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 早足で礼拝堂と前殿をつなぐ回廊を渡り終えたところで、足を止める。

 あの人が追いかけてくるわけがないってわかっているのに、でも捕まってしまうんじゃないかっていう恐怖心で振り返る。

 周りを取り囲む神官たちが壁になり、礼拝堂のほうの様子はわからない。

 わからないことが、また不安を掻き立てる。

 体が小刻みに震えている。

 怖い。

 関わっちゃいけない。私が大切にしているものを、あの人は壊そうとしている気がする。

 堅牢で迷路のような水竜の神殿の中にいれば、外部の人は絶対に手出しは出来ないってわかっている。

 だけれど、あの人はいとも容易くその壁を乗り越えようとする。

 その行為に、私は自分の領域を侵されてしまう。

 水竜の巫女としての自分の存在が希薄になっていく。

 今まで自分が積み上げてきたものが、消えていく。壊される。

 あの場で対峙している時は、怖いなんて思わなかったのに。

 どうしてだろう。

 怖い。怖いよ……。


 ――大丈夫。周りを見てごらん。


 優しいレツの声が、パニックを起こしかけた頭の中に響き渡る。

 レツに促されるまま周りを見渡すと、心配そうな顔や強張った顔をした神官たちがいる。

 中には見知った顔もある。

 全く知らない顔もある。

 幾重にも取り囲む神官たちの輪。

 みんな私を守る為に、こうやって傍にいてくれる。

 ふいに地に足が着いたような、どことなくほっとするような気持ちになる。


 ――ボクもそばにいるよ。大丈夫、一人じゃない。


 ふわっと風が巻き上がる。

 きっとそれはレツの力が起こした、優しい風。

 夏の暑さで汗ばむ私たちに、一時の涼をもたらしてくれる。

 それだけでなくその一陣の風は、私や神官たちの心を解きほぐしてくれたみたいで、私の中の恐怖心も姿を潜め、神官たちの顔にも心なしか落ち着きが戻ったような感じがする。


「お体にお変わりはございませんか」

 一番歳のいった初老の神官が、にこやかな笑顔で声をかけてくれる。

 私のことを慮って、少しでも安心するようにとしてくれているのかもしれない。

「はい。大丈夫です。みなさんは大丈夫ですか」

「お心遣いありがとうございます。幸い怪我を負ったものはおりません」

 ほっとする。

 神官たちが私の盾になっていてくれたから。誰も怪我がなくて良かった。

「皆さんに何もなくて良かったです。助かりました。ありがとうございます」

 神官たちに感謝の気持ちをこめて礼をすると、ざわっと空気が揺れる。

 何でだろう。

 顔を上げると、初老の神官が目を細めて、少し困ったような顔をする。

「私共は当然のことを、成すべきことをしたまでです。どうぞお気になさらず」

 他の神官たちも困惑したような顔をしていたけれど、決して厳しい顔をしていない。

 むしろ、緊張の糸が解けたような穏やかな表情をしている。

 私がここまできてホッとしたように、神官たちも礼拝堂から離れてホッとしたのかもしれない。

「この後はいかがなさいますか」

 横に立つシレルが静かに問いかける。

 いつもと変わらないシレルの口調に、日常が戻ってきたような気持ちになる。

 何も変わらない。

 私は何も壊されてなんかない。

 この後、ね。ご神託を告げる為に祭宮に会わなくてはいけない。

 けれどあの人に触れられた衣を、一時でも早く脱ぎたい。

 触れられたところから毒が徐々に回っていくような、穢れが広がっていくような気がするから。

 このまま着ていたら、何かどす黒いものに飲み込まれてしまう。

「祭宮様にお会いします。けれど、その前に着替えようと思います」

 どうしてですか、とは誰も聞かない。その代わりに、シレルが「畏まりました」といつもと変わらぬ調子で頭を下げる。

「私は自室に戻りますから、皆さんは本来の業務に戻ってください」

「巫女様、一つお願いがあるのですが」

 初老の神官が再び口を開く。

 神官たちに背を向けて部屋に戻ろうと思った時だったので、肩越しにこの言葉を聞く。

 振り返ると、初老の神官は穏やかな表情をしている。

 体の向きを戻し、向かい合うように神官たちのほうをみる。

 どんな時でも、たとえ私が巫女であっても、他人への礼儀を欠くことはあってはいけないと思うから。

「本日だけで結構です。何人かお傍に置いていただけないでしょうか」

 言おうとしていることの意味がつかめず、首をかしげる。

 どうして人を増やさなくてはいけないのか、なぜシレル一人ではいけないのかわからない。

「恐らく、神官長様や祭宮様との調整にかなり手間取るかと思います。お付きの者が一人では対応しきれない事もあるやもしれません。ですので、何人か人を増やして頂ければと思うのですが」

 心の中に湧き上がってきた、もしかしたらあの人から私を守る為に人を増やさなくてはいけないのかといった不安は、その言葉に打ち消される。

 いくらなんでも、この神殿の中に入ってこられるわけがないのに、どうしてそんな事を思ったのだろう。

 それよりもこの神官が言うように、神官長様や祭宮があの人の対応に追われていて、何時頃なら会うことが出来るのかなどといった調整をする事の方が大変かもしれない。

 祭宮の状況。神官長様の状況。それを一人で把握して、様々な手配をする。

 平常時ならシレル一人でも、十二分に対応する事が出来るだろうけれども、多分右往左往することになるだろう。

「わかりました。人選はお任せします」

「畏まりました。お任せ下さい」

 神官がにこやかな笑みを浮かべるのを見届けて、シレルを伴って自分の部屋へと戻る為に背を向ける。

 しばらく歩くと、なにやら指示を出しているような声が、背中の方から聞こえてくる。

 たった一人の暴挙は、神殿の中に少なからず影響を与えている。

 無事に何事もなく、全てが終わるはずだったのに、年に一度のハレの日に汚点が残ってしまったようで腹立たしい。




「大変お待たせいたしました」

 開口一番、祭宮が頭を下げる。

 心なしか昼間よりも疲れたような顔をしている。あの後、多分私には話さないようなゴタゴタがあったのだろう。

 相手はあの横柄な態度の、恐らく祭宮よりも上位の王族。

 自らの意思が通らなかった事の不快感は、全て他人のせいにしそうな人だから、いさめるのにかなり大変な思いをしただろう。

 その結果、日が傾く時間になるまで、ここに祭宮は来られなかったのだろう。

 水竜のご神託を王宮に持ち帰らなくてはいけないのに。

「祭宮様もお疲れでしょう。三日間全ての礼拝に参列なさったのですから」

 敢えて、あの人のことは何も言わない。

 口にするのもイヤだっていうのもあるし、気にしていないと暗に伝えようと思ったから。

「いいえ。わたしは参列していただけですから。巫女様のほうがお疲れでしょう」

 祭宮は上手に恐縮したような顔を作る。

 どこまで本気で、どこまで演技なんだか。

「お気遣いありがとうございます。しかし年に一度の大切なお祭りですから、私が疲れたなどと言う事は出来ません。心をこめてお祈りするのが私の役目ですから」

 ベールの下でにっこりと笑い返すと、祭宮も笑い返す。

 相変わらず、綺麗な笑顔。

「気を抜いた頃に疲れがどっと出るでしょうから、お体ご自愛下さい」

 ありがとうございますとだけ短く答えると、ずっと黙っている神官長様へと目を向ける。

 何か考え込まれているような、難しい顔をなさっている。こんな険しい顔、初めて見る。

 どうしたっていうのだろう。

 祭宮も神官長様の様子に気付いたようで、顔を覗き込むような仕草をする。

「どうか、なさいましたか」

 切り出した祭宮に、神官長様はキッと睨みつける。

 その鋭い目に、祭宮が面食らったような顔をする。

「遅れた事よりも、先程の無礼を謝罪なさるべきではなくて? あの方を連れていらしたのは、あなたでしょう」

 祭宮の顔に影がかかり、みるみる表情が曇っていく。

「年に一度の大祭での、あのような水竜様を蔑ろにするような行為。決して許されるものではありませんわ」

 神官長様の言葉の端々に怒りを感じる。頬は紅色に染まっている。

「大体、たとえあの方が……」

「神官長様」

 たしなめるように、祭宮が神官長様の言葉を遮る。その言葉にはっとしたような、我に返ったような顔をして、神官長様が口をつぐむ。

「お怒りごもっともです。巫女様ならびに水竜様への非礼。大変申し訳ございませんでした」


 ――茶番だね。


 吐き捨てるようなレツの声が、深々と頭を下げる祭宮の声と被る。

 レツは祭宮の謝罪なんて、どうだっていいと思っているみたい。


 ――とっとと済ませよう。サーシャ。


 ぐっと体が引っ張られるような感じがする。

 体中の神経がむき出しになったように、ぶわっと風が巻き起こり意識が広がって、奥殿のレツがすぐそこにいるような感じになる。

 鼓動が早くなる。

 ご神託?



 ――世界が朱に染まる時……。

「世界が朱に染まる時」


 考えるよりも先に口が動き出す。まるで腹話術の人形になってしまったみたいに。


 ――ある者は歓喜の、ある者は悲しみの涙を浮かべるだろう。

「ある者は歓喜の、ある者は悲しみの涙を浮かべるだろう」


 ――朱に大河が染まる時、大地は沈黙し、眠りへといざなわれるだろう。

「朱に大河が染まる時、大地は沈黙し、眠りへといざなわれるだろう」




 レツ?

 ぶっつりとレツの気配が途切れ、いくら呼んでもレツの声が聴こえてこない。

 大気に広がっていた意識は体という器に戻り、やけに四肢が重たく感じる。

 今のが、ご神託。

 今までレツから聴いた様々なご神託に比べ、抽象的で何を言い表しているのか、私には全くわからない。

 ねえ、レツ。これってどういう事なの。

 レツ。レツ?

 問いかけても、レツの声は返ってこない。


 世界が朱に染まる。

 朱に大河が染まる。


 一体、何のことを言っているんだろう。


「今のはご神託でしょうか」

 怪訝そうな顔で、祭宮が尋ねる。

 何の前触れもなく、突然こんな事言われたら驚くし、何のことだかわからないのが当たり前よね。

「はい。水竜のご神託です」

 考え込むように腕を組み、祭宮が神官長様の顔を見る。

 神官長様は、さあ? とでもいうように首を横に降る。

「これで全て?」

「はい。呼びかけても何も言ってくれません」

「そう……」

 神官長様はふうっと溜息をついて、奥殿のほうを見る。

 神官長様もこんな抽象的なご神託を聴いた事はないのかもしれない。

 三人とも考え込むように黙り、部屋の中を静けさが支配する。

 大祭の時のご神託といえば、例年収穫の事についてのことなのに。


 歓喜と悲しみ。

 朱。

 涙。

 眠り。


 そのどれも、今年の作物の実りをあらわしているようには思えない。

 突然切り出したレツの態度も、どこかおかしかったような気がするし。

 いきなり話し出したと思ったら、今度はどんなに呼んでも答えてくれない。

 名前を呼べば、大体いつだって答えてくれるのに。どんなくだらない事にだって。

 レツが一体どんな未来を見て、何を思い、何を考えているのか、私は巫女だっていうのに想像すらつかない。

「さて、これは難解な連想ゲームですね」

 眉をひそめ、神官長様が祭宮を咎める。

「そのような言い方は水竜様に失礼ですわ」

 神官長様に苦笑いを返し、祭宮は前のめりになるように膝の上に肘を乗せて両手を組む。

 その目は真っ直ぐに私に向けられている。

「巫女様が心をこめて今年の豊穣を祈った。そして来年の大祭までの収穫の見込みを私共王家の者に伝える。それが大まかな大祭の流れです。水竜の神殿対王家という部分においては、ですが」

「……はい」

 しばらく間をおいてから同意を示すと、祭宮は更に言葉を続ける。

「今日は私は王家の代表として、ご神託を伺った。それが今までに伺ったどんなご神託よりもわかりにくい。いや、もっと言ってしまえばわからない。はっきり申し上げると、答えは豊作か否かでいいのです。それがわかれば、こちらも対処のしようがあるわけですから」

 珍しく饒舌な祭宮に違和感すら感じる。

 祭宮なりに、何か思うところがあるのだろうか。

 そういった事な口に出さず、時々頷くだけで黙って話を聞き続ける。

 言っていることは、至極真っ当で、もっともだと思う。

 祭宮という王家側の人間から見たら、知りたいのは国を治めるのに必要な情報。

 しかも豊作か不作かという、国の根本を支える大切な、一般の人は決して知りえない未来の予測。ううん、予測じゃない。確定している未来のこと。

 だからもし仮に不作になるのならば、王家側も税をどうするのか、備蓄を開ける用意をするべきなのか等、前もって今後の国政について長期的に考える事が出来る。

 なのに、こんな風にどちらでも取れるような、どちらでも無いようなご神託では動きようがないだろう。

「朱とは何なのでしょうね」

 問いかけるように言葉を切る祭宮の顔を見る。

 私の中に、その疑問に答えられるような情報もなければ、レツから聴くことも出来ない。

「だから連想ゲーム、なんですね」

 そう答えると、祭宮は口元を少し上げて笑みを浮かべる。

「巫女様はどう思われますか」

 口を挟もうとしない神官長様のほうを見ると、考え込むように肘掛にもたれかかり奥殿のほうを見ている。

 祭宮の話は聞いていないわけではないのだろうけれど、この会話に加わろうという意思は見受けられない。

「朱、ですよね」

 自分なりの答えを見つけ出そうと、数少ない知識の引き出しをひっくり返す。


 朱。

 世界を、大河を染める朱、とは。

 どうやったら世界だとか大河だとかっていう大きなものを染め上げる事が出来るのだろう。

 そんな事出来ない気がする。

 朱。赤。

 赤い穀物って、何があるかしら。

 麦や稲穂は黄金色。だから朱じゃない。

 思いつくのは、生まれ育った村の名産のワインの赤くらい。

 でもワインで世界や大河を染めるなんてできっこない。

 他に赤いもの。

 果物の赤。口紅。緋色の衣。


 思いつくものは、全て身の回りの小さなものばかりで、レツの言っていた朱に当たるものはないみたい。

 しばらく考えてみて、どうにも手詰まりなので素直にわからないと祭宮に告げる。

 祭宮は体を起こし、ソファにもたれかかって苦笑いを浮かべ、困ったような顔をする。

「私にもさっぱりわかりません」

 ふうっと溜息をつく祭宮の様子を横目で見て、神官長様がまた窓の向こうの奥殿を見つめる。

 昼間の件で、もしかしたら多少態度が軟化するかもなんてちょっとでも期待した私は甘かったみたい。

 やっぱり便宜上は同席してはいるものの、私とはまともに話しをする気なんてない、か。

 気付かれないようにベールの下で静かに溜息とつく。

 昼間のあれも、やっぱり私を庇ってくれたわけじゃなくって、全部レツのためにした事なんだわ。

 わかっていたのに、何を期待していたんだろう。

 まだ、この人に期待している。

 この方が巫女であった頃のように、優しい言葉と笑顔を私に向けてくれる事を。

 私にとっては理想の巫女そのもので、ずっと憧れている人だけに、嫌われているのはやっぱり辛い。

 同時に、いつまでも私を巫女として認めてくれない事が悔しい。

 巫女になってもう丸二年。いつになったら、私はこの人に認めてもらえるんだろう。

「色づいた葉。夕焼けの空」

 ポツリと呟くように、目は外を見たまま神官長様が話し出す。

「収穫の時期は、木々が色づく時期ですわ。水竜様のおっしゃる朱に当てはまるかはわかりませんけれど」

「ほう」

 興味深げな顔で祭宮が神官長様の言葉を聞き、次に繋がる言葉を待っているかのように、体の向きを神官長様のほうへと変える。

「わたくしが思いつくのは、その程度の事ですわ。水竜様のおっしゃっているような事柄に当てはまるとも思いませんけれど、王城のような高いところから見たら、世界が朱色に染まっているように見えるかもしれませんわ」

「そうですね。特にこのあたり一体は木が多いですから、紅葉もあざやかですし」

 葉が色づく時期。それは穀物の収穫の時期とかさなっている。

 秋。

 木々が色づく頃、すなわち収穫の時期に、ある者は悲しみ、ある者は喜ぶ。

 つまり一様に豊作とも不作ともいえないということかしら。

 それなら何となく、この煙にまいたようなご神託も納得できないわけじゃない。

 祭宮も同じような事を思ったようで、多少言葉は違うけれど、ほぼ同じ内容の事を身振り手振りを交えて話し出す。

 私は何度も同意するように頷き、神官長様は聞き終えた後に深く一度頷く。

「わたくしも、そう思いますわ。もしも水竜様のおっしゃる朱がその事ならば」

 付け加えるように言い、また窓の外を見始める。

「高いところから眺める、で思い出しました」

 祭宮はわざとらしく左手で膝を叩き、妙案が浮かんだような顔をする。

「私の城から見える夕日で朱に染まる大地はとても綺麗です」

「私の城?」

 突然、何を言い出すんだろう。祭宮って王都に住んでいるんじゃないのかな。それとも全く別のところに生活の拠点があるのかな。

 てっきり王族ってみんな、王都の中心にある巨大な王宮に住んでいるんだと思っていたんだけれど。

 一人ひとり別々のお城を持っているのかしら。

「ええ。このあたり一体は私の領地ですから。正確には代々の祭宮に与えられた所領なんです」

 初めて聞く話に、私はそうですかと相槌を打つ事しか出来ない。

「こちらに来る際に、さすがに王都との間を日帰りで往復するのは無理ですから宿泊用に使う程度なんですけれどね。ですから殆ど城にはおりません」

「こんな田舎では飽き飽きしてしまいますものね、祭宮殿下には」

 いつの間にかこちらを向いて、神官長様が話の輪に加わる。

「そんな事ありませんよ。空気もきれいですし、穏やかで喧騒や権謀術数とは程遠く、心が洗われるようです」

 うわっ。嘘臭い笑顔。

 絶対、そんな事思っていないくせに。

 神官長様も絶対見抜いている。お愛想程度に笑ったのか、笑い声が乾いているもの。

「結婚したら、こちらで暮らすのもいいかもしれませんね。ゆっくり、のんびり、宮中のいざこざとは離れて暮らすというのも良さそうです」

「あら、お相手が見つかりましたの」

 楽しそうに聞き返す神官長様に、祭宮は苦笑する。

「例え話、ですよ」

 笑うだけで、祭宮は神官長様の問いには答えない。

 そっか。

 結婚するんだ。

 当たり前だよね。

 どう見たって見目麗しい部類に入るだろうし、王家に名を連ねる祭宮。しかも適齢期だものね。

 そういう話があったっておかしくない。

 寧ろ引く手あまただったんだろう。

 やだな、何でショック受けてるんだろう。

 私なんかとは、生まれも育ちも違いすぎる人なんだから、何かを期待したってしょうがないのに。

 バカだなあ、私。

 諦めるって何度も何度も自分に言い聞かせていたし、レツにも宣言していたのに、やっぱり諦めきれなくてこんな風に落ち込むなんて。

 それにレツのことちゃんと見るって決めていたのに。

 どうして、何でこんなに息苦しいんだろう。

 目頭が熱い。

 全然諦めきれてなかったんじゃない。

 でもこれで、失恋確定ね。

「おめでとうございます」

 声が震えるのを押し殺して、祭宮を祝福する。

 そう、これでいいんだ。間違ってない。

 ちゃんと祭宮の結婚をお祝いして、私はレツだけを見るんだ。

 一瞬きょとんとしたような顔をして、それから祭宮が大声で笑い出す。

 何がそんなにおかしいのよ。

 ちゃんとお祝いの言葉を言ってあげたじゃない。

 それとも変な声になってたのかな。鼻声になってたりしなかったと思うけれど。

「結婚なんてしませんよ。何せ相手が手強くてね」

 茶化すような祭宮を、神官長様は眉をひそめて見ている。

 でも、特定の誰かがいるって言う事には違いないのよね、その答えだと。

 その人と結婚したいけれど、相手がオッケー出してくれないだけで。

「そうなんですか。大変ですね」

 落ち込んでいてもしょうがないから、出来る限りあっけらかんと明るく言うと、祭宮はやわらかい笑みを浮かべる。

「大変ではありませんよ。これでも楽しんでいるんです」

「……はあ」

 何て穏やかな顔をするんだろう。

 目を細めて思い浮かべているのは誰なんだろう。

 誰だかわからないその人の事が少しうらやましい。こんな風に想われているなんて。

 それと同時に嫉妬している。

 こんな風に私を想って欲しかったと。

 けれど、これは捨てる想い。捨てなきゃいけない想い。

 だって私のことは見てくれないのだもの。

「ああ、でも折角だから、水竜様によろしくお伝え下さい。私の恋路を応援してくださいと」

「殿下! いい加減になさいませ」

 強い口調で神官長様が、祭宮の言葉を遮る。

「大体、あなたは今日ここに何をしにいらしたのです。そんなことを水竜様にお伝えする為にいらしたわけではないのでしょう。もう少し真面目にお役目を果たすようになさったら」

 祭宮がそっと溜息をつく。

 きっと神官長様は気付いたけれど、何も言おうとはしない。

 何を言っても無駄だと思っているのかな。

 その代わり、まだ憤りの残る口調が私に向けられる。

「巫女。お疲れでしょう。ご神託は確かに承りましたし、今日はもうお休みになってはいかが」

 暗に、出て行けって言われている感じがするのは、気のせいじゃないよね、きっと。

「これ以上こちらにいらしても、祭宮殿下のくだらない話に付き合わされるだけですわ」

 確かにそうかもしれないけれど、あからさまだなあ。

 なんかさ、そんなに邪険にしなくたっていいじゃない。感じ悪いなあ。

 でもこれ以上ここにいても、有益な話があるとは思えない。

 それに突然話し出したり、話さなくなったりしたレツの様子も気になる。

 せっかく夜も奥殿に入っていいって言われたんだから、さっさと切り上げてレツに会いに行こう。

 ここにいて、これ以上嫌な思いをする必要も無い。

「私、水竜様とお約束していますので、失礼致します。祭宮様、またお会いする日までお元気で」

 立ち上がり、祭宮と神官長様に一礼する。

 別に言わなくてもいい事を付け加えたのは、思惑通り追い出される訳じゃないっていう、私なりのささやかな抵抗。

 そうじゃないと、ちっぽけな私のプライドが傷つけられたままだから。

「約束というのは?」

「水竜様にこれからお会いするんです。奥殿に行きます」

 祭宮が神官長様と顔を見合わせ、それからすっと立ち上がる。

 神官長様はぷいっと顔を横に向けてしまって、こちらを見ようともしない。

「水竜様には敵いません。どうぞ」

 手を扉の方に向け、頭を少し下げる。普段シレルが道を指し示す時の動作によく似ている。

 シレルにされた時と同じように目礼をして、目の前を通りすぎる。

「お元気で、巫女様」

「祭宮様も、お気をつけてお帰り下さい」

 振り返り祭宮に挨拶をし、衣を翻し扉へと向かう。

 きっとこの後も二人は色んな話をするんだろう。

 私がいると、決してしないような話を。

 パタンと扉を閉めると、背後から珍しく神官長様の怒ったような声が聞こえる。

 結局ご神託のことは、よくわからないままだけれどいいのかな。

 あれで解決したんだろうか。

 それとも、これから二人で解決するつもりなんだろうか。



 私の頭の中は、祭宮には誰か大切な人がいるっていう事実だけで、それ以外は何も考えられない。思考停止状態になってしまった。

 胸はいっぱいだし、喉にひっかかるような何かがあるし、切なくってしょうがないけれど、不思議と涙は出てこない。

 それよりも、心のどこかでこの日がいつか来る事を知っていたような気さえする。

 もう、これでおとぎ話のような恋はオシマイ。

 どこにでもいるような村娘のところに、王子様はやってこなかった。ただ、それだけのこと。

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