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神のくさめ  作者: paradsh
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大学生の憂鬱

 私はとある喫茶店で先の憤怒を沈めていた。

 いつも私の眠りを妨げる程メールを送ってくれる彼女からは、一週間前から音沙汰がない。いささ鬱陶うっとうしいと思っていたそれも、今では恋しくて仕方がなかった。私は先程から携帯電話のメール受信箱の中身を下にスクロールしたり、かと思えば上にスクロールしたりしながら溜息ばかりついている。そんな調子で既に昼下がりである。

 私は一週間悩み続けたが、解決方法は一向に考え付かなかった。というより、淋しさを嘆いてばかりいて、解決方法を考えるに至らなかったのである。

 彼女とは、よくここへ茶の子を食いに来た。彼女は、今私の目の前にある「3段ぱんけーき」が好物である。分厚いパンケーキ三枚の上にバニラアイスが乗っており、セルフサービスでメープルシロップをかけるシンプルな食べものである。私はそれよりも「シナモントースト」が好きなのだが、二人で来た時には、彼女に趣味を合わせて毎回パンケーキを頼んだ。

 かくの如き彼女とのあまあい生活を送っていた昔を思い出し、つい頬が緩む。今その様な過去をっている場合でないことは理解している。まだその生活から切り離されて一週間しか経っていない。しかし私には、酷く長い時間厳しい生活を強いられている様に思われた。

 項垂うなだれる私を憐れんで慰める様に、テーブルの端に小さな花が一輪飾られている。ミニ花瓶からちょこりと淡い桃色の顔を出した姿は、柵から身を乗り出した小動物の様に可愛らしい。

 彼女がころころ笑う姿も、見ていると、小動物に懐かれている気分になって癒されたものだ。そういう彼女を見ているか、若しくは彼女を如何にころころ笑わせるかに頭を抱えるというのが私の、少々悪徳な趣味であった。


 私は花を凝視しながら、ふと思い出した。

 彼女はいつの日か、どこかで、ある花にまつわる逸話を語って聞かせてくれた。その時の彼女の笑顔が唐突に浮かび、些か驚いた。というのもそれは当時の私にとって、且彼女の消息を知らぬ現在の私にとって特別な記憶であったからである。だがしかし、何という花であったのか、いまひとつ思い出すことができない…。

 

 「少女は、神に捧げる贈り物は何がいいかと考えていました。でも貧しくて、捧げるべきものは何もありません。彼女は一人で悲しんでいました。そんな彼女に、彼女の従弟いとこは言いました。

 『心から愛を込めているのなら、神様はどんなに慎ましやかなものでも受け取って下さるのだよ』と。

 少女は訊きました。『貴方も神様に、心から愛を込めているの?』

 『勿論だとも。僕も聖なる願いを捧げているんだ』

 『どんな願いなの』

 『それは自分の中に大事にしまって置くんだよ。どんな願いでも強い気持ちさえあれば、聖なる願いになるんだ』

 それを聞いた少女は、庭の雑草を集めて小さなブーケを作りました。そしてその贈り物が、自分の思いを届けてくれる様に強く願いました。すると、飼い葉桶に置いてあったそのブーケが突然、真っ赤な花に遷り変わったのです。少女は、天に聖なる願いが届いたのだと何より喜びました。

 その花の名は__」


 「聖なる願い。ステキだと思わない?」

 かく語りし彼女はわらっていた。

 それが一体いつだったのか、どこでの出来事だったのか、思い出せない。しかし私には、その花の名だけは早急さっきゅう思い出す他には彼女とのねんごろな日常を奪回できる機会は未来永劫(えいごう)きたらざらんという予感というより寧ろ決意があった。即ち私は、彼女のその笑顔をもう一度見たいという願いを、いよいよ固めたのである。

 えも言われぬ緊張感に絶妙な力加減で背筋を撫でられ、気がつけば私は店の外へ出ていた。事態は一刻を争う。私は踵を返すことなく、そのまま足早に向かった。



⚪︎



 「内野井先輩、話したいことがある」

 下宿に着いた私は自室の隣の扉を勢いよく開け放ち、早々にそう叫んだ。

 彼は私の興奮を気に介さず悠々口を開いた。

 「やあ、そろそろ来るんじゃないかという気がしていたんだ」

 「融資弁済の時は来た。さあ渡して貰いましょう」

 「お急ぎの様だね」

 差し込む陽は既に紅い。うかうかしてはいられない。

 「如何にも、どうしてもこうしても外すことのできぬ理由ができたのです」

 「でも僕は、そういう風に焦っている君の顔を見るのが好きだよ」

 「そんな嗜虐的な」

 「じゃあゲームをしよう」

 彼はそう言って、おもむろに蛍光灯のスイッチ紐を引っ張った。

 次の瞬間、床が響き、天井から大量の緑が瀑布ばくふの如く降ってきた。私は呆然としたまま、緑の物体に押し流されて尻餅をついた。尻の落ちる場所にもそいつが流れ込んでいて、着地する時にぶつけて酷く尻を痛めた。何ぞこれとひとつ掴んで見てみると、なんとそれは糸瓜であった。

 「何だこの狼藉は」

 糸瓜から目を離し、先輩の方を向いて怒鳴る。しかし、先輩の姿はない。逃げたかと考えたが間もなくいとわしい声が聞こえた。

 「これは試練だよ」

 確かに部屋の中から声がしている筈であるが、姿だけが見つけられない。

 ……まさか。

 「この大量の糸瓜の中から私を見つけて見せ給え。然らば宝の在りかを教えん」

 彼は暢気な口調で言った。

 大量の糸瓜に姿を眩ませながら。

 脳裏には、私の簸弄はろうで滲み出る腹立たしい先輩の嘲笑が強烈に焼き付いていた。

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