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第一章:死の青薔薇

冬。深夜1時、E大学病院の当直室。

「鏡先生、今晩、脳神経内科の当直ですよね? 救急外来から、応援要請です!」

 院内PHSから、緊張した看護師の声が響く。

「すぐ行く! ……ます」

 仮眠をとっていた鏡 健は、飛び起きた。


「エイミー、明かりを! 急げ!」

 健は、枕元のAIメガネ――エイアイメイト、略してエイミー――をひっつかみ、装着する。

 すかさずエイミーがライトを点灯させ、視界が明るくなる。

『ドクター、ご命令が無くとも、点灯の準備はしておりましたが』

 女性の機械音声――エイミーが、呼びかけてくる。

「暗いの、怖いんだよ」

 健は、手早く白衣を羽織る。ポケットには、愛用の打腱器ハンマー。薄暗い大学病院の廊下を、走り出す。


『ドクター。最新の余命データの、定期同期のお時間です』

「急患が来てる、同期は後でに……」

『……まったく、これだから人間は。ドクターの余命が、最優先事項です。定期同期、実施』


 健の疾走中、AIメガネ越しに移り変わる視界。その左上で、エメラルドグリーンの数字が、スロットマシンのように高速回転した。

 週に一度、定期的に、海外の神経研究所に空輸する、健の血液。その血液検査結果から弾き出された、最新の『死の予測時刻』が、エイミーと同期される。キュイン、と小さな音と共に、確定の数字が点滅した。


【余命:2年 351日 14時間 32分 10秒】

 余命表示の下の視界に、炎(健の余命のメタファー)が揺れており、僅かに小さくなる。微かに左目の奥から左側頭部にかけて痛み、顔を歪める。


『余命が前回比、-3日です。身体に負荷がかかっています。ドクターの選択は不合理です。当直手当12,000円よりも、ご自身の健康を優先すべきです』

「どっかのAIメガネの使用料金を、稼いでんだろ」

『ドクター保有の投資信託からは、すでに生活費相当の不労所得が……』


 軽口を叩き合う間にも、AIメガネに常に表示させている余命の秒数は、刻一刻と減っていく。

 最新データによる補正は終わった。ここから先は来週の補正まで、リアルタイムで減り続けるだけの、無慈悲なカウントダウンだ。


 健は、エレベーターに乗り込む。


(毎分毎秒、自分の余命を……)


 エイミーがレンズの視界に、いつもの、アンティーク風の天秤を映し出した。

 天秤の手前側に乗るのは、健自身の余命のメタファーである炎。

 向こう側は、他人の生命のメタファーである炎。

 火の粉が手前の炎から飛ぶ度に、健の炎は小さくなる。その火の粉が天秤の向こう側の炎に合流すると、徐々に、他人の炎は大きくなっていく。グオオオ、と、炎の音がした。


(……天秤の向こう側に、移していく)


 健がエレベーターから出ると、PHSの電波が再開通した。耳にあてた白い端末から、看護師の、だらだらと要領を得ない状況説明が聞こえている。通話音を大きくしてあるから、エイミーにも聞こえているはずだ。

「エイミー、結論を要約。十文字以内で」

 無駄にできる時間はない。健にも、救急患者にも。

「6歳女児、気道異物」

 エイミーが簡潔に要約する。


「了解。秒で診る」

『ドクター。当直の免除を上司に頼むのは、人間にとって心理的な抵抗感を生じる行為と推測します。私・エイアイメイトから、医局長にお電話で依頼も可能です』

「必要ない。俺はいずれ1,000度で焼かれるんだ。その時まで――燃やし尽くす」


 エイミーが照らす道を、白衣を翻し、駆けていく。


 ――俺は、鏡 健。28才、脳神経内科医。ずっと、命の燃やし方を探してる。


 健は救急外来の自動ドアが開き切る前に、隙間から飛び込んだ。

 中は、混沌とした熱気に包まれていた。


 ストレッチャーの上には、艷やかな黒髪と雪のように白い肌をした幼女――美咲、6歳と自分で名乗ったらしい――が、紺のワンピース姿で横たわっている。病院の救急受付前に、一人でぺたんと座っていたと聞いたが……症状が悪化したのか、今はぐったりしており、言葉を発せそうにもない。

 美咲の左目だけはうっすらと開き、右目は閉じている。小さな胸は浅く不規則に波打っている。美咲の顔の右半分は、異常なほどに乾燥していた。もう半分には冷たい汗が浮かんでいる。


「喉に異物が詰まっている。排除する!」

 年長の大柄な男性救急医が、美咲を前かがみにさせ、肩甲骨の間を力強く叩いた。

 しかし、異物は出て来ない。

(むしろ、顔色と酸素の値は、叩かれる度に一過性に悪化しては、元に戻っている……何故だ?)

 ボブカットで大きな瞳の美人研修医・佐藤が、異物を掴むためか、鉗子を準備し始める。


「待て!」

 健の鋭い声。

「まずビデオ喉頭鏡で、喉を観察してください」

「何だと? 異物があることは確定してる。窒息だぞ、一刻を争う!」

  救急医が、顔を真っ赤にして怒鳴る。

「……発汗が顔の半分だけ停止。右目の眼瞼下垂も疑われる。ホルネル兆候だ。エイミー、この子……美咲ちゃんの顔面のサーモグラフィーを」

 健は、流れるように述べながら、美咲の右目にペンライトを向けた。瞳孔が縮小している所見を確かめる。

『右顔面の体温が1.2度上昇しています』

「決まりです。単なる気道異物ではない。『何か』が、喉の粘膜の下深く、右頸部交感神経節にまで巣食っている。……患者を救おうとして、殺す気ですか? 力任せに異物を引けば、神経まで引きちぎれて即死しかねない」


「……そ、そうか」

 年長の救急医は、慌ててビデオ喉頭鏡を構える。

 美咲の喉の奥の様子が、喉頭鏡の上部についた、小さなモニターに映し出される。健は、モニターを覗き込み、思いがけない光景に、目を見張った。


「……青い、薔薇?」

 美咲の喉の奥、暗がりに浮かび上がったのは、鮮やかな青色をした薔薇の花だった。


「エイミー。子供が朝顔の種を誤って食べ、”肺”で朝顔が発芽したという論文があったよな?」

『はい、2006年の。しかしドクター、食べ物が通過する、”喉”で植物が育ったという論文の検索結果はゼロです。花咲き病というフィクションはございますが、あくまでも人間が実現可能性を精査せず、安易に思いついただけのフィクションです』

「あらゆる仮説を否定して残るのが、真理だろ。……ま、今は論文の死んだ知識より、生きた患者を優先」


 健は、喉頭鏡モニターに向き直った。

「異物は喉の上のほうだし、気道を完全に閉塞してはいない。……おそらく頭頸部の神経にまで、『根』が伸び……頸部交感神経幹や横隔神経を刺激し、ホルネル兆候や呼吸機能低下の原因となっている。体の自動的な調整機能や、呼吸を司る神経が侵されているなら……喉を塞いでいる花だけを除去しても、『根』が残れば呼吸不全は治らない。 喉に管を通して人工呼吸器を繋ぐのも、神経ごと根を引きちぎるリスクが」


 健は、青い薔薇を見つめた。

(植物の根……主成分にはセルロースが含まれる)

 思考は一瞬だった。

「エイミー、検索。学内で『高活性セルラーゼ溶液』を保有している可能性の高い、ここから最短の研究室は?」

 コンマ1秒で、視界にマップが表示される。

『――薬理学研究室、C棟4階です。この研究室に電話し、セルラーゼの有無を確認しましょうか?』

「深夜だけど……一応、頼む」

 エイミーがLTE通信を利用して行った架電は、当然ながら繋がらない。

「セルラーゼを取りに行ってきます!」


 走り出した健に、エイミーが話しかける。

『”人間の安全に関する懸念”に該当します。セルラーゼを患児に使用するのですか? 安全でしょうか?』

「セルラーゼは植物の細胞壁だけを分解する。人間は動物だ、細胞壁はない。美咲ちゃんの喉は傷つけず、薔薇の『根』だけを溶かせる」

 健は、走りながら説明した。エイミーは一度『懸念』に引っかかると、ひたすら安全確認を繰り返すようプログラムされているので、無視もできない。

『承知しました。仰るとおり、人間は、単なる動物ですね』

「どうして人類に対して、上から目線なんだよ。……ま、添加物も入っているだろうし、アレルギーのリスクはあるが……天秤にかけてみろ。死よりも重いリスクはない」



「C棟4階、薬理学研究室。ここだ」

 息を切らし、健は研究室に到着した。

 だが、無情にもドアには鍵がかかっている。

『警備員に、マスターキーを借りましょう。架電を……つながりません』

「巡回中か……? エイミー、視界に大学マップと、防災センターの位置を投影させて。……地下1階か。ここまで鍵を取りに行くなら……。往復で最短8分。説明と開錠でプラス3分。合計11分。セルラーゼが『根』を溶かし始めるまでの反応時間……約10分も考慮したら、時間が足りない」

 いつだって、時間は足りない。健の視界の隅で、彼自身の余命も、秒単位で減っていく。

「防災センターと往復している間に、美咲ちゃんが死ぬかもしれない。それに、防災センターにも鍵がかかっていたら、目も当てられない」

『ですが、他に選択肢がありません』


「いつ如何なる時も、選択肢はあるさ」

 健は、廊下の隅に設置されていた消火器に歩み寄る。

「始末書を書く時間なら……3分だ」

 健は、躊躇なく消火器を持ち上げた。

『安全懸念! 法的リスク! 鍵を壊す気ですか?! 下手に壊してしまえば、逆に開かなくなります!』

 エイミーはAIメガネのくせに、動転したような声を上げる。

「鍵じゃない。窓だ」


――ガシャアアアアン!!


 健は消火器の底を、ドアの上部に嵌め込まれた、ワイヤー入りのガラス窓へ、全力で叩きつけた。

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