煩天四大神 3
正に今し方首の皮一枚で店内を怒号の嵐にしたであろう侃々諤々の大論争は、その大元がどうやら何かおかしいことに気付いて人差し指を口元に添えたことで杜絶した。今や店中に拡大しつつある狼狽した空気は俄しく、切迫で満たされた。
廻氏がはっとして開口した。
「見えない」
「え? 何」
「君の服のボタンだよ。今急に」
「おいおい、お前は目が良いんだから、それこそ目利き違いじゃないか」
「本当なんだよ。ほらそこ、窓の外に川があって橋本に月が反映しているだろう? あれの痘痕模様も見えないんだな」
「それ普通だがね」
「それに我等の話し声が聞きよくなった。遠くからの雑音さえ入ってきて何だか不安になるなあ」
「そういえば私は、今し方急に君達の会話が聞こえにくくなった」
「へぇ、宇佐美氏もかい。狩折氏と利光氏には何か起こったか」
「僕には特にないですよ」
「私も同じく」
「一体どういうことなんだろう」
四人は暫く閉口頓首であった。
しかし間もなくして狩折氏が何やら思いついた様に言った。
「こう考えたらどうでしょう。我々は先程他人の特殊能力を羨んで、今それが叶ってしまった。その代わりに自分の能力は消えてしまう。要するに自分の能力を、それを望む者に知らぬ間に渡した、と。」
「なるほど。でもそれじゃあ、お前と利光氏の件はどうなるんだ」
「それは思い出して少し考えて見ればわかります。尤も僕だからわかったんですけれどね。僕と利光氏は、能力を奪われたことにも、受け取ったことにも気付いていなかったんです。僕の能力は嗅覚だった。嗅覚ならすぐに奪われても気が付かないでしょう。確かにもう鼻は利きません。そして受け取った能力は利光氏のおつむです。これにもかかる理由で気付きにくいです。考えたらわかりましたけれどね」
「だとしても、どうして君達はそんなに冷静なのだね、私も含めて」
「それは多分、いきなりぶっとんだ話を聞かされたからだろうなあ。僕も驚く遑もなかった。しかしということは利光氏にも能力の遷移は起こっている訳だね」
「んー……その筈なんですが……利光氏、どうですか」
振り向いた顔に汗が光った。
「実は私もその考え方に至った時、廻氏の視力を試して見ようと思ったのだが……先廻氏は言っていただろう? 川に映る月のクレーターがいつもは見えていると。私には見えないのだよ、クレーターも、お前のシャツのボタンさえも!」