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鬼切与力つなもり事件帖  作者: ミミック
三章 神田剣鬼影払
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第七十一話


 神田の妖怪たちに話を聞いた翌日──火盗改の役宅にて。


 源一郎が与力部屋で書類に目を通していると、同心の権助が顔を出した。


「渡辺様、辰蔵様が何やらお話があるとのことです」

「む、分かった。お通ししてくれ」


 程なくして、辰蔵が部屋に入ってきた。その手には紙の束が携えられている。


「渡辺殿、お忙しいところ申し訳ありません」

「いいえ、構いません。何かありましたか?」

「はい。偽の遺言状を書いた代筆屋が分かりました」


 辰蔵は代筆を練習したと思われる紙を源一郎の前に広げた。


「弥平という男です。神田の外れの裏長屋に住んでいる代筆屋で、戯作者崩れの──」


 辰蔵は事の次第を話し始めた。書の師匠から代筆屋の名を聞いたこと。何人かを訪ね歩いたこと。弥平という男の部屋で、遺言状と同じ筆跡の書き損じを見つけたこと。そして、弥平が半月ほど前から行方知れずになっていること。


 源一郎は黙って聞いていたが、ある言葉で眉をひそめた。


「──お待ちくだされ。訪ね歩いた、と今仰いましたが。もしや、お一人で訪ね歩いたのですか?」

「あぁ、それは……神谷殿に同行をお願いしました」

「神谷殿に……?」


 源一郎の眉間に皺が寄った。神谷──腕は確かであり護衛としても申し分ないのであろうが……確証こそないものの、どうにも違和感を感じてしまう。神田で妖怪たちに話を聞いた際、あの男の影を感じた。どうにも釈然としない。


「わ、渡辺殿がお役目でお忙しそうでしたので……。それに、一人で動かないと約束していましたから。誰かに同行を頼むべきだと思いまして……神谷殿は道場の仲間ですし、鷹取先生も認めた方ですから……」

「……」


 源一郎は目頭を押さえた。


「辰蔵殿。俺が忙しくしていたのは事実です。ですが、だからといって完全な部外者に話を持ちかけるのは少々軽率です」

「……申し訳ありません」

「この件は商家の内情に関わる話です。神谷殿の口が軽いとは言いませんが……もしも万が一下手に広まってしまえば、奉行所が出張ることになります。お千代殿の立場も危うくなるかもしれない。それに──」


 源一郎は声を潜めた。


「相手がどこで、こちら側の動きを探っているかわかりません。誰が敵で味方か分からぬ内に情報を広めるのは得策とは思えません。それが道場における信頼に足る人物だとしてもです」

「それは……はい……肝に銘じます」

「一言相談していただければ、時間くらいは作ります。あまりご無理はなさりませんよう」


 辰蔵が神妙な面持ちで頷く。──その時、同心が再び顔を出した。


「渡辺様、熊造が参っております」

「わかった。庭に通してくれ。例の件についてでしょう。辰蔵殿も同席してください」

「は、はいっ」


 源一郎は立ち上がり、縁側へと向かった。辰蔵もその後に続くのだった。


 §


 役宅の庭では熊造が待っていた──。岡っ引きの身分では役宅の中に上がることは許されない。熊造は庭先に立ち、源一郎が縁側に腰を下ろすのを待っていた。


「若旦那、お忙しいところ申し訳ありやせん」

「いや、暑い中来させてすまなかったな。番頭の宗右衛門については、何か掴めたか」

「へぇ。色々と分かりやしたよ」


 熊造は懐から手拭いを出して汗を拭い、声を潜めた。


「まず、宗右衛門についてですが──表向きは真面目で堅実な男って評判でさぁね。急に羽振りが良くなった様子もねぇし、派手な遊びをしている気配もねぇ。金遣いは相変わらず地味なもんです」

「ふむ……慎重な男だな」

「へぇ。足がつくようなことは、一切しておりやせん。だが──」


 熊造の目が光った。


「一つ、気になったことがありやす。宗右衛門の言葉には微かに訛りがあるようで」

「訛り?」

「へぇ。江戸のモンじゃありませんねぇ。上方訛りでも荒々しい──恐らく播磨あたりの訛りだと思いやす」


 播磨──未来における兵庫、姫路藩を中心とした地域だ。上方の中でも独特の訛りがあり、大阪や京の言葉とも異なる。語尾に「~しとう」「~け」といった言い回しが混じり、「ダボ」「おんどれ」と語気も荒々しい傾向がある。江戸者の耳には、すぐにそれと分かる特徴があった。


 源一郎は眉を寄せた。


「伊勢屋に長く勤めているという話だったが」

「そうなんですがね。長く江戸にいりゃ、訛りなんざ抜けるもんでしょう。だが、時折ふっと出るようで。油断した時とか、酒が入った時とかに」


 熊造は続けた。


「それで、上方で鳴らした盗賊を調べてみたんですが……十数年前、大阪で『影鰐』って呼ばれた盗賊の頭領がいたようでさ」

「ほぅ……影鰐か」


 源一郎の脳裏に、その名に纏わる伝承が浮かんだ。


 影鰐──。水辺に棲むとされる妖怪だ。水面に映った人の影を食らい、影を失った者は魂を抜かれて死ぬという。姿は見えず、気配も感じさせず、ただ水面の影だけを狙う。その正体を見た者はいないとも、巨大な鰐の姿をしているとも伝えられる。


 盗賊がその名を名乗るということは、姿を見せず、気配を消し、獲物だけを奪い去るという意意味合いからだろう。引き込みの手口で商家に入り込み、内側から全てを食い尽くす──なるほど、影鰐の名に通じるやり口だ。


「上方で猛威を奮った盗賊団の頭領でさぁ」


 熊造が続けた。


「引き込みの手口で盗みをする連中で、大阪の商家を狙って相当な荒稼ぎをしていたらしい。必要とあらば畜生働きもする、えげつねぇ連中だったとか」


 源一郎の目が鋭くなった。引き込み──商家に奉公人として入り込み、内側から手引きをして盗みを働く手口だ。狡猾で周到な盗賊が好む手口と言える。


「その影鰐が十数年前にぱったりと上方から姿を消してるんでさぁ。お上に追われて、大阪にいられなくなったって話で。捕まったって話もねぇし、死んだって話もねぇ。ただ、盗みの被害だけが消えた」

「それが宗右衛門とどう繋がる」

「影鰐が大阪から姿を消した時期と、宗右衛門が伊勢屋に奉公に来た時期が──ぴったり一致するんでさぁ」


 縁側に控えていた辰蔵が、息を呑んだ。


「もちろん、偶然かもしれやせん。だが──」


 熊造は声を落とした。


「面白ぇことに、宗右衛門が伊勢屋に来てからは、江戸で影鰐の手口を使った盗みは一切起きていねぇんですよ」

「……どういうことだ」

「つまり、奴は江戸に逃げて来てからは、規模の大きい盗みは働いていねぇってことです。いや……表向きは真面目に働いて、番頭にまで出世した。十数年もの間、堅気を装ってきたわけでさぁ」


 源一郎は眉を寄せた。


「盗賊が足を洗った、ということか」

「そうとも限らんでしょう」


 熊造は首を振った。


「奴は気づいたんでしょうな。盗みを働くより、店を丸ごと乗っ取った方がよほど良い暮らしができるってことに。一度の盗みで得られる金なんざ、たかが知れている。だが、蝋燭問屋の主人になりゃ、一生安泰ってわけで」

「……なるほど」


 源一郎は唸った。確かにその方が理に適っている。盗みの度にリスクを負えば、捕まる可能性は高まってゆく。だが、商家の主人として収まれば、誰にも疑われることなく、悠々と暮らせる。


「十数年かけて主人の信頼を得て、番頭にまで上り詰めた。そして主人が死ねば、偽の遺言状で店を乗っ取る──」

「えげつねぇ話でさぁ。だが、それが奴の狙いだと思いやす」


 熊造は続けた。


「もちろん、偶然かもしれやせん。だが、上方の訛りがある男が商家に入り込み、主人を殺して店を乗っ取ろうとする……そのやり口は影鰐に通じるものがあるんでは」

「だから宗右衛門が影鰐だと」

「へぇ。断定はまだできやせんが、可能性はあると思いやす」


 源一郎は腕を組んだ。


「宗右衛門が影鰐だという証はあるか。符合する何かがなければ、十中八九言い逃れするだろう」

「そいつなんですがね……」


 熊造は声を落とした。


「宗右衛門の背中に、刺青があるって話を聞きやした」

「刺青?」

「へぇ。湯屋で見た者がいるんですよ。背中一面に、大きな鰐の刺青が彫られているとか。波間から顔を出す鰐で、目が光っているような……気味の悪い絵柄だったそうで」


 源一郎の目が細くなる。


「影鰐の刺青、か」

「へぇ。盗賊の頭領が、自分の二つ名を背中に彫り込んでいる──そう考えりゃ、辻褄が合いやす。上方じゃ、盗賊の親分が刺青を入れるのは珍しくねぇ。それも、自分の二つ名に因んだ絵柄を彫るのが流行りだったとか」

「それは確かな話か」

「湯屋の三助から直接聞きやした。嘘じゃねぇと思いやす」


 源一郎は頷いた。これで、宗右衛門と影鰐を結びつける証拠が一つ見つかった。背中の刺青──それは、盗賊としての過去を示す動かぬ証だ。


「──他に分かったことはあるか」

「へぇ。喜兵衛の親類についても、妙なことが分かりやした」

「親類?」

「喜兵衛には従兄弟がおりやして、此奴が両国で小間物屋をやっておるんですが……この店が随分と経営が苦しかったらしいんでさ」

「ほう」

「でかい掛け金を抱えてたようで。年末の支払いもやっとという有様。夏場の支払いにゃ、半年分の掛け取引のお代を払えるか、なんて噂だったらしいんですがね……」


 熊造は声を落とした。


「──そいつが一括で支払われたそうで」

「それはどうにも怪しい話だな」

「えぇ。小間物屋のあの主人にそんな金があるはずがねぇんですよ。商売は相変わらず苦しいまま、急に金回りが良くなった様子もねぇ。なのに、支払いだけが綺麗に片付いている」

「誰かが肩代わりした、ということか」

「恐らくは。どこから資金を調達したのかは調べられやせんでしたが……小間物屋に番頭の使者がよく出入りしてるのは確かでさぁ」

「……」


 源一郎は考えを巡らせた。


「つまり──宗右衛門が喜兵衛の親類の店の掛け金を肩代わりし、その見返りに遺言状の保証人にさせた」

「偽の遺言状にゃ、保証人の署名が不可欠。弱味を握られ言いなりになっているんでしょうな」

「──そうか、良く調べてくれた」


 賢しい手口だ。親類を抱き込んでおけば、遺言状の信憑性が増す。喜兵衛の身内が保証人になっているのだから、偽物だとは思われにくい。


 これで全てだろうと源一郎が考えた時──。


「──ちょいと若旦那、お待ちなせぇ。分かったことは、それだけじゃありやせんぜ?」


 熊造は続けた。


「最近、どうにも宗右衛門がコソコソ出入りしている場所があるようで」

「なに、どこだ」

「本所でさぁ」


 源一郎は思わず目を見開いた。


「本所だと?」

「へぇ。伊勢屋が持っている隠居所があるんですよ。神田の店が火事になった時の避難場所として、別邸を構えている。普段は使われていねぇはずなんですが……最近、宗右衛門がそこに出入りしているのを見た者がいる」


 本所といえば、源一郎の屋敷がある場所だ。庭のようなものである。そんな場所に盗賊の隠れ家があったとは。


「どこにある」

「竪川沿いでさぁ。周りにゃ寺と空き地ばかりで、人目につきにくい場所です」


 熊造は懐から小さな紙を取り出した。


「しかも、宗右衛門だけじゃねぇ。柄の悪い男たちが、夜な夜な出入りしているって話でさぁ」

「柄の悪い男たち……」

「恐らく、影鰐の一味でしょうな。盗人宿代わりに手下どもを隠居所に集めているのかもしれやせん」


 源一郎は紙を受け取り、目を通した。本所の外れ、竪川沿い。確かに人目につきにくい場所だ。


「良く調べてくれた。引き続き、何か分かったら知らせてくれ」

「へぇ、承知しやした」


 熊造は頭を下げて、庭を去っていった。


 §


 熊造が去った後、源一郎は縁側に座ったまま、考えを巡らせていた。


 辰蔵が見つけた代筆屋・弥平。熊造が掴んだ影鰐の影。そして、本所の隠居所。事件の輪郭が、少しずつ見え始めている。


「渡辺殿」


 辰蔵が声をかけた。


「影鰐というのは、妖怪の名でもあるのですか」

「ああ」


 源一郎は頷いた。


「水辺に棲むとされる妖怪だ。水面に映った人の影を食らい、影を失った者は魂を抜かれて死ぬという。姿は見えず、気配も感じさせず、ただ水面の影だけを狙う」

「気味の悪い話ですね……」


 辰蔵は身震いした。


「盗賊がその名を名乗るということは、姿を見せず、気配を消し、商家に入り込んで全てを奪い去るという意味だろう。十数年もの間、真面目な奉公人を装いながら、主人の影を食らう機会を待っていた」

「十数年も……」


 辰蔵の顔に戦慄が浮かんだ。それだけの歳月を野望のために費やす執念。常人には理解し難い狂気がある。


「──まずは頭取に報告せねばなりません」


 源一郎は立ち上がった。


「御用改めをするにも頭取の許可が必要。証拠も揃ってきました。これ以上、俺たちだけで動くわけにもいきません」


 辰蔵の顔に、安堵の色が浮かんだ。


「はい……そろそろ私も、父上に報告しなければ」


 辰蔵はずっと、この件を父に話せずにいた。確証がないうちから報告すれば余計な心配をかける。見当違いだった場合、火盗改方が商家の内情に首を突っ込んだという話になりかねない。そう思って言えずに抱え込んでいた。


 だが、今は違う。代筆屋の正体が分かり、宗右衛門と影鰐の繋がりも見えてきた。


「ようやく、父に話せます」

「では行きましょう、辰蔵殿」


 辰蔵の声には、どこか肩の荷が下りたような響きがある。源一郎と辰蔵は縁側から立ち上がり、平蔵のいる奥の間へと向かったのだった。

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