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私は飛んだ。いや、正確には「落下判定をリセットし続けた」と言うべきか。
城壁からの決死のダイブ。地面が迫る。普通の人間ならば、ここでミンチになるところだ。だが、私は着地の瞬間にメニュー画面を一瞬だけ開き、そして閉じた。
世界が一瞬、止まる。
システムは私の座標を「地上にある」と誤認する。慣性は死んだ。私は無傷で、タンポポの綿毛のようにふわりと草原に降り立った。
(着地硬直キャンセル成功。猶予フレームは二。甘い設定だ)
眼前に広がるは、広大なチュートリアルの平原。風がそよぎ、緑の草が波打っている。遠くには愛らしいスライムたちが跳ねているのが見えた。
なんとのどかな、平和な光景か。
私は激怒した。
広い。あまりにも広すぎる。
この無駄に広大なマップはなんだ。開発者の自己満足か。この草原を徒歩で抜けるのに、一体何分かかると想定しているのだ。その間の移動入力の手間を、プレイヤーの徒労を、彼らは考えたことがあるのか。
(移動速度上昇のバフアイテムはない。ならば、物理演算を壊すのみ)
私は足元に転がっていた、手頃な大きさの岩を拾い上げた。
城のバルコニーから、王女が何か叫んでいるのが聞こえた。
「勇者様! それは……『大地の守り石』!? 精霊の加護が宿るとされるその石を、どうされるおつもりで!?」
ただの石だ。
私はその石の上に乗り、屈伸運動を高速で繰り返しながら、石を掴む判定と離す判定を交互に入力した。
物理エンジンが悲鳴を上げる。
「物体の上にキャラクターがいる」判定と、「キャラクターが物体を持ち上げようとしている」判定が衝突する。矛盾した力は行き場を失い、やがてベクトル計算がバグを起こす。
ガガガガガッ!
空間から不快なノイズが弾けた。
次の瞬間、私と石は、砲弾のような速度で斜め上空へと射出された。
「ひいいぃぃぃっ!? そ、空を……人が石に乗って空を飛んでいるわ!?」
王女の絶叫が遠ざかる。私は加速した。風が顔面を殴りつける。眼球が乾き、呼吸すら困難なほどのGが全身を襲う。
(座標固定、安定。速度、音速以下。処理落ちは……なし!)
眼下を景色が流星のように過ぎ去っていく。
本来ならば、ここで最初のボス、「森の守護者」とかいう大木が立ちはだかるはずであった。さらにその先には、四天王の一人、「爆炎の将軍」が待ち構えている渓谷があるはずであった。
見えた。
眼下に、赤いマントを翻した男が、岩山の上で腕を組んでいるのが見えた。あれが四天王か。彼は今まさに、侵入者に向けて口上を述べようと、息を吸い込んだところであったろう。
「我こそは魔王軍が四天王……」
遅い。
彼がその名を名乗り終える頃には、私はすでに隣のエリアに到達している。
イベント判定のあるエリアを、私は高度五千メートルの上空から通過した。トリガーを踏んでいないため、彼らは私の存在に気づくことすら許されない。戦闘BGMも鳴らない。彼らは永遠に、来ない勇者を待ち続ける哀れなNPCと化したのだ。
(イベントスキップ成功。推定タイム短縮、四十分)
前方に見えてきた。
禍々しい紫色の雲に覆われた、魔王城の尖塔が。
召喚から、わずか五分。
私は魔王城のテラスを目がけて、一直線に突っ込んだ。減速はしない。止まる必要などない。私の勢いは、そのまま最強の武器となるのだから。
待っていろ、魔王。
私には、貴様の変身シーンに付き合ってやる義理はない。




