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神のくさめ  作者: paradsh
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煩天四大神 2

 「来た来た、おうい」

 廻氏は店中に響くでっかい声で呼んだ。

 廻氏と利光氏のいる座敷の方に気付いて、二人は上がって来た。

 「そんな大声出さんでもわかるよ、恥ずかしい。あんたには神経ってもんがないんだ」

 「ええじゃないですか、人いないんだから」

 「だったら最初から叫ばんでよろしい」

 上座に座っていた廻氏が、入って来た一人に席を譲る。

 夕刻、「鶯座」で煩天四大神の晩餐会が開会した。四人揃ったところで仲居を呼んで適当に注文を済ます。

 利光氏は奥の席に座っている。その隣、即ち廻氏の正面に座っているのが、四大神最年長、宇佐美うさみ氏である。彼は聴力が擢んでている。大学時代のサークルでオーケストラの学指揮を経験したことがあるらしく、当時も持ち前の聴力で生徒たちのミスを徹底的に修正し、サークル内で権威と指揮棒を振りたいだけ振るっていたという。兎の如き聴力は親父になった今でも健在である。

 廻氏の隣席、即ち利光氏の向かいの席には、四大神最年少、狩折かおり氏が座る。

 彼は縁の細い眼鏡を中指で調節するなり、言った。

 「来ますぜ、三十秒後です」

 すると彼らはふっと静かになり、座敷のふすまを睨んだ。部屋内の空気が緊張する。その時間を誰もが劫﨟(こうろう)であるかの様に感じ、誰もが固唾を呑んで過ごした。

 全員が心中で三十をカウントした瞬間、襖が開いた。

 「お待たせ致しました__」

 「「おぉおお」」

 三人は狩折氏に拍手喝采を上げ、盆を持った仲居は倦怠の表情でそれを見守っていた。

 この訳のわからぬ戯事は、狩折氏が鼻が利くことで名を馳せることに由来する。彼が得意とするのは「嗅ぎ分け」の分野で、ある匂いがどこから匂うのかを正確に判断することができるらしい。その他の分野が存在するらしいが、他の三人にはどうでもよいことである。宴会の席では、毎回肉の匂いを嗅ぎ分けて、あと何秒で届くかを言い当てるという余興が恒例である。本店の仲居はこの光景を幾度となく見せつけられており流石にもどかしく、舞台裏では担当の押し付け合いさえ発生しているのであるが、四大神にはどこ吹く風である。仲居の歩くスピードや周囲の状況も鼻で確認しつつ言い当てているのだと狩折氏は言う。

 仲居が退室し、一斉に肉を投入しようとしたところで宇佐美氏は呟いた。

 「しかしね、そういう風に芸を楽しくやっているのを見ると、私の能力とはどんなにちっぽけなことであるかと少々不安になったりする。芸を持っていないし。君達が私よりずっと若々しく見えるのだな」

 「何です藪からスチックに。弱音なんて最年長らしからず」

 「廻氏の言う通り。それに鼻を良くして何をしようというのだ。役に立つのは宴の席と嫁の作る夕餉ゆうげの品目を知りたい時だけだぜ」

 「そりゃあ俺の前で言わんでくださいよ虚しくなる。俺はそれよりも利光氏みたくお利口になってみたいんですよ」狩折氏の言葉に皆聞き耳を立てた。「昔日の俺は滴るものは自分の洟水だけのスカポンタンでしたから。この鼻の活用方法なんざ思いつきやしません。頭さえ良ければ洟水垂れてても人生変わっていただろうなあと思う」

 「いやいや、頭脳明晰ばかりでは群衆が寄り付く。私はもっと静寂に包まれた生活を送りたかったのだ」

 「おいそりゃあ我ら阿呆にはイロニーにしか聞こえんよお」

 利光氏は咳払いして言った。「待たれ廻氏よ、それは違う。これは私の天真爛漫な叶わぬ夢の話だ。この年になって一番苦労するのは何だ。老眼だ。五十を過ぎてからというもの英字新聞さえ読めない。早急に改善したいのだが、恢復するか否かもわからない。その文章さえ読めんのだ」

 「へぇ、エイジシンブンだってよご勘弁」

 「私は廻氏の類稀たぐいまれなる視力を羨望する他詮方(せんかた)ないよ。お前、五十に及んで眼の障害など数える程さえないだろう」

 「うん、まあね」しかし廻氏は今し方の温厚な顔色を無表情にして語り出した。「確かに僕には老眼が来る兆候さえないが諸賢、差し出がましいかもしれんがしかし諸賢はまだ、本物の煩悩魔ぼんのうまの存在に気付いていない」

 「何だその身体に悪そうな名前は」

 「如何にも他ならぬ、難聴のことだね。鼻は利いても利かんでもどうでもいいでしょ。頭は良くてもこの年になってくれば皆平等扱いの様なものだからなあ。老眼には老眼鏡。これに至っては治療だってできるそうじゃないか。難聴に対してはどうだ。何もないじゃないか」

 「補聴器がある」

 「わからんか阿呆め。この年でそんなもん着けてる奴なんざがおるか。恥ずかしいだろ」

 あの天下泰平てんかたいへいの廻氏がかつてなく白熱した弁論をするので、他の三人は絶句するとともにそれを何故か憤怒にぶつけ、情けないことにその渦中へと身を投じた。

 かくして彼らははたから見ればただの水掛け論を錯綜さくそうさせ、ただただ周辺の人々を困惑させた。

 彼らは所詮、偶然手近にいた人間に生えていた夢幻の尻尾を追い掛け廻して互いに堂々巡りをしているに過ぎないのであった。

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