8曲目『大会に備えよう』
☆
五月某日。最後の五月晴れが見られた日の帰り道。
JR四條畷駅で松岡たちと別れた俺は、駅のホームで愛しの幼馴染と再会した。
「あっ……敬ちゃん!」
大きな荷物を抱えて、よたよたと近づいてくる早苗。
「どうしたんだ、その大荷物」
「ちょっと学校で使ってたの。衣類がたくさん」
早苗は大きなバッグの中身を惜しげもなく見せつけてくる。
中には毛布のようなものが何枚も包まっていた。
「へえ、演劇にでも使ったのか?」
「よくわかったね。前に学校で演劇祭があって……その時にね」
彼女はニヒヒと笑ってみせる。
そんなイベントが会ったのなら見に行きたかったなあ。
そう思った時、ふと以前の彼女の辛辣な言葉が頭の中を駆け巡った。
『ただでさえダメダメなのに性格まで悪いとなると、もう褒めるところが無いよ』
途端に目の前にいる早苗の本心がわからなくなる。
「な、なあ」
「なに、敬ちゃん」
早苗は小さく首をかしげる。
「……どうしてこの間はあんなに酷いことを言ってきたんだ?」
「酷いこと?」
「いや、俺が優しくないとか色々と」
「……だから、それを聞いて敬ちゃんはどうしたいの?」
「どうしたいのって……」
何だか、早苗とは言葉が通じないような気すらしてきた。
この前の時だってそうだった。話を聞いたのに最初はまともに答えてくれなかった。
そっちは俺の話をやたらと聞きたがるのに、どうしてそんなに嫌がるんだ。
「……ごめん敬ちゃん。ちょっといじわるだったね」
「ああ、いや……」
しおらしい表情の早苗に、俺は何も言えなくなる。
こういう時、男は非常に弱いものらしい。
「敬ちゃん」
「な、なんだよ」
「一つわかっていてほしいのが、私は敬ちゃんのことが嫌いじゃないってこと」
「へ?」
「あれは……あの時は悪口言ってごめんなさい」
ペコリと頭を下げられる。
俺は尚更、どうしていいのかわからなくなった。
「――でもあれは紛れもない本心なの」
「ええ!?」
え、え、ええ……?
「なんというか……その……とにかく敬ちゃんのこと嫌いじゃないから!」
瞬間、彼女のセミロングの髪がものすごい突風に吹かれる。
ホームに宝塚行きの快速電車が入ってきた。
☆
さて、狭苦しい満員電車の中で話し合いはできない。
駅のプラットホームでもしたくない。
東城見の通りなんて、昔馴染みがたくさんいるんだから、それこそ俺たちの話を聞かせたくない。
そんなこんなで、家の前までずっと黙ったまま歩いてきてしまった。
「……久しぶりにお邪魔してもいいかな」
うつむいたままの早苗がポソリと呟く。
お断りする理由が無いので、俺は彼女を家の中に迎え入れた。
「あら……えっ」
居間でくつろいでいた姉が、家の中に入ってきた早苗を一目見て、持っていた携帯ゲーム機を床に落としてしまう。
あのゲーム機、すっごい高かったのに。壊れてないかな。
「えええっ……早苗ちゃんがウチの家に……?」
「……変な勘違いしないでよ、姉ちゃん」
「だって六年生以来じゃないの! 外ではよく見るけど、うわあ懐かしいわあ!」
早苗の手を握り、わしわしと頭をなでたりする我が姉。
彼女も苦笑している。
「じゃ、上に上がるから!」
俺は早苗の手を引いて、狭い階段を登ろうとする。
「えっ……連れ込むの!? ていうかこの前の子が本命じゃないの!?」
「この前って、いや東野なわけないだろ!」
「じゃあ……誰かな?」
姉の温和な微笑みに、俺は一本取られたことを確信した。
別に、そんな特定の誰かはいないつもりだ。
しかしここで大っぴらに否定するのは早苗に対して失礼にあたる気がしたので、俺は黙って階段を登ることにした。早苗にもついてくるように促す。
俺はこの家の二階に四畳半の自室をもらっている。姉の部屋(十二畳)と比べるとかなり手狭だが、自分一人で過ごすなら十分な広さだ。
ところが、友達が来るとなると話は変わってくる。
学習机からテレビ、果てはクローゼットまで置かれた我が部屋において、安住の地はせいぜい一メートル四方。
俺たちはそれなりに接近して座ることになった。
「……懐かしいね」
「そうだな。本当に六年生以来だもんな」
小学校時代。俺と早苗は何をするにも一緒だった。
二人でマリオカート64をしたり、一緒にスターウルフを退治したりした。時には人形遊びだってやった。
こんな狭い部屋でも当時は十分な広さがあった。なぜなら二人とも身体が小さかったからだ。
小学五年生になって、彼女が夜遅くまで学習塾で勉強するようになると、どうしても時間が合わなくなってしまい、次第に遊ぶこともなくなってしまった。
最後の時――あれは中学に入る直前、三月のことだったか。
彼女は突然現れて、いつものように遊ぼうと言ってきた。
あの時も、彼女はニヒヒと笑っていた。
「敬ちゃんはあれから、自分が変わったと思う?」
早苗はカバンから藍色の毛布を取り出し、自分の足の上にかけた。
「俺が? いや全く」
「そうだろうね。全然変わってないもん」
彼女は数年ぶりに、この部屋でニヒヒと笑ってみせた。
「――本当にどうしてなんだろうね。どうして何をするにもこの部屋に回帰しちゃうんだろう。理屈ではおかしいって、きっと『それよりもっと』があるって、わかってるはずなのにねえ」
「早苗?」
「ううん。こっちの話」
彼女は遠くを見るような目をしていた。
そしてその目は、俺に一抹の寂しさを感じさせる。
「ゲームでも……するか?」
「……うん。久しぶりにマリオカートでもやろうよ」
彼女の返事を聞いて、俺はゲーム機の電源スイッチを入れる。
「あ、ダブルダッシュでもいいか?」
「ダブルダッシュ? なにそれ?」
「マリオカートの続編というか、ちょっと古いけど新しい奴だ」
「……64はもうないんだね」
彼女は近くにあったゲームキューブ用のコントローラーを強く握る。
やっぱり慣れていた64版のほうが良かったのだろうか。でももう廃棄しちゃったしなあ。
俺が頭をポリポリと掻いていると、彼女は俺の袖口をぐっとつかんできた。
「敬ちゃん」
「は、はい?」
「私はいつかマリオカート64を手に入れるよ。そのために今まで頑張ってきたんだから。絶対に絶対に手に入れるよ。自分に打ち勝って、絶対に入手してやるの……」
彼女の真面目な顔つきに、俺は何も言えなくなる。
だってほら、あんなの中古でいくらでも手に入るものだし……ねえ。
でも、彼女の表情は真剣そのものだった。
「とりあえず、今はダブルダッシュをやろうぜ」
「……うん。わかった」
俺はテレビを点けて、画面をゲームモードに変更する。
ダブルダッシュは64版に慣れていれば十分に対応できるゲームなので、早苗もきっと満足してくれるだろう。
それにしても――早苗ってこんな女の子だったっけ。
この前、急に悪口を言ってきたことも然ることながら、今日の様子にしても相当おかしかった。
俺はもう少し昔のことを思い出すべき、あるいは調べるべきなのかも……しれない。
☆
五月二十四日。アナウンス原稿提出の日。
ギリギリまで推敲を重ねた結果、俺の最終提出原稿は次のような形となった。
『私達の学校には、球技大会という行事があります。自分のやっていないスポーツに触れて、日頃のストレスを発散するのが目的です。技術指導は各部活の先輩方がしてくださり、素人でも安心してスポーツを楽しむことが出来ます。そのため、毎年楽しみにしている生徒も多く、校内でも人気のある行事の一つです』
『去年行われた球技大会ではクリケットや水球など、普段あまり馴染みのないスポーツを体験することができました。また、女子バレーボール部と女子ソフトボール部が水泳で対決する企画もありました。双方一歩も譲らない対決となり、最終的には女子ソフトボール部が勝利したそうです』
『他にもストラックアウトなどの企画があり、一人でも多人数でも楽しめる大会となりました』
『球技大会が終わった後、生徒たちは「普段とは違った気持ちでスポーツに取り組めた」「吹奏楽部にバスケットボールで負けたのが悔しかった」などと話していました』
『普段私達は専門外のスポーツに取り組むことがあまりありません。球技大会は私達が新しいスポーツに最高の形で出会える行事といえそうです』
本番ではこれを一分三〇秒で読み切ることになる。
題材に九月の球技大会を選んだのは、単純に学校行事はニュースにしやすいからだ。
Bコンのアナウンス原稿は「校内放送を前提としたニュース原稿」であると規定されているので、ニュースの内容は校内放送に適したものが望まれる。
学校行事についてのアナウンスなら、校内放送で流しても全く問題がない。
「しかも行事のあらましを書くだけで立派なニュース原稿になっちゃう」
「おお、すごいッス」
「これが手際の良い原稿の作り方だよ。秋の新人大会では伊藤ちゃんも真似してみるといい」
「わかりました! ご教授ありがとうございました!」
ニッコリと笑みを残して、伊藤ちゃんは去っていった。
ちょっとは先輩らしいことができただろうか。
「ははは。その手際が良いやり方とやらで期限ギリギリまで原稿を書いていたのはどこのどいつだよ」
購買で買ったプリンを片手に近づいてくる松岡。
たしかにそう言われるとぐうの音も出ないけど……。
「……松岡だって最後まで足掻いてたじゃねえか」
「ぐっ、それは言わない約束だったはずだぞ、古城」
前日の夜遅くまで部室に残っていた俺たちは目くそ鼻くそだった。
顧問教師に完成原稿を提出し、今日のところはひとまず帰らせてもらう。
自転車通学の加地前先輩と駐輪場で別れて、ソフトボール部の部室に忘れ物をしたらしい伊藤ちゃんが帰り道の途中で引き返せば、後に残るのはいつもの三人だ。葛西さんは例によって夕方になる前に姿を消している。
「いやあ、やっと終わったねえ……」
歩きながら深呼吸の真似事をする東野。心なしか笑顔が輝いて見える。
俺や松岡と同じく東野も原稿には苦しめられていたので、その分開放感があるのだろう。
かくいう俺も向かい風がすごく気持ち良い。
「マヌケなことを言うな。これからが本番だろうが……」
一方で松岡は陰鬱そうな顔をしていた。
「そりゃ明日から読み練だけどさ、洋祐だって内心ホッとしてるでしょ?」
東野は笑みを失わない。
彼の言う通り、明日から本格的に読みの練習――略して読み連が始まる。
原稿を一生懸命に読んだり、あるいは他人の読み方にケチをつけたりして、みんなでレベルアップを図っていく。
もちろん加地前先輩じゃあるまいし、俺は大会で活躍しようなんて毛頭考えていないけど、みんなで練習するんだからサボるわけにはいかない。それにある程度練習しておかないと会場で大恥をかくことになる。
「ホッとするも何も憂鬱が続くだけだ。去年の葛西みたいに本番で失敗しないとも限らないし……」
気落ちした表情を見せる松岡だが、わずかに口元に笑みを含んでいた。
おそらく葛西の失敗を思い出して笑っているのだろう。本当に徹底して皮肉屋だなあ。
「去年のあれは……事故だったね」
そう言って東野は夕空を見上げる。
あの時も空は赤く染まっていた。
一年前。当時一年生の俺たちは初めての大会を前にして大いに緊張していた。
そこは自信過剰な葛西さんも例外ではなかったらしく、額から凄まじい汗を垂らしていた。
会場に入る前から足元のおぼつかなかった彼女は、予選会場の府内某高校に入ってからはさらに憔悴するようになり、それから頻繁にトイレに通い始めて、最終的にはトイレから出て来れなくなった。原因はわからなかった。
時は無情なもので、やがて彼女に発表の順番が回ってくる。
当時三年生の先輩方から説得を受けて、ようやくトイレから出てきた葛西さんは、順番待ちの椅子に座ったところで、再び滝のように汗を垂らし始めた。
会場は高校の教室で、黒板の横に五脚ほど椅子が並べられていた。つまり彼女の番になるまでに五人分の発表があった。その間も葛西さんは汗を流し続けた。
そして本当の意味で彼女の出番が訪れた時、彼女は目の前で自分を見つめる数十人のライバルを相手に、壇上からわけのわからないことをうわごとのように話し始め、ついには会場を追い出されてしまった。
「自信と自負と極度の緊張に押しつぶされちゃったんだろうね」
東野は目を細める。
あの大会の後、葛西さんは泣いていた。
後にも先にも彼女のあんな姿は見たことがなかった。
「誰もあいつにそこまで期待なんてしてなかったのにな」
口に手を当てる松岡。
「なるほど……葛西先輩にもそんな時期があったんッスねえ」
神妙そうな顔でうんうんと頷く伊藤ちゃん。
曰くご自慢のサイドポニーが前後に揺れる。
「って伊藤ちゃん!?」
「こんちゃッス。走ったら追いつけましたね」
忘れ物の体操服を抱えて、彼女は多少息を吐く。
あくまで多少、さすがはソフトボール部。鍛え方が俺たちとは違うみたいだ。
「いやいや、どうしよう洋祐!」
「あまり人に教えるべきじゃない類の話をムツミンに聞かれてしまったな……くそっ」
東野と松岡は明らかに狼狽していた。
人の恥ずかしい過去の話を、本人以外が他人に語るなんてのは下の下のやることだ。
そこはさすがの松岡でも控えたいと思うところらしく、いつになく気まずい表情を見せている。あと目が泳いでいる。
「先輩方、お気になさらず。ちゃんと黙っていますから」
そう言って伊藤ちゃんは唇に人差し指を当てた。ついでに片目もバチッと閉めた。
よく見るとまつ毛長いなあ。抜けて涙腺あたりに挟まったら痛そうだ。
……いやいやそうじゃなくて。
「伊藤ちゃん、できれば忘れて欲しいんだ……」
「もちろんそれも善処はするッスよ。任せてください古城先輩!」
バシっと背中を叩かれる。普通に痛い。
「――ただ、ちょっといい話を聞いたなってのはあるんですよね、実は」
「いてて……いい話だって?」
今の話のどこかいい話なんだ。
失敗するのを恐れた葛西さんが緊張のあまり大爆発しただけの失敗談じゃないか。
揃って首をひねる俺たちに、伊藤ちゃんは柔らかく笑いかける。
「……自分、入部して早々大会とか言われて、ちょっと萎縮してたんッスよ。いきなり原稿を書けとか言われるし、何より大勢の前で発表させられるだなんて、素人にとっては公開処刑も同じじゃないですか。いったいどんな恥をかかされるのか、内心不安だったんです」
「伊藤ちゃん……」
伊藤ちゃんはフッと髪を掻き上げる。
「それが、すでに考えられる中でも最悪の失敗をやってくれていたと聞いて、正直安心しました。さすがは葛西先輩ッス。自分のチンケな心配事をあっさり吹き飛ばしてくれましたよ。これで好きなだけ自分の全力が出せるッス!」
彼女は自分の体操服をバット代わりにブンと振り回す。
あのフォームは猛牛戦士・水口をモデルにしてるのかな。気合を入れて打ってる気がする。
「そういえば、ムツミンはどうして放送部に入ろうと思ったんだ?」
松岡が伊藤ちゃんに話しかける。
「あ、自分ッスか。大したことないですけど、あえて聞きます?」
「……勿体ぶらずに教えろ」
「ではお言葉に甘えまして。今までソフトボールしかやったことなかったんで、他のことがやりたくて。放送部を選んだのは……クラブ説明会の時にすごい美人がいたじゃないですか。体育館の放送室の窓に映るあのご尊顔を一目見て、あんな清楚な人と一緒にいたら、自分もちょっとは落ち着くかなあって思いましてね……」
恥ずかしいのか、伊藤ちゃんは歩みをちょっぴり早めていた。
それよりもっと恥ずかしいのが東野だ。窓に映った美人なんてこいつしかいない。
「ははは。僕の作戦は一応の成功を収めていたわけだ。これで二人目だもんな」
「冗談じゃないよ洋祐! あんなの二度としないからね!」
「え!? あれって東野先輩だったんですか!?」
どうやら気づいてなかったらしい。
「はあ……残念ッス。せっかくお近づきになれると思いましたのに」
「……そうやって無駄に期待されるから、女の人の格好はしたくないんだよね」
仲良くため息をつきあう二人。
そうこうしているうちに俺たちの足は四条畷駅に差しかかり、今日もまた俺は一人きりで京橋方面行きのホームに立つことになった。
伊藤ちゃん、忍ヶ丘の住人なんだよなあ。残念無念。
☆
『こんにちは、DJリコです!』
『バックで流れておりますのは中森明菜で「ミ・アモーレ」です!』
『本日はリクエストを受けて懐かしのアイドルソング特集となっています。皆さまのお耳の保養になるよう厳選に厳選を重ねて選曲させていただきました。なのでぜひぜひ聴いちゃってくださいね』
『夏が近づいてきた昨今。放送部はそろそろ大会が近づいております』
『ババンっと一発キメてやりたいところですが、新入生の訓練が大変だったりして色々と難しかったりします。みんな頑張っているので良ければ皆さんも心の中で応援してやってくださいね』
『心の中で気持ち抑えきれない人は……いっそ入部しちゃいましょう!』
『ではでは! 曲紹介といきますか!』
『一曲目は中森明菜で「スローモーション」。彼女のデビュー曲ですね!』
『二曲目は中森明菜で「十戒 (1984)」。みんなでハッパかけてもらいましょう!』
『三曲目は中森明菜で「サザン・ウインド」。海風にあいさつ!』
『ではでは一曲目から三曲続けてどうぞ!』