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鬼切与力つなもり事件帖  作者: ミミック
三章 神田剣鬼影払
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第八十四話


 源一郎は倒した四人組と神谷を屋敷へと招き入れた──。


 門は家人に言って固く閉めておくように言っていた。源一郎が声をかけ、潜り戸を開けて五人を通す。配下の四人の内、肩を打たれた者らは残りの二人に支えられてどうにか歩いている。


 玄関を上がり、座敷に通す前に源一郎はふと──振り返って神谷達を見た。


「あぁ、一つだけ先に申し上げておく」


 源一郎の声は穏やかだったが、その目には妖しげな光が宿っていた。


「この屋敷では不思議なことがよく起こる。ご存知の通り、本所は怪談の絶えない土地でな……この屋敷も幽霊屋敷やらお化け屋敷やら噂されることもある。人以外の目が『見ている』こともあるかもしれん。驚いても騒がれることは無きよう」


 それは軽い口調だった。冗談のようにも聞こえる。だが──その言葉に応じるかのように。


 源一郎の背後──廊下の奥の闇から、無数の目が覗いていた。


 赤い目、青い目、金色の目。細いもの、大きなもの、小さなもの。高い位置から見下ろすもの、床すれすれから見上げるもの。闇の中に浮かぶ正体不明の眼が、じっと──神谷たちを見つめている。


「人ならぬ者達に、人の常識は通じぬ。興味を抱かれ、付き纏われたくなければ……いらぬ言葉は交わさぬことだ」


 ゾッと──四人の配下たちの背筋が凍りついた。声は出ない。だが、顔から血の気が引き、動悸が激しくなると共に身体が強張る。一気に心胆が冷えた──先ほどまで僅かに残っていた反抗の気配が、すっと消え大人しくなった。


 神谷もまた僅かに目を見開いた。だが──他の四人ほどの動揺は見せない。むしろ、どうしてか腑に落ちたという顔をしていた。


「──なるほど。これが渡辺殿の……」


 神谷が小さく呟くが、源一郎は答えない。源一郎が再び背を向けると、闇の中の目は──いつの間にか消えていたのだった。


 ──座敷へと神谷たちを促し、自らも向かい合うように座る。四人の配下たちは身を縮めるようにして座り、周囲を警戒するように視線を巡らせていた。おたかが茶を運んでくるのにも警戒を示すように。


「さて」


 源一郎は茶碗を手に取った。


「話をしたいとのことだが、まずは身の上を明かされよ。貴殿達は何者で、何の目的で私を──この屋敷を探っていたのか」


 神谷は一度、深く息を吐いた。それから居住まいを正して口を開く。


「──渡辺殿。私が武者修行の浪人、仕官先を探す流れ者だと以前話したことは覚えているだろうか。それは嘘ではないが、全てでもない。恐らく、既に予想はついているだろうが……」


 神谷は源一郎に正対し、視線を合わせた。


「私は──いえ、我らは将軍家上様より御庭番の役目を仰せつかっている」


 御庭番──。将軍家直属の諜報の者。源一郎は表情を変えなかった。道場で話した際には、仕官先を探すと言いながら然程、金に困った様子がなかったこと。武者修行と称し諸国の情勢に妙に通じていたこと。それらの辻褄が一つに繋がった。


「して──御庭番が何故に火盗改の与力の屋敷を嗅ぎ回る」

「渡辺殿の身辺を調べていた」


 神谷は隠す素振りもなく答えた。


「ご自身でも分かっておいでだろう?あなたは尋常ではないのだと」

「さて、何を言っているのか、わからんな」

「……先の山王祭の一件」


 源一郎の惚けるような物言いに、神谷がポツリと返す。


「日枝神社への強盗、奉納金の窃盗。五人の社人が殺され、三千両を超える大金が盗まれた一件。それを渡辺殿は……一夜にして盗賊団の根城を突き止め、翌晩には一網打尽にしてみせた。奪われた奉納金も全て取り戻し、幕府、将軍家の面子をも守った」


 源一郎は黙って聞いていた。


「見事な手腕と申し上げる他ない。御奉公とは斯くあるべしと賞する声もある。だが──その一方で出来すぎた話に、疑り深い一部は疑念を抱いた。正体不明の盗賊団の潜伏先を如何にして突き止めたのか。それはまるで、盗みが起こることを予期していたかのようではないかと」

「……」

「尾行をしたにしても──夜半の闇の中で散り散りに、それも水路まで利用して逃げた盗賊に気づかれる事も無く、かつ、赤坂から浅草まで……どれほど的確に追跡できるものなのか。──そこには何か裏があるのではないかと疑っている」

「ほう、裏とは」

「率直に言えば、我々が追っている者たちの関係者ではないかという疑い。あるいは──我々が探っていると勘づき、末端を切り捨てたのではないかという疑い」


 源一郎の目が僅かに鋭くなった。妖怪の助力という裏はあれど、当然、神谷の言う疑念は見当違いだ。しかし、一方で気になった。神谷たちが追っているという者達は一体どのような存在なのかと──。


「さらに言えば──尋常の剣の使い手ではない渡辺殿が突然世に現れた。しかも、都合良く盗賊を斬る強権を持つ火盗改として。それが、どうにも話が出来すぎている気がした」

「それこそ勘繰りすぎだろう」

「それが有り得るのが、この世というもの。私が御庭番として諸国を巡り、多くの剣客と腕試ししてきたのは事実。それでも尚……渡辺殿は群を抜いていた。それほどの剣士が何者なのか、その脅威を確かめずにはおれなかった」


 源一郎は暫し黙った。それから、茶を一口啜った。


「──それで、調べた結果はどうだった」

「これが、何も見つからなんだ」


 神谷はあっさりと答えた。


「分かったことと言えば、末端とは言え、三河渡辺氏に縁を持つ家格であること……素性は明白。我々の追っている者たちとも接触は見受けられない。つまりは、火盗改の与力として、ただ己の職分を全うしているだけだと──そう報告するしかない」


 そこで意味深に話を切る。茶に口を付けると神谷は暫し沈黙した。


「それに──我々が追う者達であれば、当然知っているべきことを渡辺殿は知らなかった。それが何よりの反証となるだろう」


 『当然知っているべきこと』──神谷は声を落とし、源一郎はその一言に眉をひそめた。


「──勝手ながら、今回の神田の一件、此方でも少し探らせて貰った。その調べの中で我々は渡辺殿が辿り着けなかった、有用な『事実』を知り得た」

「……その事実、とは?」


 源一郎が興味を示す。釣れた、とばかりに神谷が少しだけで口元を緩めた。


「そこで、渡辺殿と交渉したいのだが──此度の一件、互いに水に流すつもりはないだろうか。私たちは渡辺殿と敵対するつもりはない。受けてくれると助かるのだが」

「その『事実』とやらの内容次第だ」

「うむ……渡辺殿が今追っておられる伊勢屋の一件。番頭である宗右衛門が伊勢屋店主、喜兵衛殿を殺すのに使った毒についてだ」


 源一郎は反射的に僅かに身を乗り出した。毒の正体について、源一郎はまだ確信を持てていなかった。喜兵衛の死因が毒であることは聞き込みから掴んでいたが、具体的に何の毒かは特定しきれていなかったのだ。


「その反応ならば、受けてくれると思ってもよろしいな?──毒の正体は……阿芙蓉と曼荼羅華の調合だろう」


 神谷の声が低くなり、源一郎の眼が細まる。阿芙蓉──その言葉をまた聞くことになるとは思っていなかったと。


「阿芙蓉──芥子の実から採れる膏。本草学では鎮痛、鎮咳、止瀉の薬として古くから知られているが、量を誤れば薬毒となり人を廃人にする」


 神谷は一度、言葉を切った。


「──近頃、蘭学の方では阿芙蓉を焼酎に溶かしたものを用いるようになってきていることは、ご存知だろうか」

「焼酎に、阿芙蓉を……」

「阿蘭陀の医書にある処方だ。彼の地では『ローダナム』と呼ばれている。阿芙蓉の膏を高濃度の酒精に溶かしたもの。蘭方医の間では鎮痛の薬液として研究が始まっている。痛みを鎮める他、眠りを誘う効果もある」


 源一郎が眼を見張った。前世の知識が脳裏を過る。ローダナム──アヘンチンキ。十九世紀の欧州では万能薬のように扱われ、やがて深刻な依存を生んだ薬。それが既に蘭学を通じて、この日本にも知識として入り始めている。


「宗右衛門はその仕組みを巧みに利用した」


 神谷が続ける。


「ご存知か──喜兵衛殿は夜の寝酒に、焼酎に味醂を加えた『直し』を好んで飲んでおられたそうだ」

「……毒を甘い酒に紛れさせた、と」

「左様。宗右衛門は、その直しの中に阿芙蓉を溶かし込んだ。焼酎と味醂の甘みと強い香りが、阿芙蓉の苦みと匂いを巧みに隠す。喜兵衛殿は何も気づかずにそれを飲み、深い眠りに落ちた。通常の寝入りよりも遥かに深く──声をかけても身体を揺すっても、簡単には目を覚まさぬほどに」


 源一郎は拳を握りしめた。巧妙な手口だ。直しの甘みは阿芙蓉の味を消し、焼酎が阿芙蓉の成分を溶かし込む。蘭学の知識が無ければ思いつかない調合法でもある。


 しかし、何故宗右衛門はその知識をもっていたのか──?


「それから──娘のお千代殿が突然錯乱した事実を鑑みれば、喜兵衛殿殺害に使われた毒も推測できる。宗右衛門に止めを刺したのは曼荼羅華──朝鮮朝顔の可能性がある」

「……なるほど。喜兵衛殿は寝ている最中に曼荼羅華を燻した毒煙を吸わされた」


 源一郎が低く呻った。蚊遣りの煙に混ぜられた何かの毒により、喜兵衛の命を奪われた──その毒とは曼荼羅華。源一郎が辿り着けなかった毒の正体。


「特に曼荼羅華の種子は毒性が強い。燻して煙を吸わせれたとなれば、効果はすぐに現れる。既に阿芙蓉で深い昏睡に落ちている者の呼吸は弱く、そこに曼荼羅華の煙が加われば──激しい薬効により心拍は急上昇、酸欠という状況の中で負担の掛かった心臓は……不整脈を起こし、やがて止まる。まるで眠ったまま、静かに事切れたかのように」

「……つまり」


 源一郎が唸るように言った。


「寝酒で昏睡させ、煙で殺した。二段構えの毒だ」

「左様。阿芙蓉だけでも、曼荼羅華だけでも、確実性は低い。しかし、組み合わせることで確実に命を奪い、しかも外から見れば突然死したようにしか見えない。毒だと見抜くのは至難だろう」


 源一郎は腕を組んだ。阿芙蓉と曼荼羅華が有用な薬となることは分かっている。しかし、傍目あまりにも危険な毒性に思える。


「お上は……阿芙蓉と曼荼羅華をどう見ている」

「あくまでも薬と。今のところ幕府として、そのものを禁じてはいない。鎮痛、鎮咳、止瀉薬として有用なことは確か。だが──問題は、それを何者かが裏で流通させ、悪用されていること」


 神谷は声を潜めた。


「実のところ──阿芙蓉については幕府も警戒を強めつつある」


 神谷は一拍の間を置いた。茶碗を手に取り、一口含む。それから、話の調子を変えるように──少し深い声で語り始めた。


「渡辺殿は、清国における阿芙蓉の広がりをどこまでご存知か」

「……噂程度には。長崎の異人から漏れ伝わる話は何かの拍子で耳にしたことがある」

「では、多少の心当たりがあるかもしれない。元々、大陸では阿芙蓉を煙草に混ぜて吸う習慣が広まっていた。これを『マダク』という。阿蘭陀人が天竺の爪哇から煙草と阿芙蓉を混ぜる吸い方を交易地に持ち込んだのが始まりとされている」


 源一郎は黙って聞いていた。前世の知識が脳裏を掠める。


「煙草に阿芙蓉を混ぜて吸えば、効きが早い。膏のまま食むよりも遥かに速く、強く身体に回る──そして、抜け出せなくなるのもまた早い。清国の民は最初、それが体に害を為すものとは思わなかった。煙草と同じように嗜み、やがて日に何度も吸わねば落ち着かなくなり、最後には廃人と化す者が後を絶たぬようになったと聞く」

「……それが、今の清国に広がっていると」

「それだけではない」


 神谷の目が鋭くなった。


「英吉利のコンパニヤ──商館が天竺で阿芙蓉の専売権を握り、それを大量に清国へ流し込み始めているのだ。清国の民はマダクの習慣もあって阿芙蓉への忌避感が薄く、こぞって阿芙蓉を買い求める。故に貿易により銀が大陸から流出し始めていると──長崎に入る唐船、阿蘭陀船からの風説書に不穏な報せが上がってきていてな。それはもはや一部の嗜好の問題ではなく、清国という国そのものを蝕みかねないことだ」


 源一郎は眉根を寄せた。前世の知識が脳裏を過ぎる。阿片戦争──それはまだ数十年先のことだが、その種はもう蒔かれているということだ。


「それが本朝に入ってくる可能性があると?」

「今はまだ、その兆しは薄い。だが──幕府も手を拱いているわけではない」


 神谷は声をさらに潜めた。


「幕府は阿芙蓉の輸入を原則として禁制としている。清国のように民に広まることを恐れてのことだ。唐船や阿蘭陀船から持ち込まれる阿芙蓉は厳しく取り締まり、薬種として僅かな量のみ、長崎会所を通じて交易を認めている」

「禁制……」

「ただ──ここに表と裏があるのだ」


 神谷の口元に、苦い笑みが浮かんだ。


「輸入を禁じた一方で、幕府は国内での芥子栽培と阿芙蓉の精製を奨励している。津軽、紀州をはじめ、いくつかの藩で芥子を育て、膏を採る試みが進められている。表向きは薬として──鎮痛、止瀉の良薬を国産で賄えれば、海外に銀を流す必要がなくなる。清国が大量の銀を流出させているのを、幕府は目の当たりにしている。同じ轍を踏むまいという考えだ」

「阿芙蓉の国産化……」

「左様。だが、国産であれば管理が行き届くかと言えば──そうとも限らぬ」


 神谷の目が源一郎を射抜くように見つめた。


「国内で精製された阿芙蓉が、薬としてではなく毒として、あるいは清国のように嗜好品として裏に流れているとすれば──それは大陸と同じ轍を踏むことになりかねない。輸入を断っても、国内に根を張られては意味がないのだ」

「……先の山王祭の一件でも、阿芙蓉が使われていたな」


 源一郎が言い、神谷は頷いた。


「富士講を示す、廃寺に安置されていた弥勒菩薩像。無宿人たちに痛み止めとして阿芙蓉を提供していた御師と呼ばれる男。阿芙蓉の裏の流通経路。そして、その元にある『何か』──それが、我々が追っているもの」

「今回の一件。阿芙蓉と曼荼羅華の入手経路については掴んでいるのか」

「宗右衛門は大阪で盗賊の首領をしていた頃、ある男と付き合いがあった。その男は御師とも繋がりのある薬種屋──そこが毒の入手先だ」

「つまり──伊勢屋の事件と山王祭の事件は、根と根が繋がっている」

「左様。そして、一つ一つの事件は片づいても、その根は断たれていない。……また別の根に絡み、繋がることになるのだろう」


 源一郎は暫し沈黙した。それから茶碗を置いた。


「──相分かった。此度の件は忘れよう。御庭番が私を調べていたことも、私が彼らを峰打ちにしたことも」

「では、交渉は成立したということで宜しいな」

「ただし──」


 源一郎は付け加えた。


「今後、私の屋敷を探るのはやめていただきたい。次があれば──峰打ちでは済まさぬ」

「肝に銘じよう」


 神谷は頷いた。そして──わずかに口元を緩めた。


「渡辺殿。改めて──互いの領分を尊重した上での協力は可能だろうか。その腕、有事に借り受けられれば心強いのだが」

「断る。私は火盗改の与力であり、長谷川平蔵の配下。御庭番の指揮下にあるわけではない」

「ならば、友に。それならば、良いであろう?某、渡辺殿が気に入り申した。今度は美味い酒を持ってこの屋敷に参ろう」

「……妙なことを言う男だ」


 ──この夜の情報が、伊勢屋の事件を解く鍵となった。阿芙蓉と曼荼羅華──その毒の正体を突き止めたことで、宗右衛門の犯行を立証する道筋が見えた。そして数日後、源一郎は宗右衛門の隠居所に踏み込み、事件は決着を見たのだった。

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