5
大祭が終わり夏が過ぎ、風が少しずつ冷たくなってくる。
あれから祭宮は神殿には来ていない。
ご神託の意味するところが、紅葉に大地が染まる頃を指し示しているのなら、その時は間近に迫っている。
便りが無く音沙汰がないのは、特に問題がないということだろうから、気に止めることはないのかもしれない。
なのに、どうしてだろう。
落ち着かない。胸騒ぎがする。
これまで三回、大祭の時にご神託を祭宮に伝えたけれど、こんな風にご神託が胸の片隅を占め続けたのは初めてのこと。
世界が朱に染まる時。
ある者は歓喜の、ある者は悲しみの涙を浮かべるだろう。
朱に大河が染まる時、大地は沈黙し、眠りへといざなわれるだろう。
朱。
世界を、大河を染める朱。
本当に紅葉のことなの? 夕日の事なの?
何か、根本的に間違っているような気がする。洋服の最初のボタンを掛け違えたかのように。
あの時は神官長様のおっしゃる事が正しいと思ったし、祭宮が結婚するってことで頭がいっぱいになったから、それ以上考えようともしなかった。
だけど、今思えばなのだけれど、世界が朱に染まるという一文に関しては、神官長様の推測で説明がつく。
だけれど、朱に大河が染まる時で始まる一文は説明がつかない。
大地は沈黙し、眠りへといざなわれるだろう。という部分は、単純に収穫の事を言っているようには思えない。
眠りへといざなわれるのは、誰なんだろうか。
大地? 動物? 植物? それとも人間たちが眠るの?
短い抽象的な一文に、ものすごく沢山の意味が篭められているような気がする。
それに考えれば考えるほど、あまりよくない推測に突き当たる。
禍々しささえ感じるのは、考えすぎなんだろうか。
他の誰かの意見を聞いてみたいけれど、私には相談できるような人もいない。
ただ悶々としながら、ご神託の「その時」が来るのを待つしかない。
「ボクといる時に、誰の事を考えてるの」
覗きこむレツの顔に笑い返すと、ムニっと鼻をつままれる。(正確にはつままれたように見え、そんなような感触がする)
「ごまかさない。何考えてたの」
やっぱり全部お見通し、か。
苦笑いすると、レツがにっこりと笑い返す。
「何考えてたか、当てようか」
「うん」
顎に手を当て、レツは考え込むようなポーズをする。
本当に考えているのか、それともフリなのか。
聞いたら答えてくれるかな。教えてくれるかな、ご神託の本当の意味。
はぐらかされたら嫌だなあ。私に言いたくないことがあるって事だもの。
レツのこと、全部知りたいとかっていうわけじゃないけれど、隠し事をされるのはやっぱり嫌だな。
「祭宮のこと、考えてたでしょ」
その言葉に首を横に振る。
祭宮も関係しているけれど、祭宮のことを考えていたわけじゃない。
そんなにいつも頭の中が祭宮一色だと思っているのかな。なんかそれも微妙だわ。
聞いてみようか。ご神託のこと。ちゃんと答えてくれるかな。
「何で難しい顔してるの」
瞬きをして、レツの瞳を見つめ返す。
キラキラ輝く、レツの曇りのない目。
「ご神託のことを考えていたの」
すっとレツの目が泳ぐ。
いつもこんな事無いのに。
視線を逸らして立ち上がり、レツが天窓を見上げる。
「秋の風が吹いているね。このまま何も無ければいいね」
このまま何も無ければって、どういうこと。
やっぱりあのご神託の意味は、私たちが解釈した事とは違うって言う事なのね。
真実はレツしか知らない。
レツはどんな未来を見たんだろう。何を懸念しているんだろう。
「秋は、キレイな季節だね。木々は色付き、麦は黄金に輝く。人間たちはそれを満ち足りた表情で迎える。世界は穏やかな幸せに包まれる」
一息ついて、レツが振り返る。
「何も無ければ、いつもと変わらない秋になる。それだけの事だよ」
これ以上聞くなとでもいうように、レツが言い放つ。
明らかな拒絶に、口をつぐむしかない。
世界を染め、大河を染める朱の正体を、レツは教えてくれはしない。
やっぱり、聞くんじゃなかった。
レツはこのことは話したくなさそうだって、薄々感じていたんだから。
胸がチクチクする。
何でも話してくれるわけじゃない。
どんな事でも話し合えるような仲じゃない。
私とレツはわかりあえない。
お互いの気持ちを共感する事が出来ない。
レツは、私がレツを信用するのと同じようには信じてくれない。
私に隠さなきゃいけないような事なんだろうか。それとも真実を教えるには、心もとないという事なんだろうか。
どんな事でも話して欲しいというのは、私のエゴなんかな。
「わかった」
レツにこれ以上何かを言うと、恨み言になってしまいそうで、握り締めた自分のこぶしを見つめる。
もしかしたら、そんなに複雑に考えるような事じゃないのかもしれない。
レツの言うとおり、いつもと変わらない秋が来る。ただそれだけの事なのかもしれない。
だけれど、私はレツに何かを隠されているという気持ちを拭えない。
私は巫女なのに、水竜のことを何も理解していない。心を通わせる事も出来ない。
ただご神託を伝えるだけの存在でしかない。
そんな考えを振り切るように床から立ち上がり、レツを見る。
ふと気付くと、レツの影がいつもよりも薄くなっているような気がする。
レツは奥殿の床に横たわり、何をするでもなく眠っているように見える。
近付く為に歩くと、足音が奥殿の中に響く。
ピクリともレツは動かない。
横にしゃがみ込み顔色を伺うと、レツは目を閉じて眠っている。
疲れているのかな。
レツが疲れる事があるのかわからないけれど、何となくそう思う。
額にかかる髪を払おうと手を伸ばしたけれど、指先に触れたのは細い髪ではなく冷たい床。
当たり前の事なのに、なぜかとても哀しくなる。
触れられない事が切ない。
ごく自然な事なのに、触れられないってわかりきっているのに、いつからこんな気持ちになったんだろう。
レツもこんな風にもどかしい気持ちを抱えていたのかな。
眠っているのなら、邪魔しないようにしよう。
手を床から離し、レツに背を向けて立ち上がる。
振り返ってもう一度レツを見るけれど、レツは動かない。
静かに奥殿の扉を閉め、前殿へと戻る。
前殿へと通じる通路を歩きながら、丹念にベールを付け直す。
木々のアーチの向こうに、前殿が見えてくる。
普段は誰もいない場所に、シレルの姿が見える。
何かあったのかな。
例えば、神官長様の具合が悪化したとか。
普段こんなに日の高い時間に前殿から戻ってくる事が無い事を、シレルは十二分にわかっているはず。
それに、こんな風にここで待っているなんておかしい。
大きく深呼吸をしてから、シレルに近付く。
強張った面持ちから、ただならぬ事態が起こった事を推測させる。
「どうしたんですか」
「巫女様。祭宮様がお見えです。至急、巫女様にお目通りしたいとの事です」
祭宮?
また突然来るんだから。
たまたま今日はいつもよりも早く前殿に戻ってきたからいいものの。
「至急って、何か急用でもあるんでしょうか」
「存じません。ですが早馬でいらしたとのことですから、王都で何かあったのかもしれません」
ふっと、視線を奥殿のほうへと戻す。
レツ。祭宮が来たみたいなんだけれど。
早馬で来たなんて、きっと何か大変な事があったってことだよね。
レツ。
レツ?
聴きたい声は聴こえてこなくて、不安が少しずつ心を侵食していく。
執務室に入り目に飛び込んできたのは、いつもよりも装飾が少ない服に身を包んだ、髪も乱れている祭宮が駆け寄ってくる姿だった。
「巫女様、お忙しいのみ申し訳ございません」
「いいえ。偶然前殿に戻ってきておりましたから、問題ありません」
神官長様は心ここにあらずといった表情で、奥殿の方を見つめている。
微かに握り締めた両手が、小刻みに震えている。
いつも青白い頬が、更に色を失っている。
その表情から、何か重大な事があったのだということは容易に想像出来る。
しかも、良くない何か。
祭宮。神官長様。
ということは、やはり王都で何かがあったということかしら。
「何があったんですか」
目の前に渋い顔をして立ち尽くす祭宮を見上げると、祭宮が小声で「ごめんな」と呟く。
何のことを言っているのかわからなくて首を傾げると、祭宮が神官長様の方へと視線を移す。
「神官長様。お願いします」
ハっとした表情で祭宮を見て、神官長様が立ち上がる。
今にも倒れてしまいそうなほど、そのお姿には力がない。ふらりと体が揺れる。
「わたくしも……。いいえ、また後程伺いますわ」
何かを言いかけて止め、神官長様は二人の神官に声を掛ける。
「退室致しますわ。あなた方も一緒にいらして」
神官長様付きの神官だけでなく、シレルも。
目が合うと、いつものように腰からポキっと折れるような礼をして、シレルが神官長様に付き従う。
不謹慎だけれど、この状況に胸がドキドキと高鳴る。
恐らく悪い何かが起こってこうやって祭宮が来たのに、二人きりという状況に、久しぶりに顔を合わせたこともあって、ほんの少し浮ついた気分になる。
でも、大丈夫。
前よりもずっと冷静に話せる。
「立ち話というのも何ですから、どうぞお掛け下さい」
そう話しかけると、祭宮が苦笑いのような笑みを浮かべて首を横に振り、更に一歩近付いてくる。
手を伸ばさなくても届きそうな、息が掛かってしまいそうなくらいの距離に祭宮がいる。
鼓動さえも聞こえてしまいそうな距離に、気恥ずかしくて目を逸らす。
「サーサ」
甘い、優しい声。
今までこんな優しい、心も溶けてしまいそうな声を聞いた事なんてない。
息をするのも恥ずかしい。
体を捻り、元々祭宮が座っていたソファのほうに体を向ける。
うるさい位に、耳の辺りで鼓動が脈打っている。
でも、ダメ。
動揺してるって悟られたらいけない。
深呼吸をして振り返ると、もう一度「ごめん」と今度は耳元で囁かれる。
全身が粟立って立ち尽くしていると、左腕を掴まれ、体の向きを強引に祭宮の方に戻される。
その力は強くて、身動きする事も出来ない。
息を呑んで祭宮を見つめていると、すっと視界が明るくなり、さらっという音を立ててベールが下に落ちる。
何で。
ベールに合わせて視線を動かし、驚きの表情のまま祭宮を見返すと、祭宮が笑う。
「何て顔してるんだよ」
え。どんな顔してるんだろう。
カーッと顔が熱くなる。
そんなに笑うほど、変な顔しているのかな。
恥ずかしくなって俯くと、頭上からクスクスと笑い声が降ってくる。
その笑い声がよっぽどおかしな顔をしているって物語っているようで、恥ずかしさで全身が熱くなる。
「ササ。お前の大事な神様に会わせてくれ」
さっきまでの優しい声とは打って変わった冷たい声に、思わず祭宮の顔を見上げる。
その表情は真剣そのもので、私の鼓動もゆっくりと熱を失ったように落ち着いていく。
とくん、とくんと、ゆっくり鼓動が動き出す。
それに合わせるように、心がすーっと冷めて落ち着いていく。
大事な神様って、レツの事だよね。
どうやって、レツに会わせるっていうの。そんな事不可能に決まっているのに。
レツは奥殿から出られない。
その声が聴けるのも私だけ。
現実味の無い話なのに、あまりに真剣な顔をしているから、何て言ったらいいのかわからなくなる。
頭の中が混乱する。
そんな事、わからないはずも無いのに、祭宮が。
どうしてそんな事を言い出すの。
見つめ返す祭宮の目には、余裕の色は無い。
本気で、言っている。
私に何が出来るっていうの。
私に出来るのは、ただレツの言葉を伝える事。会わせるなんて事は出来ないよ。
「会わせるって、どうやって」
搾り出した声が震えている。
緊張しているわけじゃないのに。
視線を外そうと目を逸らしても、祭宮の視線と絡み合ったままで逃れることが出来ない。
つかまれた腕が解けないのと同じように。
「簡単だよ。呼んで。水竜を」
「それで、いいの」
「いいよ」
祭宮の言葉に促され、心の中でレツを呼ぶ。
さっき呼んでも応えてくれなかった。
奥殿で最後に見た姿は、まるで眠っているようだったから、応えてくれないかもしれない。
レツ。
レツ。祭宮がレツに会いたいんだって。
レツ。
ぶわっと風が巻き起こる。
床に落ちたベールが、風で空に舞う。
祭宮が顔をしかめ、空いている方の腕で、その顔を覆う。
体中が総毛立ち、意識が体という殻を破って拡散していく。
いる。
すぐ傍にレツがいる。
レツの気配を背後に感じるのと同時に、意識が混濁していく。
目の前にレツがいるような感じがする。なのに、あの暗い空間で本当のレツに触れて抱かれている時のような、何とも言えない安心感がある。
温もりが伝わってくるのに、体がふわふわと宙を浮いているような感じがする。
目の前にいるのは祭宮のはずなのに、レツが腹立たしげな顔で腕組みをしている。
レツ?
話し掛けてもレツは応えない。
すっとレツの手が伸びて、私の両頬を包む。
--ごめんね。
レツも祭宮と同じ言葉を口にする。
「離せ」
口が勝手に動く。
目が祭宮を睨みつける。
睨み付けられた祭宮の目に、鋭い光が点る。
私が祭宮に話し掛けたはずなのに、ものすごく遠くの、幕の向こう側で誰かが話しているような感じがする。
「これはどうも」
見下ろす祭宮の目が、挑発するように笑う。
反射的に腕を払い、祭宮と距離を取る。
「触れるなと、言ったはずだ」
「こうでもしなければ、あなた出てこないでしょう」
「こうすることによって、サーシャに負担になるのはわかっているのか」
「わかっていますとも」
余裕の笑みを祭宮が浮かべる。
ギリっと奥歯を噛む。
憎々しい。
こんな奴の策に乗るなんて。
怒りに任せてココに立っている自分は、まるで人間のようにちっぽけな存在に成り下がっている。
「その程度か」
睨み付ける。無駄に知恵の働く男を。
お前は大切なものを、その手で壊そうとしているのか。
傷つけることも厭わないのか。
お前にとって、その程度の存在なのか。
返答いかんによっては、今後の事も考えさせてもらうとする。
お前なんかに、傷つけさせはしない。
どんなに心の奥底でサーシャがお前を想っていようとも、ボクは決して認めない。
祭宮が慇懃に、腕組みをして鼻で笑う。
「あなたに言う必要なないでしょう。あなたには関係の無いこと。きちんと代償なら払いますよ」
ふっと口元が歪む。
はははっと乾いた笑みがこぼれ出す。
「貴様に何が出来るという。自惚れるな」
冷たく言い放った言葉に、祭宮がピクリと眉を動かす。
「それは全てをご存知の上で、おっしゃっているのでしょうか」
「さあ。貴様が何を知りたいのかわかっているが、なぜボクがわざわざ教えてやらなくてはいけないんだ。そんな義理もない。貸しなら山のようにあるけどね」
ニヤリと笑うと、くっと祭宮が言葉に詰まる。
決して貴様たちの思うようには動かない。
ボクは何者にも侵されない。揺らがない。
唯一無二。神聖不可侵。
貴様らがボクに与えたのは、そういう地位だったはずだろう。
「何をしにきた」
「まあ座りましょう。ササにあまり負担を掛けたくない」
何だかんだ言っても、負い目は感じている訳か。
ただのバカじゃない事は十二分にわかっている。だからこそ祭宮に仕立てたんだ。
それなりに全てを見通して、これしか手段がないと考えたのなら、聞かせてもらおうか。
動き出した歯車の行方を。
ドカっとソファに座り、真正面から祭宮を見据える。
しかし、何でこいつなんだ。サーシャも。
見た目はそこそこだろう。それは認めてやってもいい。
だが、口が悪い。態度もデカい。
はっきり言って、好感を持てるような部分は無いような気がする。
大体、心底サーシャの事を大切にするような奴なら、こんな手段はとらないだろう。
まあボクが何を言っても、何をしても、ボクの巫女の心は簡単には動かない。頑固なんだよ。
こいつのどこにそんな魅力があるのか、見据えさせてもらおうとするか。
恐らく、これが最初で最後。
二度とこの体を通して、こいつと話すことは無いだろう。
祭宮がどう考えているのかは知らないが、おそらくこうしていられる時間もごく僅か。
いかに頑丈で健康がとりえのサーシャでも、どのくらい体力を奪い、寿命を縮めることになってしまうのか。
それをわかっていても、こいつと対峙することを選んだボクも、同罪か。
足を組み左腕を肘当てに乗せ、上半身の重みを左腕と背中に乗せる。
ボクの値踏みするような視線にも、祭宮は表情を変えない。
見事、と言ってやりたいところだが、随分汗をかいているな。
虚勢を張っているだけか。
可笑しいな。
ボクをはめるだけの頭脳があるというのに、肝の小さい男だな。
フっと笑うと、祭宮がキっと睨み返してくる。
所詮、貴様はボクの手の中で踊っているだけに過ぎないよ。
あえて、小者に過ぎないとは口に出さないけどね。
「ボクに用事があるのは、祭宮か。それともカイ・ウィズラールか」
冷淡に突き放してから、ニヤリと笑う。
「ボクの巫女にあまり無理をさせたくないんで、とっとと用事を済ませようか」
ボクの、という部分を強調し、右手で丁寧に編みこまれた髪を撫でる。
こうやって常に触れたらいいのに。
あからさまなボクの挑発に、祭宮の目に強い感情が動く。
バーカ。単純な奴。
すっと目を逸らし、祭宮が手元に置かれたお茶をくいっと飲み干す。
トン。
カップを置く音が響き、顔を上げた祭宮の態度は、とりあえず見かけは落ち着いている。
「単刀直入に聞く。あんたは全てわかっていたのか」
あんた、ね。
礼儀も知らないガキが。
だけど、そんなことをいちいち指摘している時間が勿体無い。
「何のことだ」
貴様が知りたいのは「朱」についてだろう。
そう聞けばいいだろうに。
素直に聞けないのは、貴様のちっぽけなプライドか。
ボクは視線を決して祭宮から動かさない。
「こうなることを見越していたのか。前王陛下の苦慮も、現王陛下の焦りも」
「何をバカなことを言っている。止めるのは貴様らの役目だろう。ボクは政事には関わらない。何度も言わせるな」
バンっと大きな音を立てて、祭宮が机を叩く。
「では国は。大地は。それはあんたの責任だろうが」
怒鳴る祭宮が滑稽だ。
だから言ったじゃないか。
「世界が朱に染まる時、ある者は歓喜の、ある者は悲しみの涙を浮かべるだろう。朱に大河が染まる時、大地は沈黙し、眠りへといざなわれるだろう」
一呼吸、間をおく。
「だから、わざわざ警告してやっただろう。ボクは親切だからね」
ボクの笑みに、祭宮は今にも掴みかからんばかりに立ち上がる。
手を出せまい。
やわらかい、あたたかい、生真面目で泣き虫なこの娘を傷つけるなんて出来ないだろう。
「いいか。忘れるな。引き金を引いたのは、貴様ら王族だ」
「建国王との契約を破るのか」
「先に禁を犯したのは誰か。他人のせいにする前に考えるんだな」
くそっと短く呟き、祭宮が両手で顔を覆い、座り込む。
沈黙が続く。
やっぱり、たいしたことないじゃないか。こいつ。
ただのカッコつけだって。
サーシャ。見る目ないなあ。
コト。
意識の奥底で、水が動く音が聞こえる。
眠りについている本当の体の持ち主が、寝返りを打つ。
何も知らない。穢れの無い、ボクの巫女。
聴こえているかな。ボクの声。
もしも聴こえていたなら、覚えていてね。
キミだけが、ボクを救い出せる。
ニエがボクを永遠の孤独から救い出した。
そしてボクに絶望を植えつけた。
キミはボクに名前を付け、ボクの時間を動かし、絶望の淵から救い出し、希望を与えてくれた。
サーシャ。キミこそが、この世界を動かすカギになる。
水面にいくつもの水泡が上がる。
ポコポコポコと規則正しく、水中にいくつもの泡が動き出す。
そろそろ時間のようだ。
「祭宮。あとは自分で考えろ。何が貴様に出来るのか」
睨むようにボクを見る祭宮に、あからさまに溜息をつく。
この後、こいつに託さなくてはならないことが腹立たしい。
「そうそう。結婚するんだって。お幸せに」
クスクスと笑うと、真意を理解したようで、祭宮が絶句した表情になり、それから大きな溜息をついて頭を抱える。
「……あんた、訂正くらいしておけよ」
「ボクが? 何でだよ。行く末を見守らせてもらうさ。現世のことは、ボクは介入しないって決めてるんでね」
ふわっと体が軽くなり、宙に浮きかける。
ああ、もうこれ以上は無理だね。
「……頼む」
「ああ」
すっと体が宙に浮く。
--ごめんね、サーシャ。
--それでもボクは、キミを愛しているよ。
「俺、多分これで嫌われるんだろうな。ごめんな、ササ」