Act 1-1 「ヒロとハル」
主人公の名前は「鈴木寛子」こと「ヒロ」
その友達は「佐藤春美」こと「ハル」です。
「ハル、この前の「アレ」読んでくれた?」
「読んだ、なかなか良かったと思うよ。」
食堂前テラスは本日快晴の為、学年を問わず、数多くの生徒が円形テーブルを囲み爽やかな活気を作り出していた。わたしは親友の「ハル」こと「佐藤春美」と共にその賑やかな空気の一部分を作っていた。
「ヒロ、でも児童小説でアルコールをメインに持ってくるのはどうかと思う。」
「え~と、アルコールの恐ろしさを幼い頃から知らしめる教訓的な話にしたかったから、あえてつけてみたんだけど…やっぱダメ?」
いたずらでも企んでいるような、少し悪意のある笑みを浮かべたハルはわたしの反応を楽しんでいるみたいだ。
「まぁ、私はその辺も好きだからいいんだけどね。」
ハルは紙パックのアイスココアを上品にすすりながら飛び跳ねるような笑みをわたしに向けた。
わたしは「鈴木寛子」中学1年の頃から小説を書いている。
始めは一人で楽しんでいるだけで終わっていた趣味であったが、後にハルに読んでもらうことになり、その度にレビューをしてもらうという形が定着した。今日、この昼休みも、わたしにとって20作目となる作品「洞窟と13人のアル中」の批評をしている最中である。
わたしは安堵の表情で一つ溜息をつき、もう中身が入っていない紙パックのオレンジジュースのストローを啜り、ズズズズズズズと下品な音を立ててから、再びハルの顔を見上げた。
「ヒロ、実はね、ちょっとコレ見てみて。」
ハルはスカートのポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃに畳み込まれた一枚のコピー用紙を白いテーブルの上に広げた。わたしは古井戸を覗き込むように、その紙を見下ろし、コピー紙に印刷された文字を読み上げる。
「三陽文庫ジュニア小説グランプリ(夏)…」
「今回の作品、これに投稿してみない?」
ハルの突然の提案にわたしは冷水をぶっかけられたような戦慄を覚えてしまった。わたしの作品を…投稿!?
三陽文庫ジュニア小説グランプリとは、いわゆるライトノベル業界では名の知れた催しであり、このグランプリでの受賞をキッカケにプロの道を開いたという作家は数知れず、いわば小説家にとっての登竜門ともいえる権威あるものなのだ。
「………」
わたしは黙って目を見開き、小説グランプリ告知の用紙を見つめた。正直たじろいだ。権威ある小説のグランプリにわたしの児戯にも等しい文章を晒すなんて。
引っ込み思案で、自己主張を取ることを大の苦手とするわたしにとっては大冒険と言わざるをえないことだった。
わたしの脳内に『身の程知らずだとかバカにされるかも…。』等々。様々は不安を醸しだす憶測に思考が乱反射した。だけど…「挑戦してみたい!」という気持ちも心の中にあることは否定できない。正直言って自信はそこそこある。大賞は無理だとしても、佳作ぐらいなら自分の実力でも手が届くのでは?
「ヒロ…」
妙な間を取り壊すハルの声。音量は小さいが重みのある、直接心に響く高く力強い声だ。わざわざグランプリの告知内容を調べてくれて、こんなわたしの背中を強く押してくれる親友ハル。彼女の期待を裏切ることは、グランプリでボロクソに叩かれて恥をかく以上につらいことに思えた。
「………やるよ、………やってみるよ!」
わたしの決意表明。それを聞いた瞬間、ハルの表情は眩いばかりに満ち溢れた。とびきりの笑顔だった。
「えらいっ!いけるよ!コレ!絶対大賞取ろうよ!」
ハルはわたしのことを自分の家族の様によく知っている。優柔不断で自分の殻に閉じこもる傾向のわたしが、今まさに「自己」の確立を促す行動をしている。
これは成長、小さいけれど重要な第一歩。
ハルにとっては自分の事のように喜ぶべき吉報だったらしい。
「あの…!賞を取れるかどうかは分からないよ…取りあえずダメ元で…。」
「だめだめ、目標はでっかく持とう!」
ハルはピシャリと声を上げ、わたしのネガティブな思考に杭を立てた。
「やるからにはイチバン!それしかない!」
「ちょっと待って…でも、…まず順序的に…。」
ハルはわたしの声を上から遮る。
「自信をもってよ、ヒロの小説はそこらのモノよりずっと面白く出来てる。私が保証するよ。」
誰よりもわたしの作品を読み上げたハルの偽り無く力強い声。
「そうだよね…。」
わたしは武術家が10枚の瓦を拳で砕く時、15枚を割るつもりで突かなければならない、という話を思い出した。つまりはじめから志が低ければ良い結果など生まれるハズがない。ハルの言葉と想いはしっかりとわたしの心に伝わった。
わたしは嬉しさのあまり、鼻水をすすり込む音と共にちょっと涙ぐんでしまった。
「あーもう、別に泣くことないのに。ほら、これで鼻かんで。」
ハルから渡されたティッシュで勢い良く鼻をかむ。わたしはこのようにハルの前で泣くことが多いので、こうやってティッシュを渡されることは日常茶飯事であり、ハルもそれに合わせてポケットティッシュを肌身欠かせない。
大量の鼻水を噴きだすと共に気持ちをリセットし、自身の長い黒髪をかき分けて清々しい心持ちで再びハルに顔を向けた。その顔を見て安心したハルは一息間を置いて口を開き始めた。
「…となると…少し修正したほうがよさそうな所があるよね。」
「やっぱりタイトルとか?」
目の前に獲物を発見した猫のようにハルの声に食いつく。
「まぁタイトルは言うまでもなくだけど…他に言えるのはリアリティが薄い気がするってとこ…?」
「リアリティ? 洞窟とかの…?」
「そう、この物語のキーになってる洞窟の中の情景描写がちょっと弱く感じる。」
ハルは物事の欠点を見つけることが得意だ、わたしは今まで何度も作品を批評してもらい、その度に面白さを洗練させてきた。
「なるべく細かく伝えようとはしたんだけど…やっぱり実際行ってみないとわからないモノかな…。」
小説、漫画、テレビなどを通して得た感動よりも、直にその場で視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、全ての感覚を総動員して得た感動の方が刺激的かつ立体的、色彩的な物になるって聞いたことがある。わたしの得た知識のほとんどは文字や映像から汲み取った間接的なものだから、その違いが作品に「足りない何か。」を生み出したのだと思う。
「実際行くってなっても、場所が洞窟ってなると…。」
弱々しくつぶやき、顔を上げると、やや悪どい表情で何かを考えているハルの姿。ハルのこの表情は何かいたずらめいた発想を巡らせているサインだ。過去に修学旅行で男子の浴場を覗きに行くプランを画策していた時も同じ顔していたことを思い出した。
「春美ちゃん、ちょっといい?」
突然背後からハルを呼ぶ声が割り込んだ。その声の持ち主の名前は知らなかったけど、ハルと同じクラスの女子であることは知っていた。わたしはまるで政治家が汚職の現場を目撃されたかの如く、テーブルの上の「三陽文庫ジュニア小説グランプリ(夏)」とクッキリ印刷されたコピー紙をさりげなくポケットに忍ばせた。
わたしは小説を書いていることをハル以外の人間には隠していた、家族にさえ。そのため自信の秘密を知られるほんの小さなきっかけでさえ、タコが外敵に墨を吐き出してやり過ごすように、一瞬で防衛網を張るのだ。
「いいよいいよ、で何の用?」
ハルもわたしの反応を察し、顔色を変えずにクラスメイトに対応する。
「近藤先生が今すぐ職員室に来てくれだって。生徒会の書類について聞きたいことがあるらしいの。」
「わかった、すぐ行く。」
ハルはいそいそとテーブルの上を片付け、その場から立ち去る準備をした。
「ヒロ、ごめん!今日生徒会で長引きそうだから続きはまた夜電話する。」
「いいって、じゃあまた。がんばってね。」
やや茶色のかかったショートヘアをキラキラとなびかせ、わたしに背を向けて校舎の奥へと吸い込まれていった。
その背中を見るたび、わたしはいつもため息をついてしまう、凛とした堂々とした振る舞いに加え、頭脳明晰、同姓であってもうっとりするような容姿端麗さを持ち合わせ、男女問わず信頼される優等生。誰もが憧れる理想像をハルは体現していた。
口数も少なく、教室から消えても誰からも気づかれないような自分とは全く釣り合わないのに、なぜわたしと親友として付き合ってくれているのか疑問に思うこともあった。
ハル曰く『ヒロは他の人と変わってて面白いし、あと本当の自分をさらけだせる存在だから。』らしい。
その言葉通りハルはわたしと2人きりの時には周りには見せない一面を見せることがある。先にも述べたように男子の浴場を覗くような奇行を起こし、立ち入り禁止の屋上への扉の鍵をヘアピンで開けてしまうようなややブラックな技術をも持ち合わせていたりと。
優等生でいることの窮屈さなのか、なかなか本来の自分を表に出せないハルにとってわたしはお互いに表に出さない秘密を共有している同志とも言えるのだ。
そしてハルの背中を見て、ため息をつき、いつものセリフを心の中でつぶやく。
私のことを変わってるって言ってるけど…ハルの方がよっぽど変わってるよ…。
HIROとHARUです。




