何かが潜んでいるのなら
翌日、いつも通りに起きた僕は、学校の帰りに財布を受けとる旨のメールを妹に送った。返事は来てないけれど、読んではくれているだろう。いつも通りに家を出る。親が旅行中だが、まあそうだとしても、家に誰もいないのは普段と変わらない。父親が仕事か休みかの差だ。無人の家に一声かける。
「いってきます。」
家からうちの学校までは歩いて30分ほどだが、僕はのんびり歩きたいので余裕をもって家を出る。歩き方にむらがあるのか、同じ時間に出ても早かったり遅かったりで誤差が20分くらい出てしまうのだ。それで遅れないようにしているから、早い日はすごく早く学校に着く。今日みたいに。
「とりあえず、寝るか。」
「いや寝るなよ!」
早速のツッコミがやってくる。
「だって、することないでしょ?」
それになんだか眠いし。
「おいおい。高校生と言えば青春だろ。朝早く人のいない教室に朝日が差し込んでいる。なにか思うところは無いのか?」
「いや、宗平いるし。」
そうそう、こいつは宗平。何でここにいるのかがわからない。クラスメイトではあるけれど。
「いたら悪いか?俺は朝練があってだな。まあつまり、ちょうど今青春してきたってところだ。」
えっと、なに部だっけ?たしか。
「たしか、プロレス野球部だったっけ?」
「そんな落ちこぼれに俺が見えるか!?弓道部だよ!!」
「ほうほう、なるほどご苦労様でした。」
どうやら幻覚とかじゃあないらしい。多分。まだなんかぶつくさ言ってるし。
「ところで、お前昨日なんかあったのか?」
お、良い質問だ。こんなこともあろうかと、用意周到にうまい言い訳を考えたのだ。
「まあ、ちょっと体調崩して家で寝てたよ。」
考えてはみたけれど、結局これしか思い付かなかったぞ!
「そうか。もう大丈夫みたいだな。」
良かった。うまくいったみたいだ。
「うん。僕も訊きたいんだけど、学校の方は昨日は特別何も無かった?」
小テストの予告とかあったらまずい。
「俺にとってはいつだって特別だ。なんたって青春の……」
「いやもうそれは良いから。」
途中で遮る。なにか噛み合わないな。そういうことじゃないんだよ。
「そうか?じゃあ他にあるとすればひとつだな。」
「何?」
そうそう、青春の話はもう良いからもっと実のある情報が欲しいんだ。
「お前が休んでたぞ。」
「うん!知ってる!」
やっぱりだめだこいつ。そんなこと僕が一番わかってるんだよ!
結局、昨日は特になにもなかったみたいで、今日はいつものように授業をやり過ごした。いつものようにというのは、ほとんど居眠りするということになる。なので、あっという間にこうして放課になるのだけれど。ただ、昼休みに財布がないことで学食代を宗平から借りなければならず、彼の提案である“青春じゃんけん”に挑んだのは屈辱だった。結局僕はその勝負に勝って、何とか昼食にありつけた。でもなんだろう、この敗北感は。宗平は負けたのに、満足したような顔で僕にお金を差し出して、返さなくて良いとさえ言ったのだ。何故なら、“良い青春、見せてもらったぜ!”だそうだ。宗平にとっては、僕の醜態が一番のご馳走なのだろう。僕は勝負に勝って、試合に負けたのだろうか。逆かな?まあそれは忘れることにして。
さておき、妹はどうやらちゃんと僕の財布を持ってきたみたいで、近くの公園で待っててくれているらしい。僕の高校と妹の中学は少し離れていて、間にその公園がある。だいたいどちらからも同じくらいの距離なので、待ち合わせにはちょうど良いのだ。よく、先輩後輩カップルが待ち合わせてたりもする。考えてみたら、誤解を招きそうな待ち合わせだな。まあ、あれはただの妹だ。決してやましい気持ちはない。断じて。とはいっても、誰かに見られたら面倒だな。家庭事情的に。
「おーい!おにいちゃーん!」
早速、目立つやつだな。先に公園にいた晴世が駆け寄ってくる。幸運にも、公園に知り合いはいない。どのみちいたとしても、お互い見なかったことにするだろう。暗黙の了解的なやつ。ただ、僕の方は、誤解されっぱなしになるよな。
「その呼び方、外だとすごく恥ずかしいからやめない?」
「そうなの?じゃあ“おにいたま”とかが良いってこと?」
いや違うだろ。そういうことじゃないだろ。
「名前で呼んでくれると有り難いんだけれど。」
「え!?これって名前じゃなかったの!?」
「そんな名前のやつがいるか!いるとしたら、名前をつけた親を見てみたいくらいだ。」
「あなたのお父さんとお母さんは遠いところに行ってしまったのよ。」
「不謹慎極まりないな妹よ。そして僕の今の母親は義理であるというのが、また何とも複雑だ。」
「苦労してるのね。」
お前もな。しかしこの話、続けたら底がなさそうだ。それ以上いけない。
「まあいいや。」
「いいんだ?」
「もういいよ!!」
「そっか。じゃあお財布は、っと……」
切り替えが早い子だな。こっちがむしろまだ納得いかないような感じだけれど。あれ?と晴世が自分のカバンを漁る。中が女子とは思えない混雑ぶりだ。
「ちゃんと整理しておきなよ。」
「見た目は悪いけど、捨ててないだけだよ。逆に言えば、何も無くならないってことだよ。逆にね。」
「いや、逆も何も現に今無くなってるんじゃ……。」
「検索中と言って欲しいな、おにいちゃん。お!ほらあった。」
確かにそれは僕の財布だった。はい、と出された財布を受け取る。
「検索が必要なカバンって言うのもどうかと思う。」
まあ、持ってきてもらっといて文句は言えないけれど。
「検索すれば何でも出てくるのが、このカバンの利点なのさ。」
四次元だったら良いのにな。それ。
「まさか、なまものとかは入ってないよね?」
「当たり前でしょ。」
「それは良かった。」
さすがに入っていないらしい。ある程度の線引きはしてあるみたいだ。
「以前それでひどい目にあっているからねー。おにいちゃん、人類とは進化する生き物なのだよ。」
お前のスタート地点は人類の一歩手前だ!!
それから晴世は、友達を待たせていると言ってすぐに去っていった。昨日の言いつけ通り、一人で帰らないようにしているのか。いや、そもそも晴世なら一緒に帰る友達に困ることは無いだろう。あれで孤立しているとも考え難い。とにかく、安全に帰られるならそれで良い。あ、そういえば鍵の事を言い忘れたな。後でメールか電話で伝えておけばいいか。
さて、僕も日が暮れる前に帰ろう。しかし、そうして公園を出たところで声をかけられた。
「お!やっぱりお前か。何でこんなとこにいるんだ?」
宗平だ。間の悪い奴だな。まあでも現場は見られていないだろう。説明するのが面倒だから、適当にあしらっておこう。
「知らないの?ここの公園の水道は、特殊な蛇口の捻りかたをすると、サイダーが出るんだよ。」
「いや、それはどうでもよくて、さっきのあの子誰なんだ?なにか話してたろ?」
見られていた。観念するか。早速レジグナチオン。て言うかツッコんでくれてもいいのにね。
「妹だよ。義理のね。ついこないだ親父が再婚してさ。」
「じゃあその連れ子か。」
「そう、それでちょっと早急にあいつに用事があって。」
昨日晴世の家に泊まったなんて説明するのは、色んな意味で良い手だと思えないので、今度こそあしらった。
「なるほど。納得だ。」
どういう意味だかわからないけれど、うまくいったらしい。
「そういうこと。それじゃ、僕は帰るよ。」
「ちょい待って。」
ドキッとする。え?なんかぼろが出たか?ヤバいぞこれ。
「気を付けた方がいいぞ。“おにいちゃん”。」
「い、いや、もう晴世の家に財布忘れたりしないから。そ、それじゃ。」
「そうじゃなくて。あいつ、なんか裏がある感じがする。」
ばれてなかったみたい。だとしたら今墓穴掘ったけれど。それでもばれなかったのは、宗平の抜けてる具合が尋常じゃないからだろう。
「妹に気を付けるって、どうすれば良いのさ。」
「一応頭の片隅くらいにいれておいてくれれば良い。俺の勘は結構当たるんだぞ。」
そうだった。宗平の勘は、結構当たる。一部では教祖の如く信仰されているとか。まあ、かといって外れるときも多々ある。そもそも、裏があるからどうということもないし。
「わかったよ。」
「それともうひとつ。一昨日の夜中、お前ここら辺歩いてなかったか?」
「いや、全然記憶にないや。人違いでしょ。」
その日の夜は頭を打って記憶とんでるし。晴世の家に行く途中を見られたのかな。どのみち言わないことだ。嘘は言ってない。
「そうか。それならそうだろうな。」
「それじゃあ、今度こそ帰るよ。」
もはや一刻も早くこの場を離れたい。気が気じゃない。歩き出そうとする。
「あ!!」
僕はビクッと小さく跳ねて固まった。声大きいな。それより、やっぱり宗平がなにかに気付いたみたいだ。どれがばれたんだ?隠し事というのは、ばれたときのリスクが大きいことで有名である。どーすんの、僕?どーすんのよ。
「ど、どうしたんだい?宗平君や。」
しらを切るという切り札をきってみた。駄目だ。誤魔化せそうにないぞ。妙に韻を踏んだけれど、頭はもはやパニック状態だ。
「あの子、晴世って言うのか。」
そこかい!!心が叫んだ。
ようやく宗平から解放されて帰路に着いた僕は、安堵から深く息を吐く。それにしても宗平の鈍感さには驚いた。まあそれのお陰で助かったのだけれど、あれで勘は鋭いのだからユニークなステ振りだ。
そういえば、宗平が僕を見かけたって言ってたな。一昨日は晴世の家に行った日だったっけ。確かに僕の家から晴世の家に行くなら、この公園を通ることもできるけれど、夜は人気もないし街灯も少ないこの道を、僕はわざわざ使ったのだろうか。頭を打ったせいで、そこの記憶がさっぱり抜け落ちている。そこまで大事な事ではないので、あまり気にはならないけれど。
「あ、ちょっと君。少し良いかい?」
とそこで、再び誰かに声をかけられる。今日はなんだか多いな、こういうの。人違いだと良いな。しかし今この通りは、僕以外に歩く人はいない。
「えーと、呼ばれたのは僕でしょうか。それとも後ろに取り憑いている石鹸の霊でしょうか。」
「だとしたら両方かな。少し聞きたいことがあってね。」
歳はわからないけれど、とりあえず歳上だろうな。でも何だろうこの人、オカルト好きなのかな。
「仕方ありませんね。その前に、どちら様でしょうか?」
「刑事風お姉さんってところかな。」
「なるほど。“でかかぜ”、珍しい苗字ですね。」
「苗字で呼ばれるのは恥ずかしいから、“おあね”と呼んでくれるかな。」
この感じだと誰もツッコミそうにないな。このままで行くか。
「それで、おあね。聞きたいことって言うのは?」
「行きなり呼び捨てとは、結構チャラ男なのね。最近流行りの猫を被った狼系男子ってやつ?そんなナウいヤングに人探しに協力してほしくてね。」
「はあ。」
そんな系男子は流行ってないよね。聞いたこと無いし。まさか僕が遅れてるのか?
「この子に、見覚えは無いかな?」
そうして僕が最近の流行を嘆いていると、ごそごそとポケットから取り出した1枚の写真を差し出された。折れ曲がってよれているそれには、小学生くらいの女の子が写っている。知らない顔だけど、何か引っ掛かるなあ、この写真。何だろう?
「誰ですか?この子。」
「娘ってところかな。見掛けてない?一昨日ここら辺で。」
みんな一昨日のことばっかりきいてくるなあ。何かあったのかな。
「覚えがないです。でもなんで一昨日なんですか?」
あったとしたら、思い付くのはきっと……。
「一昨日からこの子帰ってこなくてね。捜索願いは出したんだけど。個人的にも探していたら、この子の持ち物がここで見つかってね。」
そう。それって、つまり、この写真の子は……。
「失踪事件の被害者ってこと……ですか?」
「そうなのかを、確かめたいのさ。」
冷静でいて、かつ執念のようなものを秘めた眼光が、鋭く僕をつらぬいたように感じた。