう。
そして、上品な姉からは聞いたこともないような叫び声が聞こえ、綺麗な顔を歪ませているのだ。
視覚でも聴覚でも、僕はしっかり情報を得ているにも拘らず、何が何だか全く訳が分からなかった。
それでも僕は落ちていた木の枝を拾う。意識的にではなく無意識に、だ。
僕はガムシャラに枝を突き出した。そして偶然にも、枝の先がオオカミの目に突き刺さってくれたらしい。
ギャンと言う悲鳴とともにオオカミは姉から牙を抜き、即座に走り去って行った。
全てが偶然の賜物ではあったが、結果的に姉からオオカミを遠ざけることに成功したのだ。
「お、お姉ちゃん、だ、大丈夫?」
苦しそうに呻く姉に、僕は恐る恐る声をかけた。
気丈な姉は、苦痛の表情を無理やり笑みに変える。そして、脂汗をダラダラ垂らしながらも「大丈夫よ」と答えてくれた。
しかし大丈夫でないことは、当時無知だった僕にも分かるほどだ。しかし、何をどうすれば良いのか分からなかった。だが、どうにかしなければならないことは分かっていたのだ。
そして、焦りながら僕の出した結論は、オオカミが再びやってくるかも、などとは全く考えず、大人を呼ぶことだった。――非力な僕に、姉を運ぶ力などないからだ。
暫くして、母のパン屋を手伝ってくれている人たちを連れて姉の元へ向かうと、血の気が引けて青白い顔をした姉が横たわっていた。
大急ぎで姉を家まで運んでもらうと、母と一緒に待機していた回復士のオババが、年寄りらしからぬ機敏な動きですぐに処置をする。母は姉に声をかけていたが、何を言っていたのか記憶にない。
それから少しして処置が終わった。
オババは村で唯一の回復魔術の使い手だが、そのオババをもってしても、完全には治せないと言う。それでも、どうにか傷を塞ぐことはできていたのだ。
この出来事で、僕がもっと強ければ、と後悔の念が、悔しさが、僕の中に沸々と湧きあがっていた。
僕はお姉ちゃんに守られる存在ではなく、お姉ちゃんを守る存在にならなければいけない。
体が小さいくても、僕は男だ。魔術が使えないし体も弱い。でも、鍛えて鍛えて鍛えまくって強くなってやる。
そしてもう二度と、お姉ちゃんを危険な目には合わせない。
僕が一生お姉ちゃんを守り抜いてやる!
あの日僕は、強くなることを、そして姉を一生守り抜くことを、固く決意したのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
この話しをオダスに聞かせたとき、「その気持ち、いつまでも忘れるなよ!」と言われたのも覚えている。――言った本人は覚えていないのかもしれないが……。
「そーだそーだ、坊主には明確な目標があるじゃねーか。それを忘れちゃいけねー」
大男のオダスは体を伸ばし、テーブル越しに座るボクの頭をグシャグシャと撫でる。
オダスは言動がいちいち豪快で、父親のいない僕は、お父さんってこんな感じなのかな、とオダスに父を感じた。
そんなオダスに対し、僕はある程度のことは伝えていたが、実は伝えていない秘密もある。
これは母から口止めされているとかではないのだが、僕自身があまり公言してはいけないと思ったことだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
姉が大怪我を負ったあの日、姉を治してくれた回復士のオババが帰り際に――
「ただ、かなり出血しておったからの……」
――と、気落ちした感じでそう言う。だが僕には、オババの言葉の意味が分からなかった。
だから僕は、姉のベッドの横に僕と横並びで腰掛けた母に、幾分か落ち着くも血の気の引けたままの姉を見守りながら、こう問いかけたのだ。
「お母さん、お姉ちゃんはどうなるの? 元気になるんだよね?」
オババの言葉は理解できなかったが、姉の状況が芳しくないことは、子どもの僕の目でも分かった。だからこそ、縋るような思いで母に問うたのだ。
そんな僕の問いに対し、母はどう答えれば良いのか考えていたのだろう。少しの間を置いて、ゆっくりと口を開いた。
「傷自体は塞がって、それ自体は問題はないの。……ただ、失われた血が多過ぎて、このままだとラフィーネは……」
そこまで言うと、母は唇を噛んで俯いてしまう。
しかし、僕が聞きたかったのはその先の言葉だ。
僕は俯く母になおも問いかけた。
「このままだと、お姉ちゃんはどうなっちゃうの? 教えてよお母さん!」
あまり大声を出さない僕が、感情を露わに問い詰めたことに驚いのだろう、母は驚愕の表情で僕を見た。
それでも僕は母に怒鳴ったのだ。
「ねえ、お母さん!」
何度か口を開け閉めした母が、唇を震わせながら、無理やり声を絞り出す。
「……このままだと、血液が足りなくなったラフィーネは……し、死んでしまうかもしれないわ」
口に出したくないであろう”死”という言葉を、母は苦々しい表情で口にした。
そんな母の心情など分からない僕は、更に母へ詰め寄ったのだ。
「じゃあ、血を分けてあげればいいんだね? それなら、僕の血をお姉ちゃんにあげるよ。どうやればいいの?」
理屈や方法など分からない。それでも、血液があれば姉が助かる。そう思った僕は、母に自分の血を分けることを宣言していた。
「クラージュ、そんな方法などないの」
「嘘だ! お母さんは何でも知ってる! お姉ちゃんの治し方も知ってるんでしょ? だったら教えてよ!」
「ごめんねクラージュ。お母さんも知らないことは沢山あるの。だから、血を分ける方法も知らないの……」
いつも何でも教えてくれる母だ、知らないことなど何もない。僕は本気でそう思っていた。しかし母は、ボクの期待を裏切るように血を分ける方法を知らないと言う。
それでも僕は、そのことに絶望する余裕もなく、『どうにかして姉を助ける』ということで頭がいっぱいだった。
姉を助ける術など、僕にはないというのに――
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