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「マリー・ルーったら、どうしたの? あまりお祭りを楽しんでいないようね」

 ショロン伯爵夫人テレーズ・コルデーは、花々が咲き乱れる庭が見える露台で催したささやかな茶会の席で、姪に声を掛けた。

 すでに四十歳を越えているが、子供がいないためか十歳は若く見えると評判の伯爵夫人は、兄の娘であるマリー・ルーを我が子のように可愛がっている。兄嫁が病気がちだったこともあり、マリー・ルーが幼い頃はよくアメレールで暮らすテレーズの元で預かっていたものだ。

「あなたが小さいときは、お祭りに連れて行くたびにとっても興奮して喜んでいたものだわ。帰りましょうって言うと大泣きするものだから、連れて帰るのが大変だったのよ」

「それは十年近く前のお話でしょう? わたしはもう十五になります」

 黙って焼き菓子を摘んでいたマリー・ルーが、ふくれっ面をして抗議した。

「そんな昔だったかしら。わたくしにはほんの数年前のことだったような気がしてならないのだけど」

 羽根飾りがついた扇を口に当て、ほほほ、とテレーズは上品な笑い声を上げる。

 美しく装った彼女は、金色の豊かな髪を結い上げ、真珠などの宝石があしらわれた飾りのついた簪を挿している。夏物の白いモスリンのドレスは、たくさんのフリルがついている。紺色のリボンが帯の代りに巻いてある。襟や袖にもフリルがほどこされ、彼女の細い首や肩をいっそう強調している。

 マリー・ルーから見ても、叔母テレーズは格別美人だ。都の社交界には滅多に顔を出さず、ここアメレールで夫と二人優雅な領地暮らしをしている。新しいドレスを作る際には都へ出掛けるそうだが、最近では贔屓にしている仕立屋の方からアメレールに売り込みにくるのだとか。

 今回テレーズは、マリー・ルーの来訪に合わせて仕立屋を招いてくれていた。エクトルのような朴念仁には任せておけないわ、と外出着や室内着など十着ものドレスを仕立屋に注文してくれた。他にも、靴やら帽子やら装飾品といった小物も叔母からたくさん贈られた。彼女は到着したその日から、叔母によって着せ替え人形のごとく遊ばれている。

「ここはもう、あなたにとって退屈な場所になってしまったのかしら。昔はもっとたくさんの人が訪ねてきてくれていて賑やかだったものだけれど、最近は夫やわたくしも都の方々とは疎遠になったせいか、お客様も減ってしまったのよ」

「わたしは叔母様や伯爵様だけの方が気楽です。それに、叔母様がこうしてお相手をしてくださるのですから、退屈だなんてことはちっともありません」

「あら、嬉しいことを言ってくれるわね。わたくし、モーリスからはしつこく構い過ぎてあなたに愛想をつかされないようにって忠告されているのよ」

 愉しそうにテレーズは微笑む。

「実は、あなたに会わせたい人がいたのだけれど、こちらへ招待したら先約があるからって断られてしまったの」

「叔母様のお誘いを断るなんて、失礼な方」

「あなたも以前ここでなんどか会ったことがある人よ。それほど十年近く前かしら。モーリスの姉の息子のギーを覚えているかしら」

 ギーという名前を聞いて、マリー・ルーは幼い頃の記憶をたどってみた。この屋敷でよく遊んでくれたのは、庭師の息子ともうひとり、よくこの屋敷を訪れていた少年だ。ただ、顔はおぼろげにしか覚えていない。

「ギーって、赤毛で巻き毛の男の子ですか」

 庭師の息子ニコラは黒髪だった。いまはこの屋敷で庭師をしており、昨日、マリー・ルーが叔母と庭を散歩している最中に現れて、挨拶をしてくれた。身長がかなり伸びて柳のようにひょろりとした姿になっていたので、あまりの変わりように驚いたものだ。

「えぇ、あのギーよ。あなたはどちらかというとニコラの方がお気に入りだったわね」

「そうでしたっけ?」

 多分それは、ニコラが庭になっているリンゴやらオレンジやらを見つけては、その場で木に登ってすぐ取ってくれたからだろう。

 ギーは木登りができない子供だった。それが幼いマリー・ルーの目には『なにもできないお坊ちゃん』という印象を残していた。

「あの子もずいぶんと変わったのよ。ニコラはまだ子供の頃の面影が残っているけれど、ギーなんてまったくの別人だわ。ここ数年で髪の色まで変わってしまったし、多分あなたもすぐにはギーだとわからないでしょうね」

「そんなに変わったんですか。ギーはあの薔薇色の赤毛がとてもきれいだったのに」

 成長するに従い、髪や目の色が変わることはあるものだ。マリー・ルーやエクトルは幼い頃から変わっていないが、ラバーレ伯爵家の使用人たちの中にもそういった者はいる。

「子供の頃は義兄によく似た赤毛だったのに、いまではすっかり色が抜けてしまった薄い金色になってしまったの。目の色だって、前は黒曜石のように黒かったのに、紺色というか濃い青色というかそんな感じよ。体型も、前は縦と横の寸法がほぼ同じなくらい丸々していたのに、いまじゃ痩せ細ってしまってね」

「それ、本当にギーなんですか?」

「残念なことに、それがいまのギーなのよ」

 顔を顰めたテレーズは、溜息を吐いた。

「あの頃は、優しいマリー・ルーしか、ギーのお嫁さんになってあげてもいいわよって言ってくれるお嬢さんがいなかったのに」

「わたし、ギーとそんな約束しましたっけ?」

 まったく覚えていなかった。

「したわよ。とっても食欲旺盛で人の三倍は食べるギーが、あなたに自分の焼き菓子の半分をわけてあげたら、お嫁さんになってあげてもいいわよって答えていたもの。あのときは、ギーの母親も泣いて喜んでいたわ」

 完全に食べ物に釣られていたようだ。マリー・ルーが幼い頃のラバーレ伯爵家には質素倹約などという単語は存在せず、彼女も欲しい物はなんでも手に入る生活を送っていた。ただ、母親が病弱だったことが影響し、両親が健康には人一倍気を使っており、特に食生活に関しては細かかった。菓子のような甘い物は健康を害すると信じていた両親は、マリー・ルーやエクトルが菓子を食べることを制限していた。そのため、叔母のところにいる間は庭木のリンゴやオレンジをすぐに採って食べさせてくれるニコラや、たくさん出てくる菓子をわけてくれるギーが身分や容姿に関係なく、好きだったのだ。

「……そんなこともあったような気がしてきました」

 よくよく過去を振り返ったところで、マリー・ルーはおぼろげながら思い出した。

「ギーって、あの当時飼っていた豚のラファイエットによく似ていたんですよね」

 動物を飼いたいと言い出したマリー・ルーに、当時から倹約家だった兄エクトルは、どうせ動物を育てるなら愛玩用ではなく食用にすべきだ、と主張したため、マリー・ルーは豚を飼うことになったのだ。

「そういえばあなた、ギーにもそんなことを言っていたわね。屋敷にいる誰かに似ているとか。あれは、豚の話だったのね」

「ラファイエットは白豚でした」

「白豚、ね。それで、ギーったら急に減量を始めたのかしら」

「わたしはラファイエットのように可愛いと誉めたつもりなんですけど」

 ギーは色白だったこともあり、まさしく彼女が可愛がっていた豚とよく似ていた。

「もちろん、あなたに悪気がなかったことはわかっているわ。ギーだって、怒ってはいなかったようだし。ただ、五歳の女の子から『うちの豚に似ているわ』って言われたら、さすがに思春期の少年には堪えるでしょうね」

 マリー・ルーが項垂れると、テレーズは慌てて言い繕った。

「でも、あなたのお陰でギーは見違えるような美しい青年になれたって義姉は感謝していたわ。少々別問題がないわけではないけれど」

「別問題?」

「つまり、見違えるように容姿端麗となったギーは、それはもうとても女性にもてるらしいの。子供の頃は、太っていたこともあって年頃の女の子たちの嘲笑の的だったのに」

「わたし、遊び人はお断りです」

 祖父や父の不品行のつけを払わされている兄の苦労を知っているだけに、マリー・ルーは放蕩者をなによりも嫌っていた。

「口説き魔のような人も厭です。あんな口先だけの人、信用できませんわ」

「あなた、まるで最近そんな人に会ったような口振りね」

 テレーズの指摘に、マリー・ルーは一瞬口籠もった。

「……いま、兄の友人がうちに滞在しているのですが、その彼がまさしくそうなんです」

「エクトルの友人にそんな軽薄な方がいるの? 珍しいわね。真面目すぎるエクトルとは性格が合わないように思うのだけど」

「わたしも兄の友人にあのような方がいらしたとは、意外です」

 叔母に返す本を取りに部屋へ行った後のことを思い出し、マリー・ルーは怒りで頭に血が上るのを感じた。

「その方のこと、気になるの?」

「まさか」

 大きく首を横に振り、マリー・ルーは強く否定した。

「あんな人、大っ嫌い」

 ぼそりとマリー・ルーが吐き捨てると、あらあら、とテレーズは目を細めた。

「ギーには手紙で知らせておきましょう。マリー・ルーに嫌われたくなかったら、くれぐれも身を慎みなさいってね」

「向こうはわたしのことなんて、自分を白豚呼ばわりした子供くらいにしか覚えていないんじゃないんですか。もしかしたら、もう忘れているかもしれませんよ。わたしはギーから手紙を貰ったこともないですし」

 自分からギーに手紙を出したかどうかも覚えていないが、叔母から名前を聞くまで忘れていたくらいの存在だ。いまさら、ギーがどのような青年になっていようが、興味は無かった。ヴァレリアンのような振る舞いをするようなら、ギーだって頬を叩いてやるところだ。

「ギーがあなたのことを忘れたりするものですか。わたくしと会うたびに、あなたは元気かって訊いてくるんだもの」

 マリー・ルーはすっかり忘れていたのに、相手の方はしっかり覚えているというのも、妙な気分だ。

「ギーに会いたくなったかしら」

「いいえ! まったく!」

 椅子から立ち上がり、マリー・ルーは腹に力を入れると、大声で断言した。


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