第六話 始点
――言語置換魔術 使用中――
「……という事情があって、私の血は特別に呪われているのよっ。だから私は二十歳までしか生きられないのっ。 二十回目の誕生日を迎えた途端に弾け飛ぶのよ。分かった? 」
あまり口にしたくない話題のためか、少しばかり荒っぽい口調になっているのを自覚する。
「血の呪い、ですか」気の抜ける、そして若干浮いたような声が言った。
「そう。この島国に生まれる子供に課される『出生年の呪い』っていうやつよ。私たちは二十歳になるまでに、それぞれの年に象徴されている、獣もしくは魔物の血を口に含まなくちゃならないの。もしそれを怠ると、体中の皮膚が引き裂けて、魂までも粉々に砕け散るって言われているわ」
「分かりました。……で、なぜマスターの死が確定しているのです?」
「だからぁ……っ」
ソフィーは無益と知りつつも歯噛みして、現在に至らしめた過去の自分を呪った。目の前に正座する無駄に難しげな思念顔を見やり、やや大袈裟に嘆息する。
身長はロベルトよりも拳二つほど下といったところか。どこか喰えない雰囲気の少年だった。つい昨日湯に浸かったばかりの肌色は本当に男かと疑うほどにきめ細やかで、彼が剣奴の出身とは微塵も感じさせぬほどに健康的だ。
「ねぇ、あなたこれで三回目の説明よ? いい加減、学習したらどうなの?」
「しかし、度々翻訳不可の単語が出てきては、どうにも話が上手く繋がらないのです。それと、何か頭にしこりがあるような感覚が、いつまでも続いていて。思考がはっきりしないというか……。額を打った時にでも障害の類をおこしたのかもしれません」彼は頭をさすりつつ、あくまでもぼんやりと言う。
「普通、そこでの定型は『申し訳ありません』ではなくて? 前々から思っていたけど、あなたやっぱりおかしいわ。まず自我がまるまる残っていることからして。頭が働かないのは、もしかして副作用かしら。まったく訳が分からない。あなた、本当に王都で呪術を刻まれたのでしょうね? それともまさか曰く付きの代物なの?」
現在も彼が片手で弄っている肩まで伸びた柔らかそうな黒髪は、縮れ毛の女性から濃い羨望の眼差しを浴びるに相応しい艶やかさを放つ。額に垂れる前髪の隙間より覗く二重目蓋は、常時やや眠たげに垂れ下がっており、初めはどこか柔和で抜けた印象をソフィーに与えたものだった。
(今となってはただの馬鹿としか思えないけど)
ソフィーはやはり大袈裟に嘆息した。
先ほど、新天地の嗅ぎ慣れぬ空気を吸い込みながら、寮の扉を開けた。壁の木目が古びた印象を与える少々狭めの室内だが、下男による掃除は隅々まで行き届いており不快な気分はしない。天井が低いのは我慢するとしよう。現在腰を下ろしているこった造りのチェアも中々座り心地が良いし、同じく木製のテーブルもセンスがいいのではないか。見わたせば高級そうな絹の寝具が目に止まり、壁に設置された台の上には早速テキストブックが山積みになっている。総じて悪くない、悪くない自室となりそうだった。
まあ、
この見た目十六歳の少年さえいなければという限定付きで、だが。
こんななよやかな男が、本当にあれだけの剣捌きをしたのだろうか。両の目でしかと捉えたはずのソフィーでさえ、今となっては確証が持てなかった。
ソフィーは少年の前腕を見る。
New world level6
それは鮮血よりも鮮血らしい紅色。
そして、この閉ざされた島国で、最も卑賤な身分の人間である証でもあった。
(私やっぱりあんなことしなければ……)
後悔に悩まされるも、過去は変えられない。
実際のところ、そうするしか方法がなかったのだ。これは彼女の選択などではなく、総じて運命の悪戯と言えた。なぜなら、あの瞬間に彼を抱き起こすことを拒否していれば、商人だけではなく幌馬車に乗っていた『罪なき奴隷』たちまで皆殺しになっていたはずだ。彼女は自分に出来る最良の行動をしたに過ぎない。あの時――
彼女をこの状況へと誘った不可思議な経緯を順を追って叙述するには、多少なりとも手間を要する。
☆ ☆ ☆
一枚の葉が肩に落ちたその時から、目に見えないところで何かが巡り始めた気がした。
夏の盛りのことだった。
ミーン ミーン
屋敷の外の木々にへばり付く蝉、うんざりするほど変調のないその大合唱が一ヶ月間相も変わらず鼓膜を揺らす中、もう一人、頑迷さを貫く者がいた。
「ならん! 断じてならん!」
頑なに振られ続ける野太い首が、昨日と変化なく左右に往復したのを見て、ソフィーは目に見えて酷く落胆した。何度目の嘆願だったであろうか。いい加減、諦めの念が心にわだかまり始めている。普段なら娘の要求を二つ返事で了承する伯父の意思は、この件においてのみオリハルコンをも凌ぐ堅硬さをもって彼女を阻んでいた。
……だが、今回ばかりは折れるわけにはいかない。
「ねえどうして許してくれないのよ!」ソフィーは机に向かい執務中の男へと必死に叫ぶ。「魔法都市の入学試験まであと二ヶ月もないのよ!」
すると書類の山から手を離した男は「お前は……」と口を開きながら眼前の少女を冷酷に睨め付けた。思わずすくみ上がるほどの迫力に耐えつつ、ソフィーはキッと対抗する。
「お前はここを飛び出すという行為、それに伴う危険がどれほどのものかまるで理解していない。十年経ったからなんだというんだ? 迂闊に人前へ出て、ひょんなことで本名を晒してみろ。すぐにあのいかれたカルト集団がお前を取っ捕まえて、悪名高い呪人裁判を執り行うぞっ」
呪人裁判とは『覇権戦争』時代の公開処刑を指している。その名のとおり『呪い』を身に宿した者を貼り付けにして火で炙り、悲鳴も絶え絶えとなり死に絶えそうになった対象の心臓に鉄製の槍を突き刺すというものだ。心臓そのものに魂が宿ると考えられた当時、それを貫くという処刑法は他を凌いで最も残酷な手法と考えられていた。非効率的ながら、古きを尊ぶ者たちの間では現在も伝承に則ってこの裁判が行われている。
「それでも……」ソフィーは険しい顔をして食い下がる。
その返答に反抗の意思を聞きつけ、男は机上を割れんばかりに叩いて立ち上がった。数枚の羊皮紙が衝撃で宙に舞い、そして床に落ちる。
「大体だ。何度も言うが、こんな贅沢極まりない生活をさせてやっているのに、なぜそんな戯れ言を口にするんだ。世の中には明日の飯にすら困る輩が大勢いるんだぞ。これは本当の幸せじゃない? もう少し謙虚な心を保ちなさい。父さんはすこぶる不愉快だっ」
幾度とない押し問答の繰り返しだった。
「そのことについては感謝しているって言っているじゃない! でも目標も持たずに日々を過ご……」
「なら、とやかく言わずに今すぐここから出て行きなさい!」
豪奢な室内に張り上げられた声がソフィーの前面をひりつかせた。
「さっさと出なさい!」
ここぞとばかりに追い打ちがかかった。
結局、着地点の座標に前日と粒一つの違いもなかった。
「あ~もうっ、あの陰気親父ぃ!」どうしたって話の通じない男に業を煮やし、自室へ戻ったソフィーはだんだんと地団駄を踏んだ。のみならず寝台の上に飛び乗ると枕を抱きしめ、膨れた面を綿の柔らかさに埋もれさせた。顔が蒸れただけだった。
魔法都市の入学試験まであと二ヶ月しかない――自ら放った言葉を頭の中に反芻した結果、ソフィーは気が落ち込むのを感じた。自然、焦りが心拍数を押し上げるが、なす術はない。
ここ一ヶ月ほど、このような膠着状態が続いていた。いや、あの男は頭から話を聞こうともしないのだから、勝負にすらなっていない。依然、仏頂面のひび割れもそこから差すはずの光明も拝めずに、ただ時間だけが過ぎていくだけだ。この状況で気力を保てという方が難題だ。
「ソフィー。この度も前進なしですか?」
子供特有の甲高い声がソフィーの名を呼んだ。
「……ルヴェルか。なぁんであなたはまた、好きこのんでそんなとこに挟まってるの」
寝台の下から響いたくぐもった肉声の主に、だらけきった声を放る。
マットのふちにか細い手を掛けて、ルヴェルの小さすぎる頭がひょっこりと現れた。うんしょっと寝台の上に乗り上げられた全身が、ソフィーの視界にまるまる収まる。主人と同じ暗褐色の短髪の下に映える中性的な可愛らしい容姿、つぶらな瞳に桃色の唇、全長五十㌢そこらの人間そのものの体付き、それらの特徴はルヴェルが『使い魔』と呼ばれる種族であることを示していた。
現在は煌々と燃える火の玉が中天にかかる頃合いであり、採光性抜群のガラス窓からは目に毒なほどの光量が注ぎ込まれている。使い魔はぱっちりとした目を眩しそうに細めながら、何かを払うようにかぶりを振った。ルヴェル特有の眠気を覚まし方である(とソフィーは最近気付いた)。
「卵の中にいたときから、太陽はどうも好きになれなくてですね」
いそいそもそもそとシーツの上を四つんばいで這いずり布団の中へすっぽりと潜り込んだルヴェルは、あごを肘付いた両手で支え、上目遣いで顔だけを主人に覗かせた。行動がいちいち可愛いやつだと思った。
「つくづくあなたも変わった使い魔よねぇ。……そんなことして暑くないの?」
「自覚しています。それと、使役者の身体に触れていないと体温が極端に下がってしまう、と先日お話ししたばかりでしょう」
使い魔はやれやれと首を横に振った。
「いえ、それよりもソフィー。どうしましょうか。このままでは魔法都市の「魔」の字すら目にかかれませんよ。悠長に手紙の文字を信じるだけではすまなくなってきているかもしれません」
「分かってるわよそんなこと」ため息を一つ吐く。「でもどうしようもないんだもの」
実際、どのような手段を用いれば、あの本家の鉄も唖然とするほどの鉄仮面を割れるというのか。ソフィーはあらゆる観点から検証を行ったが、傑出した名案が天から下りてくるようなことはなかった。
「よろしくない方法なら盛りだくさんなんだけどね。偽名を使う、誰かとすり替わる、死亡に見せかけ第二の人生へ」
「どれもご自身で却下されたものばかりじゃないですか」
一も二もなく否定され、そこに長らく溜まった鬱憤も相まって、ソフィーはやりきれない気持ちに襲われた。
「無理なのかなぁ……」
ソフィーが伯父に楯突いてまで魔法都市に固執するのには、誰にも言えないわけがある。見返りが外界の景色を拝む無二のチケットかもしれないとあれば、一見して全てが伯父の怒りの源に還元されていそうな彼女の行動も無駄にならないというものだ。
「ねえ。もう一度だけあれを見せてくれない?」
即座、主人の命令に従う。使い魔は夏も峠という時期をまるっきり無視して着込んだセーターの懐から、ある男の置手紙を取り出した。一応は手紙に分類されるであろうそれは、しかし時代に見合った紙製ではない。傍目見れば、手のひらから僅かにはみ出るか、といったほどの面積の葉っぱでしかなかった。
夏の始めのことだ。例の教会の巨木に背もたれ読書に勤しんでいた彼女の肩に、それはひらひらと舞い降りてきたのだった。もちろん初見でこれがどういったものなのか分かるはずもなく、その時はただ手で払おうとしたのだが……これが中々服に引っ付いて離れない。一体? と思い注意して見れば、驚くことにそこには文字が記してあったのだ。
「トライル」室内でも用心して、ソフィーは『鍵言葉』を自身にも届かぬくらいひっそりと呟き――途端、葉肉を支えていた薄黄緑の葉脈が一斉に細かく千切れたちまち散り散りになって、濃緑色の表面に読み取りづらい文字の群を構成する。一つの音声に従い特定の形を目指すその様は、数百の蟻がソフィーの指揮に反応して足音高らかにマーチングバンドでもしているようだ。時間に流れされたのだろう、文字が欠けているか、全くの空白になってしまっている箇所も目立つ。
どんなに田舎の芋臭い農夫でも簡単に理解できる。それは明らかに魔術による手紙だった。
以下、葉面より
親愛なるソフィー 十年後のソフィーへ
これを書いている今でも、成長したあなたの驚く顔が目_浮かびます
初めましてと_わなくてはなりませんね。私はルネと申します
覚えていらしゃるでしょうか
あなたの父親を演じている__ろうライオネットの従者を務_ていた男です
あなたがこの隠された手紙に目を通す頃には、私は既_亡者になっているでしょう
しかし自分の命を惜しむ気は起きま_ん。なぜならあなたがいるからです
ここまで読むと――恐らく時間差で変化するよう設定されているのだろう、にわかには信じがたいが――文章が一変に塗り替えられた。相変わらず細々と読みづらい文字で続きが書いてある。しかも二枚目以降は劣化が更に侵攻しているのか、虫食いのように意味をなさない文字が増加しては解読を困らせる。
ソフ_ー、私からたってのお願い_あります
実のところ、私はある__運命を見通すことを許されてい_す
馬鹿なこ__と思うのなら、次に言_ことを試行_て_ください
自由を手_したい女の子
あなたの伯_ライオネットに、魔法都_へ行きたいと仰るのです
断られても構_ずに、何度も何度もです
理由_お話し出来ませんが、これだけは約束できます
その行為は、き_とあなたを自_へと__放つ鍵となるでしょう
再び変遷が訪れる。確実に文字化けが酷くなっていく。
ライオネ__は私にいく___重大な機密事項_漏らしま_た
一つは、赤子だった__たを救出させ___です
それは、あ_たが予_____ったから
やつらは___書に____を修_すべく____必要と______
私はやつ_の企みを食い___い
どうか願い_聞き__てください
あなたという__に_を投げ打っ_私________
世_______をもたらし___さい
3_45 ルネ__
再読____は _ライルと_____
手紙はここで終わっていた。重要な事柄が面白いくらい伝達不能になっている(多分)過去の文章は、ソフィーの頭に多くの謎を残し、眼前では葉が猫をかぶって己を演じているだけだ。
ソフィーは自らも広い寝台へ寝転がると、使い魔と同様のポーズを取って彼と向き合う。あいだにひらっと手紙が置かれた。
「これ、本当にルネが書いた物なのかしらね」手始めにソフィーは率直な疑問を述べる。「あの瞬間、誰かが幹の上に居座っていて、いたずらにこれを落としたという線は……」
「絶対にありません。あの時の僕は、どうにか陽の光に慣れないものか、とずっと木の葉の上を眺めていましたから。何者の気配も感じませんでした。その葉は間違いなくあの大木のものですよ」追加して「僕はルネ自身が筆を走らせたものだと思っています」とも言った。
「でもねぇ……」煮え切らない真実が歯がゆくてしょうがない。ソフィー宛のこの手紙が本当にルネが書き記したものであると信じるには、それに値する明確な証拠が欠けているのだ。安易に決めつけるには、ソフィーの生い立ちは黒い境界線をいくらか越え過ぎている。「あのカルト集団が私を外界に誘き出すために使った罠、っていうのは考えられない?」
「あなたを『魔法都市』へ誘き出すことでどうするのですか。それに……。そうですね。もしもこれを落としたのがそのカルト集団だったとしましょう。僕だったらこんな回りくどい手は打たず、即座に殺すか、もしくは隠密に誘拐しますよ。手紙の存在をソフィーが伯父様に知らせでもすれば、厳重な警護を布かれることは予想に難くありません」
では、この手紙は本当に過去から現在のソフィーへ書かれたものだというのか。それもどうも嘘くさい。第一に、樹木に魔術を施すのはともかくそれが十年前の術式であるとすれば、今尚発動していることはすこぶる不自然である。数多くの魔術関連の書物を紐解いた経験が、両の意味で彼女に踏ん切りをつかせない。
「あの巨木は血吸木のような魔術的な重要アイテムではないの。でも、だとすれば術式に注がれていたはずの魔力はどこから供給していたの?」
「それは時間差で作動するタイプの術式だったのでは? 例えばその葉のように」使い魔は自前のもやしより細そうな指で目の前の薄っぺらい葉を指した。
「そんなの書物でも見たことないわ。それに、ルネが魔術を使えなかったことはロベルト兄さんにも確認済みだし」ソフィーはため息を吐いた「万一、そのレアで高等な魔術をルネが扱えたとして、これほどの術を完成させるにはたしか相当な下準備が必要なはず。そんな鈍くさい真似事を伯父様が見逃すはずがない」
では、誰がこれをソフィーに宛てたのか?
ソフィーはこの件に深入りすることを、あわくではあるが恐れていた。闇夜に沈む岩礁に怯えながら航行する貨物船にでも乗っている気分だ。敵は見えない。されど、どこからか、じっとこちらを見据えているのである。
正直な話、気味が悪い。
「手紙の要求を飲みましょう」といって聞かなかったのも目の前の使い魔であり、ソフィーは最初から乗り気ではなかったのだ。
ソフィーはこの不毛な話題に一端の区切りをつけ、別の視点からものを考えることにした。
「仕方がないわ。確証はないけれどルネが書いたものと仮定しましょう。して、この内容は一体どういうことなのかしら」
「三枚目の二行目は『赤子だったあなたを救出したわけです』でしょうね」
「多分ね。まったく、その下の行が重要だってのに。『あなたが予…………だったから』じゃあ検討もつかないわ」
続いて、使い魔はやや核心をつく問いを放った。
「そういえば、やつらという組織……にはライオネット伯父様も含まれるのでしょうか」
「それは……」
その言葉一つで場がしんと沈黙する。重い空気が動かない中、意識的に思考を手放せば、鼓膜に単調な蝉の鳴き声だけが近づいて来る。
「……うん。そう……なるのかしらねぇ」ソフィーは上の空で呟いた。
自分をここまで育て上げてくれた人が、実は密命から仕方なく自分を養護していた。伯父が大好きというわけではなかったが、あまり信じたくはない話だった。
しかし現実では、ソフィーはある程度までしか自分の生い立ちについて知らされていない。当時赤ん坊だったのだから当たり前だが、それは他人の口から聞き及んだ話であり、今考えると捏造された可能性もなきにしもあらず、だ。
「う~。もう何を信じればいいのかわからなくなってきたわ」ソフィーはシーツに顔を埋めて突っ伏した。視界が光混じりの闇に覆われる。直に触れた布から花の良い香りが鼻孔に流れ込んだ。
「確かソフィーの伯父様は、呪人裁判で処刑が決まった赤子が弟の娘だったから、今は亡き従者に命じてあなたを攫わせた、とか」使い魔は可愛らしい顔をしかめた。「なにか……」口を閉ざす。
「これまで感謝こそすれ疑ったこともなかったけど、冷静に考えれば辻褄が合わないのよね」ソフィーが渋々後を引き取った。「もっと言えば、どこかきな臭い」
「何か目的か報酬がなければ、あなたをカリヌ教徒から奪還する危険は冒さなかったでしょう」
「じゃあ、その目的か報酬ってのは一体何なの?」
「それを解明するには手紙に頼るほかありません」
「だけじゃあ情報が少なすぎるわ」
再び沈黙がやってきてソフィーの背中に陣取った。「わかるはずないっ」叫び、ぱんっと寝台を叩けば薄っぺらい葉がふらっと浮遊した。軽い、これほどにまで軽い物体に、これほどまでに追い詰められている。これは何だ。葉っぱでもただの手紙でもないこれは。ルネはこれを書き残してソフィーを……一種の遺書なのだろうか。外見に見合わない一枚が、ずしんと心に重い。
私は誰を信じればいいのだろう。ソフィーは内に思った。伯父はいつでも無愛想で仕事にかかり切りだったが、時たま父親らしく振る舞おうとソフィーに人生の教訓を聞かせたり、ロベルト兄さんと三人で仲良く遊んでくれたりした。欲しがる物を何でも買い与えていたのだって、心の底では仕事しか眼中にない自分を申し訳なく思ってのせめてもの罪滅ぼしだったに違いない。違いない。違いない。
(本当にそう?)
全ては偽りだったのか。伯父はソフィーに何かを隠している? 『あなたが予…………だったから』そもそも、ルネはソフィーが何者だと言うのか。自分の命を捧げてまで呪われた赤子を守り通した男は、ソフィーに一体何を背負わせたかったのだろうか。『私はやつ_の企みを食い___い』安直だが推察するに『私はやつらの企みを食い止めたい』だ。やつらの企みとは? それをルネは快く思っていなかったのようだ。なぜ? ルネは善悪どちらの味方なのか?
(私はルネを信じて良いの? それとも伯父様を信じなければならないの?)
二者択一の袋小路に追い詰められた主人に使い魔は助け船を出し、こう話を締めくくる。
「今は取り敢えず手紙の内容を遂行してみるのが、あなたにとっては吉ではないかと思いますよ。ソフィーは自由を手に入れたいのでしょう?」
「……まぁ。どうせこのまま死ぬのならば、ね。私はもっと大勢の人の為になるような仕事をしてみたいし、いろいろな人たちと会話してみたいとも思う……けど」
未知の世界への望みがあることは事実。しかし歯切れの悪い言葉しか返せない。無理もない。この試行を続ければ、それは伯父を疑いを抱くことに繋がる。少女は良心の呵責に苛まれた。親代わりの男の黒い部分を覗くことも忌避していた。
それでも「この件は、もしかしたら危ない橋かもしれないけど、私にとって外へ飛び出す一度きりのチャンスでしょうから」と言い聞かせ振り払った。
ライオネットの頭の硬さは折り紙付きだ。今回のような摩訶不思議な力の助太刀なしには、ソフィーの望みが叶えられることはまずないと言える。
「とは言え、いい加減あのしかめっ面もふつふつとしているから注意しないと。鉄仮面が別の意味で割れれちゃ世話ないわ」