表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

第二話 駅(ターミナル)

 『そこ』に男がいる。

 木製の安楽椅子に身を預け、紅い盃に口を付ける男がいる。

 男は、足までを覆い尽くす煌びやかな長衣をまとっていた。美しい花々の刺繍が、所々に施されている。座っていても分かるほどに長身だ。容姿は眉目秀麗、ともすれば女とも見受けられる品のある顔立ちをしている。また、特筆すべきは鮮やかな、その虹色の長髪だ。髪が七色に分かれているわけではない。男を照らす光の角度によって、時に灼熱を思わせる紅色、時に深海の暗青色へと、刻一刻と色彩が変化しているのだ。(うるし)でも塗ったかのような光沢を見せるその髪は、しかし、ただ一色、漆黒の美だけを持ち合わせていない。代わりに……だろうか? その瞳の奥には、行けどもゆけども闇しかなかった。

 男は、盃に残っていた酒を味わうことなく一気に飲み干すと、小さく息を吐いた。その振る舞いは妙に艶めかしい。

 男が黒い目を向けた先、肘掛けに下ろされたたおやかな手の傍らで、得体の知れない生き物がいそいそと徳利を注いでいた。いや、生き物、と定義してよいのか判断が付かない。これは何かの外力で操られているのだ、と言われた方がよっぽど信憑性が高い。全長は男の手のひらを少しばかり越す程度で、身体は半透明の濁ったゲル状の皮で包まれていた。見ようによっては五体にも見える|(ヒトデの類を五体と見なすのなら)。しかし、腕部と見られる部分には、指などはもちろん存在せず、現在も、徳利を抱えるようにして懸命に持ち上げている。断じて健気ではない。非常にシュールな光景だった。よく観察すれば、頭部分にあたる突起に、胡麻粒を思わせる黒点が二つ埋め込まれている。どうやら周りの景色は認識できるようである。何ともミステリアスなこの生命体には、他にも目を疑いたくなる奇怪な特徴が多々ある。しかし、幾分か癪に障るため割愛することにする。

 さて、虹髪の男である。もう何杯目になるかも分からぬ盃をすっかり空にして。身体の力を抜いたところ、男は腕や足が萎んでいくような感覚を覚えた。『疲れている』のだろうと思った。安楽椅子は、母親の温かな腕中のように前後へ絶妙に揺れ、男の眠気をますます助長する。おもむろに目蓋を閉ざすと、男はそのまま寝入ってしまった。

 すると、折りたたまれた赤い毛布がどこからともなく現れた。その下を見れば、例の白い星形の生物が六体揃って、頭上の布を支えていた。一致団結……とはいかない。彼らは互いに威嚇したり蹴り合ったりしながら、苦心して毛布を男へかぶせ終える。再び散り散りになった。元より傍らにて酌をしていた個体も、いつの間にか姿が見えなくなっている。静寂に包まれた遮るモノ無き世界の中心で、男は昏々と眠り続ける。なんとも、幸せそうな寝顔だ。


 ところで、ここは一体何の空間なのだろうか。実を言えば、男が座す安楽椅子は、地面との接合点を持っていない。地面がないのだから当然であった。そう、男は安楽椅子諸共、宙に浮いているのである。無重力空間……ではない。男が肩をもぞもぞと動かしても、長髪の先が肩より離れて浮遊する事はないし、先ほどの白い生物も、足らしきもので二足歩行を行っていた。踏みしめる平面が確かに存在しているかのように、しっかりと。もっともな証拠として、無重力空間ならば、安楽椅子は前後に揺れないはずだ。

 男の周りの景観は、これもまた顎を落としそうになる程に神秘的だ。全面、時計で覆い尽くされているのである。一概に時計と言っても、その形態は実に多種多様。円盤に針が二本付いた、オーソドックスなものが多い。水時計や日時計らしきものもある。珍妙な例を上げれば、ぬらぬらとてかる触手の群れが目に付く。尖端が等しく同角度で屈曲している事を考慮すると、その角度で時を計るのらしい。中々にユニークだった。他としては、巨大な小便小僧の水時計があった。像は透けており、目盛りが記してある。抱腹を通り越して、シニカルな笑みさえ浮かびそうだ。兎にも角にも、時という相対的な概念を計測する数多の計器が、遙か彼方までも続いているのである。しかも、盤に記してある文字に統一感は皆無だ。流麗な筆記体があれば、角張った硬い綴りが存在を主張する。それが皆、数字を表すかどうかは定かではない。

 また、更に言及すべき点としては、現在、時計達のの活動が全て停止している事が上げられる。

 どうやら、この場を理解する為には、既存の法則を一旦意識の底から引き剥がさなければいけないようである。そうせずには、この場を理解することなどの到底不可能だと思われる。

 そうだ、まさしく常軌を逸している。

 考えてもみれば、おかしな事だらけだった。この空間もさることながら、この男も怪しい。止まった時計に囲まれて、穏やかな寝息を立てている、この酔狂極まりない男は一体何者なのだろうか。そもそも人間の容貌をしているが、ただ擬態しているという線もある。先ほどまでいた白い生命体、しもべは何処へ消えたのだ。


 ちっ ちっ ちっ ちっ 


 際限なく膨らむ疑念に終止符を打つように、秒針の立てるそんな規則的な音が鳴り出した。音源の位置は、男の左手。正確に言うと、太腿と左手の平の狭間より鳴り響いている。長衣に包まれた全身が、びくりと揺れた。男は緩慢な動作で、左手をひっくり返す。握られていた物は、金の装飾の照り輝く、年期を感じさせる懐中時計。一本の線を思わせる秒針が、内部の歯車につられ時を刻んでゆく。廻りだした時計に連動して、思念の送受信がいっせいに始まる。

 ―― 定刻 ダ、ヤダナァ

 ―― 定刻 ジャ、ハタラカナケレバ。ウゴクゾオマエラ

 ―― 定刻 ニナッタヨ、ナマケテンジャネェ、ウマノクソヤロウ

 ――オヤ、 定刻 カ、ミナノシュウ、オレニツイテコイ

 ――ウルセェ、テメェハサイコウビデ、サルノケツデモナメテロ

 ――ソンナコトヨリ 定刻 ナンダゾ、オブツドモ、セイシュクニシロ

 そんな協調性の欠片もないやり取りと共に、浮遊する時計の陰という陰から、大量の白き生き物達が、音も出さず幽霊のように、ぬらりぬらりと這い出てくる。誰もが生理的な身震いを押さえきれない光景だった。早速、殴り合い蹴り合いが勃発しているのは、ご愛敬と断定してよいのだろうか。

 と、そんな光景を引き裂くように飛来したのは、輝く純白の流れ星。その軌跡には、白い残光が尾を引く。まるで彗星のようだ。一瞬の後、それは数多い円盤形の時計、その一つへとまっしぐらに突っ込んだ。眩い閃光が四方に散り、闇を払拭する。時計にとって、それは動力を手に入れたと同義なのだろうか。驚くことに、黒金の針が動き始めた。融け出した時間を契機に、光は次々に数を増してゆく。各自、一つの時計を目指して、脇目もふらずに突き進んでゆく。

 目を擦り、漫然とその風景を観察することで、ようやく男の意識は覚醒する。

「あぁ。 定刻 か。しもべ達は……言われずに働いているようで何より」

 そう呟く彼は、しかし立ち上がる気配を見せない。「しかしながら、本当に代わり映えしない日々だよ」も一つ呟き、またもや白き生物に酌をさせている。盃をぐいっと煽り、やはりふうっと息を吐く。視界を覆い尽くさんばかりの光の乱舞に、髪色は瞬く間も与えられず、移り代わってゆく。

 一方、白き生物達――しもべというようだ――である。彼らが這い出てきたのには、確固たる理由わけがある。

 一匹が、のしのしと、先ほど光を吸収した円盤の時計の一つへ歩んでゆく。そしてなんと、白濁色の双腕を時計の中心に突き刺して、内部よりメラメラと燃える塊を引きずり出したではないか。同時に、時計の針が呆気なく止まってしまう。炎塊を抱えたしもべは、それを身体の中へと――限界まで胸部に押しつけられた炎塊が、にゅぼっと入っていく――取り込んだ。随分と苦しそうだ。陸上にうち捨てられた魚類のように、ばたばたのたうち回っている。取り込まれた方も、しもべの内部で暴れ狂っている(――メクソヤロウガ、アバレンジャ……ネェ! )。しかし、意外な弾性を持つ白濁の皮膚は、容易には突き破れない。ビリヤードのように、皮膚裏で反射して反射して反射して。元より生えている五本の突起の他、六本目が現れるという。……ついには突き破られて、構成物をぶち撒けないことを切に願う。

 しばらく後、炎塊の動きが嘘のように止まった。秒針が止まるよう、まさに呆気なく。すると白しもべは四つん這いになり、頭部らしき突起の尖端から、ぶしゃあっ、と勢いよく炎塊を吹き出した。さながら、水を吹き掛ける象である。炎塊はやはり光の尾を引きながら飛び去っていく。心なし光量が増しているようだった。

 残されたしもべの身体には、毒々しい変化が起きていた。皮膚上を、浮き出た血管を思わせるどす黒い線が覆っているのである。しばらく後、それは急速に消失したが、彼は体調がよろしくないらしい。身体を引き摺りながらも、しかし別の時計へと向かう。

 この個体だけではない。他の個体も皆揃って同様の行為を行っている。

 ――カー! ヤッパリマジーナーオイ!

 ――コイツナンテヘドロノアジガスルゼ!

 ――ヘドロォ? アマイゾ、コッチハウジムシニハイズリマワラレテイルキブンジャ!

 ――ヤメテェ、コンナシゴトゼッテェヤメテヤル……

 ――ジャー、ムニカエルンダナ、ギャハハハ、ハッ、ハッ……オエッ!

 行く光、来る光とが入り乱れた幻想的な光景を、男は無気力に眺め、盃を無意味に空にしていく。

 ジリリリリリリッ!

 不意に、場にそぐわない爆音が、空間を震わした。

 ――監察官様、お電話です

 酌の係を受け持っていたしもべは、恭しい態度で黒電話を取り出した。回線がない事については言及をしない。しかし、なぜだろうか。男に受話器を差し出すこの個体だけは、言葉の吐き出し方が美しかった。

 男はおもむろに、黒塗りの受話器を耳に当てた。

「お待たせしました。お電話かわりました。私です。はい。あぁ、そう……ですか。時刻は? まもなくですね。分かりました。ありがとうございます。では、失礼いたします」

 がちゃんっ

 受話器を戻した男は、重量のあるため息を長々と吐くと、無意識に頭をがしがしと掻いた。髪色の変化が著しい。

 ――失礼ながら、いかがなされたのでしょうか?

「あぁ。あの馬鹿が来るらしい」

 ――『あの』といいますと、例の……?

「そうだ」男は顔を上に向けて「やはり私の創った魂は、何らかの欠陥を抱えてしまう運命にあるようだ。今回は、無差別の殺戮行為の咎めだそうだよ」

 半ば自嘲気味に笑う『上司』をしもべは慰める。

「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。ふう……」

 しばし考え込むように額に手をあて、男は言う。

「決めた。次を最後の機会としようじゃないか。最悪の場合、奴には堕落してもらうことにするよ。もちろん私としては、掃き溜めで最後まで足掻いて欲しいが……。おや、馬鹿息子のご到着だ」

 言下に、男の頭上を異色を放つ炎塊が通り過ぎてゆく。煉獄を想起させる紅蓮色である。それは暴れ馬の如く蛇行しながらも、手前の鳩時計に衝突し火花を散らせた。凍った時間が動き出す。

 男は颯爽と立ち上がると、一直線に鳩時計へ向かう。長衣の裾がばさりとはためく。その合間にも、男の口からは、残酷な宣告が紡がれてゆく。

「これまでに輪廻転生を経験する事99回。貴様は貰い受けた生の価値を理解することなく、その生涯の全てを罪で染め上げ終演としてきた。そんな貴様に再度輪廻の機会を与えるなど、もはや愚行の境地と言えよう。弁解の余地など与えない。親子の(よしみ)だ。この私が直々に問おう。選択肢は二つ、選べ息子よ。一つはこのまま、しもべとして、時空に捕らわれ汚物を引き受ける怪異となり下がる事、もう一つは、愚劣な魂の掃き溜めへと、最後の転生を行うか」

 男は鳩時計の前に立つと、しもべと同様の手口で、紅蓮の炎塊を引きずり出した。拳大の炎塊をむんずと掴み、眉一つ動かさずに能面に近づける。

「さぁ選べ!」いきなり大喝した。

 男は炎塊を手放すと、両手を翼のように優美に広げた。

 己に審判を下すものは、己。

 炎塊はその場で小さく旋回すると、猛スピードで下方へと消えていった。その残り火すら見えなくなると、男は安楽椅子へ無気力に座り込んだ。「奴は掃き溜めで『鍵』を見つけられるだろうか」

 虚空に投げられた疑問が浮かぶのを、しもべが拾った。

 ――まず無理でしょう。それより、掃き溜めの心配をなさった方がよろしいかと……

「まさしく。奴はきっと馬鹿をやらかす。場合によっては、一つの文明を滅ぼすかもしれない」

 黙りこくったしもべを見て、男は振り飛ばすように豪快に笑った。

「お前から未練が滲み出ている。そこまであの星に執着するか」

 ――……。今になって、分かりますよ。世界の美しさ素晴らしさが

「あぁ。それは私も思う」男の笑顔は急に萎びる「いつも頭に残ってる。手放して初めて気付いた事が多すぎたようだと」

 二人は思い出していた。陽光のくすぐったさに風との戯れ。立ちこめる暗雲に吹き荒む寒風。人の見えない優しさと仲間の暖かさ。身を溺れさせた悪行とくぐり抜けてきた卑劣な騙し合い。

 無知だったあの頃が、楽しくてしょうがなかった。ドロップアウトした彼らは、前進も後退もせず、ただ行き帰る過客が自分らと大差ない生涯を送るのを眺めるだけだった。主役の一人だった彼らは、今や地上世界のどこにも存在せず、背後(かこ)には使用済みのレールがガラクタと化していた。無意味だった。だからやり直したい。まったく不可能な夢物語だった。

 傍らのしもべに同胞への言伝を依頼し、男は深く呼吸をした。たちまち眠りに落ちた男を背に、しもべは依頼通り黒電話の受話器を手に取った。

 黒電話が繋がった。しもべは、受話器を両手で抱え込み、何やらこそこそと話し込んでいる。しかし、電話先の相手はしもべの話を聞こうともしないようだ。重要な件だけに堪えきれず、しもべは電話口に向かって激しく怒鳴りちらした。

 ……迫り来る光の束に気付かずに。

 乏しい表情を精一杯歪め、胡麻のような眼を閉じ、しもべは嘆息する。虹髪の男は安楽椅子に深く身を預け、とうの昔に意識を手放していた。その他のしもべ達は、身を焦がす不快の嵐に耐えるべく、周りになど注意を払っていなかった。

 だから誰もが気付かなかった。

 頭上の彼方より幾筋もの炎塊が、雷光の如く堕ちてゆく様を、誰もが視認出来なかった。

 つー つー

 通信が途切れた。会話の途中で、意図せずに本性の片鱗を晒してしまったしもべは、さり気なく辺りを見渡し、少々バツが悪そうにごほんと咳をする。その後、凛々しい足取りで、胸部を不自然に張り、男の傍へ戻ってゆく。


 ☆ ☆ ☆


 波打つ海も仰ぎ見る空も、何処までも限りなくひたすらに蒼い。島とも似つかない円形の上、白いコンクリートに体育座りして、左手の薬指にはめられたサファイアの指輪を光の下にかざしていた。足下には墨で引いたような色彩の魔法陣。半径十五メートル。細部まで綿密に細々と描かれていて、白のコンクリートは半紙の役目を負っている。

 重力を拒否して、磁力に跳ね返されるように宙でふわふわ上下する文明の産物らを見つめながら、一人の子供が誰かに絞られた古雑巾のような、くたびれた笑みを浮かべた。

「来たか……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ