4曲目『ラジオドラマを作ろう』
『着飾った淑女が街角に立っていた』
『おお、彼女こそが世界の頂点でありんす!』
『人はみな彼女に惹かれるのだ!』
去年の八月に制作された、我が放送部のラジオドラマ。
加地前先輩が脚本を担当した結果、一人のとんでもない美人をひたすら褒め称えるシーンが三分も続くという拷問みたいな作品になってしまった。
もちろん先輩がその美人の役を演じたのは言うまでもない。
「あれは来年の大会に向けての実験作として制作したものだった。結果はああなってしまったが、ノウハウは吸収できたつもりだ」
「つまり今年こそラジドラを出すってことだね、洋祐!」
四月某日。放送室の奥にあるスタジオで秘密会議が行われていた。
蛍光灯を消し、懐中電灯の光だけを頼りに今後の方針を語り合う。江袋高の放送部では昭和の時代から行われてきた伝統行事だそうだ。もっとも昭和の終わり頃までは単なるエロ本の品評会だったとか。
こうして男子生徒だけが集まるのはその名残とも言われている。
「そうだ。だが問題が一つだけある」
「脚本だね!」
「さっきから鋭いな東野。だがその通りだ。僕たちには脚本が無い」
汚らしいカーペットに座して、男たちは語り合う。
どうやら松岡と東野はラジオドラマを作るつもりらしい。
それもBコン――馬場町全国放送コンテストに出品するためのちゃんとしたラジオドラマを作ろうというのだから、その意気込みは相当のものだろう。
なぜならBコンは色々と大変だからだ。まず使ったBGM用のCDをいちいちメモしたりしなくちゃいけないし、他にもちょいちょい書類を書いたり出したりしなくちゃならない。内容だってきっちり八分以内に収めないといけない。
「細かいことは全部僕がやる。ドラマの収録だってチャッチャとやればすぐ終わるはずだ。だが面白い脚本を書くというのはなかなか難しい。日頃から頭の中で妄想を育ててそうな、そんな奴を探さないといけない……」
松岡は言い終えてから、こちらの顔をうかがうような仕草を見せた。
どういうわけか東野もこっちを見ている。
「……古城は文章とか書けるほうか?」
「日頃から妄想なんてしてねえよ!」
きっちり否定させてもらう。あいにく想像の世界で生きるような趣味は持ち合わせていない。
「古城がダメなら加地前先輩か……もしくは葛西だな……」
「葛西さんは頼んでも聞いてくれない気がするなあ。というか洋祐は書けないの?」
「そういうのはまるでダメだ。東野はどうなんだ?」
「全然。ボクは元より活字が苦手だからね」
二人してダメっぷりを自慢しあう松岡と東野。そういえば去年のアナウンス原稿もこいつらは随分と苦労してたっけ。俺も人のことは言えなかったけど。
アナウンス原稿というのは「ラジオドラマ部門」と同じくBコンの出場種目として存在する「アナウンス部門」において、ニュース原稿として読むための文章のことだ。
ここでは校内放送を前提とする内容が求められるため、内容は基本的に『高校生』もしくは『学校近辺』のニュースに限定される。
このニュースの題材を探すのがなかなか大変なのだ。日頃からネタになりそうな話題を集めておかないと大会前になって苦労する羽目になるし、さらには原稿として完成させるために取材なんかもしなくちゃいけないし……もうBコンって本当に大変。
「あら、放送部の伝統行事?」
放送室に補習帰りの加地前先輩がやってきた。扉のそばにある蛍光灯のスイッチをポチリと押してくださったので、暗かったスタジオが一気に明るくなる。
加地前先輩の後ろには葛西さんもいた。放送部員が勢ぞろいだ。
「そうだ……葛西、ちょっといいか」
「別にいいけど……何?」
松岡に話しかけられて、怪訝な表情を見せる葛西さん。
「葛西。お前にラジオドラマの脚本を頼みたいんだ」
「ラジオドラマ?」
「ええ、良いなあ! わたしがやりたいなあ!」
「先輩は前科があるからダメです」
「ええー!」
松岡に断られてショックを受ける加地前先輩。がっくりうなだれてしまわれた。
そんな先輩の後ろで、葛西さんは両手をフルフルと震わせる。
「この私に……脚本を書けというの?」
「そうだ葛西。お前はよく本を読んでいるだろう。読書好きなら脚本ぐらい簡単に書けるはずだ」
「それはちょっと違うと思うけど……でも脚本は面白そうね」
葛西の顔つきがわずかに緩む。
「やってくれるか!?」
「ええ、いいわよ。ただし対価として副部長の座を譲ってもらいたいわ」
その言葉に松岡の表情が凍る。
何だかんだでこいつも副部長になれたことを喜んでいる節があったので、この先はちょっとばかり難しい話し合いになりそうだ。
でもここで決まらないままだとラジオドラマも何もなくなっちゃうからなあ。
「と、とにかく脚本は葛西で決定としようぜ。報酬については後々折り合いをつけるということで!」
あまり割って入るのは好きじゃないけど、一応提案させてもらった。
「部活の仕事に報酬もクソもないと思うが……まあ良いだろう」
「そうね。大会後の話し合いできっちり決めさせてもらうわ」
ラジオドラマの計画を進めたい松岡と、脚本に興味がある葛西の思惑が一致した形で、ひとまずこの件は合意に至った。
「はいはい! 和解の握手しましょ!」
復活した加地前先輩が音頭を取り、松岡と葛西はたどたどしく和解の握手を始める。
二人の――まるで確執が融けた野球選手たちのような、とてもぎこちない笑顔に、東野と俺は思わず吹き出してしまった。
――果たして映画好きなら誰でも面白い映画が作れるのか。
意見は分かれるところだろうけど、何はともあれ放送部のラジオドラマの脚本は決まった。後はBGMや効果音に使えるCDさえ集めたら『素材』の部分は完成する。
ウチの学校では二十四年ぶりらしいラジオドラマ部門参加に向けて、頑張ろう。
「そういえば洋祐、どうしてラジオドラマを作ろうと思ったの?」
「賞を取れば関心が集まって新入部員が入ってくるかもしれないだろ。それに校内放送で流せば宣伝にもなる。まさに一石二鳥というわけだ」
松岡はまだ『可愛い後輩』を諦めていないようだった。
☆
ラジオドラマというのは、いわば台詞だけの劇だ。
他には効果音とBGMしかない。
声優の言葉だけで内容の全てを説明しないといけないので、脚本の台詞選びが肝要になる。
四月某日。ある雨の日。
たまたま部室でボーッとしていた俺は、葛西さんに請われて台詞作りの手伝いをすることになった。
こんな時に限って、どういうわけか松岡と東野は部室におらず、加地前先輩も例によって補習を受けていて不在だった。
「そうだな……『アンニュイで死んでしまいそうだ!』はどうだ?」
「主人公のキャラに合わない。もっと冷静な人物よ」
「だったら……まあ……うん……」
「…………」
あまり親しくないとはいえ、女の子と二人きりの部活だ。良い意味で緊張する。
かといって嬉しいかと言われたら、そうでもなかったりする。
今まで葛西さんとは短時間の発声練習ぐらいしかしたことがなかったから、あまり実感がわかなかったのだけど、実際二人きりになってみると……とてつもなく気まずいんですね。
さらに俺の役割が『葛西さんの考えたセリフ』にツッコミを入れるというものなので、必然的に相手の意見を否定することになる。そのたびに場に気まずい空気が流れて……もう、酷い。
「古城、次の台詞をお願い」
「ええと……『クソ喰らえ! うんちを喰え!』だっけ?」
「どう変えるべきかしら?」
冷静な人物が言う台詞とは思えないので全部変えちゃえばいいんじゃないかな。
ちなみにこの脚本のタイトルは『アンニュイの森』と言う。
主人公の森繁元信くん(小六)が持ち前の冷静さで降りかかる危機を乗り越えていく物語だ。
しかし森に閉じ込められてしまった彼は、やがて孤独でおかしくなってしまい、リュックサックや手袋と会話し始めるなど、心に大きな病を抱えるようになる。
それを救ってやるのが、同じく森に閉じ込められた女の子、落合恭子ちゃん(小四)だ。
「古城?」
葛西さんにじいっと見つめられる。
「ああ……そこは『どうしたらいいんだ!』にしたらどうだ」
「良いわね。もらったわ」
葛西さんは脚本に手書きの注釈を加えていく。
松岡から脚本家に任命されて一週間が経った。彼女は加地前先輩から脚本のイロハを学び、持っていた小説を参考にしながら、じわじわと脚本を作り上げてきた。
今、俺たちの手元にあるのは草稿だそうだ。これに俺の助言を入れて完成させるつもりらしい。
「古城、次行くわよ」
「はいはい」
「……『誰が恭子ちゃんが現実であると証明できるのか!』、これは?」
「そうだな……」
さっきの『どうしたらいいんだ!』から続く台詞なので、整合性を得たい。
でもいい感じの言葉が出てこない。
そもそもこういう時はもっとたくさんの人がいると良いんだけどなあ。
色んな人がいることで多くの知恵が出てくる。三人いれば文殊の知恵とはよく言われる言葉だ。
「松岡と東野……戻ってこないかな……」
「なるほど『松岡と東野、戻ってこないかな』と……」
「葛西さん?」
「冗談よ」
じょうだん。
まさかそんな言葉を葛西さんから聞けるとは思わなかった。
ちょっと笑ったように見えたのも含めて、もしかしたら俺は幻を見ているんじゃないだろうか。
だってほら、そんなの……。
「ああいうタイプはちょっと親しくすればチョロイって母親が言ってたけど、本当みたいね……ねえ古城、これを続ければ松岡と縁を切って私の味方になってくれる?」
相変わらず本音がダダ漏れでビックリする。
「……葛西はそこまでして副部長になりたいのか?」
「当たり前でしょう。あいつはもう部長なんだから」
「あいつ? 松岡のこと?」
「……そうじゃない。とにかく私は自分自身のために良い大学に行きたいの。だから手段は選ばないわ。アナウンス大会もそう。良い成績を取ればあいつを超えられる。加地前先輩の好感度も上がる。そうすれば副部長にもなれるかもしれない。全部が全部、私の手段よ。どれもこれも、古城も」
葛西さんの言う『あいつ』が誰かはわからないけど、彼女が彼女なりの意志を強く固めているのはよくわかった。
良い大学に行きたいってのは漠然的すぎてよくわからなかったけれどね。
「それにしても葛西が『好感度』なんて言葉を使うなんてな」
「普通の共通語よ。それより続きをやりましょう」
「はいはいっと」
その後も、脚本の改良は続けられた。
ちなみに『誰が恭子ちゃんが現実であると証明できるのか!』の台詞は、部室に戻ってきた東野の発案で『お前は恭子なのか、それとも恭子とは何だ! 僕は恭子を信仰しているだけなんじゃないのか! まるでアルビン・コンラッドじゃないか!』に差し替えられた。アルビン・コンラッドって誰だよ。
☆
そんなこんなで完成した葛西さんの脚本。
八分間を想定した短い物語だが、個人的にはよくできてると思う。
何より俺も一緒に台詞を考えたので愛着が湧いていた。
「ご苦労だった。これでようやく録音に移れるな」
「それより副部長の件、わかってるでしょうね」
松岡に詰め寄る葛西さん。
「ふん。まだ決まったわけじゃないだろうが」
一方の松岡も全く引こうとしない。
睨みあう美男美女。よく何をやっても画になるとか言われる組み合わせだけど、互いにメンチを切ったり、足をダンダンと踏みあったりするのはさすがに不格好だった。
「はいはい。洋祐も葛西さんも落ち着いて」
東野が二人の間に割って入るまで放送室の空気は不穏なままだった。
こういう時に加地前先輩が仕切ってくれると『ちゃんとした部活』っぽいんだろうけど、いかんせんそういうのは向いていない人だからなあ。
「どうしたの古城くん。わたしのこと見つめちゃって」
「いえ……相変わらずお綺麗ですね」
「………………」
何も言わずに顔を赤らめる加地前先輩。自画自賛はよくするけど直接的に褒められるのは慣れてないらしく、たまにこういうことになって妙に気まずい空気が流れる時がある。
「何はともあれ完成したんだから、さっそく収録しようよ」
東野の提案で俺たちはスタジオに移動する。
スタジオには松岡の手によりあらかじめマイクがセッティングされていた。
ちなみに配役はすでに決められていて、俺はリュックサックの役だ。ぶっちゃけ端役。
主人公・森繁元信には加地前先輩が抜擢された。可愛くて目立つ声をしているかららしい。
ヒロインの恭子ちゃんは葛西さん自身が演じる。
「ボクは……手袋の役か……」
ガックリ肩を落とす東野。ちなみに松岡は録音係であるとして端役さえもらえていなかったりする。どこか私怨じみたものを感じるのは俺だけだろうか。
かくして収録は始まった。
物語は主人公の元信くんが道に迷うところからスタートする。
『あれ……ここはどこだ?』
加地前先輩の演技はさすがの一言だ。
『うわあ! 地雷原だ!』
冒頭から元信くんを襲う、数々の危機。
やがて退路を塞がれた彼は森の奥へと突き進む。
『どうしよう。森から出ようにも化け物がいて戻れない。このままじゃ僕は餓死してしまう』
リュックサックの中からチョコレートを取りだし、どうにか難を逃れる元信くん。
だがそんな小手先の対策では長い間もたない。
元信くんは食べ物を求めて森の中を歩いた。
しばらくして、彼は目の前に見たこともないような建物を発見する。
『これは……松代大本営を守るために築かれた日本軍の秘密基地!?』
どういうわけか初見で建物の正体を見抜いた元信くん。
さっそく中に入り、大量の備蓄食料を手に入れる。
『これだけカンパンがあれば百年だって暮らせそうだ』
この主人公は賞味期限の概念を知らないのか、あるいはカンパンが旧軍が開発した腐らないタイプのものだったのか、細かいことは置いておいて……とりあえず元信くんは餓死の危機を回避する。
それから十年後。
すっかり大きくなってしまった彼は、たった一人で森の中を暮していた。
『モトノブ! そろそろゴハンの時間だ!』
『そうだねリュッくん。食べに戻ろう』
ここで初めて俺の出番が訪れる。
『もとのぶー! ボクはまだ森にいたいよー!』
東野も初参加。
これまでずっと先輩の一人芝居だったので、ようやくラジオドラマっぽくなってきた。
『ダメ。僕はお腹が空いたんだ。それに……』
手袋のワガママを一分ぐらい諌めた後、腹を満たしに秘密基地まで戻ってきた元信くんは、そこで一人の少女と出会う。
『君は……誰?』
『私は落合恭子。あなたは?』
先輩に負けず劣らず、葛西さんの演技も良い感じだ。
『僕は森繁元信。こっちは手袋くん。背中にいるのがリュッくんだよ!』
元信くんは初っ端から電波な自己紹介を行う。
『てぶ……なるほど。きっとあなたは長い間一人でいたせいで心を壊してしまっているのね。わかったわ。私が全力で治してあげる。女性ならではの……包容力で!』
出会って早々、何やら決意を固める恭子ちゃん。
それからというもの、二人は四六時中語り合うようになる。
政治の話、経済の話、文化の話、スポーツの話、阪神の成績、近鉄が無くなったこと、巨人のV3――十年間の時間的ギャップは二人の語らいを大いに盛り上げた。
『僕がいない間にそんなことが……』
『そうよ。あのフィリピンで一人戦っていた小野田少尉ですら、ラジオで日本の情報を得ていたというのに、あなたは何も知らないまま暮らしてきたのよ』
小学四年生の少女とは思えない知識の深さに、元信くんは驚くことなく、ただただ外界の情報を貪欲に求めていった。
少女もまた、自分が彼と同様に森に閉じ込められてしまったという現実から目を逸らすかのように、彼に情報を差し出し続けた。
しかし、やがてそんな関係にも無理が生じてくる。
恭子ちゃんが森にやってきてから数年が経ち、彼女の持つ知識が必ずしも最新のものではなくなってきたからだ。
『どうしてわからないんだよ!』
『そんなこと言われても、今年のことなんて知らないもの!』
二人はよく喧嘩をするようになった。
『クソッ……君の言う期待の新人が阪神のエースになれたのか、気になって仕方がないじゃないか。僕はどうしたらいいんだ。アンニュイで死んでしまいそうだよ。どうしたらいいんだ!』
激高する元信くん。
知識を手に入れられなくなった彼は、ついに恭子の実在性を疑うようになり、ひいては全てを信じられなくなる。
『お前は恭子なのか、それとも恭子とは何だ! 僕は恭子を信仰しているだけなんじゃないのか! まるでアルビン・コンラッドじゃないか!』
元信くんにとって恭子とはいわば知識の供給源だった。それがダメになってしまったことで、彼は恭子という存在を見失ってしまったのだ。
『私は手袋くんやリュッくんとは違うわ! 幻聴なんかじゃないったら!』
『うるさい! うるさい!』
ついに壊れてしまった元信くんは、有り得ないほどの大声を出し、森の入口から例の化け物を呼ぼうとする。
初対面から十五年間、ずっと元信くんを探していたらしい化け物は、歓喜の声をあげ、大量のよだれを垂らしながら旧軍の秘密基地に突撃してきた。
『キャーッ! 化け物!』
『僕を食べてくれ! 楽にしてくれ!』
元信くんはそう言って化け物に近づく。
彼の身を案じた恭子ちゃんは、ふと近くに「あるもの」が落ちているのを発見する。
『あれは……十一年式軽機関銃!』
幸いにして銃弾の類は現役で使えたようで、同じように銃の部品もサビついていなかったらしい。そんな旧日本軍驚異のテクノロジーにも驚くことなく、恭子ちゃんは軽機関銃の安全装置を外し、伏射の体勢をとる。
『これでも喰らえ! えい! えい!』
大の大人でも苦労しそうな銃撃の反動に見事耐えてみせた恭子ちゃん。
計三〇発の三八式実包を喰らった化け物は、そのままうなり声をあげて倒れ込んだ。
完全勝利だった。
『やった! やったわ!』
『すごいよ恭子ちゃん。いったいどうやって倒したの?』
どういうわけか心の病から解放された元信くん。
彼は恭子ちゃんと抱き合い、二人で手を繋いで森を出ていく。
ところが物語はここで終わらない。
森から抜け出そうとする彼らの前には幾多の化け物が現れた。行く手を阻む怪物たちに恭子ちゃんは容赦なく銃撃を加えていく。弾切れなんて気にしない。今度は銃剣でぶっ刺していく。
『恭子ちゃん、前方に化け物が五体!』
『任せて! 擲弾筒で吹き飛ばしちゃうから!』
二人の戦いという名の恋路は続いていくのだった……。