鳥目にあらざる鴉
だんだん参拝客が疎らになり、昼間人を見下すかの亜鵺は流石に寂しくなった。宵の口に鴉は良く鳴くが、その実は寂しいからである。鴉の鳴き声とは即ち、寂寥の泣き声である。亜鵺はひとつ泣いた。「かあ」
然るにややあって、その小さな脳内に哀情の微塵さえ残さぬある変化が亜鵺の身に起きたのである。彼の憂いに満ちた瞳が、瞬きする間には当代随一流鏑馬騎手たるに価する目敏さを携えたのであった。即ち卓越した視力を手に入れたのである。加えてそれに劣らぬ興奮が、彼が我が身に何事が起きたかを把握するのには骨を折ったものの、漸悟するごとに湧然として止まなかった。つい先までは鳥目であったからである。
亜鵺は目前の景色がこれ程までに美しいのを初めて知った。記念として視界の端から順に見詰めてひとつひとつを目に焼き付けようと試みたが、鳥類としての頭脳の方には特段変化がなく、遠方の雪を被った山峰を見物すれば、ひとつ前に見物した鬱蒼たる木立の情景は頭の中から綺麗さっぱり消えている始末であった。
一向に人気の失せる山腹の靉靆とした風情を漂わせる中、一羽の鴉の眼だけが鋭く煌めいていた。その眼はやがて、碧落の彼方に見覚えた小さき何かを捉えた。子雀である。この間いぢめてやった子雀だとはすぐに判った。彼は生憎にもひとたび目標を見つけると、如何なる手段を用いても辿り着かねば気の済まない面倒臭い奴である。そして彼は今の我が遊び相手として最適だと、あくまで一方的かつ主観的に思った。
亜鵺は静かに翼を広げ、風の様に飛び立った。次第に速度は大きく、比例して興奮は向かい風に劣らず頬を熱した。それでも尚、あの碧色の瞳は子雀の左翼一点を捉えていた。その姿はもはや、コンコルドとステルス技術の夢の共演であった。