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私は落胆した。
魔王は滅び、世界に平和が戻った。それは良い。しかし、私の胸中を占めるのは達成感ではない。どす黒い後悔である。
(十二分四十五秒。……遅い)
私は自分のプレイを脳内で反芻した。
城門での壁抜けに、コンマ二秒のもたつきがあった。
中盤の空中移動において、風の乱数を読み違え、軌道修正に三フレームを要した。
そして何より、魔王へのトドメだ。クリティカルヒットの発生率が下振れたせいで、撃破確定までの時間が一・五秒ほど延びた。
許せぬ。
今の私は、世界記録保持者ではない。ただの、運の悪さと操作ミスに甘えた、惰弱なゲーマーである。
こんな不格好な記録が、リーダーボードに刻まれるなど、末代までの恥辱。
「……やり直さねばならぬ」
私は懐から、禁断のスクロールを取り出した。
【時空回帰の書】。
この世界の住人にとっては、時間を巻き戻す禁忌の魔法。私にとっては「リセットボタン」である。
その時である。
背後の空間が歪み、転移魔法によって王女と騎士団長が現れたのは。
「勇者様! ああっ、なんと……魔王が、跡形もなく!」
王女が涙を流して駆け寄ってくる。その顔は歓喜に紅潮し、私を神のごとく崇めている。
「わずか十数分で世界を救うなど、古の伝承にもございません! 貴方様こそ、真の救世主……!」
「待て」
私は王女を手で制した。
私の顔は、蒼白であったに違いない。脂汗が滲み、呼吸は乱れている。
「褒めるな。私は失敗したのだ」
「し、失敗? 何を仰いますか。魔王は滅び、誰も死なず、世界は救われましたのに!」
「タイムだ! タイムがいかん!」
私は叫んだ。
王女がビクリと身を震わせる。
「壁抜けの角度が甘かった。あそこで二十三度に入力していれば、あと〇・四秒は縮められた。私は汚れている。こんな記録で『クリアした』などと誇る資格はない!」
王女は、ぽかんと口を開けた。やがて、その瞳に、恐るべき誤解の光が宿った。
「……なんてこと。誰も死んでいないというのに、勇者様は、ご自身の戦いぶりに納得されていないというの? 『もっと速く倒していれば、魔王に怯える時間を一秒でも減らせたはずだ』と……? どこまで、どこまで民のことを想ってくださっているの!」
(違う。世界一位のゴーストデータと戦っているだけだ)
私は構わず、スクロールを広げた。
「ロードする。オープニングの、あの長い王の演説からやり直しだ」
「なりませぬ!」
王女が私の腕に飛びついた。騎士団長も慌てて私の腰にしがみつく。
「お止めください勇者様! 時間を戻せば、貴方様の記憶も、この偉業も、全て無に帰すのですよ!?」
「構わぬ! 納得のいかない金メダルより、納得のいくリタイアの方がマシだ!」
「嫌です! もう貴方様が、あの壁に頭を打ち付ける姿など見とうございません!」
揉み合いになった。
私は必死にスクロールを詠唱しようとし、王女はそれを引き裂こうとする。
勇者の筋力ステータスと、ヒロインの火事場の馬鹿力が拮抗する。
「離せ! 私はまだ、理論値を出していないのだ!」
「十分です! もう十分すぎます! どうか、どうかご休息を!」
王女の頬を涙が伝う。その温かい雫が私の手に落ちた時、私はふと、操作の手を止めた。
(……待てよ。ここでリセット騒ぎを起こせば、この会話イベントの分だけ、さらに実時間が消費されるのではないか?)
ふと窓の外を見る。夕日が赤い。
私のリアルな腹時計が、夕飯の時間を告げていた。
「……勇者様?」
王女が不安げに私を見上げている。
私は大きく溜息をついた。
スクロールを懐にしまう。今日のところは、この「暫定一位」で妥協してやろう。
次回の走は、明日、カップ麺を食べた後だ。
私は王女に顔を向け、少し赤面して言った。
「王女よ、トイレはどこだ」
王女は顔を赤らめた。
「……はい、ご案内いたします」
勇者は、ひどく疲れていた。




