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鬼切与力つなもり事件帖  作者: ミミック
三章 神田剣鬼影払
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第八十一話


 伊勢屋の一件は火付盗賊改方で行われた詮議の末に決着することとなった──。


「──その方、伊勢屋番頭……いや、『影鰐』宗右衛門。並びにその一味。貴様らがこれまで犯した悪事の数々、この吟味帳に余すところなく記されておる。厳しき沙汰は免れぬと覚悟せよ」


 宗右衛門──影鰐と呼ばれた盗賊の首領。上方で盗み働きを繰り返した果てに大阪を追われ、江戸へと逃げてきた経緯がある。また、江戸に逃げ込んだ後、十数年に渡り神田の蝋燭問屋、伊勢屋の奉公人として潜り込み、堅気を装い続けた。


 しかし、盗賊としての本性には抗えなかったのか……長年に渡り不正を弄して店から金を抜き、過去には当時の番頭候補であった手代をも闇に葬った疑いがある。


 やがて──主人の喜兵衛が不正に気づきかけたことで、阿芙蓉と曼荼羅華をもって病死を装い毒殺。遺言状を偽造して、一人娘であるお千代から店を奪おうと画策した。


「その畜生にも劣る所業、筆舌に尽くしがたし。天網を逃れた腹づもりであったろうが、この火盗改の目は欺けぬ」


 罪状は、主殺しの大逆、手代殺し、遺言状の偽造、さらにお千代を狂人に仕立て上げんとした悪辣の企み──全てが白日の下に曝された。


「素性確かならぬ身を拾い、十数年もの間、信頼を向けていた主人に刃を向けるとは──恩を仇で返す大逆無道。もはや人の道を踏み外した畜生に等しい」


 ──裁許は死罪。獄門である。


「火盗改の御白洲へ引き出された時点で、貴様らの命運は定まったと知れ。親分が地獄へ行くならば、子分は付き従うのもまた道理。案ずるな、一人も欠けさせはせぬ」


 上方から連れてきた手下どもも、江戸で新たに加担した者も、すべからく同罪。上方で起こした過去の事件、番頭候補であった手代の殺害に加担し、伊勢屋乗っ取りに手を貸した咎で、揃って刑場に送られることとなった。


 そして──遺言状の偽造の実行犯たる代筆屋の弥平は、町奉行所へ引き渡されたのち遠島の裁許が下った。直接の人殺しには手を染めていないが、偽造した公文書をもって江戸の治世を乱そうとした罪は重い。


 喜兵衛の従兄弟もまた、町奉行所へ引き渡されたのち敲きの刑となった。宗右衛門に脅された事情は汲まれたものの、掛け払いの返済を条件に偽の遺言状と知りながら署名を押した。最も軽い刑とはいえ、愚か者の誹りは免れまい。商人としてのその信用は、もはや地に落ちたと言ってよい。


「──貴様たちの流す血を以て、些かなりとも世の戒めとなれば、それが唯一の功と言えよう」


 老中からの裁許を伝えた火付盗賊改方頭取、長谷川平蔵は御白洲の場でそう締め括ったのだった──。


§


 詮議が終わって幾日か過ぎた日の午後のことである。


 源一郎は神田伊勢屋を訪れた。


 夏の盛りは過ぎつつあった。蝉の声がいくらか弱まったかと思えば、代わりに秋の虫が鳴き始めている。季節の変わり目。伊勢屋の暖簾はまだ下ろされてはいなかった。


 店の中は静かだった。宗右衛門が捕縛されてから、奉公人たちは動揺しながらも──残った古参の手代が中心となり、どうにか店を回している。主人不在の商家がどれほど心許ないものか、源一郎にも想像はついた。


「火付盗賊改方の渡辺と申す。店のお嬢様にお目通り願いたい」


 源一郎が暖簾をくぐって声をかけると、古参の手代が慌てて奥へ走った。


 暫くして──襖の奥から、一人の娘が姿を現した。お千代であった。


 きりりとした目元に芯の強さが宿っている。着物は質素だが身なりはきちんと整えられ、商家の娘としての躾が行き届いていることが窺えた。


「火付盗賊改方、渡辺源一郎にございます。此度の件、お伝えしたきことがあり参上いたしました」


 源一郎が名乗ると、お千代は畳に両手をつき、深く頭を下げた。


「伊勢屋が娘、お千代でございます。此度は──父の仇を討ってくださり、まことにありがとうございました」


 その声は凛として、しかしどこか震えを堪えるような響きがあった。顔を上げたお千代の目に、ふと見覚えのあるものを認めたような色が走る。躊躇いながらも口を開いた。


「……あの。もしや、渡辺様は──先日、長谷川様の御子息……辰蔵様がお焼香にいらした折、お付きとしてお見えになっておりませんでしたか」


 源一郎は僅かに目を瞬いた。辰蔵が伊勢屋に焼香に赴いた際、源一郎は護衛と内状調査も兼ね、付き人として同道していた。その折は刀も差さず奉公人である中間に扮していたので、お千代と言葉を交わしてはいない。


「よくお気づきで。辰蔵殿のお供として伺っておりました」

「やはり……高い背を丸めることに慣れていないご様子でしたので、随分堂々とした中間だと少し不思議に思っておりましたが──火盗改のお役人様でいらしたのですね」

「こ、これはお恥ずかしい……見破られていたようで……」


 お千代の観察眼は侮れなかった。源一郎の変装技術や演技が拙いという理由もあるだろうが、その違和感をしっかりと感じ取っていたのだ。お千代がふふ、と笑う。


「渡辺様には奉公人の真似事は合わないということなのでしょう──さ、どうぞ、お上がり下さい」


 お千代は源一郎を奥へと案内した。通されたのは仏間を兼ねた客間の座敷であった。喜兵衛の位牌が安置された仏壇が部屋の一角を占め、線香の残り香が幽かに漂っている。奥には掛け軸が掛かり、季節の花、床の間には阿弥陀如来像が祀られている。


 女中が茶を運んできた。二人きりになると、源一郎は居住まいを正した。


「──此度の一件、詮議の結果は既にお聞き及びかと存じますが」

「はい。宗右衛門は──死罪と」

「左様。遺言状を偽造した代筆屋の弥平は遠島、偽造と知りながら署名した従兄弟殿は敲き。それぞれの罪に応じた裁許が下されました」


 お千代は静かに頷いた。その表情に怒りも安堵もない。ただ、何かを受け止めた者の顔であった。


「……渡辺様。失礼ながら、今日はそれだけのご用で参られた訳ではないのでございましょう?」


 お千代が言った。源一郎は僅かに目を見張った。──聡い娘だ。


「ええ。幾つか、他にお伝えしたいことがございます」


 源一郎は真っ直ぐにお千代を見た。


「お千代殿。まず──この部屋の仏壇の中にある須弥壇をお調べいただきたい」

「須弥壇……でございますか」


 お千代が怪訝な顔をした。須弥壇とは仏像を安置するための台座だ。日々手を合わせ、向き合う場所ではあるが、そこを調べて何になるというのか。


「喜兵衛殿は須弥壇の内側に隠し収納を設けておられました。聞き込みの過程で判明したことです。──喜兵衛殿が遺された本物の遺言状が、そこにあるはずです」


 お千代の目が大きく見開かれた。唇が震え──しかし、すぐに引き結ばれる。


「……確かめましょう」


 お千代は須弥壇の前に膝をつき、手を合わせてから、台座の内側をゆっくりと探り始めた。喜兵衛の位牌と仏像を含む仏具を丁寧に脇へ寄せ、台座となっていた須弥壇を確かめていく。


 やがて──、一見すると何の変哲もない台座の側面に、僅かな隙間が空いているのを見つけた。


「ここ……」


 お千代の声が震えている。指先で板を押すと、スルリと横にずれる。隠し収納。職人に特別に誂えさせたのだろう、通常はない細工であった。知らなければ絶対に気づかぬ造りである。


 その収納の中には一通の書状が入っていた。


 お千代はそれを両手で取り出した。紙の質感はそう古いものではない。喜兵衛が亡くなるそう遠くない時期に書かれたものであろう。


「……お読みください」


 源一郎が静かに促し──お千代は書状を開いた。その手が次第に震え始める。


「……」


 遺言状の内容は、こうであった。


 一つ。伊勢屋の全て──店、蔵、奉公人、取引先、帳簿の一切を娘のお千代に移譲する。


 一つ。お千代は然るべき婿を迎え、伊勢屋の暖簾を守り継ぐこと。


 一つ。番頭の宗右衛門には暖簾分けを許す。伊勢屋の屋号は名乗れぬが、独立して店を構えることを認める。開業の資金として百両を渡すこと。


 ──お千代の手が止まった。


 三つ目の条項を、二度、三度と読み返している。


「暖簾分け……」


 お千代の声が掠れた。


「父は──宗右衛門に、暖簾分けを……」

「……喜兵衛殿は最後まで宗右衛門を信頼しておられた。長年店に仕えた番頭として、お千代殿の代替わりと共に独立を許すおつもりだったのでしょう」


 源一郎は静かに言った。お千代は遺言状を力なく膝に置いた。


「お父様は……あの者を認めていたのですね。暖簾分けという形で、働きに報いるつもりだった」

「……」

「それなのに……」


 お千代の声が震えた。だが、涙はもう出なかった。


「それなのに、あの男は──お父様を殺し、遺言を偽り、私から店を奪おうとした。暖簾分けでは足りなかったのですか……!伊勢屋の全てが欲しかったのですか……!」


 源一郎は何も言わなかった。部外者である者に何も言えることなどなかった。


 しかし──待てなかったのだろうとは思う。


 宗右衛門は影鰐と呼ばれた盗賊の首領だった男。奪うことしか知らなかった男が、十数年かけて信頼を積み上げながらも、暖簾分けという正当な報いを待つことができなかった。いや──待つつもりなど、最初からなかったのかもしれない。手代として潜り込んだ時点で、伊勢屋の全てを飲み込む考えは頭にあったのだろう。


 喜兵衛の感謝が宗右衛門に届くことはなかった。感謝があったことすら、宗右衛門は知らなかったかもしれない。須弥壇の隠し収納に眠る本物の遺言状の存在など、知る由もなかったのだから──。


「お千代殿」


 源一郎は静かに言った。


「喜兵衛殿はお千代殿を信じておられた。店を託すに足る娘であると。だからこそ、その遺言状を遺されたのです」


 お千代は遺言状を胸に抱いた。


「……はい」


 その声は小さかったが──確かな芯があった。



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