心
心ってなんですかね
心は、身体中のどの臓器にも属さない、皆無な一つの機関。
しかし人は、心は胸の奥にある、と言う。
医学的に考えて、記憶や感情を表す機関は脳だとされているし、そんな機関は一つも見られないのに、だ。
なぜ人はそう思うのか。それは、感情を言葉にする時、私たちはこう表現するからである。
【胸が踊る】【胸がいっぱい】【胸が熱い】【胸が苦しい】
この中では、心、という字は一切出てこない。しかし、このような感情表現を私たちは、心、と呼んでいるのではないだろうか。
感情表現ばかりが心ではない。性格も心の一つとされている。しかも、それは人として必ず備えてあるものだ。
しかし、無慈悲な行動をする人や、されている人の場合、私たちはこう呼ぶだろう。
【心のない人】【無感情な人】
心のない人、という事は、感情表現や性格が極めて無いということになってしまう。
ということは、前文で述べた、
『心は必ず備えてあるもの』が誤りとなってしまう。
だから私はこう考える。
感情のない人こそが、一番の感情を抱えているという事を。
なぜ私がそう考えるか、理由は体験談にある。
私がまだ幼少で、弟が生まれて間もない頃、
私は親から虐待を受けていた。
それは酷いものだった。
しかし、私は痛みや悲しみ、苦しみはあったが、怒りは覚えない程に。
次第に虐待はエスカレートし、放置、暴行、軟禁にまで至った。
まさしく私の親は、今思えば、心の無い行為をしている、心のない人だと言えるだろう。
反対に私は、日常化されてしまった虐待という矛盾を正当化した。
これも見る人からすれば、心のない人、見方によっては可哀想な人のそれなのだろう。
だが、実際どうだろうか。
この環境下に置かれている当の本人や、その親は、心が無いとは言えない。
なぜなら、そこには、怒りや、ストレスというものがあるからだ。
怒りやストレスが行動に出る。それを見た人が、起きている事を勝手に解釈し、対象をどんな人か見定めてそう言っているに過ぎない。
言うなれば人が最も行っている、第一印象という見方だ。
ファーストインパクトとも呼ばれる第一印象は、最初に見た相手の顔や表情、行動や言動などが当てはめられる。
つまりは『心がない』という表現の仕方は、他人がそう思ったから、そう見えるだけなのではないかと思う。
ここまで私は、心や感情について話してきた。
しかし、これは一部の見方でしかない。私が思ったことをそのまま書いているだけだ。
無論、評価や指摘もあるだろう。もっといい書き方がある、間違っている、と。
だが私は、今まで述べてきた事は全て正しいと思える。
間違っているかなど私が判断することだ。
誰が何を言おうが、これは私の自論であって、誰に押し付けるでもないただの言葉の羅列だ。否定したいのなら、私のように書け。阿呆。添削したいなら勝手にやれ。ど阿呆。
さて、ここまで長々と語ってきたが、私が言いたいことは一つだけ。
心のない人こそ1番、内なる感情を持っている、心がないなど皆無なのだと、私は思っている。
こんな作品を読んでいただき、ありがとうございます。
高校時代殴り書きしたものがあったので投稿させていただきました。つたない文章ですが、深いに思われた方は申し訳ありませんです、はい。