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私は砕いた。
魔王城の最上階、その分厚いステンドグラスを、加速した岩石と共に粉々に粉砕して突入したのである。
凄まじい轟音と共に、私は玉座の間へと転がり込んだ。土煙が舞い、古代の絨毯が摩擦熱で焦げ付く臭いが鼻をつく。
玉座に座っていた魔王は、ワイングラスを片手に持ったまま、石像のごとく凝固していた。無理もない。彼のAIは、勇者が玄関から徒歩で現れ、名乗りを上げるシークエンスしか想定していないのだ。窓から岩に乗って飛び込んでくるなど、想定外のエラーである。
「き、貴様は……?」
魔王が困惑の声を上げた。その声色には、威厳よりも恐怖が混じっていた。
私は答えない。呼吸を整える時間すら惜しい。
私は懐から、初期装備の「錆びた短剣」を取り出した。攻撃力は5。本来ならスライム相手に苦戦するゴミ武器だ。だが、今の私にはこれしかない。
(装備メニュー展開。武器スロット1と2を、毎秒六十回の速度で入れ替える)
私は魔王の鼻先まで肉薄した。
魔王は、ようやく事態を飲み込んだようだった。グラスを投げ捨て、立ち上がる。
「ふ、ふははは! 面白い! いきなり本丸に乗り込んでくるとはな! だが、余を倒すには早すぎる。見よ、この溢れ出る闇の――」
来た。
第二形態への移行演出だ。
魔王の身体が漆黒のオーラに包まれ、BGMが重厚なオーケストラへと切り替わろうとする。通常、この演出中はプレイヤーは操作不能となり、ただ呆然と画面を眺めることしか許されない。これだけで一分三十秒のロスだ。
だが、私は知っている。
このゲームの初期バージョンにおいて、変身ムービーへの移行直前の〇・五秒間、魔王の喰らい判定が消失していないことを。
そして、変身演出中であっても、特定の座標に攻撃判定を置き続ければ、内部数値としてはダメージが蓄積され続けることを!
「我が真の姿を……ぐぼぁっ!?」
私は突き出した。
錆びた短剣を、魔王の眉間に突き立てたのではない。ただ、突き出し続けた。
高速で武器の着脱を繰り返すことにより、攻撃モーションの初動だけが無限に発生する。私の右腕は視認不可能な速度で振動し、削岩機のごとき高周波音を撒き散らした。
ガガガガガガガガガッ!
「がっ、ごっ、ぎ、貴様、な、何を、変身を、待て、ルール違反、ぐげぇぇっ!」
魔王のHPバーが、溶ける氷のように一瞬で消滅していく。
攻撃力5の短剣でも、一秒間に六十回叩き込めば、秒間ダメージは300を超える。十五秒もあれば、ラスボスの膨大なHPなど紙切れ同然だ。
王城の水晶越しにこの惨劇を目撃していた王女の、震える声が脳裏に響く。
「あぁ、見て! 勇者様は魔王が力を解放する、その『魔力の核』を一点集中で攻めているわ! 変身させてしまえば世界が終わる。だからこそ、相手の最も無防備な瞬間を、慈悲の心で介錯しようとしているのね……なんと高潔な!」
(慈悲ではない。処理落ち対策だ。エフェクトが増えるとFPSが下がる)
「お、の、れ……勇者、よ……」
魔王は、ついに真の姿を見せることもなく、ただの中年男性のような姿のまま、膝から崩れ落ちた。
断末魔の叫びすら、私は許さない。
魔王が消滅エフェクトに入ろうとした瞬間、私はすでにメニュー画面を開いていた。
目的は達成された。世界は救われた。だが、私にとって重要なのはそこではない。
(タイマー停止)
視界の隅の数字が凍りつく。
【Result Time: 00:12:45】
勝った。
私は心の中でガッツポーズをした。自己ベスト更新。世界記録だ。
静寂が訪れる。魔王の玉座には、誰もいない。ただ、私の乱暴な操作によって発生したポリゴンの欠片が、雪のように舞っているだけであった。
ああ、私は英雄ではない。
私はただの、最速の男である。




