煩天四大神 1
「はいもしもし、廻ですう。今日もやるのかい」
「勿論だとも。それが我々の義務であり、生き甲斐である」
「飽きんなあ。えと、今回で酉だったかな。しかしそんなに食っては身体に悪いよ」
廻氏はこの頃の自分の出っ張った腹をちらと見た。如何せん彼は、ダイエット中である。
「嫌なら食わねばよかろう。だが必ず出席し給え。君は余興役だ」
「酷い。旨そうに食う君達の顔を差し置いて延々踊り続けるなんて、あまりに僕が可哀想だよ」
「なら食えばよかろう」
彼らはここらの地域で噂に名高い「煩天四大神」のメンバーである。「煩天四大神」とは、顔の器官が、それぞれ世にも発達した中年男性四人によって結成された、世にも奇怪な団体である。これがどういう理由で結成されたのか、そもそも何をしているのかというのは、地域住民の拭い去れない疑問であるが、その実は、四大神自身もよく理解していない。
己がご立派なお腹を見つめて眉を顰めている穏やかそうな男は廻氏といい、彼は、神も喫驚仰天の視力を持っている。アフリカ住民の視力の平均は2.5であり、中には4.0という驚愕の数字を持つ者もいるという。では彼はどうなのかというと、日本の一般的な視力検査に用いられるランドルト環は2.0までしかないため測る機会がなく、彼自身も自分の視力を知らない。しかしながら、彼の力が本物であることを他の三人は先刻御承知であった。
廻氏と電波を介して会話をしているのは「煩天四大神」頭領、利光氏である。彼は頭がよく切れる。それ故にというか、にも関わらずというか、何故かこの訳のわからない団体に無駄な叡智を絞り出して、わざわざ纏める必要のないメンバーを纏めている。
彼らは月末の土曜日、必ず宴会ですき焼きを食う。誰がどの様な目的で設置した風習かは歴史の闇に閉ざされている。一年間の月と十二支は対応しているため、その年の何番目の宴であるかを、彼らはユーモラスに十二支を使って呼んでいる。本日こそ「酉の宴」である。
廻氏は訊いた。
「他の二人も来るんだろうね」
「ああ、そう言っていたよ」
「ならいいんだ」
「十七時、鶯座に集合だ」
「了解」