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第三話 収監と裏切り

(計画は失敗した)

 その言葉だけが、少女の頭の中に幾度となく再生されていた。

 後ろ手に黒光りする鋼鉄製の手枷を填められた少女は、黒のローブを纏う男達に囲まれている。誰もが無言。乱雑な足音のみが、停滞する空気を震わせている。闇に万事を飲み込まれた地下通路を、数人の男と一人の少女は進んでゆく。いや、少女の場合、進まされていると言った方が正確だった。

 集団の先頭を担う男は、歩きながらも、右手に掴んだこった造りの杖を前方斜め上へ真っ直ぐに伸ばしていた。どす黒い何かで塗りつぶされた(もしくは染色された)木製の杖。掲げられたその杖の先には、赤々しい炎が灯っている。しかし、炎の中に燃焼中のはずの物体の影はない。杖自体も燃えてはいない。ただただ、炎だけが四方に光を散らすのみ。

 『魔術』による明かりだ。

 照らされた少女の頸部は、複雑な紋様を刻まれた首輪によってきつく締め付けられていた。こちらは、体内へのマナの吸入を妨害する『呪術』である。少女にとって、これほど忌々しい存在と言ったらなかった。首輪に接続された三本の鉄製の鎖の先は、枝分かれして男達の黒い懐に吸い込まれていた。面白いほど厳重な態勢である。暗に、少女に対して鎖一本では心許ないとでも言っているかのようだ。この光景を目撃すれば、誰だって皆「大袈裟だ」と口を揃えて言うはずだ。しかしそれは、何も知らない人間が、ただ現状をありのままに捉えて口にした無責任な狂言に過ぎない。男達を臆病者と見くびる人間の、ただの戯れ言に過ぎない。この少女の内奥に秘められた、語るに恐ろしい『力』を知る男達が――いくら呪術で『力』を封じているとは言え――こうしてその怪物をなよなよしい鎖のみで連行する行為は、実を言えば、眠れる悪竜の鱗に覆われた堅牢な巨体に無防備に突進してゆく、そんな蛮行と大差ないものなのだから。

 少女が、ゆっくりと顔を上げた。小さな輪郭に縁取られた、かなり整った容貌が現れた。しかし、暗中の炎による陰影のせいなのか、それとも少女の心情が表に出ているのか、どちらにせよ、少女はひどくやつれて見えた。老け込みようが早老と見違うほどだった。

 少女の視線の先に、華美な装飾を施された両開きの鉄扉がそびえていた。鉄扉の表面で、見る者に畏怖の感情を植え付ける醜悪な面構えの竜が、今にも平面の世界から飛び立とうと両翼を羽ばたかせている。扉の存在は、この地下通路の終点を意味していた。薄暗いこの場でははっきりと確認はできないが、酒樽をあおり火を吹く鬼の彫刻が二つ、両の壁際を陣取っている。少女は形の良い眉をひそめた。

(あんなもの、前まで置いてあったかな……)

 松明を所持した男が、ぶつぶつと何かを呟く。すると、鉄扉が悩ましげな音を立てて、のろのろと、しかし確実に開き始めた。その一秒一瞬が少女を確実に飲み込んでゆく。中央の隙間より徐々に露わになるはずの扉の先の空間も、これまでと同じく濃密な闇に閉ざされていた。

 扉は完全に開いた。少女の目が、若干恐怖にちらついた。

 少女は改めて身を振り乱し、扉の先へ進むことを激しく拒否した。しかし、何人もの男に力で勝る道理はなく、やがて観念したように全く反抗しなくなった。後方に扉の閉まる音を背にし、先頭の男がぶつぶつと何やら呟いた。たちまち灯りが消え、再び闇が息を吹き返す。少女の視界に炎の名残が白い靄として、いつまでも残留していた。河原の土手で彼と二人、仲良く仰いだ最後の花火が思い起こされた。やけに懐かしかった。色あせない記憶の欠片を掴もうと、自分も知らないどこかへ手を伸ばしかけて、手枷が少女を現実に引き留めた。

 鎖をぐいっと引かれた。数歩進めば段差があって、上った後、少女は立ち止まった。

「被告人――」

 虚空の彼方より、声が少女の名を呼ぶ。低温の耳障りな男声である。

 しかし、少女は告げられた意味を解せない。

 恐らくは少女の罪状であろうものが、『異国』の言葉で淡々と読み上げられてゆく。そこに少女が口を挟む事は許可されていない。と、言うより、例え異議を唱える事を許されていても、相手が少女の言葉を理解できない。彼女はそこにいないも同然の扱いである。

(『裁判』ね)

 少女は声をはり上げ指を差し、これらのものを嘲笑いたい衝動に駆られた。しかし、それは強がりではない。誰かもしくは何かを貶めることにより、外皮だけのがらんどうな愉悦に浸り、無様な自分の姿を一瞬でも脳内から排除しようとする魂胆なのだ。少女は、己に情けない気持ちにさせられた。私はここまで落ちたのか、と。

 顔を上に向ける。

 夜空に浮かぶ星々と言えば聞こえはいいが、実際はそんなものではない。濁り荒んだ瞳の光が、闇の中に並び浮かび上がり、彼女を上から見下している。その視線は侮蔑の感情にぬらついていて、闇の中でも構いなく可視できるのでは、と思わせるほどだった。以前、少女はこの法廷を訪れた事がある。記憶が確かならば、上階は傍聴席となっていたはずだ。とは言え当然ながら、彼女の知人の中には、傍聴席に座れる身分の者はいない。裁判を傍聴できる者は貴族、もしくは貴族に繋がりを持つ大商人に限定されている。更に言えば、仲間達は今頃続々と死刑になっているか、王の犬共の牙に恐々としながらも、国外逃亡を目論んでいるはずだ。そのような状態で、少女を助けることなど、誰も考えつかないだろう。

 もはや一縷の望みもない。計画は失敗に終わったのだから。

 言うなれば、これは消化試合なのだ。勝負はとうの昔についている。

 そんなことは、少女自身が一番理解していた。

(人でなし共めっ)

 少女は内で唾棄し、上を睨め付け呪い文句まで吐いた。

 しかし、状況は絶対的に不利である。少女の相棒を務めた使い魔(ファミリア)は、想像したくはないが、十中八九研究部に回されたのだろうし、首輪に刻まれた解呪不能の術式により、『マナ』の精製もままならず、魔術の行使など夢のまた夢だ。

 少女は、絶海の孤島に一人佇む己の儚げな幻影を、自分の中に見た。自身から溢れ出した感情は、やがて海に交じり潮のように島の周りを侵食してゆく。少女は再び俯いた。その表情はまるで、絞首台へと赴く罪人のようである。まあ、同じような境遇ではある。いずれ時は満潮を迎え、心の足置き場を失った少女は、溺れ、藻屑となり果て崩壊するのだ。

 少女は自嘲気味に、それを受け入れるほかなかった。

(私さ、本当にあそこで霧散するのかな。まだ、鍵を見つけていないのに)

 いつしか、頬が濡れていた。

 少女は、誰かの名を呼んだ。余りに遠い世界に、そのつぶやきは届きそうもない。

(約束、守れなくてごめんね……)

 それでも『裁判』は進んでゆく。


 ☆ ☆ ☆


 豪奢な椅子に座り込む彼の目の前に、ベルが鳴っている電話があった。

 受話器を取れば、なめらかな女声が聞こえた。

「報告します。アダマント城内地下三階の研究部にて、異邦者を主とする使い魔(ファミリア)、識別名サムエルを保護。ご指示通り、偽装死の手はずも完了しました。異邦者は有罪判決後、やはり浮遊城へ飛ばされたようです。申し開きできません。傍聴者を装い侵入した部下によれば、法廷内には幾重にも『呪術』が重ねがけしてあり、安易に手が出せる状況ではなく……あわよくば奪還を、とは思いましたが、場を荒げるのはいかがなものかと躊躇し、結果見過ごしてしまったようです」

「いやいや、ご苦労だよ。王に感づかれてはこちらも動きにくくなる。うん、いいか。これは他のやつらにもしっかりと伝えろ。無理に命令を遂行する必要はないんだ。隠密を前提、敵にはちらつく尻尾の影すら踏ませるな。絶対要塞に飛ばされては、あちらも楽に手出しは出来ないだろうから、その異邦者の存命は約束されたようなものだ。手出し出来てもらっては困る。今は天がこちらに微笑むよう祈るのみだよ」

「今後の方針といたしましては……」

「すまないがそういうのは嫌いでね。分かったことを口にするなよ」

「申し訳ありません。引き続き、浮遊城の捜索にあたります」

 電話を置く。

 再び、電話が鳴る。電話越しに、焦りがそのまま伝わってくるような声が聞こえる。

「か、かしらっ、大変ですっ。ったく、ポカやりやがってあの大馬鹿やろう共っ!」

「落ち着けよ。何があったのか説明しろ」

「はっ、はい……。報告です。今から三分前に、『感知器』の操作を任されていた第八部隊が青龍の大群に襲撃されたみたいで。通信具も依然黙りこくったまんま。恐らくは、テリトリーを侵した……何っつうか、音波でしたっけ? ともかくやつら、きっと逆探知とかいうのをされたんすよ。情けないけど、俺ぁ隊長つっても馬鹿だから、今はかしらの指示を仰がせてもらいたいんです」

「ふぅ……。お前、頭を冷やしてよく考えてみろ。繁殖期を過ぎたこの季節だぞ? ブルードラゴンの『大群』が『偶然』にも、第八部隊を襲うわけがないだろうに」

「あぇっ」

「撤退しろ。これは命令だ。定かではないが、あちらに相当やり手の魔術師か、高ランクの使い魔が紛れている可能性がある。第八部隊を壊滅させるほどの勢力なんだろう? これ以上は無駄足だよ。事前に話してやったはずだ。今回の作戦は、失敗したから次はないというものではないのだから。最大限に上空を警戒しつつ、第二部隊は速やかに拠点へと帰還しろ。やつらとの交戦を回避。今のうちから、出費消費は出来るだけ控えた方がいい」

 電話が切れた。舌打ちをした。

(やつら、いずれ感知器の技術を復元するだろうか。いや、それはないか。やつらはあれの解呪法を手に入れてはいないはずだ。本体は、今どこにあるだろう。可能なら取り戻したいが。それともやつら、ブレスで見境なく機械ごと凍り付かしてしまったのだろうか)

 溜息を吐いた。

(どちらにしろ、あれは安いものではなかったのだがな)

 苛立ちは再度、外に音として現れる。

 彼は振り向こうとし……

「舌打ちはよくなくてよ。こんな陰気くさいところにばっかりいるから、苛々するのよ」

 どこともしれぬ場所から響いた声に、彼は思わず派手に咳き込みそうになった。不意を突かれた心臓が、のど元にまで突き上がったように思える。

 さっと目を向ければ、室内を斜めに走る影が、『二つ』仲良く揺れていた。

「お、おはようございます。それはこっちのセリフですよ。姉さん。まったく人が悪いなあ。帰るんだったら前もって連絡をしてくれればいいのに。……えっ? あっ、ああ。なあに。早めの『スタートダッシュ』がばれてしまっただけです。フライングは厳禁だと、部下の身をもって思い知らされましてね」

「ふーん。まあいいわ」

 彼は現状をありのまま、誇張せずに彼女に伝えた。

「んー、わかったわ。……それでっ」

 身を乗り出す彼女。彼は部屋の隅へ泳ぎ出そうとする視線の先を、意志を総動員してがっちりと前方に固定した。彼女の息が耳元に熱い。彼の背中は今も尚、凍り付いているというのに。脊椎がそっくりそのまま氷柱にすり替わりでもしたようだった。

「計画に支障はないのでしょう……ね?」

 一拍後、彼は答えた。口元はどうなっていたのだろうか。声が震えていないのは確かだが。

「ない、とは言いきれません。しかし、この程度は誤差の範囲です。元々綿密にたてた計画ではありませんし、まだ先は長い。臨機応変が僕の売りですからね。楽しみはここからです。第八部隊は潰されましたが、こちらだって先日あちらの主力を大分削っている。犠牲がもたらしたカードを一枚確認出来たことだし」

 彼女は蛇のように舌をちろちろと出して微笑むと、するすると離れていく。

「ああ、ただ……」彼はそれらしく語尾を小さくした。

「何かしら? 気になることでも?」彼女が問う。

「ええ、浮遊城の件ですよ。あっ、もちろん偽物のほうですよ? 長年、特に気にしていませんでしたが、ここのところあのでか物は何かきな臭い。今回だってそうだ。あの王が、未だに罪人を『御上』に献上している事が気がかりです。王制を敷く絶対権力者が、反逆者を自らの手で裁かないなど考えられましょうか。それだけじゃない。今回捧げられた女は、異邦者でありながらこの世界でも十指の一に入る規格外の魔術師だった。彼女に与えられた『呪い』の本質を知らぬとは言え、それだけ戦力的に魅力を持つ異邦者を、王は自らのしもべともしなかった。本当に何もせずに、ただ上への貢ぎ物としただけだったんです。その気になれば、彼女を操り人形にする事は容易かったはずなのに。王の側近には、その手の術式を扱える輩など、掃いて捨てるほどいるでしょうからね」

 彼女はしばらく物思いにふけった。

 つーっと冷や汗がたれた。気取られないよう必死だった。

「……わかったわ。こちらで本腰を入れて調査するべきかしら?」

「お願いしたいところですね」

「了解。やる気は出ないけどね。はあ~。早々に彼、彼女らご対面したいものね。あとどのくらいなのかしら?」

「解読された予言の書では、姉さんの望みの『あの』呪いが落ちてくるのは、二百年後と記されていますから。最短二百年、長くても五百年、その間には蹴りがつきそうです。その呪い持ちだけは間違っても死なぬよう尽力しますよ。あの忌々しいやつらと互いに、ね。最終的に争奪戦になる事は誰の目からも明白ですが」

「ふふっ。あいつらも馬鹿よね。私たちに喧嘩を売るようなマネをして、ただで済むと思っているのかしら。ん~。二百年かぁ。まだまだ時間がかかりそうね。私、もしかしたらその間に『鍵』を見つけちゃうかもしれないわ」

 軽口を叩いた彼女の視線。

 突き刺さる二針の冷たさが、彼をその場に縫い止める。

「信頼してるわよ? 宗主様?」

 彼女は甲高い足音を従えて去ってゆく。他の追随を許さない魔の世界における絶対の君臨者。その後ろ姿だけでも、実力の程が知れるようだった。彼女は歩く。知ってか知らないでか、後方の松明二ヶによって照らされる室内で、彼の心を写すかのように揺れる細長いしかし濃い影の一本を、一歩一歩これ見よがしに踏みつけながら。

 『彼ら』は震えていた。

 彼女が注意を払う様子はなかった。気づかなかったはずだ。

 床に張り付く影の本数が一本多かったことになど。

 彼女が何事かつぶやいた。続いて、彼女が腰の辺りをねじるように身体を捻る。すると室内に淀んだ空気がうねりをあげた。まるで、部屋という空間が丸ごと彼女の奇怪な動作に引きずられたようだった。引き起こされた烈風は、室内を縦横無尽に駆け巡る。松明は揺れ、室内の影という影が壁や床面の上で触手のように蠢いた。しかし、暴風が一様に彼女を喰らおうと足を揃えて一点に収束した時には、彼女の肉体は既に虚空へ吸い込まれていた。塵一つ残さなかった。

 『彼ら』はほうっと息を吐いた。

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