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私は辟易した。
魔王討伐から一夜。王城の大広間では、私の偉業を称える祝賀会が執り行われていた。
吟遊詩人が竪琴をかき鳴らし、私の武勇伝を――事実とは似ても似つかぬ英雄譚を――高らかに歌い上げている。
長い。
あまりにも長い。
ゲームであれば、エンディングのスタッフロールは「スタートボタン」と「セレクトボタン」の同時押しで強制スキップできるはずだ。あるいは、特定のコマンド入力で隠し画面へ遷移できるはずだ。
だが、この現実という名のクソゲーには、それがない。
王が、金色のメダルを手に、厳かに歩み寄ってくる。
「勇者よ。そなたの働きにより、世界は光を取り戻した。この勲章こそ、我が国の感謝の印……」
(イベントアイテム『王家の勲章』。売値0ゴールド。所持重量1。不要だ)
私は、王がメダルを私の首にかけようとした瞬間、その場で高速で屈伸運動を繰り返した。
端から見れば、王の御前でスクワットを始めた狂人である。だが、これは違う。
キャラクターの座標軸を上下に激しく振動させることで、アイテム受け取りの判定をすり抜けようとしているのだ。
「おお……なんと!」
王の手が空を切り、メダルを持ったまま硬直する。
隣に控えていた宰相が、感涙に咽びながら叫んだ。
「見よ! 勇者様は、勲章を拒絶しておられる! 『平和こそが報酬であり、地位や名誉など不要』と、全身を使って表現しておられるのだ! なんという無欲! なんという清貧!」
(違う。インベントリがいっぱいなだけだ)
私は舌打ちした。判定が消えない。
このイベントは「不可避」か。開発者の悪意を感じる。
ならば、物理的に消えるしかない。
私は視線を巡らせた。会場の隅に、ポリゴンの継ぎ目――もとい、壁と床の境界線に、わずかな隙間を見つけた。
あそこだ。あそこに身体をねじ込み、特定の角度で視点を回転させれば、床判定を突き抜けて「裏世界」へ行けるかもしれない。
私は走り出した。
「勇者様!? どちらへ!?」
王女の悲痛な声が響く。
私は答えず、会場の隅へ突進し、壁に向かって斜め四十五度で身体を押し付けた。
顔面を壁に擦り付けながら、カニのように横歩きを繰り返す。
ズズズ、ズズズ。
摩擦音が響く。背広の肩が破れ、頬から血が滲む。それでも私は止まない。
「壁と……語らっておられる?」
会場が静まり返る。
王女が、はっと息を呑み、震える声で解説を始めた。
「わかったわ。勇者様は、この城の『傷』を癒やしておられるのね。魔王との戦いで傷ついた世界の歪みを、ご自身の身を挺して修復しようと……! 私たちは祝杯を上げているというのに、あの方はまだ、戦い続けておられる!」
嗚呼、王女よ、それは妄想だ。
私はただ、この退屈な宴会場から「・デバッグルーム」へ脱出したいだけなのだ。
不意に、身体がフッと軽くなった。
(抜けた!)
壁の判定が消失する。私の身体は、床下へと吸い込まれていく。
視界が暗転し、祝賀会の喧騒が遠のく。
「勇者様が……沈んでいく!?」
「光となって、大地へ還られるぞ!」
「神よ! 感謝します、神よ!」
頭上からは、万雷の拍手と感謝の祈りが聞こえてくる。
私は、無限の奈落へと落下しながら、安堵の息を吐いた。
これでいい。
英雄としての名声も、王女とのロマンスも、エンディング後のやり込み要素も、私にはノイズでしかない。
私はただ、速くありたい。
何もない虚無空間の中で、私はようやく、誰にも邪魔されることなく、次の走の構想を練ることができるのである。
落下速度が増していく。
風切り音だけが、私の友であった。




