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2曲目『クラブ紹介を試みよう』

 本館二階の突き当たりに通うようになってから一年が過ぎた春の頃。

 栄えある放送部員として「二年目」の重責を担うことになった俺たちは、新入部員を勧誘するために生徒会主催のとあるイベントに参加していた。

『続いて、野球部の紹介です』

「どうもー! 野球部でーす!」

 頭をくりくりさせた年長の野球部員たちが、元気よく壇上にあがっていく。

 ウチの学校は伝統的に体育会系の部活が強いので、多くの新入生がそちらの道に進む。だから彼らの部員不足への危機感は極めて薄い。

 ところで新入生を対象とするクラブ説明会とは、

「体育館に集められた三二〇人の新入生が見守る中、各部活を代表する『人生の先輩たち』が様々なスベリ芸を披露する。時には笑いも巻き起こったが、おおむね無理にギャグを言って自己満足に浸るばかりで、満足な説明ができている部活はほとんど無いに等しかった……」

 皮肉屋の松岡に言わせれば、大体そんな感じのイベントだ。

 じゃあ俺たちの部活紹介はさぞかし面白かったのだろうな、と訊かれると……若干答えに詰まる。

『野球部の皆さん、ありがとうございました』

 女性らしい麗らかな声色。

 加地前先輩の司会進行はいつもながら安定している。おかげでこちらから音量を上げ下げする必要が一切ない。俺も見習いたいところだ。

 そう、司会進行……俺たちはこのイベントに『参加している』といっても、あくまでイベントの進行役としての『参加』であって、放送部はこの大規模イベントの中でほんのわずかな自己紹介の場すら与えられていなかったりする。

 だから俺たちの部活紹介は面白くないどころかゼロだ。何の宣伝にもならない。

「ひどい話だよね。せいぜい最後に司会進行は放送部でしたって言えるくらいだもん!」

 ミキサーに頬杖をついて、ため息を吐く同級生の東野。

 肩のあたりまで髪を伸ばしているように見えるが、あれは松岡が用意した一種のエクステによるものだ。

 おかげで今の東野は喋らなければ立派な女子部員のように見える。

「でもさ、だからってミキサー席のボクをこんな風にする必要があるのかな」

「誰が喋って良いと言った、東野」

「どうせ外からは聞こえないでしょ。見た目のわりに野太い声で悪かったね」

 松岡とのやり取りに若干の苛立ちを感じとる。東野としては女性の格好をするのは不愉快らしい。男なら当たり前だ。

「いいか東野。全ては可愛い後輩を得るためなんだ……」

 松岡は一時間前に力説した内容をもう一度東野に伝えようと試みる。

 さっきも言った通り、ウチの学校は伝統的に体育会系が強い。そのため文化系のクラブはたいてい深刻な部員不足に陥っており、この春の時期には毎年のように数少ない文化系志願者を奪い合うゼロサムゲームを展開している。

 ちなみに昨年度、吹奏楽部は新入生が二人だったらしい。元々いた三人と合わせて五人でブラスバンドをやっている姿はとても哀愁を帯びたものだった。

 なお、体育会系の応援活動は以前より別組織の『応援団』に一任されていたため、吹奏楽部が衰退しても特に差し障りはなかったそうだ。

「ありがたいことに放送部には僕たちがいた。しかし今年もそれが続くかどうかはわからない」

 もしかしたら一年生が一人も入って来ないかもしれない、と松岡は続ける。

 だから彼は東野に女子の格好をさせて、ガラス窓のミキサー席に配置した。

「そう、全ては可愛い後輩を得るためなんだ……」

 やたらと気合を入れている様子の松岡。珍しく目に生気がこもっている。

 いつもは部室で「女なんかクソ」だとか言ってるくせに、いざとなったら女子部員が多いという偽装まで行って女の子を部に入れようとしているのだから、こいつは本当に何というか……不器用な奴だ。

『――以上でクラブ説明会を終わります。この後の文化系クラブの説明会に参加する生徒は、いま先生に申し出てください。本日の司会進行は放送部でした』

 いつの間にかイベントが終わっていた。

 加地前先輩、お疲れ様でした。俺たちは体育館の放送室で喋ってるだけでした。

『そうそう。最後に手前味噌ではありますが――放送部をよろしくお願いしますね!』

 加地前先輩!?

「ねじ込んできたね!」

「おお……馬鹿にできないな、あの人」

 東野と松岡の表情がわずかにほころんだ。

 俺はガラス越しに、司会席でペコリと頭を下げる加地前先輩の姿を見つめる。

 こんなのはあの人の呑気なキャラクターでないとできない芸当だ。もし俺がやっていたら、学年主任の堀内あたりに殴られていたんじゃないだろうか。


     ☆     


 かくして全員参加イベントの理不尽さに一矢報いた形となった俺たち放送部だったが、残念ながらその後に行われた文化系クラブの説明会には参加できなかった。

 なぜなら俺たちには後片付けという大事な役目があったからだ。

 会場設営と司会進行。放送部に求められる務めは重く、これらは他の部活にはないもので、だからこそ部室棟よりも教室に近い本館の二階という素晴らしい場所に部室が提供されているともいえる。

 実際は単に校内放送の設備としての『放送室』が本館にあるだけなんだけどね。


 そんなこんなで体育館からの帰り道。

 ふと、マイクスタンドを持った東野がこちらに顔を寄せてきた。

「ねえ古城。今日はどうして葛西さんがいないの?」

「………………」

 可愛い顔が近づいてきてトギマギしたのもつかの間、俺は舌先の方向性を見失うことになった。わかりやすくいえば、俺は何を言っていいのかわからなくなってしまった。

 放送部には現時点で五人の部員がいる。

 古城敬、東野鼎、松岡洋祐、加地前理子かじまえりこ、そして葛西祥子かさいしょうこ

 このうち三年生は加地前先輩だけで、あとはみんな二年生だ。

 だから葛西さんは俺たちの同級生にあたる。

「ええと……東野にはわからねえの?」

「わからねえね。そんなに副部長になれなかったのが悔しいのかなあ」

 立派にわかってんじゃねえか。

 東野の言う通り、葛西さんは副部長になれなかったショックで、昨日部室を出ていったきり俺たちの前に姿を見せていなかった。

 過去一年間、それなりに関わってきた俺から言わせてもらえば、彼女は何というか、非常に面倒くさいタイプの人間らしい。

 外見だけは顔からスタイルまで「年相応」に完璧で、正直どこに持っていっても大丈夫なのだが、とても向上心が強く、ちょっとした失敗が許せない人物。異様に気が小さいのも特徴ですぐにヒステリーを起こす。

 極端な自己成長オタクで、とにかく自分が成長することしか考えていない。

 あまり人の悪口は言いたくないけど、松岡から話を聞く限りは誰が相手でもそんな感じの態度をとるみたいだし、正直良い人ではないのは確かだと言わざるを得ない。いつも悪態ばかりついてるし。

 そんな葛西さんが放送部に入った理由は『部長になる』ためだった。

「部長になれば内申点が五点もらえるんだっけな。ホント安い女だよ」

 松岡が話に入ってきた。

「洋祐、あんまりそういう言い方は良くないよ……?」

「東野だって邪険にされてただろ。僕はあいつが大嫌いなんだ」

 そう言って軽く舌打ちする松岡。

「そうかな。ボクは嫌いじゃないよ。努力している人は無条件で尊敬できるもん」

 うってかわってニッコリと笑ってみせる東野。

 なるほど、そういう見方もできるのか。

 たしかに葛西さんは独善的な人物ではあるけど、日々の発声練習では人一倍頑張っているように見えるし、勉強のほうも特進クラスだけあって相当点数が良いと聞いている。

 そういえば前に「将来は京都の国立大学で歴史の研究がしたい」とか言ってたっけなあ。

「ねえねえ、みんなで先輩をおいてけぼりにして、何の話をしてるの?」

 先頭を歩いていた加地前先輩がこちらに寄ってきた。

「僕が副部長に相応しい人間だと、左右の男どもから称賛を浴びていました」

 松岡の切り返しに加地前先輩は大笑いする。

「はははは! わたしが適当に直感で決めただけなのに!」

「え、そうだったんですか……」

 俺は思わず苦笑いしてしまった。松岡や東野も似たような反応だ。

 加地前先輩、いつも呑気で楽しい先輩なんだけど、クラブの部長に相応しい『人を束ねる才能』には恵まれていない女性だ。松岡に言わせれば「致命的に空気が読めない」らしい。

 それでも許してしまえるのは、彼女の明るさ、あるいは器量の良さの賜物だろうか。

「しかしまあ、もし祥子ちゃんが放送部を辞めたら、わたしの逆ハーレムだね!」

「周りがみんな男ばかりだから、逆ハーレムですか」

 松岡の冷めた口調が少しばかり耳に障る。

 しかし加地前先輩はまるで気にしていない。

「そうだよ! やだ! わたしってば必然的にモテモテになるわね!」

 嬉しそうに身体をよじらせる先輩。

「そうとは限りませんよ……僕なら東野を選びますし」

「「えっ!?」」

 東野と先輩は同時に声を上げた。俺もちょっとビックリした。

 松岡のことだからどうせいつもの軽口だとは思うけど、彼の隣で顔を真っ赤にしてあたふたしている東野の姿はなかなか見物だった。あれで声がウォーシップガンナーの筑波大尉じゃなかったらなあ。

「じゃあ、わたしにはもう古城くんしかいないの……?」

 松岡に振られた先輩はすがるような目つきで俺の顔をじっと見つめてくる。

 なるほど、これが噂に聞く『上目遣い』という奴なのか。恐ろしい破壊力だ。右胸がドキドキして仕方がない。中身が若干アレな加地前先輩でこれだけの威力なんだから、もっと普通の女の子がやったらどんな男でもイチコロなんじゃないだろうか。できればクラスメイトの田村さんにこれをやってもらいたい。

 とはいえ消去法で選ばれても全く嬉しくないので、俺からも少しだけいじわるを言わせてもらうことにする。

「いや、俺も東野が良いですね」

「な……なんで!? 古城くんなんで!?」

 心底絶望したような表情でうなだれる加地前先輩。

 一応美人さんなんだし容姿には自信があったんでしょうね……ごめんなさい。

「うーん……ボクは古城は嫌かな」

 一方で、片耳から聞こえてきたのは、東野からの拒絶の言葉。

 どうやら俺は東野に振られたらしい。別に悔しくなんかねえよ!


 気落ちした加地前先輩の小さな背中をさすって差しあげながら、俺たちは放送室まで戻ってきた。

 本館二階の突き当たり、D号階段の真横。

 いつ見ても不格好な『放送部』の看板に頭を下げつつ、俺はドアノブに手を当てる。

「お帰りなさい、加地前先輩」

 ドアを開けると、部室の中で二つくくりの女の子が仁王立ちしていた。

 松岡と同じくらい生気のない目つき。あの東野よりも整った顔立ち。そして加地前先輩よりも女性的な立ち姿。

 外見だけならどこに持っていっても大丈夫な同級生。

 どこからどう見ても葛西さんだ。

「祥子ちゃーん! 戻ってきてくれたのね!」

 一人ウキウキした様子で葛西さんに近づく加地前先輩。

「再会を祝して! ハグしましょ!」

 先輩はそのまま彼女に抱きつこうとしたが、すんでのところで避けられていた。

「なんで!?」

「暑苦しいのは苦手です」

 葛西さんは「ふう」と一息ついた。

 ちょっと動いただけなのに、ずいぶん仰々しい振る舞いだ。冬服のポケットに手を入れて、顔を少しうつむかせて、何というか先輩を相手にする態度ではない。

「――それと先輩。私、別に部を抜けたつもりはありませんから。むしろそこの松岡よりも役に立つ仕事をやっていたところです。だから評価してくださいね?」

 真顔で言ってのけた葛西さん。

 評価っておいおい、そんなの自分から言うもんじゃないだろうに。

 加地前先輩、目に見えて困惑してるじゃないか。

 後ろにいる松岡と東野も顔を見合わせている。

「ええと……じゃあ、わたしたちが体育館でイベントの裏方をやっていた間、祥子ちゃんは何をやっていたのかな?」

「それについてはこちらをご覧ください」

 葛西さんはスカートのポケットから一枚のSDカードを取り出した。

「東野、古城、映像を出すからノートパソコンを用意して」

「それくらい自分で持ってこいよ、葛西」

 俺は反射的に文句を言ってしまう。

「うっさい! 言うこと聞け!」

 おお、怖い! 何より葛西さんも放送部だからか声量がすごい!

 ちょっとチビりそうになった。

「わかったわかった。ボクが持ってくるから……葛西さんも評価してよね?」

 そんな軽口を叩きつつ、東野はスタジオから一台のノーパソを運んでくる。

 しかしまあ……こんなギスギスした空気の部室に、純粋な新入生なんて到底入れられないな。もし見学希望者が来たら、後日また来てもらうようにしよう。

「持ってきたよ! 電源コードも用意したよ!」

「はい。それで、この私のSDカードですが……よいしょっと」

 東野の頑張りには目もくれず、葛西さんは用意されたノートパソコンをちょいちょいと操作し始める。

 すると、ノーパソの画面上に動画再生用のウィンドウが現れた。

「では……どうぞ、先輩」

 葛西さんが画面から離れる。どうやら準備ができたらしい。

 机の上のノーパソに放送部のみんなが注目する。


『はじめてのほうそうぶ』


 意外にも無垢なタイトルコールから動画は始まった。

『新入生の皆さん、こんにちは。放送部の葛西祥子です。今日は新入生の皆さんに放送部の活動について簡単にご説明したいと思います。もし興味を持っていただけたら、ぜひ放送部に遊びに来てくださいね』

 画面上の葛西さんがわずかに笑みを浮かべる。

「普段あれだけ仏頂面だと、笑うのも一苦労なんだろうな……」

 そんなセリフが後ろから聞こえてきた。どうせ松岡だ。

 でも、やっぱり女の子って笑ったほうが良いな。画面上の葛西さんはいつもの何倍も魅力的に見える。

「ねえ葛西さん」

「なにかしら、東野?」

「もしかしてこの動画、新入生説明会のために作ったの?」

 東野って妙に鋭いところがあるよなあ。

 俺たちの後ろでポケットに手を突っ込んで立っていた現実の葛西さんは、彼の質問に小さくうなづいた。

 なるほど、どうやら彼女は俺たちが出られなかった文化系クラブの説明会に個人で参加していたらしい。そんな話は全く聞いていなかったので、完全なサプライズだ。

 ふと現実の葛西さんに目をやると、俺に気付いた彼女はぷいっとそっぽを向いた。

『まず放送部といえばDJ放送です』

 再生画面が放送室のスタジオ風景に切り替わる。

 卓上のダイナミックマイクを中心とした撮り方だ。

『DJ放送にはこのマイクを使います。お昼休みにスピーカーから聴こえてくる私たちの肉声は、基本的にこのマイクから発信されます。逆にインフォメーション放送をする時はあちらのマイクを使います……』

『そう、これです』

 ここで画面が葛西さんの自分撮り状態になる。

『さっそくやってみましょう。えーと……連絡します。二年三組の松岡くんは至急校長室に来てください。退部届がまだ提出されていません。繰り返します……』

『このような具合で放送しています。実際にやる時はこっちのボタンを……』

 細かい説明はともかく、放送の内容には彼女の私怨がこもっているように見えた。いつ撮ったんだろ。

 しかしカメラが近いのに崩れない顔立ちだな。至近距離でこれは相当凄いんじゃないだろうか。これだけ美人なのに気が短いってのも珍しい気がする。容姿の優れた人は周囲からちやほやされるから、自然と優しくなるものだと松岡から聞いていたけど……そもそも当のあいつが男前な癖にアレだからなあ。

「容姿……か」

 正統派美少女・葛西祥子。

 黙ってれば可愛い・加地前理子。

 紅顔の少年・東野鼎。

 クソみたいな男前・松岡洋祐。

 姉曰く手の施しようがない・古城敬。

「ぬあああああっ!!」

 自分以外の放送部員の容姿レベルの高さを再認識してしまい、俺は無性に壁を殴りたくなった。でも放送部の壁は防音壁で、すぐに壊れちゃうからそんなことできない。

 もどかしいぞコンチクショウ!

『続いて、放送部の課外活動についてご説明します』

 再びパソコンの画面が切り替わる。

 ここからは葛西さんの自分撮りではなくデジカメで撮った写真がメインになっていた。いわゆるスライドショーという奴だ。

『私たち放送部は、学校行事のアシストを任されています。具体的な例を挙げるなら、式典の司会や運動会の実況といったところがわかりやすいでしょう』

『司会だけでなく、会場の音響調整や使用するマイクの準備も私たちの仕事です。表に出るのが恥ずかしいという人もこっちの仕事なら大丈夫ですね』

『また私たちは、毎年六月にBコンという大会に出場しています。Bコンは馬場町全国放送コンテストの略称です。Bコンではアナウンス原稿を読んだり、ラジオドラマを提出したりして、優秀賞を争います』

『地方大会で良い成績を得ると、東京で行われる全国大会に出場することができます』

『難しく考えることはありません。経験豊富な先輩たちがしっかりと指導してくれます。私も微力ながらサポートするつもりです――』

 動画はここで終わっていた。

 あろうことか「ブツ切り」だった。

 葛西さんの語り口がとても流暢だったこともあり、動画がまだまだ続くものだと想定していた俺たちは、突然のブツ切りに驚きを隠せないでいた。

「あれ……ここで終わりなの?」

 加地前先輩が指摘の口火を切った。

「終わりというか、今ちょうどここまで作ったところですから」

 そう平然と答えてみせる葛西さん。

 ちょうどここまで作ったところ……だと?

「つまり、今剣道場でやってる文化系の新入生説明会には提出できずじまいってこと!?」

「一応そういうことになりますね」

「そういうことって、ずいぶんもったいないことしたのね……」

 口惜しそうな顔の加地前先輩。

「でも……我ながら頑張ったのは確かです。だから先輩――」

「へ?」

 葛西さんはおもむろに加地前先輩に近づいて、つぶやく。

「――評価、してくださいね?」

 その目は笑っていなかった。

 右手の人差し指で、先輩の剣状突起を一つ、二つと突いた葛西さんは――まるで死刑宣告をしているようだった――そのまま仏頂面で放送室を出ていった。

 去り際、彼女の二つくくりの後ろ髪が、わずかに揺れているように見えた。

 だからといって、別にどうということはないのだけど……どういうわけか、その様子が俺の目に焼きついて離れなかった。

「ええ……えええ……」

 後に残された加地前先輩の不安そうな表情を見過ごすわけにはいかず、俺と東野はポケットからお菓子を取り出して先輩の機嫌を取ることにした。先輩は森永のムーンライトクッキーが大好きだ。ポケットの中のビスケットは八つ……つまりバラバラだったけど、別に構わず、口の中に差し上げた。

「だから、僕はあの女が嫌いなんだ!」

 松岡は葛西さんが出て行ったばかりのドアに、大きな罵声を吐いていた。

 副部長であるがゆえに彼女の恨みを一身に受けている松岡の気持ちは俺にだってわからなくはないけど、廊下に向けてそんなことを叫んでたら入部希望の新入生なんて来るはずもないし、正直やめて欲しい。

「洋祐! そういうのは良くないって!」

 東野が止めようとしたが、松岡は彼の手を振り払った。


 結局、この日は見学希望者が訪れず、平常通りの部活になった。

 帰り道。駐輪場で加地前先輩と別れた俺たちは、春先の薄暗い夜道を三人でのんびりと歩いていく。

「いずれ、僕の後ろを可愛い後輩がついて歩く日が来るはずだ」

「そうなればいいけどねー」

「他人事みたいに。東野にだって色々と手伝ってもらうぞ。とにかく部員を集めるんだ」

「はいはい。ボクはエクステの出番がないことを草葉の陰で祈ってるよ」

 松岡と東野がペチャクチャと喋っている。俺はその後ろをフォローする。

 こいつらとは駅までの仲だ。

 JR四条畷駅から先は、俺だけ一人きりで帰ることになる。

 ごくたまに、とある古い友人と帰路を共にすることがあるけど、これは本当に運が良い時だけなので想定の内に入れるのはよろしくない。

 もし放送部に新入部員が入ってくるなら、その中に一人でもいいから一緒に京橋方面の電車に乗ってくれる奴がいたら嬉しいな……。

 そうこうしているうちに四条畷駅が見えてきた。

「うわっ、やっぱり京橋方面は満員だね」

「古城は毎日可哀想だな。古城らしいといえばそうだが」

 好き勝手言ってくれる松岡を睨みつつ、俺はポケットから定期入れを取り出した。

 有効期限は四月十三日までか。そろそろ更新しないとなあ。


    ☆    


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