子雀による語り 2
夜の帳も降りて参りました。この頃には梟など夜行性猛禽類達がゴロスケホッホと活動を始めるので、見つからない様に息を潜めていなければなりません。鴉に対しても然りです。何せ飛べないものですから、飢餓にも耐えて行くことになります。とはいえ晩秋ともなると、木に登って来る虫などもすっかり消えてしまうので、来るべき冬への肥やしをお腹に貯めることができません……ええ、覚悟はとうにできているのです。恐らくは私の幕切れは、今冬に迎えることとなりましょう。私の仲間は既に南下して、群れになって暮らしているそうです。情報だけはやたらに手に入るのでございますよ、これでも雀ですから……。
殺気! 何やら急接近する何物かを感じます! 振り返ればかの鴉がこちらを睨んで向かって来ます。その形相はどこか、戦闘機の様でありました。
奴に遊ばれたら今度は助かり兼ねますでしょう。
ああ、冬までと高を括っていて私は何と愚かだったのでしょう。しかし畢竟、それまでの期間が縮まっただけでございます。如何なる状況でも腹を決める潔さを、いい加減私は持たなければなりません。
私は振り向くのを辞め、奴に背を向け、梢まで歩いて凛と仁王立ちしました。
一抹の慙愧、悔恨もなし!
気が付けば、秋の星空が視野を覆っておりました。あ、下を見やれば私の街が燦然として、餞別をしてくれています。いいえ、これは単なる御都合主義の作りし妄想でございます。誰もがいつも通りを過ごして、今日が特別な日だとお思いの方などひとりもいらっしゃいません。
しかしどうしてでしょう。そう考えると、何だか、胸の内側がきうと音を立てて、えも言われぬ変な感じになるのです。旧友や家族は南へ下り、独り鴉に弄ばれ、怪我をしても看る者なし。当時に思いを馳せると、胸はまたそうやってきうと鳴るのです。
判っています。それが淋しさという感情であることを。如何にも、私は淋しいのでございます。誰も餞別してくれないのが、辛くて淋しいのです。ただ、先程腹を決めたばかりなのに、この期に及んで決心が揺らいだことを認めたくないのです。我が決心とは刹那に姿を変えてしまう薄ぺらいものでした。斯許りの器ではやはり、親や友に合わせる顔などありません。それが何より悔しいのです。結局私は最期まで弱い子雀だったのでした。
斯くして一羽、天へ昇るのです。
「おい」
急にそばで声がしたので驚きました。見れば我が命の敵鴉ではありませんか。
「あんさんまさか死んだ気になってるんとちゃうんかい」
「違うのですか」私は怪訝な顔をして応えました。
「馬鹿言え。その翼でしかと飛んどるやないかまったく。あんさんときたら、わいの飛びつくや否やいきなりぶっ飛んで、そのまんま空の彼方に消えおってさあ。あの速さにはかなあねえやな。へへ、韋駄天みたいだったぜ」
「韋駄天は走りの方でございますからねえ。トゥパレフとお呼び下さいまし」
「そりあ敵わん訳だ。はっはっは」
彼は大きな声で笑いました。私も釣られて笑いました。
「時に貴方の御名前は何と仰いましたか」
「亜鵺。鵺みたく訳の判らん奴だからなわいは。だが鵺っつうのは虎鶫も指すことがあるらしゅうて、そいつに失礼のない様に鵺に亜ぐ者という所以じゃろ」
どうしてあんなに厭わしかった彼と、閑話をしているのか自分でも判りかねましたが、何だか楽しい気分だったのでそのまま続けました。
その内私はあの頃を思い出して、彼に問い糺しました。すると彼は水に流せと言うのです。私とてあれを許す訳には行きません。彼は散々謝りましたが、遂に私はならぬと貫き通しました。
被害者である私と加害者である亜鵺さんの間に、あの罪に対する意識の差異があることを、私は許すことができません。
やはり、彼とは相容れぬ様です。
酷く遅うございますが、私はどうやら死んでいなかった様です。それどころか死に際に立った時、生きたいと叫ぶが如く駆け出したのです。心でああ声明した時でさえ、この世に心残りがあったのかと思えば情けなくて赤面してしまいます。
彼と別れてからも暫く飛んでおりました。その間私は我が家族や旧友のことを考えました。しかし殊更合流して共に暮らしたいとは思いませんでした。愛の冷め止んだのではありません。今回でおおっぴらになった私の弱さを、断とうと決心したのです。我が決心とは短命なものだと先程申しましたけれども、こればっかりは何としてでも守り抜かねばきっとまた同じ目に遭うでしょう。そんなのはまっぴら御免です。
子雀一羽による新たな旅が今、始まろうとしておりました。