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第七話 絡繰り時計は廻り出す

 チェン チェン

 半身のみを起こして思いっきり伸びをすることで、身体の随所に滞った血流を後押しする。だが、巡りだした生命の源も、胸に沈殿した思いを流し去ることは出来ない。

 九月初旬のすがすがしい朝のことだ。太陽は変わらない今日を照らし出している。

 早々にぽつりと呟いた。

「嘘つき」

 ソフィーがここまで半分意地で続行していた嘆願は、漏れるところなく徒労というカテゴリに分類されていた。秋の只中に行われる魔法都市の振り分け試験まで、残すところあと約一ヶ月を切っている。

時が流れてゆくにつれ、やはり自然も移り変わってゆく。鼓膜を悩ませた蝉の響きが空気を陣取ることもなくなり、残暑に針刺す涼風を肺一杯に溜め込めば、既にほんのりと秋が香っている。季節に取り残されたように孤立する夏の友人達を見つける度、ソフィーはその生命に自分の姿を重ねては寂寥の中に漂い、心に侘びしさを植え付けるあの紅の夕焼けを眺めれば、例年以上に質感を持った焦燥が胸の内をかきむしる。

 現実的に考えれば、やはりあの置き手紙の内容は全くのでたらめだったのだろう。彼女は肩を落として寝台から身を降ろした。元より、根拠のない指示に従い、少しでも期待する方が間違っていたのだ。

 しかし反面では、どうも捨てきれない願望がいくつかの抜け道を作り出している。例えば、あの手紙には別段、年を指定するような制約は記されていなかったため、彼女は「来年がある」と口に出しては希望を先延ばしにすることで、失望の濃度を薄めようと空回りの慰めを己に施していた。

 ソフィーは顔を洗い軽く身だしなみを整えてから、自室の戸を開き、廊下へと歩み出る。

 自らの使い魔がほくそ笑んでいることには気付かない。

 蜘蛛の巣一つない清潔な寝台の下で、部屋から姿を消した主人をいつまでも見つめつつ、

 にっしっしっ、と、

 様子から察するに、何か良いことがあったのだ。

 そう、彼からすれば一目瞭然の何かが。

「絡繰りの糸を裏から引くのも悪くない」

 その独り言は、彼が扱えないはずの言葉だった。

 辰の刻、午前八時。

 世界のどこかで、お伽話の長針がカチリと進み始めた。




 ぼやけた目を下に降ろせば、一面に敷き詰められた絨毯が視界を赤く染めている。甘ったるい芳香が鼻をつくのは、冷房装置に吸熱作用のある特殊な果実を使用しているためだ。今年、この独特の臭いを嗅げるのも、もはや僅かだろう。残暑は余すところなく駆逐され、薄着一枚の身では肌寒さすら覚えた。

 これから降りかかる目白押しの怪奇に、彼女の脳がねじ切れんばかりに働かされることを考慮すれば、丁度良い相殺温度であった。

「おはようございます。念願が現実となりましたね。心からお祝い申し上げます」

「はい?」

 食堂に向かう道中、すれ違いざまに頭を垂れた下僕が、微笑みながらソフィーに声をかけてきた。その時のソフィーは理解に及ばず返答につまり、きっとこの下僕は寝ぼけているのだと適当に解釈して、さっさとその場を後にするほかなかった。

 不思議は続いた。食堂の扉を開けるやいなや、目に飛び込んできたのは旅装姿に身を包んだラジアン・ブルードだった。ガラス越しの陽光に、禿げ上がった彼の頭部が光り輝いている。唇の周りにたっぷりと髭を蓄え、同じく腹回りにも多くの脂肪を蓄えるこの肥えた男は、室内だというのに帽子も取らず、食事を無心で口の中へとかき込んでいる。一ヶ月ほど断食でもした獣の如く、鬼気迫る相貌で飯をたいらげていくラジアン。見れば、衣服の裾には泥の跳ねっ返りがこびり付いており、屋敷の掃除を担当する若い下女がしきりに眉をひそめている。食器とさじがぶつかっては、耳障りな高音を発していた。

 ソフィーは数秒間、得体の知れない物でも見たような、別を言えばいてはいけない人間を眺めるような、失礼な目付きで彼を直視した。幸いなことに、彼は目の前のオニオンスープを飲み干すことに全力を注いでおり、彼女の視線に反応するには至らなかった。

 ソフィーがラジアンの姿をはっきりと捉えたのは、五年前が最初で最後だったはずだ。たしか、開発された新種の穀物の収穫、その様子の視察を目的として、このダマスタの地に赴いたのではなかったか。錆び付いていた記憶の中の男性と現実の光景とが一致する。

 このでっぷりとした芋のような男、見かけによらず身分階級ではなり上位の部類に属しており(無神論者のソフィーからしてみれば失笑ものだが)、故に執務官の掲げた政策に口を出したり王都での通商を取り締まったりと、何かと多忙をきわめる存在だ。しかも、時期が時期、これから迎える季節は収穫の秋である。市場の流通が更に活発化する中での納税管理や緊急事態に備え、彼の仕事量も上昇しているはず。

 さて、そんな男が、なぜこのような辺地の朝食をかっくらっているのか?

「えと……、おはようございます。ブルード様?」まるで状況が飲めない中、ひとまず、ひたすらにパンを咀嚼しているラジアンに挨拶をしてみる。

 彼はソフィーの姿を認めると、目を見開いて慌てて彼女に話しかけようとし、必然、口内の食物を喉に詰まらせた。見かねた下僕の一人が「大丈夫ですか?」と失礼を承知で男の丸い背をとんとんと叩いて、容器に入った冷水を差し出す。

「いや、ありがとう」

 栓をされた気道が開通し、ぜえぜえと空気を吸い込む。布巾で口元を上品に拭う彼の挙動は、尚も不審そのものだった。先ほどから彼女と視線を絡ませようとせず「あっ、あぁ。お前はたしか、ライオネットの……」などと口をもごもごさせるばかりで、積極的に壁際の陶器に焦点を合わせている。ソフィーは怪訝な顔をしながら

(もしかして、私に関わることで何か良くないことでもあったのかしら)

 と推測した。

「初めまして。ソフィー・イルジアーナと申します。いきなりで不躾ですが、このような朝早くに一体どういった用件で?」ずばり、聞いた。

 傾げられた少女の細首と濁りのない茶色い視線に当てられて、ラジアンは更に狼狽して眼球をぎょろぎょろと左右に彷徨わせた。

 間違いない。何か後ろめたいことを隠している人間の典型的な行動だ。

 真実を引き出すべく言及しようと口を開きかけたところ、タイミング良く伯父が姿を現した。来客は明らかに安堵を漏らす。舌打ちしたい気分に駆られた。

「待たせてすまない。ラジアン」彼はソフィーを視線で圧しながら、厳かな口調で言った。お前に付き合っている暇はない、と暗に伝えていると思われた。当然と言えば当然。なぜなら最近のソフィーは伯父に相対するたび、呆れるほどにしつこく、魔法学院の件を口にしていたから。

 それにしても、ラジアン? 敬称なしで呼び合うほど、彼らは親密な関係だったのだろうか。ソフィーの記憶する限り、そのような事実はなかったはずだが。

「やっと決心がついたのか、ライオネット。ああ、ごちそうになってるよ」

 決心がついた? 何の決心だろうか。

「具合が良いから、早速だが、彼女にも説明してやってくれないか」

 両者の視線が交差する。少々俯きがちなラジアンの表情に、彼が言わんとすることの全貌を窺い知ることは出来なかった。

 彼女が必死に会話の内容を整理している合間、ライオネットが頷いて肯定の意を示す。

「そうだな。ソフィー、ついて来なさい」


 伯父に連れられて向かった先は、雑多とした彼の書斎だった。まだ日が高く昇らない時間帯のため、薄暗さが抜けきらない。左右の壁に設置された本棚には、年代物の書物が所狭しと並んでいる。あちこちに見える何かの書類はそれぞれが山のように積み上げられ、机上もまったく同様の状態だ。この部屋に限っては下男も下女も掃除の免除を厳命されているため、吸い込む空気には咳き込むほどの埃が含まれている。

 二人きりだ。しかもあのラジアンすら除け者にして。どれほど大きな厄災があったのだろうか。

 慣れた様子でライオネットがゆっくりと進み行く。ソフィーは後ろ手にドアを閉めた。バタンという音を最後に全ての音源が遠ざかり、彼も部屋の中心で足を止める。緊張が胸に染み入るように押し寄せ、彼女は唾をごくりと飲んだ。

 彼は娘に背を向け語り出した。静まりかえった室内に、男の声はよく反響した。

「今朝、ラジアンが伝えてくれた話だ。昨日、王都で正式に施行された法令について話そう」

「法令?」きょとんとしてそのまま返す。

 実を言えば、それよりもラジアンが直々に早馬を務めたわけが気になったが、雰囲気に気圧されて黙っていた。察するに、ラジアンはソフィーの呪いと生い立ちについて知らされているのはないか。

 ライオネットは続ける。

「忌々しい悪法だ。お前、魔法都市の試験方法を知っているか?」

「ええ、もちろんよ。第一関門の筆記試験では、二十歳未満の男女のみが受験権利を持っているわ。続いて第二の関門は身体検査。主に魔術の行使において致命的な欠陥を抱えた、例えば魔力を練れないなんて者を篩い落とすことが目的。ただ今の世にそんな人は滅多にいないから、ただの形式的なものだと聞いたけど」

 簡潔に答えに返すと、彼はふうっと息を吐いた。

「今回の法令では、試験者においてある『絶対条件』というものを定めた。勘違いするな。試験者が必ず満たしていなければならない条件じゃない。それを満たす者は必ず魔法都市を受験をしなければならない、という条件だ」

 彼は緩慢な動作で振り向いた。まさか、とは思いつつ続きを聞く。

「……その絶対条件って何なの?」

 伯父はしばらく間を取って伝えるべきか躊躇する仕草を見せたが、やがて重い口を開いた。

「使役者であること、自らの使い魔を有していることだよ」

「あっ、えっ? それって……」

 頭に浮かんだのは使い魔ルヴェルの表象。耳に届いた言葉を脳が理解するにつれ、朝方の沈みようからは想像できないほどの晴れ晴れとした気持ちがわき上がってきた。周りの景色が一挙に色づき、身体が歓喜に震えた。

 そんな娘の心情を把握して、ライオネットの眉間に高低差の激しい皺が深々と刻まれる。

「手放しで喜ぶんじゃない。お前、この法令の意図を分かっているのか?」

 低く戒められることで、ふわふわと浮かれた心を地に足つかす。しかし、まるで反転した重力に晒されたかのように独りでに浮上しようとする身体を押さえつけるのは、大変な重労働だった。だって、頭を押さえる役自身も浮き上がろうしてしまうから。

「目的は何なの?」それでも、頭の片隅では疑念が製造され始めていた。

 目的……。使い魔を一カ所に集結させることに、何か利点でもあるのだろうか。使い魔を保有する者は、およそ一万に一と言われている。この国の全人口を八十~百万人と推定しても、使い魔の総数は百越えるか越えないかがいいところだ。

 質問に答える代わりに、ライオネットは机上から書類を手に取った。角をピンで止められた数十枚の厚い報告書をソフィーに手渡す。すぐに彼女は目を通し始めた。

「それは、半月前に魔法都市の研究グループが議会に提示したものだ」

 捲られていく速度が、枚数を重ねるごとに遅くなっていく。

 ソフィーの顔が驚愕にゆがんだ。聡明な頭脳は記されている内容以上のことを暴いてしまう。

「これって……」

「裏はそういうことだよ。ソフィー」伯父は後ろめたそうな声で、言った。「それで、だ。あ~、言いづらいが……」

 こほんと、咳をした。

「お前に頼みたいことがある」




「来年の夏には一度帰省するわよ……」

 二週間後、秋深まる九月の中旬。

 雲一つない晴天を仰げば、どこまでも透き通った青が視界に広がる。

 商人の運搬する幌馬車の内部に身を潜めたソフィーは、粉塵よけの外套を羽織り、使い魔ルヴェルと護衛を兼ねた付き人を伴い、生まれ育った故郷の地を後にした。街を二つ経由で魔法都市に向かう。

 見送ってくれた人々の中には、涙を流し彼女との別れを惜しむ者もいて、形容しがたい熱い気持ちが込み上げてきた。誰かが自分から旅立つことはあっても、自分が誰かから旅立つことは初体験だったため、他者との別離を一層新鮮に感じさせた。巣から飛び立つ雛鳥とはこういう気分なのだろうか。雛鳥もソフィーも、きっと同じ何かを見据えている。

(そうだ。私、ダマスタを出るのよ)

 『街から離れる』という行為そのものに関しては、不思議と彼女の心に何の感慨もわかなかった。課された使命に気を張っていたせいかもしれない。

 馬の嘶きが出発を合図し、大地の凹凸が車輪越しに彼女の身を揺らす。街道を行く幌馬車の中で、ソフィーはいろいろなことに考えを巡らせていた。気を許せる友を見つけられるだろうかとか、筆記試験は置いても、身体検査で万一にでも除外されたらどうしようとか。そんな他愛もないものもあれば、片や、入学したとしても寿命のつきるまでに最終クラスに進級できるだろうかとか、もしも裏の目的を果たせなかったらどうしよう、などと若干重いことまで。

 使い魔ルヴェルが「緊張していますか?」と伺うように訊いた。

「ええ、やっぱり少しはね」

「そうですか」彼は一拍おくと「ところでソフィー。なぜあなたは魔法都市に行きたがっていたのですか?」と問いを発した。

「そんなの決まっているじゃない。私も夢を追いかけてみたくなったからよ。ただでさえ縛り付けられていたから、尚のこと。そんな風に思っていた時、あれが……ん? あれって何かしら?」

 言葉に詰まった主人の思案顔を確認し、ルヴェルは居眠りを決め込んだ。

 通り過ぎた道端、特に変哲のない落ち葉が、つむじ風の上で螺旋を描き宙を舞う。

 役目を終えたそれは、ぼろぼろと風化したように崩れていった。




 そして、不本意ながら、(つるぎ)一本を携えた彼に救われる形となる。

 結果のみを言えば、彼女の乗っていた幌馬車が王都に到着することは叶わなかった。

 横からの襲撃に、商人が愛用した商売道具は原型をとどめることすら許されなかった。

 大柄な魔獣が数匹、遙か北方の雪原に分布するのはずの白狼だった。常時、時の流れに死の息吹を感じていても、いざそれと顔を合わせるとなると、恐ろしさに膝が震えて動けなかった。情けない。

 隣に居合わせた多くの奴隷を乗せた幌馬車も、同様に大破した。

 大地が真新しい鮮血を嬉々として吸い込む中で、彼の近くに投げ出されたのは、まったくの偶然だ。

 そこに彼がいたことに、神の導きなどありはしない。

 無神論者の彼女からしてみれば、気の遠くなるほどの数を誇る生命、それ自身が織り成す現在という複雑な時間に想像の産物である神が介入するとはとても思えない。あるのはいつも何かの生み出す結果だけ。そして、そう思えば腑に落ちることがいくつかある。


 例えば、猛る白狼の半数が、脇目もふらず彼女を目掛けて牙を剥いてきた理由なんかだ。

 毛並みの美しい獣たちは、明らかに飼い慣らされた匂いを漂わせていた。

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