Act 1-3 「ヒロと虹クラゲ号」
フェリーっていいよね。
爽やかな潮の香りを含む、撫でるような風。
わたしはハルと一緒に遊覧船虹クラゲ号にて海上からの風景、触れる空気、鮮やかな波の音を存分に満喫している。
虹クラゲ号にはわたし達を含む30人ほどの観光客が洞窟での神秘的体験を目的に集まり、賑やかにざわめいていた。
「思ったよりも人が多いね。」
「当然、このツアーはちょっと前にテレビで紹介されて、それからは予約を取るだけでも大変で、今回もたまたま一組キャンセルがあって運よくチケットを取ることができたんだから。」
褒めてくれと言わんばかりに得意げに声を張るハル。
子供のような無邪気な笑顔にわたしのネガティブな思考も飛び去ったようで、純粋に船上でのひと時を楽しんでいた。
「皆様、本日はこの神秘の洞窟ツアー(夏)に参加していただき、まことにありがとうございます。」
突如歌のお兄さんを彷彿させるツアーガイドが遠くまでよく通る声で乗客の視線を独占した。
「わたくし、当ツアーのガイドを務めさせていただく松下と申します。短い時間ではありますがどうぞよろしくお願い致します。」
松下のたっぷりと日焼けをした褐色の肌と清潔に保たれた白いポロシャツとのコントラストがこれでもかと海の男をアピールしている。
「つきましては当ツアーの目玉である洞窟、天光洞について説明させていただきましょう。」
わたしは一応取材という体でこのツアーに参加したことを思い出し、観光気分を一新、松下の話に耳を傾けた。
「この神秘の洞窟ツアーの目玉である「天光洞」は、昭和30年に天然記念物に指定されている海蝕洞窟です。天光洞は入口から出口まで約250mに達する長いトンネルのように出来ていて、そのほぼ中間地点の天井に大きな穴がポッカリと空いている箇所があります。天気が良ければその穴から光が差し、洞窟内が天然のスポットライトで照らされ、海面が青白く光り輝きます。それはもうこの世の光景とは思えないほど神秘的な光景なんです。」
松下は大げさなジェスチャーを交えながらの解説に熱が入る。
「さて、皆様右手を御覧ください。」
松下の右手の示す先を、船上の無数の視線が追った。
その先には島があった。大きな海の上にぽつんと浮かぶチョコチップクッキーみたいな島だ。
「あの島が、かの有名な漂流島です。」
船上がどよめきに包まれる。
「ヒロ、漂流島って、あの映画の?」
ハルも漂流島というフレーズにどよめきを発する一人、自分の知識、記憶の答え合わせをわたしに託す。
「この前映画になった『ダブルフィクション』の舞台になった島だよ。ハルはまだ観てないんだっけ?」
「そうそう、DVDがでたら観ようかなって思ってた。」
虹クラゲ号の乗客をぬるめにヒートアップさせた漂流島、および、ダブルフィクションとは何なのか?松下がどよめきの中、説明の声を発した。
「大半の皆様が知っての通り、今年大ヒットしたあの映画、ダブルフィクションの舞台になった島、それが漂流島です。漂流島というのはこの島が周りの島から見放されてポツンと浮かんでいる様から付けられたあだ名のようなモノで、正式名称は「黄土島」と言います。元々は炭鉱により繁栄した島なんですけども、エネルギー転換の影響で炭鉱の企業が次々と撤退してしまいました。それと同時に島に住んでいた住民も離れてしまい、マンションや病院、学校の校舎などがそのまま残されています。…さらに…」
松下の説明は続くもわたしはある情報をインターネット上で目にしたことを思い出していた。
それは漂流島へ不法に上陸をする者が後を経たないという話である。
漂流島には、ビルや工場等の建造物が40年以上もの間、野晒しで放置されている。豪雨や暴風の洗礼に耐え切れなくなり、いつ倒壊してもおかしく無いような状況の建物も少なくはない。そんな非常に危険な状況であるため、一般の人間が立ち入ることは禁止されているのだが、物好きなマニア達が、映画で島の存在を知り、地元の漁師にモグリの船渡しを依頼してその奇異な光景を楽しんでいるのだという。
ひょっとしたら今まさに、漂流島の観光を楽しんでいる物好きが島内を徘徊しているのかもしれない。などと想像を膨らませていた。
ほんのわずかな間、自分の世界に入り込んでしまい、ふと我に返ると船上での様子がわずかにおかしいことに気付く。
先ほどまで鬱陶しいほどに喋り散らかしていた松下が無言で、かつ神妙な面持ちでこの虹クラゲ号の操縦士の肩を揺さぶっている。30人程の乗客は全員その様子の変貌にざわつきを隠せない。
「ハル、何が起きたの?」
数秒で空気を変えた出来事の正体をハルに問いただす。
「…なんか、やばいみたい…。」
「金山さんっ!起きて下さいっ!金山さん!」
「金山さん」とは、おそらくこの船の操縦士の名前なのだろう、信じたくはないけど、状況から考えるに金山操縦士の身になにかが起きたとしか考えられない。
虹クラゲ号の乗客は突然のトラブルにパニック状態に陥った。未だに状況を掴めていない人、わめき散らす人、何をしていいか分からずにおろおろと辺りを見渡している人。わたしやハルを含め、あと数秒後に起きうる事態に乗客全員はなんの対応もできなかった。制御する人間を失った虹クラゲ号のスピードは衰えを知らず。前方にどっしりと構える巨大な岩が徐々に近づいてくる。
「ヒロ!やばいよ!ぶつかる!」
次の瞬間、わたしは目の前でフラッシュを焚かれたかのように真っ白な世界に放り込まれた。
金山さ~ん!