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R/N ~昼と夜の間~  作者: 藤村
1章 : プロローグ
2/2

002 消滅へ向かう世界 (下)


2  消滅へ向かう世界 (下)











「どっ、何処へ連れて行く気なんだよぉ!!」

「走りながら、簡単にだけ説明するぞ!!」


 クロリアは、暗がりの部屋の扉を開け放ったライアに連れられたまま、その先の階段を登ってゆく。


「この世界が消滅するって……、どういうこと?」


 ライアの「簡単にだけ説明」と題した話とは、クロリアが混乱するには充分過ぎる内容だった。

 アキが神であり、その分身がライアという、世にも打っ飛んだ話をライア本人から聞かされた時よりも、今の衝撃の方がはるかに大きい。


「だからじゃ!! このまま此処におるならば、わしらも消滅するのじゃ!!」

「どぉしてそんなことになっているのさぁ?!」


 本当に、だ。そもそも如何してそんなことに?

 それを聞くまで、世界が消滅するなどということを安易に鵜呑みする訳にはいかない。

 消滅などされようものなら、この先一体如何やってシュデイアと再会すればいいんだ。


「日付が変わった頃、アキが御主の部屋に訪れたであろう?」

「そうだけど?」

「その時だのう。アキが御主を、この時空へ連れて来たのじゃ」

「時空?」


 それは、「部屋」の間違えじゃないのか?

 確かに場所の移動はあった。アキと額を合わせた後、目の前で光が飛び散ったが、次に目を開いた時には、既に別の部屋に移動させられていて、ライアだってそこにいた。

 だから、クロリアは、ライアの言う「時空」という単語が、妙に引っ掛かってしまったのだ。


「アキが御主の部屋へ訪れた時、同一の時空を二つに分けたのじゃよ」

「…………、は……、え……??」


 ライアの発した「時空を二つに」という言葉で、クロリアの思考が一時停止する。

 無理もない。神がいること、その分身がいること、この世界が消滅すること、極め付けに、「その神が同一時空を二つに分けた」と立て続きに明かされたのだから。

 だがライアは、そんなクロリアに、さらなる追い打ちをかけるように話を続けていく。


「簡単に言えばじゃ。元々は一つしかないはずの同一の時空が、アキの力で二つ平行して存在してしまっておるということじゃな」

「そっ、そんなことになって……、時間とか滅茶苦茶にならないの?!」

「あまりに長い間それが続けば、そうなる危険性もある……、だからのう。この時空の方は、今から消滅するのじゃよ」

「それで……、この世界は消滅するってことなんだね?」

「正確に言うならば、この時空は消滅するのではないがのう」

「もう……、僕には何が何だか……」


 クロリアは、もう既に充分過ぎるほど頭を混乱させていたが、それでも、ライアが必要最低限で分かりやすい説明に勤めてくれているからか、アキの力で存在してしまっている二つの平行世界のうち、その片方に自分がいて、自分がいる方の世界が今から消滅することになるということだけでも理解出来た。


「この時空は、通常の何万分の一以下の速度で時を刻んでおるが……、もう一方の同時空は、正常に時を刻み、M1050年を迎えておる頃じゃろう」

「今はM950年だから……、向こうは……、ひゃっ、百年後ぉ?!?!」


 「時空を分けた」の後は、「百年が経過」している……、だって?

 クロリアは、ライアから次々と飛び出す新事実に驚く所まで驚いた気でいた。

 だが、驚きというものは、底がないのかもしれない。

 もうこれ以上に何が出て来るというのだろう?と、思う一方で、また飛び出して来た時には、今以上に驚く自分がいるのだろうと、妙に納得してしまうのだ。


 そのクロリアとは対照的に、動じないままといった表情のライアは、落ち着きを払った声のまま、結論を急ぐこともなく説明を続ける。


「そうじゃ。この時空の方は、今から時間を急加速させることで、百年が経過しておる時空と合流を果たし、元の一つに戻るのじゃ」

「じゃあ……、もう一つの時空では、本当に百年が経っているんだね?」


と、クロリアは口にしてみるものの、やはりその実感は沸かない。

先ほどから、実感することが難しいことばかりで感覚が麻痺して来たのだろうか。


「うむ、クロリアよ。だから、此処から向こうへ行けば百年後に辿り着くことになるのじゃ」

「え?だったら……、脱出せずとも百年後に……」


 クロリアはそう呟いたが、ライアによって直ぐに訂正される。


「時間はそうなるが、この時空にある生命と物質は、時の急加速で生まれる歪みに耐えられず、M1050年に追い付いた頃には消滅してしまうのじゃ!!」


 …………、何だって?


「だったら……、脱出なんて不可能なんじゃないのかぁ!?」


 これが最初に喉元を通り過ぎた思いだった。

 つまり、ライア……、この亀が言っていることは、僕たちはこの世界と一緒に消滅するしかないって、そういうことだろう?

クロリアがそんな危うい思考を巡らせていると、ライアがきりっと眉を吊り上げながら、こう言い返して来る。


「アキが作り出すアーチを潜れば脱出が可能なのじゃ!!」


 アーチ? 何のことだろう。それよりも……、


「そもそも、アキって女は何でそんな面倒なことしているんだよぉ?!」

「それは、わしがアキに訴えたいのう!! じゃが、クロリア。無事に脱出せねば、アキの意図すら分からぬままじゃ!!」

「おっまえぇ~、分身なら少しは知っていろよなぁ……」

「わしは、つい先ほど分身として生まれたばかりなのじゃ!!」

「なんだよぉ、頼りにならないヤツだなぁ?!」


 クロリアも、これには思わず呆れてしまった。

 クロリアは、ライアと少々言い争ってしまうが、その時、ライアの表情が突然変わったのだ。

 それは、クロリアが初めて見るライアの驚いた表情。

 

「…………、クロリアよ」


 ライアは、クロリアの名前を呼んだ後、一度だけ背後を振り返った。

 クロリアも一度だけ立ち止まり、その場で後方をちらりと見遣る。

 クロリアは、それで事の大きさを初めて実感させられることになる。

 ライアと共に階段を駆けあがっている途中だったが、振り返った先の階段は、最も遠い地点から消滅の渦に飲み込まれ始めていたのだから。

 階段が一番下の方から粉々に砕かれて崩れ落ちてゆくではないか。

 クロリア達の足元にも、その消滅の渦が刻々と迫っていた。


「一気に駆け上がるぞ!!」


 ライアは、そう力強く叫ぶと、急いで前を向き直す。

 クロリアの腕を掴み直すと、後はもう一直線に階段の頂上まで駆け上がってゆく。


 二人は、階段を登り終えて薄暗い地下から抜け出すと、今居る場所が何処かの城内であることを知ったが、それについて言葉を交わし合う心の余裕は何処にもなかった。


 城の門を急いで潜り抜けると、其処は深い山奥の山頂だった。

 見下ろせる先には青々とした樹海が広がっていたが、今はその景色に見惚れていられるような余裕などない。

 数ヶ月振りに視界へ入れた外界の姿が、忙しく移り変わってゆくのに、それらにピントを合わせて眺めることさえ、今の状況が許さなかった。


 クロリアは、ライアに連れられたまま、その先に架かっている吊り橋を駈けてゆく。

 だが、その頃には、クロリアの息が徐々に荒くなり始めていた。

 それでもライアは、足を止めたりはせず、速度を緩めることもなく走り続ける。


「あれがアーチじゃ!!」


 ライアがアーチを威勢良く指差した。

 そこは、この吊り橋を渡り終えた先にある地点。

 柔らかい虹色の光で形を成しているアーチが架っている。

 あれがライアの話していたアキが作ったアーチであろう。

 そこを潜れば、この世界と一緒に消滅することなく百年後へ辿り着ける。


 だが、吊り橋を半分まで渡り終えた地点で、クロリアの足が止まった。


「止まってはならぬっ、残り半分じゃ!!」

「足が棒になってきた……」

「クロリア」

「あのアーチに辿り着く頃には、もう……」


 クロリアは、其処で振り返ってしまう。

 すると、クロリアの視線の先で、自分達が脱出した城が跡形もなくなっていたのだ。

 そして、城を呑み込み終えた消滅の渦は、吊り橋も呑み込もうと迫って来ていた。

 クロリアに「諦める」という三文字が過ぎったが、その時、ライアがこう言い放つ。


「あのアーチの先にシュディアがおる」

「……、え?」


 ライアが再確認をするように、吊り橋の先を指差す。

 その先では、虹光のアーチが待っているようだった。

 アーチの先にある世界は、眩しさで見通せはしなかったが、ライアが話していたことが全て本当のことであるならば、アーチの先で百年後の世界が存在しているはずなのだ。


 そこには、きっと……、シュデイアもいる。


「シュデイアが……、あの先にいるの?」

「うむ、百年後でシュデイアと会える」

「本当に?」

「だから、先を急ぐ必要がある」

「君を……、信じていいんだね?」

「今は信じて欲しいのじゃ」


 クロリアの視線がライアを捉えると、ライアも彼を見つめ返す。

 すると、クロリアは、再び歩き始めることが出来たが、それとほぼ同時に、あのひとの気配に気付いてしまう。

 クロリアは、自分の顔が引き攣ってゆき、両目の先端が細くなっていくのを感じた。

 次の瞬間には、目の前を歩くライアの背中を、鋭い目付きで睨み付けてしまったのだ。


「……の、……つき」

「クロリアよ、こんな時に如何した?」

「そうか……、分かってきたぞ?」

「ぬぅ……?」


 ライアは、クロリアを振り返ったが、状況が呑み込めないのか首を捻る。だが、クロリアは、そのライアへ湧き上がる疑念と怒りが暴発してしまうことを止められなかった。


「アキとかいう女は、この亀とつるんで、僕を陥れるつもりだったんだ!!」

「……御主、何を言っておる?」

「お前は嘘吐きだ!!」


 そうだ、目の前の亀野郎は、僕に嘘を付いたんだ。

 今更それに気付くなんて、僕としたことが、こいつに気を許しすぎていた。

 そもそも、こんな何処の誰かも分からない怪しい亀、信じられるはずがない。


 クロリアの視線は、ライアを通り過ぎて、アーチがない側の橋の先で止まっていた。

 ライアは、それに今更気付いたのか、その場で来た道の先にあるものを注視する。

 ライアが大層驚いたような顔をしたが、そんなこと……、僕の知ったことじゃない。


 シュデイアが、アーチのない橋の先で立っているのだから。


「シュデイア!!」


 クロリアは、シュデイアとの一日振りの再会に胸が熱くなるような思いだった。

 今すぐにでもシュデイアに駆け寄りたい……、だって毎日がそうだったから。

 その毎日が、あの女と亀によって壊されようとしていたんだと今更ながら理解した。


本当に……、危うく騙される所だった。


「今行くからね、シュデイア」


 クロリアは、シュデイアがいる場所へ向かって走り出した。

 しかし、そのクロリアの前で、ライアが両手を広げて立ち塞がる。

 ライアは、クロリアの背中へ素早く回り込むと、クロリアの身動きを両腕で押し込めた。


「放せ、この亀野郎がぁっ!!」

「生憎じゃが……」


 ライアがクロリアの耳元で低い声を唸らせる。

 クロリアは、耳の奥でそれが響くと一瞬だけ身を震わせた。


「御主の肋骨を数本砕いても行かせはせぬぞ……」


 ライアのそれは脅し文句ではないのか、クロリアの両脇の下を力任せに封じていた。

 あぁ、こいつは、僕が激しい抵抗でもしようものなら、本気で肋骨を折る気だ。

 クロリアの脳裏でそう過ぎった時、遠くで待っているシュデイアが、いつもの毅然とした態度のまま、ライアに向かってその口を開く。


「まず、オレのクロリアを解放してやってくれないか?」

「まず、御主のものではないわい!!」

「僕はシュデイアのものだ?!」

「なんじゃと?!」

「僕は彼のものなの!!」

「御主、シュデイアと出会った頃のことを思い出してみよ?!」


 ライアがそう叫んだ直後、クロリアの心のなかで、シュデイアと出会った頃の記憶が甦っていた。

 だがクロリアは、その恐ろしく黒々しい日々を頭の片隅へ追い遣ると、ライアに向かって叫び返す。


「昔のことなんて、どうだっていい!!」

「酷い仕打ちを受けたことを忘れたのか?!」


 ?!


 こいつ……、何故それを。

 そのことは、僕とシュデイアしか知らないことなのに。

 でも今は、ライアが何故それを知っているのかなど如何でも良いことなんだ。


 そんなことより……、


「過去のことなんか……、どうだっていいんだ」

「クロリア、御主……」

「シュデイアは……、僕に過去を忘れさせてくれた……」


 それが、最も重要なことなんだ。


「…………、くっ……」


 クロリアを締め上げているライアの力が一瞬だけ怯む。

 それと同時にシュデイアが一歩を踏み出して橋を渡り始めた。

 シュデイアは、何処か儚げで同時に危うい表情を浮かべながら口元を動かす。


「クロリア、その子はね……」

「来るではないぞ、シュデイア?!」

「オレがいなくなったら生きている意味がなくなってしまうんだ」

「何じゃと……」


 ライアはそう言ったが、シュデイアは事実を言っている。

 シュデイアは、僕のことを良く理解してくれているんだ。

 そう……、シュデイアがいなければ生きていくことさえかなわない、と。


「ライア君。それにアキ……、君達はクロリアのそれをまるで分かっていない」

「来るな……、来るでは、ない……」


 クロリアの耳元で渋く唸り続けるライアの声は、些かの迷いが生じていることを窺わせたが、それでもライアの両腕の力が今以上に緩むことはなく、クロリアが彼から隙を見て逃げられる間は見つからない。


 その時、徐々に迫って来るシュデイアが、この状況を楽しんでいるかのような余裕の微笑みを溢した。

 シュデイアは、クロリアではなくライアと視線を合わせると、暫し立ち止まって動かなくなる。


「アキの分身、ライア君……、オレと交渉しないか?」

「フン、笑わせるのう。主のような死人と交わす契りなどないが?」


 死人?一体誰のことを言っているのだろう。

 この亀、やっぱり安易に信じちゃいけない危険な奴だ。

 シュデイアも、ライアがおかしなことを言っていると感じたのだろう。

 左手を下腹に軽く添えると、クククと漏れる笑みが堪えられない様子だった。


「オレが死人? いいや。それは違うな。オレは肉体を失っても死など感じない」

「それを、「死」であると感じられぬことが、御主の最大の不幸かも知れぬのにのう」


 ……?

 クロリアには、上手く呑み込めなかった。

 二人共、如何して急に「死」の話など始めたのだろう。

 只、二人の間に不穏な何かが流れているのだけは読み取れた。

 ライアは、シュデイアのことを訝しげな表情で睨み続けていたが、シュデイアは、ライアを睨むこともしないまま嘲る様に唇の先端を尖らせる。


「そう? でも、忘却の神も人でさえなければ命ですらない」

「シュデイア……、御主、何を……」


 ライアが両目を細めると、シュデイアへの睨みをさらに厳しくきかせた。

 だが、シュデイアがそれに怯むことはなく、嘲るような笑みを冷笑へと摩り替える。


「君とアキは、どの世界の住人でもなければ、時空の流れから永遠に排除された……、まがい者だ」

「ぬ……」

「魂も持たないような存在だ」

「…………」


 ライアが言葉に詰まり黙り込んでしまうと、シュデイアが抉るような口調で容赦なく攻め立てる。


「良く分からない存在のまま存在し続けるのは苦痛だろう?」

「わしは……、御主の言う通り、アキの分身でしかない」

「君も分かっているんじゃないかな……」

「……?」

「肉体まで得て、アキから分かれたというのに、彼女の意思に従う必要もないということだよ」

「…………」

「何故クロリアを守ろうとする?君はアキじゃないのに」

「そうじゃ」

「君はライアだろう?」

「わしはライアじゃのう。アキではない」

「だったら、これからは」


 シュデイアは、一呼吸だけ置くと、ライアにはっきりと告げる。


「ライアとして生きたらいい」


 シュデイアの氷のような瞳が、本心を口にしているのかどうかを迷宮入りさせてしまっていた。

 だが、シュデイアから言葉を向けられた後、ライアの様子が明らかに変わったことが、一連の話が真実であることを物語っている気がする。

 シュデイアの言っていることに嘘はなくて、ライアが言い返せずにいるのだろう。


 そうだ、そもそも何で……、神の分身だなんていう存在のライアが、たったひとりの子供、僕のことなどにいちいち構っているのだろう?

 僕とシュデイアが再会することを、如何して頑なに阻止しようとするのだろう。

 忘却の神とかいうアキの命令だから仕方なくやっているのか?

 それとも……、ライア、お前の意思のみでやっていることなのか?


 分からない。考えれば考えるほど、ライアの動機が掴めなくなる。


 クロリアがそんな思考を脳裏で走らせていると、クロリアの背後で唾を飲み込む喉音が鳴る。

 その直後、すっと息を吸う呼吸音を聞いた。

 

 ライアだ。


「わしには……」

「フフフ、答えが出たかい?」

「人のように生きることなどかなわぬ」

「……………、本当に?」


 シュデイアは、ライアへ念を押すように聞き直した。

 だがライアは、シュデイアに応じることはなく、はっきりと否定する。


「人と同じように歩むことなど出来ない」

「本当にそう思うのかい?」

「くどい!!」


 ライアは、シュデイアに対して苛立ちを含んだまま叫んだ。

 シュデイアは、首を左後ろへ軽く捻ると、視線だけ落として背後を確認する。


「……もう、足元が危ないんだ」


 シュデイアの真後ろになる足元では、消滅の渦が間近に迫っていた。

 シュデイアも、其処から遠ざかるように、再び一歩を踏み出すと勢い良く走り出す。

 クロリアとライアが立ち往生している場所を目掛けて、橋を渡りながら加速してゆく。


「クロリアは置いていくんだ」

「クロリアはのう……」

「ライア君が一人でアーチを潜ればいい」

「わしが……」

「君のような存在が」

「わしがクロリアを百年後へ連れて行くのじゃ!!」

「救われない宿命の下に生まれた子を幸せになど出来はしない」


 このシュデイアの言葉を最後に、ライアがクロリアを両腕で素早く持ち上げる。

 ライアは、クロリアを強引に抱え込むと、アーチのある方へ向かって駆け出した。

 そして、じわじわと距離を縮めてくるシュデイアと、消滅の渦の両方から逃れる為、アーチ以外のものへの意識を捨て去ると、アーチだけに視点を留めながら突き進む。


「もうすぐじゃ!!」


 ライアは、残り十メートルほどまでアーチが目前と迫ってくると、後はもう振り返ることもなく、その場所だけを見続け両足を動かしていた。


 まずい……、


「ちょっとっ……、はな、せっ……、よ!!」


 このままだと、ライアの勝ち逃げで終わってしまう。

 シュデイアが目の前にいるというのに、彼に駆け寄ることさえ出来ないだなんて。

 そんなのは、ごめんだ。僕がライアを止めないと……、そう思ったら、もう喉元過ぎていた。


「亀野郎っ……、お前は何故こんなことをするんだ!!

僕とシュデイアを如何して会わせようとしないんだ?!」

「先に説明したであろう?! この世界は今から消滅するのじゃ!!シュデイアと御主が、この時空で再会を楽しんでおる時間などない!!」

「お前は、僕とシュデイアを会わせてくれるって約束したのに?!」

「それは、百年後で果たせることなのじゃ!!」

「目の前にっ……、今そこにシュデイアがいるのに?!」


 その時、クロリアの額で鈍く低い音が鳴って、直後に重苦しい痛みを感じた。

 継続されるその痛みは、ライアの額にも同じように広がっているのか、彼の額が紅く腫れ上がっていき、クロリアの額も恐らくそうなのだろう。


 くそっ……、こいつ、相当な石頭だぞ。


「痛っ……、お前、何するんだよ?!」

「好い加減にせよクロリア?!御主、まだ分からぬのか!! シュデイアは、御主と共に此処を脱出する気など毛頭もない!!」

「……、っ、え??」

「御主と此処に残って死ぬつもりなのじゃ!!」


 クロリアが、ライアから飛んできた罵声に呆気を取られている間に、アーチのある地点とは真逆になる地点、つい先ほどまで、シュデイアが立っていた橋の出発点が消滅の渦に呑み込まれてしまった。

 その場所が完全に失われてしまうと、橋が険しく傾いて谷間へと急降下してゆく。

 一度傾いてしまった吊り橋は、後はもう激しい轟音を立てながら谷底へ落ちていくのみ。


「僕……、シュデイアっ、シュデイア?!」


 クロリアは、ライアの両腕の中で抵抗するように暴れ始めた。

 シュデイアの名前を、助けを求めるかのように何度も呼ぶ。

 その時、シュデイアが崩れ行く橋と共に、その真下で渦巻く消滅の淵へ落ちていっていた。


「シュデイア、今行くから!!」

「オレは此処だよ……」

「僕と約束したじゃないか!!」

「ごめん……、クロリア」

「僕を独りにしないって?!」

「オレも、今、行くから……」


 たった刹那、その間にも、時は止まることなく流れてゆく。

 ライアによってアーチへ向かわされるクロリアと、谷底へ落ちてゆくシュデイア。

 その二人の距離は、お互いの声が遠くなればなるほど突き放されてゆく。

 ライアがその足を止めることなどなかったのだから。

 それでも、クロリアはシュデイアへこの声が届くように振り絞り続ける。


「シュデイアを、この世界に置き去りにしたまま生きていくなんてっ……」


 だが、シュデイアの声が、もう聞こえては来ない。

 そう、シュデイアは、声を出すことさえも出来なくなったのだ。

 彼の爪先が消失すると、続いて両脚と胴体が消失する。

 最後にシュデイアの頭部が跡形もなく消え去ってしまった。


「そんな……、シュデイア?!?!」

「ふう……、シュデイアの奴、漸く逝ったか」


 ライアは、シュデイアの殺気が込められた禍々しい気配がなくなった為、たった一瞬、安堵してしまったのか、一度だけ背後を振り返り橋の下を眺めた。

 だが、ライアのその行動で、シュデイアが完全に消滅していなかったことに気付く。


「シュデイア!!」

「ぬぅっ……」


 ライアの顔色が見る見るうちに悪くなってゆく。

 まるで悪い夢を見ているかのように、谷底から視線を逸らす。

 それとほぼ同時に、肉体の消失によって魂が解き放たれたシュデイアが、谷の淵から橋の先にあるアーチだけを目指して上昇してゆく。

 魂魄体になったことで、超速度を手に入れたシュデイアは、クロリアごとアーチを潜ろうとしているライアを、魂気だけで吹き飛ばした。


「ぬぉおぉぉっ!!!!」


 ライアは、アーチまで後一歩の所で足を躓かせて転倒した。

 ライアが両腕で抱き上げたままになっていたクロリアを巻き込んで転んだ為、クロリアは、うつ伏せで橋の上に打ち付けられて、その上にライアが覆い被さる。

 ライアは、その状態のままアーチまで腕を伸ばしたが、僅か数センチの距離で阻まれた。

 だからだろうか。急いで体勢を立て直してから、一気に立ち上がったライアだったが、その間にも、シュデイアを曖昧に形作った魂魄体が、クロリアの声を頼りに、この場所へ引き寄せられてゆく。


「クロリア、もう行かねばならん!!」

「僕は行かない!?」 

「此処も時空の嵐で跡形もなく消え去る!! 早くアーチを潜らなければ……」

「一人で立ち上がって、僕を置き去りにしろよ!?」

「それは出来ぬ!!」

「だったら……、一緒に此処で死ぬ?」

「御主、何を言って……」

「僕も……、シュデイアを独りにしないって……、約束したんだ」


 クロリアの瞳は、何時の間にか零れ落ちる何かで止まらなくなっていた。

 そう、シュデイアと約束をした……、それを僕から破る訳にはいかないんだ。


「だから、僕はお前と百年後には行けない」


 僕は、この世界が消滅しようが、シュデイアを此処で待つ。


 ライアは、そんなクロリアに呆れ果ててしまったのかもしれない。

 クロリアの直ぐ傍で、時が止まったかのように凍り付いていた。

 だが、そんな二人の直ぐ背後で、消滅の渦が最後の砦を呑み込んだのだ。

 そう、クロリアとライアがいた地点、僅かに残されていた吊り橋が、アーチの手前で完全消滅してしまうと、クロリアとライアが宙に投げ出された。


「クロリア……」


 その時、僕の名前を呟く声がした。シュデイアだ。

 彼はまだ生きている。死んでなんか……、いない。


「シュデイア!!」


 クロリアは、シュデイアへ向かって、両手を限界まで伸ばした。

 シュデイアも、クロリアに答えるように、その両手を差し出してくれた。

 もはや、橋という足場がなくなり宙に投げ出され、身動きの自由を失っているライアには、クロリアとシュデイアが互いに手を取り合うことを止めることなど出来なかった。

 二人を分かつ距離は急速に縮まって行くが、同時に空間の歪みも激化してゆく。


「後少しだよ、シュデイア?!」


 クロリアが叫んだと同時に、クロリアの両腕と肩の付け根で激しい痛みが走ったが、シュデイアの手と繋がれるのなら、その限りまで伸ばし続けよう。


 そう誓った矢先のことだった。


「ぬっ……、御主、何者……」


 ライアが後方で一人声を上げていた。

 アーチの内側から、こちら側の世界へ、何者かの声が届いたのだ。

 それが誰なのかは分からないが、クロリアでもシュデイアでもライアでもない者だろう。

 謎の声の主だろうか。虹色に光り輝くアーチのなかから、白い両腕が垂れ下がってきた。

 ライアは、躊躇うこともなく、その白い腕に目掛けて両腕をぐっと引き伸ばす。

 すると、白い両手がライアの左手首を掴み、彼をアーチのなかへ招き入れて行く。

 その最中、ライアが最後の力を振絞って、クロリアの足首を右手で掴んだ。


「うわぁあぁっ!!!!」


 ライアに足首を取られてしまうと、もう体の自由は利かなかった。

 クロリアの身体が、爪先から順番にアーチへ引き摺り込まれてゆく。

 クロリア自身は、決してそれを望んだことさえなかったのに、だ。


 ただ、僕は……、このたった刹那、消えてしまう一瞬であっても、消えてしまうその時まで、シュデイアと時間を共にしたかったんだ。


 望んでいたのは、たったそれだけのことだったのに。

 それは、シュデイアも変わらなかったかもしれないのに。


「クロリア、待ってよ……」

「シュデイアっ……」

「君まで、オレを……、見捨てるんだ……」

「僕は違う?! シュデイアを独りになんてっ……」

「そう。オレは、また独りになるんだ」


 シュデイアは、最後のその時、儚げな切ない声で呟いた。

 それは、ちゃんと一言だって聞き漏らすことなく、クロリアまで届いていた。

 クロリアは、彼のその言葉を裏切りたくなくて、この場へ踏み止まろうとする。


 でも、僕を繋ぎ止めているライアが、それを果たさせてくれそうにない。


 ライアがアーチを潜り切って、クロリアも残すのは上半身のみとなった。

 シュデイアも、魂で模った下半身は、もはや消滅の渦のなかに呑まれた後だ。

 シュデイアの頭部も、目の前で粉々に砕け散り、最後に残されたのが、クロリアへ伸ばしている腕だった。


 約束を守れなくて……、ごめんなさい。


 クロリアの頭部もアーチを潜り終わり、残されたのは、その限界まで伸ばしている腕。

 だが、繋がりたいと最後まで求め合うクロリアとシュデイアの腕も、この時空から消え去ってしまい、指の爪先までも消失しようとしていた。


 二人の指は後僅かで触れそうだったが、アーチの左右に扉が出現すると、それが、


 パタン。


 と、閉じてしまった。













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