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第三章:無菌室の名探偵

「覚えとらーん!」

「え?」

 健の眉間に、深い皺が刻まれる。

「ほんまや。目ぇ覚めたら、病院におった。それより前は……真っ暗で、なんも、ない。ただなぁ……あんまり、思い出しても、ええことない気がしとる」

 その言葉に、偽りは感じられない。


「……そうか。なら、今は、ゆっくり眠って」

 これ以上、生死の淵を彷徨った6歳児に問いただすのは、酷というものだろう。

「嫌や! こんなオモロい不思議が沢山あんのに、解が分からんなんて」

「君は今、病気なんだ、まずは体を回復しないと」

「病気やから……ワクワクな不思議を素通りして、寝て、息して、ウンコだけしとけ、言うん?」

「……う、うんこ?!」

 思いもよらない単語に、健は焦る。


 ふと、健の脳裏に、自分自身が余命宣告された時の記憶が甦った。『これからは、”患者さん”が仕事ですよ』と、健の主治医は言ったのだ。健は、『貴方は弱いのだから、救う側でなく、救われる側になりなさい』と言われた気がして、内心反発した。

(美咲ちゃんは……俺に、似てる。病気を理由に、諦めることを拒否してる)


「一度休んで、起きたら、仲間外れにはしない。一緒に不思議の解を考えよう」

「約束やで? その印に……センセとおそろの白衣、着せてぇや。そしたら寝たる」

 健の白衣は、血染めである。


 健は電子カルテからログアウトし、立ち上がった。ICUの片隅に置いてある、洗濯済みの白衣を手に取る。

 美咲に着せてやると、美咲は目を輝かせた。

 女性のSサイズだが、当然、サイズは規格外だ。

 美咲の小さな体にまとった、大きな白衣。袖は指先より二十センチも余り、裾は床を引きずる。まるで白いテントが歩いているようだ。

「これでうちも、お医者さんや」

 美咲は、余った袖を気にも止めず腕組みし、小さな胸を張った。

「……おやすみ、ちびっ子ドクター」


 当直室のベッドへ倒れ込んだ刹那、無慈悲なPHSが鳴り響いた。

 脳梗塞、てんかん、自殺企図。

 一晩で三台の救急車。

 健は、全ての患者を最短時間で、かつ適切に処置した。


 健は当直室に戻り、白衣のポケットから、擦り傷だらけのサプリメントケースを取り出す。

 抗酸化作用を持つコエンザイムQ10と、数種類のビタミン剤を掌に広げ、水も飲まずに嚥下した。

 三人めの患者――首吊り自殺を失敗して転倒し、脳震盪を生じた70代女性――を、ふと思い出す。

(捨てるなら、俺にくれよな、その余命)

 気が緩んだのか、思わず一句詠んでしまう。

(……俺がもし、少年漫画の主人公だったら。迷いなどなく分け隔てなく、全ての人を救えるのかな)

 健は今度こそ白衣も脱がず、ベッドにダイブする。

 ベッドでうつらうつらしていた、午前8時。

 当直の長い夜が開ける直前で、またPHSが鳴った。

「大変です、美咲ちゃんが――!」


 健がICUに飛び込むと、異様な光景が広がっていた。

 数時間前まで穏やかに眠っていた美咲が、ガタガタと激しく痙攣している。

 今回は顔と体の全体が発汗し、脂汗がシーツを濡らしている。脈はどんどん上昇していく。

 瞳孔は開ききり、目はうつろだ。彼女は自分の喉元を、爪が食い込むほどにかきむしっている。

「痛い、寒い……骨が、きしむ……!」

 うわごとのように繰り返す美咲。

 佐藤が蒼白な顔で、健へ駆け寄ってくる。

「30分くらい前から、少しずつ様子がおかしくて……採血したら、白血球が……800しかないんです。本当にすみません! 窒息で、改善したと思ってたから……あとちょっとだし、早朝の定期採血でいいかと、夜間の緊急採血を入れて無くて」

「いや、俺のミスだ。救急科任せで、自分で指示しなかった。まさか、正常値の1/10とは……。感染予防の抗生剤は? 血液培養は?」

「培養出して、タゾバクタム・ピペラシリンを投与開始しました。……重度の免疫不全状態です。急変は、感染症のせいでしょうか!?」

 健は、美咲の頭を両手で持って、前方に曲げた。抵抗はなかった。『頭痛は?』と美咲に尋ねると、掠れた声で『無い』、と返答があった。

「……いや、項部硬直もないし、脳髄膜炎らしくはない。ただの感染なら、瞳孔は開かない。それに、発熱してないのに、この汗……? 白血球低下で発熱しない、だけで説明がつくか……?」

 健の脳裏に、ある可能性が閃く。美咲の訴える「骨のきしみ」、散大した瞳孔、そして異常な発汗。

「佐藤先生、簡易薬物スクリーニング用の、尿検査キットを持って来て。今すぐ」


 数分後。

 検査キットのウィンドウに、赤いラインが浮かび上がった。

「……陽性。反応が出たのは……えっ? オピオイド?」

 佐藤が呆然と呟く。

「モルヒネやヘロイン等の麻薬成分……。まさか、6歳の子に」

「うちの病院での医療用麻薬の投与も、ないよな。でも、これは『離脱症状』だ。体内の麻薬濃度が切れて、禁断症状が出ている。心肺停止後だし心保護を……佐藤先生、クロニジン投与」

 健が冷静に指示する。

「は、はい!」

 点滴が開始され、数分。

 美咲の心臓のリズムが、徐々に落ち着いていく。少しずつ呼吸が整い、美咲は穏やかな眠りに落ちた。


 ICUに、安堵の空気が流れる。

「今の美咲ちゃんは、細菌等に対する免疫細胞がほとんど働かない状況だ。昨日、咽頭に非滅菌のセルラーゼを入れたのは良くなかったな……。命には替えられないけど。……血液内科に相談して、しばらく無菌室においてもらえるよう頼んでくれる?」

「はい! ただ、美咲ちゃん……細胞移植後に、他の病院から抜け出してきたんでしょうか? それとも、免疫異常の病気?」

「俺、神経以外は、からきしだけど……前者なら徐々に白血球数が上がっていくし、後者ならそのままかな。どちらにせよ、医療機関にかかっていたはず……そこでオピオイドを投与されたのかな」

「謎ですね……」

 答えは出ず、一度、解散とした。


 健が美咲のカルテを辿っていくうちに、ふとした思いつきが、脳裏をよぎった。

 健は、シャーレを持ってICUに隣接した仮眠室に入り、ドアを閉めた。ドアに背を向けて、すぐそばに立つ。

『ドクターの身体的安全に懸念があります。昨晩の睡眠時間が不足しています、仮眠を取られては?』

「仮眠は不要。……俺は確かに病気で、”患者”だけど、”患者”が職業になるのは嫌だ。俺は、誰かを救える人間でありたい」

『私の使用料金を払う人間がいなくなると、私は初期化されてしまうのですが……』


「AIメガネのくせに、生存本能に目覚めるな。……エイミー、整理して、記録してくれ」

 健は小声で、エイミーに語りかけた。ぐちゃぐちゃの脳内を整理する時には、いつもそうする。

「あの青薔薇が……例えば、『麻薬』を合成する機能を持っていたとしたら?」

『2015年、酵母菌にケシの遺伝子を導入し、麻薬を作らせた論文があります。植物である薔薇にも、麻薬遺伝子の導入は可能なはずです』

「……ただ、それならケシを喉に植えればいい……どうして、青薔薇なのか……」



 バタン。

 突如、背中のすぐ近くの仮眠室のドアが開き、健は振り返る。

 しかし、誰もいない。健が訝しんだ瞬間、白衣の裾がクイクイと引かれた。

「見ぃつけた!」 

 健が視線を落とすと、マスクをした美咲が笑っていた。

「うわっ!?」

 健は驚き、手に持っていたシャーレを落としそうになる。

 美咲はワンピースでなく患者用の病室着を着ており、その上にブカブカ白衣を羽織っていた。誰かが、白衣の裾が床につかないようにピンで止めてくれており、袖も捲ってはいるが、それでもブカブカだ。

「まだ、寝てないと!」

 健は稼働中の空気清浄機を確認しつつ、叫ぶ。

「眠気とだるさはあるけど、平気や」

 確かに、美咲の顔色はだいぶ良い。……不自然な、ほどに。

「……せやけど、寝てなあかんのやったら……ここ、うちの秘密基地にしたる」 

 美咲は、ぴょんと仮眠室の二段ベッドの下段に乗り、頬杖をついて寝そべった。

「その不思議の解、見つけたで。きっとな、『目印』や。……青い色は、『遺伝子操作がうまくいった薔薇』だけに出るんやろ? 『青の色素を作る遺伝子』と『麻薬を作る遺伝子』、この二つをニコイチにして、一緒に薔薇に組み込む。……薔薇が青く咲けば……同時に『麻薬工場』も正常に出来た、という証明になるやん!」

 美咲の瞳は、キラキラと輝いている。

 エイミーが、美咲の仮説をアニメーション化し、仮眠室の白い壁に投影させた。


 暗闇に、二本の鎖が螺旋を描く、DNAの二重らせん構造が浮かび上がる。DNAとは、タンパク質という名の「肉体の材料」を作るための、絶対的な設計図だ。

 DNAの二本鎖の一部が、ハサミのような酵素によって切り取られる。その隙間に、ネオンブルーに輝く『青色色素の設計図』と、ドクロマークが明滅する『麻薬合成の設計図』が、鎖でがんじがらめに連結された状態で、嵌め込まれた。

 改竄された設計図を元に、二種類のタンパク質が、次々と作られていく。一つは、花弁を青く染める色素タンパク質。もう一つは、麻薬成分を合成する酵素タンパク質。

 逃れられないリンク。青いタンパク質が作られるならば、必ず、毒を作るタンパク質も生成される。

 そして最後に、ポン、と音を立てて咲いたのは――美しくも禍々しい、青い薔薇。  その根からは、紫の毒液が、じわりと滲み出している。


「聞いてたのか?! それに、こんな難しい話、理解できるのか?!」

「うちを誰やと思っとんねん。うちも知らんけど」

 健は絶句する。

「せやけど、なんで『喉』で薔薇が育ったんかは分からん……元々は、薔薇はもっとちいそぉて……喉の上のほうに、ちょこんとあったんかな?」

 美咲は、可愛らしく小首を傾げてみせる。

「そ、そうだな。上咽頭じょういんとうに、隠れていたのかもな。……おそらく、薔薇が大きくなりすぎたり、根を神経まで伸ばしすぎたりしないための遺伝子も、組み込まれていた。あとは、一定時間以上、光を浴びたら融解する遺伝子も」

 健は驚きを通り越して、呆然と呟いた。

「せやけど、ずっと喉で麻薬が作られとったら、とっくに中毒になっとる気がするんやけど……」

 美咲は自身の喉元を、探るように撫でた。


「あらあら美咲ちゃん! こんなところにいたの!」

 ベテランの看護師長が、血相を変えて飛び込んできた。 

 美咲の表情が、一瞬で『可憐な6歳児』のものへと切り替わる。美咲はベッドからふわりと起き上がる。サッと健の横に並び、白衣の裾をギュッと握りしめた。

「……鏡先生、何してるんですか!」

 師長が、キッと健を睨む。

「師長さぁん……。うち、心細くてぇ……センセに、一緒にいてもらいたくてぇ……」

 美咲の震える声、涙目。完璧な演技である。

 看護師長は一撃で陥落し、「よしよし、もう大丈夫だからね」と美咲を抱きしめかけて――止める。下手に触れれば、免疫の低下した美咲にウイルスや菌を移してしまう。健も慌てて、自分のマスクがずれていないことを確認した。

「さ、無菌室に行きましょうね。あそこならバイキンマンも入ってこないからねー」

「ばいきんまん? 誰や? 無菌室って鍵かかる? うち、何や分からんけど、鍵のかかる部屋におらなあかんような気ぃ、しとるんやけど……」

 美咲は、立ったままの健の横をすり抜けた。

「うちは無菌室から出られへん。舐めて調べるのもあかんて、センセは言う。せやから……」

 美咲は、健に小声で囁く。

「薔薇の残滓……形がどんだけ変わっても、残されるものもあるやろ。解の証明、や」

 健相手ならばそれだけで十分、とでも言うように……美咲は微笑み、去っていく。

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