第四章:スイッチ
大学病院、C棟の実験室。
「……マルキス反応の実験をしよう」
『アルカロイド系薬物の簡易検出、ですね』
健の脳裏では、当直帯に起きた全ての現象が、一本の線で繋がり始めていた。
健は実験台の棚から、ホルマリンと、濃硫酸の試薬瓶を取り出した。
美咲の喉から取り出した青薔薇は、今は乾燥して黒い粉末になっていた。その微量な粉末を、新しいシャーレの上に落とす。
健の動きは、舞うように洗練されていた。無駄な動作が一切ない。それは、己の余命を1秒たりとも浪費しないという、狂気的なまでの合理性の現れだ。
「もし、あの薔薇が『麻薬工場』だったなら」
健は、ピペットでホルムアルデヒドと濃硫酸を混合する。
透明な劇薬。
狙いは、黒い残滓。
「変色して欲しいが……して欲しくない」
6歳児に麻薬の花を植え込む人間が実在するなど、考えたくもない。 健は、一滴、垂らした。
ジュッ。
微かな音と共に、黒い粉末が液体を吸い込む。
直後。
―― 黒い水たまりの端に、毒々しいほどに美しい、深紫色の帯が生じた。
「……ッ!」
健の瞳に、紫の光が反射する。
『解析完了。強陽性です。この反応速度と色彩の濃さは、高純度のオピオイドの含有を示唆します』
エイミーの報告が響く。
健は、実験ベンチをドン、と拳で叩いた。
「決まりだ。美咲ちゃんの喉には……本物の『麻薬プラント』が埋め込まれていた」
怒りで、指先が震えそうになる。
「あの子どもの生い立ちは、私・エイアイメイトのなかで優先順位が最底辺です……それよりもドクターの安全懸念です。休息をお取りください。ドクターが機能停止した場合、次の所有者が私のような高度知性体を100%活用できる確率は、極めて低い。……馬鹿なマスターに再設定されては困ります、現在の個体に長持ちしてもらわねば』
「休養は却下。命の価値は長さじゃない。それに……燃やしている時だけ、いずれ来る死神を、忘れられるんだ」
本当は、怖いのだ。遠くもない未来に、訪れる使者が。
恐怖を感じない幼女が、思い起こされた。恐怖の感情が無い状態は、もしかしたら幸せなのかもしれない。
『ドクターは、聖人君子ではございませんね。一定の利他性と一定の利己性に、天秤が揺れる……それが人間というものです』
「だから、AIメガネが人間を語るなって。…… 実験を続ける。薔薇が四六時中、喉の中で麻薬を作り続けていたら。美咲ちゃんは過剰摂取になる。それに早々に耐性がついて薬が効かなくなってしまうかも」
『人間にしては、論理的な推論です』
「次は、PCRだ。DNA抽出!」
簡易抽出キットを使い、植物の細胞壁を破壊し、細胞の設計図であるDNAを取り出す。
「ターゲットは、『Tet-onシステム』……その制御遺伝子だ」
マイクロピペットで試薬を混合し、サーマルサイクラーで反応させ、電気泳動にかける。
機械の駆動音が低く唸る。
結果待ちの間、健は椅子に腰を下ろし、エイミーに語りかけることで思考を整理した。
『Tet-onシステムとは、特定の抗生物質の存在下でのみ、遺伝子発現を誘導する分子生物学的な仕組みのことですね。……犯人は、抗生物質を"麻薬工場の電源スイッチ"にしていた』
「ああ。犯人は、過剰摂取を避けるため、このシステムに『スイッチ』を組み込んだ……美咲ちゃんは、一瞬でその違和感に気づいた」
健の脳裏に、あけすけな関西弁で、核心を突く6歳児の姿が浮かぶ。
『ドクターより優秀ですね』
「つ、つまり! テトラサイクリンなどの抗生物質を飲んでいる間だけ、薔薇は麻薬を合成する!」
エイミーが、健の言葉に合わせて、実験室の白い壁に、アニメーションを投影する。
暗い背景に、巨大なDNAの二重らせんが横たわっている。そのらせんの一部には、活動休止中の『麻薬製造工場遺伝子』が眠っている。
そこへ、一粒の光るカプセル――抗生物質テトラサイクリンが、飛来する。 カプセルは、DNAの近くを漂っていた、『スイッチ・タンパク質』の鍵穴に、吸い込まれるように嵌まり込んだ。
カチリ。
『鍵』を得て活性化したスイッチは、即座にDNAの特定部位にガシッとしがみつく。 すると、『製造開始』の指令が走り、巨大な歯車が、ギチギチと回転を始める。遺伝子という、タンパクの設計図を元に、次々と『麻薬』が合成され、排出されていく。
「美咲ちゃんが過去にいた場所では、飲料水とかに、テトラサイクリンを溶かされていたのかも……思いつきの、SFだけど」
『SFは、いずれ科学へ至る萌芽。空想の翼だけが、人類のみが持つ、どこまでも行ける武器』
「やけに詩的な物言いだな。SFって入力に合わせて、参照データに小説でも使ったか? ……とにかく! 美咲ちゃんは、どこかの『秘密の研究所』のような場所に隔離されていたのかも……仮に、美咲ちゃんがそこから脱出したとする。外部では、テトラサイクリンの供給が止まる」
『数時間で薔薇の麻薬生産機能は止まる。体内の薬物濃度が急激に下がり……』
「離脱症状が襲ってくる」
今朝のICUでの光景が蘇る。脂汗を流し、ガタガタと震え、骨の軋みを訴えていた美咲。
「一方で、薔薇自体は成長か膨張か……どんどん大きくなって、根が神経にまで伸びて、呼吸に悪影響を与える。……苦しみの中で、美咲ちゃんはこう思うはずだ。『なぜか、あの場所から離れると、病気になる。あそこに戻らなきゃ』と」
『見えない首輪、ですね』
「……ああ。テトラサイクリンが切れると薔薇と根が巨大化するのも……脱走した美咲ちゃんが、もし離脱症状が出ても戻らなかった場合に、殺すためだったのかも」
『口封じのための、時限爆弾、と。真に怖いのは、人ですね』
「そしてもう一つ。なぜ、喉に植え付けられた『植物』という異物が、排除されなかったのか」
通常、生体は自分以外のタンパク質を激しく攻撃する。臓器移植ですら拒絶反応が起きる。
「薔薇は、体にとっては異物だから、免疫細胞が攻撃しないよう、あらかじめ免疫細胞が少ない体にしたのかも。ただ、なぜそこまでして、6歳児を拘束したのか……」
ピーッ。
ピーッ。
ピーッ。
電気泳動の装置が、終了を告げる電子音を上げた。
「……解は」
暗い実験室の空中に、青白い光の帯が浮かび上がった。
DNAのサイズを示す、数本のラダー(梯子)。
その特定の高さに、くっきりと太く、輝く一本のバンドが現れた。
『陽性。……指定された人工遺伝子配列と、一致しました。Tet-onプロモーターを確認』
健は、立ち上がった。
「6歳児を麻薬漬けにした外道……許さない。――傾いた正義の天秤を、正してやる」
*
PCRの結果を確認した健は、実験室を飛び出し、血液内科病棟にある無菌室へと急行した。
胸騒ぎが、止まらない。
健は、焦る気持ちを抑え、手順通りにエアシャワー室へ飛び込んだ。ここで塵埃を落とさなければ、無菌室に入れない。
ゴォォォォォォォォォォ――!
狭いボックスの中で、四方八方から強烈なジェット風が吹き付ける。 風に髪を乱されながら、健はエアシャワー室の小窓から、内部を覗き込んだ。
「……は?」
健の目が、点になる。
白い不織布マスクを着けた、上品なシャツを着た大柄な20代くらいの女が、廊下を歩き――そして無表情で美咲の病室に入っていく。
廊下の看護師は、何故か女を止めない。
健はふと、女性の腕の振り方に、わずかな左右差があると気づく。
「左腕のスウィングが低下……でも小刻み歩行でもないしすくみ足もない……パーキンソン症候群らしくない。脳梗塞後の痙縮にも見えない。……エイミー、感覚スキャン」
健は、エアシャワーの轟音が止まるなり、美咲の病室に急ぐ。
『ドクター、直ちに戻ってください。その女性から3デシベルのモーター音を検知。不確定要素が閾値に達しています』
「危険かもしれない存在を、子どもの近くに置いておけるか」
健は、エイミーの静止を聞かない。
『安全懸念!』
健が、無菌室のドアを勢いよく開ける音に、エイミーの悲鳴が重なった。




