無垢なバラ
「お母様、なぜ人を殺してはいけないの」
「人を殺すことはいけないことだからよ」
「……ふうん……」
月白の大理石に敷き詰められた、真っ赤な薔薇。血染めの薔薇の上に横たわるのは、女の死体。閉じられた瞳の先で睫毛が影を落とし、緩やかに伸びた髪は弧を描いて広がる。血の抜けた青白き肢体は艶かしく、天窓から降り注ぐ月光に白く輝く。心臓に突立てられた、銀のナイフ。この国の貴族であることを示す紋章が、刻まれていた。
あなたは「薔薇の帝王」をご存じですか。
男が私に問いかけた。
土気色の肌、痩せた体躯。艶の無い黒髪は、緩い波を描きながら落ちている。柔らかさを感じさせないのは、その見透かすような目が原因だろうか。
「薔薇の帝王」あるいは「死の王」を知らぬ者など、今この国にはいないだろう。世間を騒がせている殺人鬼。無差別殺人鬼、いや男女問わず見目麗しき者のみを狙う秩序型殺人者。彼に与えられた名が「薔薇の帝王」「死の王」だ。心臓を一突きにされ、服を剥かれた遺体は、常に薔薇と共に発見される。ある時は隠されるように、ある時は埋もれるように。ある時は桃色の薔薇、ある時は黄色の薔薇。
犯人の情報は露ほどもなく、軍どころか王宮直下の警備部隊さえも手を焼いているという。
知っていますよ、と返事をすれば「バラ窓を見ていたら、ふと思い浮かびましてね」と男は言った。ステンドグラスを通した太陽の光が、木造の床に色を落とす。
「どう、思いますか」
男は死神のようだった。それは、喪服のような真っ黒な服がそう思わせるのか、それとも色の悪い肌のせいか。空気に溶けそうな緩やかな声のせいか、鈍く輝く山葵色の目のせいだろうか。
「早く捕まればいいと、思いますよ。殺されたくはないですからね」
囁きに近い声も、人のいない教会ではいやに響く。蝋燭の火が、揺れた気がした。
それでは、私はこれで。祈りを終えた私は立ちあがり、男から離れ、教会を出ていく。
はずだったのに。
なぜ、私の視界は闇に包まれているのだ。外は、まだ昼間だというのに。太陽が輝いているの、に……
人のいない教会を、隙間風が抜けていく。神に捧げられた贄を照らす蝋燭の火が、消えた。




