1曲目『ディスクジョッキーをしよう』
昼休み。
クラスの知人たちに別れを告げ、俺はお腹の虫がぐるると鳴るのを我慢しながら廊下を走り始める。
本当は俺も早く購買に行きたいのだけど、事前の約束通り部室にたどり着いておかないと後が怖い。なにせウチの副部長は性格が悪いから、ちょっとでも遅れてネチネチと文句を言われるのはゴメンなのだ。
たどり着いた扉の前で、再びぐるると腹が鳴った。
ウチの部は他の部活動とは異なり部室が部室棟ではなく本館にある。
前面に『放送部』と書かれたベニヤ板が張り付けられた鉄製の扉――その上には他の教室と同じ形式で取り付けられた放送室の表札もあるが、残念ながらほとんど目立っていない。
「どりゃあ!」
俺はノックもせずにドアをぶち開ける。
「……あれ?」
静寂に包まれた放送室。窓が無いのでこの時間でも暗いままだ。放送機器にも火が入っていない。
おかしいな。昼休みなのに誰もいないとは。
奥のスタジオにも人の気配がないようだ。
「お、古城のくせにずいぶん早かったな」
見知らぬ男に背中を軽く叩かれた。いや、見知った男だった。
真面目そうな顔つき、黒縁のメガネがビッシリ決まったクソのような男前。珍しくマスクを付けていたのでちょっとわかりにくかったが、おそらく間違いない。
松岡洋祐。
俺と同じ放送部員。例の性格の悪い副部長様だ。
「あれ? なんでマスクしてんの?」
「古城に言う義理はないが、一応風邪ってやつらしい」
この微妙にトゲのある口調は間違いなく松岡。
こいつは松岡以上の何者でもない。それ以上でもそれ以下でもない。
「ぐるるー!」
腹の虫ちゃんも自論に同意してくれている。
「そうだ古城。お腹が空いているなら、ちょっと申し訳ないんだが……」
「ああ。朝の話だろ。少し理由があるからDJを変わってくれって。メールくれたもんな!」
どうやら目の前のマスクがその理由だったらしい。
松岡は少しわざとらしく咳き込むと、珍しく「すまないな」と頭を下げてきた。
「そんな、頭まで下げなくても……俺に任せろって!」
「……今のお前に借りを作りたくないだけだ」
松岡はあくまで頭を下げたまま。
こいつは普段偉そうな分、人に頼むのが苦手なところがある。
全く。別にDJの代役なんていつものことなのになあ。それくらい『ちょちょいのちょい』なのに。
「で、音源のほうは?」
俺は右手を差し出す。松岡にDJ放送に必要なものを出してもらうためだ。
高校放送部における『昼休みのDJ放送』には合わせて三つの重大要素が存在する。
一つはパーソナリティ。曲紹介をする人間だ。ウチの部ではこれをディスクジョッキー・DJと呼んでいる。DJはあらかじめ用意した原稿に沿って楽曲の紹介を行ったり、ちょっと雑談したりする。
二つ目の要素はもちろん流すための音楽。だいたい借りてきたCDを流している。五代上の先輩にはギターをかきならしていた猛者もいたそうだ。
最後の三つ目は連絡放送。DJや曲の合間に先生からの呼び出しなどを行う。
もっとも、これについてはDJ本人じゃなくてインフォメーション担当の部員が代行することが多い。曲を流している間にDJもお弁当とか食べるからね。
「ああ。音源なら無いぞ」
「へ?」
「無いものは無い。何度も言わせるな」
彼の言葉に俺のお腹の虫も「ぐるる?」と疑問符を出す。
音源が……無い?
「昨日の夜からずっと寝込んでたからな。CDを用意できてない。原稿もない。さらに言わせてもらえば、放送開始予定まであと五分もないぞ」
松岡は至極当然といった表情だ。
「……それで俺にどうしろってんだよ!」
音源もなければ原稿もない。そんな状態でDJ放送を始めろと言われても無理だ。
それこそまともな結婚資金もないのに結婚式に濱村淳を呼ぼうとするくらいに難しい話だ。
ところが当の松岡は意外にもクククと笑い始めたではないか。
まさかこいつ、全ての責任を俺に押し付けるつもりなのか……?
「お……おい松岡!」
「興奮するなよ、古城。ちゃんと対策は講じてあるさ」
「その対策……教えてもらおうじゃないか」
「ぐるるー!」
腹の虫ちゃんも松岡の考えた対策を聞きたがっているようだ。さっきからせわしないね、虫ちゃん。
「実はすでに東野の奴に音源の調達を頼んであるんだ。さっき廊下で会ってな」
「音源ってCDか?」
「そうだ。ウチの部室にもCDぐらいは何枚かあるが、今日は洋楽の木曜日だろ。だから東野に学校中を駆け回ってもらって、洋楽のCDを持参している殊勝な生徒から借り受けようというわけだ」
「…………」
松岡の『仕事してやったぜ』みたいな目つきに、俺は何も言えなくなる。
冷静に考えて、はたしてこの音楽プレイヤー全盛の時代に、わざわざ割れやすいCDを学校まで持ってくるような生徒が何人もいるのだろうか。
それこそ『友達に貸す』『カラス避けにする』といった明確な理由がなければ、まず持ってこないだろう。
もし全校生徒から洋楽のCDが見つからなかったら、その時は……部室所蔵の環境音楽でも流そうか。あれ、あんまり知人たちから評判よくないけど。
「洋祐、古城! 借りてきたよ!」
息をきらし、なだれ込むように放送室のドアを開けたのは、男子生徒の服を着た小柄な女の子……ではない。
可憐な容姿と野太い声がギャップを生むと、そこかしこで話題の男・東野鼎。
もちろん放送部員。俺たちの同級生だ。
「よくやってくれたな、東野!」
珍しく目を輝かせている松岡。
本当に珍しい。いつも魚屋の鯖みたいな腐った目してるのに。
「いやあ、ホント大変だったよ……」
松岡から差し出された手を取り、ゆっくりと立ち上がる紅顔の美少年。
汗でにじんだ下着が若干目の毒になる。
立ち姿だと本当に女子生徒にしか見えないが、その声色は往時のドズル・ザビ、あるいはペパー将軍そのものだから面白い。もし彼が声変わりを迎えていなければ、きっと他の男子部員はみんな二代目の斑目センパイみたいな気分になっていただろう。具体的にはヤキモキ&モヤモヤ。
「はいこれ。今日は古城がDJをやるんでしょ?」
そんな東野から洋楽のCDを受け取る。
タイトルは『バック・トゥ・ザ・フューチャー 超サウンドトラック』。
なんでも映画版のセリフと効果音とBGMが全部入っているとかいうトンデモない代物らしい。もはや映像の付いていない映画そのものだと帯のあおり文に書いてある。
中身は十五枚組になっており、八枚目以降のスペシャルコンテンツの中には主人公が重力に関する言葉を述べたシーンを抜粋したトラックがあるなど、ファンにはたまらない仕様になっている。
しかしながらこれが校内放送にふさわしいかと聞かれると……うーん。
「古城、放送開始まであと二分だ。どの曲を流すか決めてくれないと困るんだが」
悩んでいる背中を松岡にせっつかれた。
仕方がないので十三枚目にあった『映画のメインテーマ』を流してもらうようお願いする。
「わかった。しかしCDが多くて入れ替えが大変そうだ……」
「松岡がミキサーをやるのか?」
「ああ。元々古城がミキサーの当番だったから、僕が代わりになってやる。さすがに古城だってDJをやりながら曲の操作はできないだろう。ちょっとは評価してくれよ?」
「評価も何も、そもそもお前が風邪を引いたからこうなったんじゃねえか! レベルの低いボケをやってんじゃないよ!」
「……モノマネのつもりなんだがな」
ちなみにミキサーとは放送に使用する音を編集する機械のことだ。マイクのスイッチをオンオフさせたり、あるいはマイクの感度を上げたり、同じようにCDからの音を上下させたりすることもできる。
こういう放送施設では必ず必要となる装置らしい。音楽スタジオなんかでも使われるとか。
松岡の軽口に辟易しつつ、俺は急ピッチでメモ帳にDJ原稿を書き込んだ。
だいたいこんなもんで良いだろう。
あとはマイクの前でぺちゃくちゃとお喋りするだけだ。
「……そろそろ一曲目を流すぞ、古城」
「おう。二曲目と三曲目は決めておいたから、そのメモを読んでくれ」
「わかった。一応あと三分だ。それとDJ前に東野がインフォをやるから」
「了解!」
俺は曲が終わるギリギリまでバック・トゥ・ザ・フューチャーのメインテーマを楽しんだ後、スタジオの中に入った。DJ用のマイクが奥のスタジオに設置されているのはもちろん録音をする時のためだ。
『連絡します。二年一組の松本くんは、至急保健室の……』
背後で始まった東野のインフォメーション。
あれが終われば、いよいよ俺の独壇場が幕を開ける。
マイクの前で深呼吸。まだ片づけてないせいかスタンド式のままだから、緊張しないように屈伸もしておく。
「インフォ終わり! DJいくぞ!」
「わかってる!」
「いくぞ! 三、二、一……ハイ!」
ガラス越しに、松岡の右手が下がったのを確認。
さて、やらせていただきますか!
☆
『はいはい、お待たせいたしました。洋楽の木曜日でございます。本日のDJは古城敬です。現在わたくしの声の後ろで流れていますのは、映画バック・トゥ・ザ・フューチャーのサントラより、「悪役が肥溜めに突っ込むシーンを抜粋した特別編集トラック」であります。うめき声とか聞こえて、なかなかヘヴィではありませんか!』
『さてさて、一曲目はメインテーマでしたが、二曲目はもっとすごい。なんと映画の冒頭シーンを音楽だけで七分ほどお送りしてしまいます。これを聞いたら、きっとみんな懐かしくなって、放課後はビデオショップに突撃することでしょう。そんなわけで、二曲目……ぐるるー! はりきってどうぞ!』